月曜日の夜
以前住んでたマンションの一室。
場所ははっきり書けないけれど、大雑把に言うなら新宿・渋谷とも徒歩で行ける場所。
駅は2路線使用可、歩いて5分も掛らない。
周辺は閑静な住宅街、しかも緩やかな丘の上に建つ5階建てマンションの最上階。
眺望は抜群で赤坂あたりまで一望できる。
間取りは2DK。日当たり良好な大きな窓に、結構広いベランダ。
屋上は出入り自由で、夜になるとまるでデートスポットさながらの夜景が見れた。
そんな好立地にもかかわらず、家賃は相場よりも5万ほど安い。
好条件に目がくらんで、速攻契約したのは良いが・・・
おかしな事は、入居から1ヶ月も経たない頃から起こり始めた。
一室を寝室、もう一室は仕事場兼リビングとして使っていた。
仕事をするのは主に夜。
夕方から仕事に取りかかり、気がつけばすっかり日も落ちていた。
すでにディスプレイの光が、ぼんやりと部屋を照らすだけになっていた。
まあ、いいや。
自分以外には誰もいない。
不便に感じることもないし、何より節約になる。
と、そのまま薄暗い部屋の中、作業を続けることにした。
それから何分経っただろう。
夢中になりすぎて時間の感覚さえない。
肩が凝って来たので、大きく伸びを一つした。
・・・カタカタ・・・ガタ!!
その瞬間、全身総毛立った。
誰もいないはずの寝室から音が聞こえる。
いやいや、そんなはずはない。ただの聞き間違えだ。
なぜなら、この部屋には隣人の部屋や上の階なんてものはないから、自分以外に音を立てられるはずはない。
しかも鉄筋コンクリートのマンションで、こんなに音が漏れることはなかろう。
仕事疲れで、空耳まで聞こえるようになったか?
そう思い、部屋の明かりを付け、少し休憩することにした。
寝室と仕事場をつなぐドアは開け放たれていたため、明かりが寝室に漏れている。
でもなぜか確認するのが怖かった。
空耳だと思うよう努めたが、今思うとあの音は、やはりはっきり聞こえたように感じるからだ。
こんな都会なら、もしかすると、外から部屋の暗さに目を付けた空き巣かもしれない。
鉢合わせになって、殺されでもしたらたまったもんじゃない。
どうしよう・・・
この後の行動をどうしようか思案に暮れていたら、相当時間が経っていた。
そうこうしているうちに、大分気持ちが落ち着いてきた。
鍵はしっかり閉めていたし、第一、ここは5階だ。
進入する手間を考えてみれば、空き巣だってこんな処を狙うはずはないだろう。
あらぬ心配で、ガタガタ震えていた自分が馬鹿みたいだ。
時計を見たら、12時を過ぎていた。
そういえば、次の日は火曜日。朝イチでクライアントと打ち合わせだ。
作業も切れの良いところまで進んだし、休憩といわず、このまま眠ることにした。
・・・不意に目が覚めた。
眠り始めてどれくらい経っただろうか。
枕元の時計を見ると、午前2時を回った頃だった。
やばいな、結構目が冴えてる。
明日早いのに、このまま眠れなくなったらどうしよう。
ため息をつきながら、壁際に向いた体を、くるりと部屋の方に向かって寝返りを打った。
!!!
ちょっと待って・・・今の、何だ?
あ、足下の方に、天井から何かぶら下がってる!
天井の板がはがれた???いやいや、天井、コンクリートだし。
全身から汗が噴き出た。心臓が口から飛び出しそうだ。
夜のあの音といい・・・この部屋、誰かいる?
でも、寝る前は誰もいないのを確認したし、
引っ越したばかりのこんながらんとした部屋に、隠れる場所なんてどこにもない。
じゃあ、なに?
見たくない、怖くて見れない。
でも、このままじゃ不安でいてもたってもいられない。
恐怖を押し殺し、布団の端からアレを覗き見た。
何もない。
やはり見間違いだったようだ。
よくある、擬金縛りの時に見ると言われる、幻覚だった様だ。
しかし、その夜は興奮しすぎたためか、一向に眠くなることはなかった。
打ち合わせには、寝不足の真っ赤な目をして向かうことになった。
それからしばらく、あのドキドキ体験は一度もなかった。
ただ気になることと言えば、何となく部屋の中が生臭い。
常に臭うというわけでもなく、不意に臭ってくることがある。
まあ、下水か何かの臭いだろう。
余り酷くなるようなら、管理会社に電話してみよう。
まる一ヶ月経った。
次の日の火曜は、寝不足で挑んだ打ち合わせ先のクライアントと、会うことになっている。
ここの担当者の都合で、打ち合わせは毎月最終火曜日という約束になっている。
打ち合わせで使う資料を、その日のうちにまとめておかなければならなかった。
夜半には終わるはずの資料作りが、作業途中のフリーズで完了が延び延びになっていた。
気がつけば、そろそろ日付も変わろうかという時間。
前回の寝不足眼の事を考えると、こんな時間まで作業しなければならないことが焦りになり、
食事も抜きで作業に没頭していた。
しかし、この間の微妙に怖い体験を期に、夜は必ず電気を付けるようにしていた。
・・・カタカタ・・・ガタ!!
え・・・またあの音だ!
今度は間違えない。絶対に寝室で音がしている。
手が震え始めた。仕事どころの騒ぎじゃない。
電気も付けているし、空き巣なわけがない。
でも、確実に誰かいる。
恐怖でたまらず、部屋の鍵と携帯を取り、そのまま駆け足で外に出た。
大急ぎで1階まで降り、震える手でようやく近所に住む友達に電話した。
「も、もしもし。私、○○だけど!(ガクガクブルブル)
お、音がしたんだよ。寝てる部屋から音がしたんだよ」
『??どうしたの、そんなテンパッた声出して。
音って言われても、何がなんだかわかんないよ。とりあえず落ち着いてよ』
「家に私しかいないのに、音が聞こえたんだよぅ。この間も、今日も。
聞き間違えじゃないよ。先月も同じ事があったんだよ」
『ちょっと待ってよ。泥棒じゃないの?鍵ちゃんと閉めてるの?』
「確かめた。この間も同じ目に遭ったから、確実に閉めたよ。てか、誰も入れないはずだって」
『・・・大丈夫?普通じゃないよ、焦りっぷりが。
ちょっと待ってなよ。今、新宿にいるから、タクって○○の家まで行くからさ。
10分以内で着くから、それまでコンビニにでも避難してなよ』
「わ、わかったー、お願い。怖いよ。早く来てー!!」
電話を切った後、いちもくさんで近所のコンビニに駆け込んだ。
震えが止まらない。
誰もいないとすれば・・・まさか、幽霊?
あれほどまで、誰も部屋に入り得ないと確認し尽くした後では、そうとしか考えられなかった。
恐怖の想像は限りなく広がった。
あのクライアントの打ち合わせの前の日だから、2回とも最終月曜の夜だ。
時間もほぼ同じ。
何?一体何?
半泣きになっているところに、先ほどの友達から到着の知らせが。
私のいるコンビニまで迎えに来てくれた。
支離滅裂ながら、事の顛末を友達に話す。
尋常でない私の脅え方を見て、友達もあながち空耳でもなかろうと思ったようだ。
あまりの震えようで、コンビニの店員も怪訝そうな目で見ている。
とりあえず、2人で近場のファミレスへ行くことにした。
「んで、夜中に何かぶら下がってたの?」
「うん。見間違えかもしれないけど、今考えてもはっきり見たような気がするんだよ」
「寝ぼけてたんじゃなくて?」
「かもしれない。でも、こう続くと気のせいでもないような」
「まさか・・・。じゃ、確かめに行く?またぶら下がってるかもよ」
「な、なんて事言うんだよ!!怖いよ、またいたら、確実に心臓止まるよ!」
「でも、このままじゃ家帰れないじゃん。確かめて何もいなかったら、見間違えって事で片づくでしょ。
あたし、幽霊とか信じないから、そういう人には見えないかもね、クスクス」
「からかわないでよ、こっちは死活問題だよ。明日の仕事の資料もまとまってないのに・・・」
「じゃあ、なおさら家に帰らないとダメじゃん。ひとりじゃないから、大丈夫でしょ。
もし何かあったら、警察に電話だよ。大丈夫、安心しなよ」
「うううう、分かった。このままじゃどうにもならないし、確かめてみるよ」
時間は既に、午前1時をとうに回っていた。
友達が一緒にいることで、どうにか精神的に安定してきたのか、
まさか幽霊だなんて、そんな馬鹿なことがあるもんか。
きっと見間違えだから、コレで安心して仕事できるよ、きっと・・・
そう自分に言い聞かせながら家路についた。
部屋の電気は付けたままだ。
そういえば、鍵だけ閉めて飛び出してきたんだ。
エレベーターに乗り5階へ。
どうやら私の話を反芻していた友達も、僅かばかり緊張しているようだ。
5階までの道のりが妙に長く感じる。
ガタン、という音の後、すーっとエレベーターの扉が開いた。
踊り場には誰もいない。
ゴクリとのどを鳴らし、おそるおそる部屋の鍵を開けた。
ガチャリ
ゆっくりと扉を開ける。
リビングから漏れた光に照らされるキッチンには誰もいない。
「誰もいなそうじゃない?」
「いや、ベットの部屋から音が聞こえたんだよ」
キッチンからベットルームを覗くには、リビングを経由する必要がある。
友達の背に隠れるようにリビングへ。
なぜか私も友達も、ゆっくりと足音をたてずリビングへ向かう。
リビングにも誰もいない。
ただPCだけが、機械的なファンの音を鳴らしている。
ここまで来ると、二人とも無言になった。
私も相当緊張しているが、しっかり組んだ腕から、友達の体も硬くなっているのが伝わった。
ここで誰もいないのを確認すれば、全てが終わる。
私の勘違いで全てが片づく。
寝室を覗いた瞬間、友達の体が大きく後ろに尻餅を付いた。
「あ・・・あ・・・あ・・・」
言葉にならない声を出している友達を見て、全てを悟った。
それは、いたのだ。
私には恐ろしくて見れなかった。
とにかく、この部屋を出よう。
私たちはお互いを支え合うようにして、何度も腰を抜かしながら部屋を出た。
エレベーターなんて待っていられない。
非常階段を駆け下り、あてもなく逃げた。
何から逃げているのか分からない。でも、とにかくマンションから離れたい。その一心だった。
「う、うちに行こう」
友達はそう言い、タクシーを拾い友達宅へ向かった。
「ぶ、ぶら下がってた」
「やっぱりいたんだね、一体何なの?ちゃんと見えた?」
「う、うん。見た。間違えない。ぶら下がってる」
「何が・・・何がぶら下がってたの?」
「あの部屋、すぐに引っ越しな。絶対、あの人だよ。あの人がいたんだよ。あの部屋に」
「あの人って・・・・じゃあ、ぶら下がってたのは、人間?」
「・・・・落ち着いて、落ち着いて聞いてよ」
友達は自らにそう言っていたようだ。
べっとりと汗をかいている。
「首がダラッと伸びた人間が、ぶら下がってた。じ、自殺?首つり自殺?」
次の日、私は資料をまとめられなかったことから、例のクライアントの担当をおろされた。
事情が事情だが、そんなことを言えば益々立場が悪くなる。
インフルエンザにかかったと会社に告げ、しばらく休暇をもらうことにした。
その後、同じく会社を欠勤した友達と二人、管理会社を訪ねた。
話をして、敷礼を返してもらえと息巻いている。
昨夜、二人が見た光景を管理会社の担当に話した。
不思議とおちょくった様子はない。
「何かあったんでしょ、あの部屋。何かって言うか、自殺してるでしょ、女の人が」
そう言うと、抑えたトーンで管理会社の人が答えた。
「言いにくいお話なんですが、2年ほど前に住んでいらした方がお亡くなりになりまして。
○○さんの前に入居していた方も、同じ事をおっしゃって出て行かれたんです。
毎月、決まって変なことが起きるとおっしゃって。
たしか、その方も最終月曜日と」
「だ、誰なんですか?女の人ですよね。違いますか?」
友達がまくし立てる。
「そうですね・・・女の方・・・美容師をされていたようなんですが」
5日後の引っ越しの日、そそくさと荷物を運び出す私を見た近所のおばちゃんが、
頼んでもいないのに、その美容師の話を聞かせてくれた。
亡くなっていたのは、30代の女性美容師だという。
原宿の店に勤めていたその女性は、最終月曜日の夜中、その部屋で首を吊ったそうだ。
なんでも、仕事で若い人の台頭がめざましく、年齢の割にはなかなか客が付かないことに悩んでいたそうだ。
まあ、どこまでが本当かは眉唾物だが。
首を吊った後、しばらく女性とは音信不通になっていたが、
店の方もそんな事情を知っていたので、バックれたのだろうと、そのままにしておいたそうだ。
遺体が発見されたのは、ひと月も後になってからのことだという。
周辺からの悪臭に対する苦情で分かったそうだ。
この先は私の想像だが、美容院での仕事を終えて、女性は夜遅く帰宅したのだろう。
あの音は多分、自らの仕事に絶望した彼女が、首を吊る際の落下音だろう。
あの音を思い出すと、首を吊るまでの姿がイヤでも想像できてしまう。
悪臭も、今となっては辻褄が合う。
誰にも見つけてもらえないまま、彼女の亡骸はゆっくりと腐敗し、あの臭いを放っていたのだろう・・・。
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