先輩とヨーコさんと俺と失踪
三年の冬の話。
一年の頃は、先輩に憧れてついて回った。
二年の頃は、先輩が俺を遠ざけ始め、俺も無理に追いかけなくなった。
そして、三年。
先輩はあまり俺に関わらなくなった。
俺も何だかんだ独り立ちし始め、何かの相談の時くらいしか先輩に頼らなくなった。
それは、先輩の思い人に対する感情を自問した時からだったか、それとも先輩の引き連れる狂気に恐れをなした時からだったか。
今となってはわからない。あるいは、両方だったのかもしれない。
いや、両方だった。たぶん。
とにかく当時、先輩は常識と正気から遠く離れていたし、俺は先輩にどこか気まずい思いを感じていた。
そんな、ある日。
先輩に対する気まずさの、その原因であるヨーコさんが俺の家を訪ねてきた。
一応住所は教えておいたのだが、まさか本当に来ることがあると思っていなかったので、俺はかなり焦った。
母さんと弟が「あいつが女の子を家に呼ぶなんて」みたいなことを言って騒いでいる。
ばたばたと玄関に向かい、ドアを開ける。
「こんにちは」
「あ、ども。え、っと、とりあえず、上がります?散らかってますけど」
ヨーコさんは首を振る。
「いい、違う。ちょっと話を聞いて」
どうやら急ぎのようだ。
よく見ると、いつもの私服と感じが違う。
とりあえず着てきたような、ちぐはぐな感じだ。
襟元が着崩れて鎖骨が見えている。
どうやら、相当慌てたらしい。
「なんですか、話って」
ヨーコさんはそっと目を閉じて、覚悟を決めたように言った。
「あの人がいなくなる。夢で見たんです」
□ □ □
俺は自転車をこぐ。
荷台にはヨーコさんが乗っている。
二人乗りは初めてのようで、腰を必死に掴んできた。
「夢で、って、あれですか、例の」
俺は後ろに話しかける。
「うん、多分そう。たまにあるんだけど」
ヨーコさんは、見える人だ。
幽霊が、とかに留まらず、人の視界や、過去や、未来が。
それはコントロール出来る物でないから、本当に未来の事か、それともただの夢なのかはヨーコさんの感覚でしかわからない。
こぎながら、腋を通して後ろを見てみる。
「足、後輪の軸の所に乗せてください。ちょっとがに股になっちゃいますけど、バランスいいですから。で、どういう夢なんですか」
ぶらぶらさせていた足を軸に乗せるのを確認して前に向き直る。
ヨーコさんは少し声を大きくして答える。
「私が、あの人に会いに行く夢。歩いて、あの人の部屋の前に行くんだけど、部屋の中には誰もいないんです」
はっきりしない。
ただの夢のようにも思えるが、ヨーコさんはただならぬ物を感じたようだ。
俺は脚に力を込める。
「・・・・・・揺れるんで、しっかり掴まっててください」
目前の信号は赤に変わろうとしている。
体重をかけて加速して、俺はぎりぎりで走り抜ける。
先輩が、いなくなる。
あの人は、やっぱり良くわからないから、俺達に何も言わず去っていくこともリアルに感じられた。
自分の意思で、もしくは、何かから逃げるように。
ぎゅ、ぎゅとペダルを回す。
いなくなるのはもう逃れられないとしても。
せめて、最後に一言でも。
なんだか泣きそうになって、歯を食いしばった。
コンビニの前を通り過ぎる。
歩行者が前から来る。
ギリギリのところをすれ違う。
先輩、先輩。
図書館の前を通り過ぎる。
□ □ □
・・・・・・俺は、全力でブレーキを握った。
背中に体重を感じる。
ヨーコさんが予期せぬ反動に耐え切れず、前につんのめったのだった。
「ど、うしたんで、すか」
背中に声が伝わる。
「・・・・・・あれ、先輩のです」
図書館の駐輪場には、古いロードレーサーが停めてあった。
クロモリのフレームに、斜めに走る擦り傷が目印。
でかでかとスペースをとって、壁に立てかけてある。
誰かから譲り受けたという、先輩の自転車だ。
俺が自転車を降りると、ヨーコさんもよたつきながら降りる。
「お尻、痛・・・・・・」
風に飛ばされてぼさぼさの髪を手で直しながら図書館の入り口へ向う。
俺もその後についていった。
『開館』という看板が出ている。
入り口に手をかけて、ヨーコさんの動きが止まる。
いた。
一週間分の新聞がストックしてある、入り口すぐの休憩スペース。
新聞を机にばっさと広げて座っている。
あの顔色の悪い男は、間違いなく先輩だ。
ヨーコさんはその場でしゃがみこんでしまった。
「良かった・・・・・・」
俺は両開きの扉を開けて中に入る。
先輩が俺に気付いて手を上げた。
「よお、なんだ、息荒いな。どうかしたのか」
驚くほどいつも通りだ。人の気も知らないで。
俺は一発殴ってやろうかと思った。
「いえね、ヨーコさんが、先輩がいなくなる夢を見たって言うんで。今いっそいで飛んで来たんですよ。無駄足だったみたいですけど」
□ □ □
そう、多分ヨーコさんは知らなかったのだ。
先輩は、冬が苦手だ。
夏はどんなに暑くても平気な顔をしているが、冬、ちょっと寒くなると暖かい所へ逃げる。
先輩のアパートにはエアコンがないから、公共施設・・・・・・特にこの図書館、暖房の効いた空間をよく利用するのだ。
ヨーコさんの見た夢は、『アパートを訪ねたら先輩がいなかった』というものだったらしい。
つまり、俺のところに寄らず、先輩の部屋を訪ねていたら、やっぱり先輩はいなかったんだろう。
なにせ、図書館に行っているのだから。
「おお、予知か。いや、やっぱり素晴らしい、ヨーコは。詳しく聞きたいな」
俺はなんだかどうでもよくなって、先輩の向かいのソファーにぼすっと沈んだ。
「あー、いいですよー。それより、入り口の所にヨーコさんいるんですよ。なんかへたっちゃってて。行ったほうがいいんじゃないですか」
先輩は入り口に視線をやり、ガラス戸の向こうのヨーコさんを確認すると立ち上がった。
「おいおい、地べたに座っちゃって・・・・・・スカートなのに。全くどうしたんだ」
入り口に向って歩く先輩を見ながら、俺は苦笑する。
そうだ、先輩が例えいなくなるとしても、俺にはきっと一言あるだろう。
なにせこの三年間、俺程先輩の近くにいた人間はいないのだから。
心配しすぎた。
ヨーコさんの予知夢だって、コントロール出来ないのならば外れることもあるのだ。
先輩がヨーコさんになにやら言い訳をしている。
ヨーコさんはまだへたったままだ。
こうやって見ると、やっぱり先輩はヨーコさんの事が好きなんだなあと思う。
それに、先輩がいなくなると思い込んだヨーコさんの取り乱し方。
やっぱり、あの二人がお似合いだ。
・・・・・・俺なんかの、入る隙間もなく。
先輩がヨーコさんを立たせ、俺の所に帰ってくる。
□ □ □
「おい、お前が送ってきたんだろ。帰りもちゃんと送ってやれよ。ママチャリで」
へいへいと立ち上がり、また新聞を読もうとしている先輩を置いて図書館を出る。
扉に手をかけた時、先輩が俺に言った。
「あいつの予知は、外れないぞ。だからこそ、素晴らしい」
俺は鼻で笑って手を振った。
帰り道、ヨーコさんはなんだか申し訳なさそうだった。
騒がせてしまったことが少し恥ずかしいらしい。
なんだかおかしくなって、俺はくすくす笑った。
ヨーコさんも、ちょっと拗ねたようにして、でもやっぱり笑った。
ヨーコさんのマンンションに着く。
自転車を降り、髪を直し、服を正してから。
「またね」
と言って、ヨーコさんは微笑んだ。
数日後、俺はヨーコさんから、先輩が失踪した事を聞いた。
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