『奇祭』|洒落怖名作まとめ【長編】

『奇祭』|洒落怖名作まとめ【長編】 長編

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奇祭

 

20年前、人口100人くらいの島の人と教授の研究のため何年もかけて
交流したことがある。祭りの時期に合わせて1ヶ月泊まりで教授の
聞き取り調査なんかに同行した。
でもほとんど島の子供と遊んでただけ。
なんにもない島で、島の半分がお墓だからということでその部分には
島の子供は絶対に近寄らない。
海がすごくきれいで、島と島の間に干潮時は道ができて歩いて渡れる、
すごくキレイで夢のような場所だった。

その島では、奇祭があり、夜通し村の男の人がお面をかぶって白い衣装を
着て、太鼓のようなものを叩きながらたいまつを持って村中を練り歩く。
教授から、この祭りの夜は絶対に一人で外に行ってはいけない。
宿なんかないから船着場の一室に寝泊りしていたんだけど、鍵をかけて、
誰かきても絶対に入れたらいけないと念を押されていた。
私たちの部屋には一緒に行ってた男の子3人と村の小学生の女の子2人と私とあと二人の女の子がいた。
窓にはガラスが入ってなくて格子だけがあったから、外を歩いてる人の
姿をちらちらと見ることはできる。
昼間に船に乗せて漁に連れて行ってくれたり、他の日の夜に地元料理を
教えてくれたりしたRさん(40代のおじさん・当時私は10代)の声で、
部屋のドアを開けろと言われた。
シャワー室があったんだけど、そこの窓から手を入れたり松明を投げ入れられたりした。
やさしいRさんの変貌ぶりに女の子みんなでガクブルしてた。

一人の女の子が、あまりの怖さに教授とそのほかの男の子を呼んでくる!と外に飛び出していった。
その子をTちゃんとする。Tちゃんが飛び出していったあと急いでドアを閉めて鍵をかけた。
Tちゃんはすごくかわいい顔をした子で、Rさんの狙いはTちゃんだったみたいで、彼はTちゃんを追いかけていった。
Rさんと一緒に来てた何人かの男の人も、一緒に追いかけていったから、船着場はシーンとなった。

村は、車が入れないような狭い路地がたくさん入り組んでいるような場所で、誰かと鉢合わせすると逃げられない。
村には街頭なんかもない。村人が持ってる松明の明かりだけが頼り。
でもそのおかげで、松明の明かりがちかづくと人がいるってことで物陰に身をひそめてやり過ごすことができたんだそう。

祭りのクライマックスは、村の真ん中にある祠に祈祷師が入っていて祭りの間中何かを祈念するんだけど、その神託?が降りた時。
その神託が降りたら、村の女性みんなでその祠を囲って一晩中踊り狂う。
その間中、男たちは松明を持って村を歩いてる。

私はTちゃんが心配になって、男の子2人と一緒に外に出た。そのとき陰に隠れてた村の人が出てきて、私を見て、『チッ』と言ったのが印象深い。

祭りをにこやかに楽しんでいた教授は、部屋の外に出てきてたTちゃんを見つけて血相変えて怒ってた。
私たちも後で合流して、祭りが終わるまでTちゃんと私を教授と男の子で囲んで座ってた。お酒や料理をいただいて村人とほがらかに話してた男の子や教授を見て、
なんで部屋から出るなって言ったのかな?なんて思ってた。
でも、お面かぶった村人を絶対にTちゃんや私に近づけなかった。

あとから教授と一緒に祭りに参加してた男の人に、あの祭りのときは、男性が女性をむりやり犯してもいい日なんだと聞いた。
だから、女の子には外に出るなと言われていたみたい。小学生の女の子は地元の子だったけど、そういえばその子たちのお母さんたちは深刻な顔で
うちの教授に頭を下げていたの思い出した。

怖いのが、その祭りの日に身ごもった子供は、名前も付けられずに戸籍も作られずに、島の半分のあるところで育てられて、一生差別されて生きるとか。
狭い島で、上も下もなく人がみんな50歩100歩の村で生きていくことは人間にはできないから、そうやって差別される人間を作ることで精神の安定を図っていたと聞いた。

今はそういう子供たちはいないらいしいけど、ほんの50年前まではいたとか。人間て怖いな~と思った。

この話、書いていいのかどうか迷ったけど、もっと詳しい人いないかな?と思ったので投下してみる。
20年ずっと心にひっかかってたんだ。
ちなみに、教授の手伝いしてたのは男の子だけで、その彼女たちが付いてきてただけなので女性陣は何にも知らなかったんだ~。

手伝い男子は6人から8人いたと思う。
その彼女たちが調査旅行に着いてったって感じ。
男だけじゃ、村の人が警戒するからとかいう理由だった気がする。

知人というか元彼で、一緒に行った人たち&元彼が先輩だったのと、
女の子たちはそれぞれが友人というわけではないのでその後連絡とか取ってないです。
私は2年続けて行ったけど、彼氏が卒業したので行かなくなったし、バカでかい学校だったので
他の参加者とすれ違うこともなかった。
元彼にも詳しい話を聞こうとするとあまりいい顔しなかったので・・・

単位くれるというから男子たちは手伝いに行ってたみたいです。
村の女の子を大事とは教授は思ってなかったです。
学生と一緒にいさせてもまぁ構いませんよくらいの軽い感じ。
研究対象者の村の人の機嫌を損ねるようなことはしないだろうなと思いました。
隠された風習をそう簡単に外部の人に漏らすことはしないでしょうから、教授は何年もかけて信頼関係を作ってたんだと思います。
女子たちが船着場に残されて怖い思いをするのがわかっているけど何も言わなかったのは、変に知恵をつけさせてしまって何も知らない学生にかぎまわられたり騒がれたくなかったためだと思います。
村の人を学生が警戒したりしたら不興買いますもんね。
翌年にもう一度参加したときは、事情を知ってる子ばっかりだったので祭りの日以外は村の人と何事もなかったかのように
宴会や漁をしたりスキューバに連れてってもらったりしました。
そうそう、歓迎の宴と言って、その瞬間までカワイイと撫でていたヤギを目の前でしめられヤギ肉のスープを振舞われたのは精神的にきつかったです。
食べれなくて、教授に村の人に失礼だと言って叱られました。

今思うと教授の人間性にゾッとします。
缶ヅメを享受したのは…勝手知ったる土地でもなく、善意の人が期待できる都会でもない一周何キロという人口少ない島で、異様な雰囲気の夜に出ていくことの方があり得ませんでした。
誰も信用できないしワケがわからない恐怖の一晩でしたね。缶ヅメを言い渡されたのではなく、自ずと閉じこもった感じです。
出かける派に、危ないから出るなと言われただけでした。
20年前というのはフェイクです。そんな年齢じゃなかった…まあ、10年弱から20年前までの話です。
ヤギ、毛とか生えてて食べれたものじゃなかったですが、肉というのは離島の人にとっては貴重な食料でしたから私のとった行動はホントに失礼でした。
でもヤギがしめられたときのイーーーっていう甲高い鳴き声と青く透き通った海にコンクリを伝って流れ込むヤギの赤い血が忘れられません。
海には黄色やオレンジやブルーの熱帯魚がヒラヒラと泳いでいて、水深何メートルもあるのに海の底の白砂まで見えるホントに綺麗な島でした。

あの時一緒に行った人、見てないかな~。

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