双子のような二人
俺(M)には義弟(B)がいた。二人とも叔母に凄くよく似てたけど、俺は紛れも無く俺の両親の子。
Bも叔母夫婦の子供だってのは間違いない。
叔母夫婦が子育てができなくなった後、俺の両親が話しあってBを引きとった。
苦い思い出が一杯だ。
子供ってめちゃくちゃ純真だけど、暇な主婦の悪知恵がくっつくと残酷に早変わりする。
あんまりにも似ているものだから
本当は実の兄弟なんじゃないかって
誰が言い出したのかしらんけどそういう疑念を生んだ
それを真に受けた同学年の誰かから噂が広まって
親父はそいつらの噂の中では叔母と不倫した最低野郎扱い
汚いだのなんだの俺もBもさんざんイジメられたもんだ
Bが悪いわけじゃないのはわかってる
けど小坊でこんな目にあったおかげで
Bのことを恨みに思うことも少なくなかった
俺たちがやっとまともな兄弟に戻れたのは高校の終わりの頃
なんかの拍子でものすごい大げんかやった
何がきっかけだったのかはおぼえてない
Bは肩を脱臼して俺はアバラに罅がいった
ふたりそろっておんなじくらい青紫色になるまで打撲多々
恨みつらみ吐き出したあとは揃って仲良く入院
ベッドの上で和解した
俺たちが悪いわけじゃないと分かった上での喧嘩だったしな
トラウマ引きずって中学高校と随分お互い攻撃しあった
その分の恨みをすっきり解消したら普通に理解しあえた
下らない妄想好きの主婦は死んどけって言ったら
Bがそうだそうだってのってきて
病院内で死ぬとかなんてこというのって二人して看護婦さんと医者にこってり絞られた
ごめんな
でもあの時ああやって笑うことが俺たちの見えない傷にとって一番の薬になったんだ
俺とBは同じ大学に進学した
うちはBを引きとったものの
けして裕福じゃなかったんで
ふたりとも進学希望だったから
学費の工面に苦心した親父は
勤務先で募集されてた海外赴任に名乗りでて
房総半島の海岸沿いにあった
小さいけれども楽しい我が家を売り払って
俺とBの学費と学生の間の生活費を工面してくれた
お袋はその親父の赴任についてった
二人で学校推薦の寮に入った
大学での俺達は公然と従兄弟だけど双子同然と名乗った
入学する前に話し合ったんだ
また妙な噂が立って嫌な思いする前に
こっちから言って陰口叩かせないようにしないかって
Bは兄貴とまた関係こじれるのも嫌だし
親父には悪いがそうしようと言った
親父が不倫でもしたんじゃねえかとかいって
二人してゲラゲラ笑う作戦は大成功
小学校の時みたいなトラブルは起こんなかった
当の本人達があっけらかんとこんなこと言えるくらいだから
ありえないよねって感じで変な噂はこれっぽっちもなかった
やっと俺たちは本当に兄弟になれた
そんでもって嘘じゃなく双子同然だった
良いと思う女子も同じ
興味を惹かれたサークルも同じ
興味のある講義も同じ
二年から少しずつ選択増えてったんだけど
申込書見せ合ったら選択内容がほぼ同じで二人してげらげら笑った
本当は従兄弟なのにやけに波長が合ってた
多少違いはあったけどな
俺の方が空手サークルでは強かった
そのかわしあいつのほうが冬山ではかっこよかったな
俺はスキー板はかせてボーゲンでゆっくりだったけど
あいつは板並行にして雪飛沫あげる技ってあるじゃん
たった一日であれできるようになってたし
あいつのほうがモテた
三年の12月のことだ
11月の終わりから俺には彼女(Y)ができてた
ある日Yがデートしてない日のデートのことを語りだした
最初に浮かんだのはもちろんBのこと
まさかBがこんな下らない真似をするわけはない
俺の頭がどうかしたんだろうかと思いついて
ものすごく心配になった
その場はYに喋らせて肯定する形でかろうじて乗り切った
この頃の俺達は親父達が工面してくれた生活費は使いきっていて
二人で交代でバイトして必死でやりくりしてた
病院にかかるとか頭の病とか言われたら
生活なんて一気に成り立たない
脳みその心配をしてたある日
かなり荒れてた中学高校時代の記憶が朧げすぎることにきがついて怯えた
本当に脳の病なんじゃないか
もしかしたら若くしてボケてBの面倒になるんじゃないか
それだったらいいが脳がどうかして植物人間になったりするんじゃないか
だとしたらそうなる前に死んだほうがいい
Bに余計な負担をかけたくない
Bだけでも立派に育った方がいいんじゃないか、なんてな
クリスマスイブはBが働いてるコンビニにいた
Bが体調が悪いっていうものだから
兄貴の俺が代わりに頑張りますつって無理言って働かせてもらってた
バイトの交代が風邪だのっていって朝までコースになった
超過勤務で増える手当もあったんでるんるん気分
Bに電話入れて朝帰りになるって告げた
午前一時近くまで働いてると店長の奥さんがきた
学生さんにこんな時間まで働かせる主人を許してやってねみたいに言われて
ハッピークリスマスって言って封筒に入った五千円札を給料とは別に下さった
がんばってりゃいいこともあるもんだなと喜んで
惣菜屋によってBと俺が大好きな唐揚げ沢山買い込んで帰った
寮に戻ると静か
寝てるんだろうから起こさないように気をつけて
台所の電気だけつけて
惣菜を冷蔵庫に閉まってた
「え?きゃっ」
そんな声が聞こえた
Yの声だった
振り返るとベッドの上でYが肩まで毛布をかぶってた
「B君、ご、ごめんね」
Yの横でBが毛布から裸の胸をさらしてやがった
台所の包丁立てが目に入った
俺はYに返事をするより包丁を凝視してた
「B君。む、向うむいててくれる?」
そんな声が聞こえながら
俺はあの包丁をたまらなく手に取りたくなった
それをしなかった
それは嘘だな
手を伸ばしてつかむ寸前で
親父の顔がぱっと頭に浮かんだ
だからつかわなかった
Yがそんな俺をみて怯えた様子だった
凄く長いため息をついた
Bは起きなかった
Yは着るもの着てそそくさと帰ろうとした
タクシー乗れる場所送っていくよといってついてった
B君、B君とYが俺を呼んだ
タクシーが捕まるまで結局Yは俺をBだと思い込んだままだった
「じゃあね。B君」
「俺がMだったとしたら、こういう時どう言えばいいんだろな」
「え?変な冗談やめてよ。なんか変だよ」
家に帰って始末をつけた
Bを叩きおこしてYを送ってきたと告げて
Bの荷物をほうり捨てて追い出した
真夜中に寮で随分騒々しくしたおかげで
同じ階の連中にとんでもなく迷惑かけちまった
Bは二週間近く俺をつけまわして土下座したりなんなりしたが
俺は進行方向を邪魔されても踏みつけてその上を歩いた
そうやって徹底して無視を決め込んでいたらBは消えた
消えて数週間後に教授から呼び出されて
前払いで預けてあった翌年分の学費の払い戻しを告げられた
Bが退学届をだしにきて学費の払い戻しは兄貴に渡してくれといってたそうだ
これだけどでかい騒動だ
Yがあの冗談が本当だったと気づいた
Yは俺に詫びに来て二言目には別れようと言ってきた
気まずそうに言っていたら承諾はしてなかったかもしれない
Yが号泣してたから俺は頭をぽんと叩いて
いつでも健康を祈ってるつって別れた
あれからもう十年近く経ってる
最近になって仕事からかえると玄関先で土下座するBが見えた
俺のみたそのBの幻覚は喉に穴が空いていた
この話を親父達にするとオヤジ達はBが最近咽頭がんの闘病も虚しく死んだと言った
Bは親父達にはとんでもないことをしでかしたと白状して
もう兄貴には顔向けできないといって
大学を中退したあとホストをやってたらしい
喉に負担をかけたのがわるかったのか
癌とわかるより一年以上前から
喉に違和感を感じてたらしいんだが
ホストってきつい仕事だったらしくて
昼間も営業の他はぐーすか寝る仕事だから
病院に行く暇がなかったらしい
分かったときは咽頭癌はじめ全身転移72ヶ所
骨髄もやられて鎮痛剤もきかずに毎日拷問をうけてるようにのたうって死んだそうだ
あいつが命懸けで稼いでいた金は親父達のもとにいって
俺が大学院を卒業するための学費になっていたといまさらになって知った
もう謝らなくて良いと声をかけても
これまでのところただの一度も顔を上げない
未練を残したまま死ぬもんじゃないな
生前も苦しんで死後やっと許しをもらってもそれにすら気づかないとか
どんな地獄だよそれ
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