フランケンじじい
小学生の頃の不思議な体験を書きます
長い間胸につかえていた嫌な思い出を、思い切って吐き出したいと思います。
子供というのは残酷なもので、少しでも世の基準と外れたものを虐めたりからかったりすることがあります。
ふとった子、不潔そうな子、勉強が特にできる子、できない子、障害者、老人…
私たちは最低なことに、学校の近所で粗末な小屋に住む住む挙動の怪しげな(子供心にですが)独居老人をターゲットにしていました。
こともあろうにその老人を「フランケンじじい」などと名づけ、見かけるたびに大声でからかったり
物を投げるなどしてわざと怒らせ、スリルを味わうかのように自分たちを追いかけさせたりしていました。
そんなある日、老人が校庭の裏側を小屋と反対方向に歩いていくのを見つけた私たちは、
今のうちに「フランケンじじい」の家に忍び込んでみようと思い立ち、老人の小屋に駆けつけました。
老人の小屋は、ものすごく古い農家の納屋に戸を付けたような感じで、窓さえありません。
戸の開いてるときに何度か覗いたことがありますが、中は傘のついた裸電球が一つ、窓がない室内は
オレンジ色のぼんやりした光がゆらゆら揺らいでいました。
埃だらけの、わけのわからないガラクタ類が雑然と積まれ、(恐らく)居間として使われてるらしい
と思われる部分にも大小のガラクタ、紙くず、ごみ類が散乱していました。
果たして「靴」を脱いで生活しているのか疑問を抱くほどの不潔さ、まさに10年もほったらかしにした「納屋」のようでした。
今風に言えば、そう、時折「心霊スポット」として騒がれる「廃墟」のようなと言えば分かりやすいでしょうか…
小屋の出入り口は一箇所のみ、裏側は山がえぐれたような崖になっています。
仮に老人が帰ってきてもすぐわかります
「俺が入ってくるよ!!」
一番のお調子者のI君がそういいました。
当のフランケンじじいが確実に不在で、しかもしばらく帰って来る様子もないことに気を良くしての事でしょう、ちょっとしたヒーローになるチャンスです。
古びた板戸を引き開けると中は薄暗く、当然ながら人の気配はありません。
ズンズン踏み込んでいくI君の背中を見てた私たちはちょっとしたいたずら心が湧きました。
いきなり板戸を両側からピシャンと締め切ったのです
フランケンじじいの小屋に閉じ込めてからかってやろうというわけです。
「うぎゅわー!!!!#&%’」
いきなり閉じ込められたI君はすさまじい叫び声をあげました。
「来たっ来たっ! 助けて!助けて!」
「うっくっく、あいつ馬鹿だな」
「何を怖がってんだか…」
叫び声をあげるI君の様子にみんなげらげら笑いだしました。
「いるっ!いるっ!」「早く!早く出して!!」「いるんだよっ!こっち来るっ!」
誰も居ないはずの小屋なのに、異様なほどのの騒ぎようです。
不審に思った私たちはようやく板戸を押さえてる手を離しました。
ガラーー!!
「ウワああァアン!!!」
勢いよく開かれた戸口からI君が飛び出してきました。そしてそのまま一目散に逃げていきます。
わけがわからないまま、つられて私たちもワーワー言いながら後に続きました。
近くの空き地まで逃げてようやくI君を捕まえると、涙と鼻水でぐしゃぐしゃでした。
おまけにガクガク震えてました。
なんとか話を聞くと、板戸の閉まる音がした瞬間、奥のほうから「フランケンじじい」がのっそりとでてきたというのです。
そしてボソボソ何かつぶやくように話しながら(思い出せないがとても嫌な話だったと後に語った)、妙にゆっくりとした動作で近づいてきて、
こちらに向かって手を上げかけたところで戸が開いたのだそうです。
それにしても妙です。
私たちは校庭の裏で件の老人を見かけてから2、3分で小屋に着いてるのです。
←老人 ____校庭_校舎_ 小屋
こんな感じでしょうか。
たとえ大人が全速力で戻っても学校内をショートカットできる私たちより早く着けるはずがないのです。
不思議なことにこれがかの老人を見た最後でもありました。
なぜ居なくなったのか、死んだのか生きてるのかさえ定かにはされませんでした。
以来、すっかりおとなしい性格になったI君は、何をいわれたのか思い出せそうで思い出せない、
でもものすごく嫌なことだった。時々ふっと思い出せそうになるんだけど…としきりに言ってましたが
秋にトラックにはねられて亡くなったことで彼が何を見、何を聞いたのかは完全に闇の中となってしまいました。
とりとめもない話のお付き合いくださりありがとうございます。
こんな出来事は「昨日Iの奴がさ~・・・」みたいに
何度も話題になるはずなのに、みんな忘れたかのように表立って騒いだ話はしませんでした。
Iが亡くなった時でさえです。
うまく表現できないなんとも気持ち悪い嫌な感じを
そのときの友達も感じてたんでしょうかね
自分が小屋で起こった妙な出来事を通じてIの死に繋がっているような・・・
周りの大人に聞けばその小屋の老人がどういう人物かぐらいは分かったろうに。
話としては面白いが子供の視点だけで完結してしまってるのが物足りない。
ある意味、大人とコミュニケーションがまともにとれない子供のヨタ話だな。
Iが聞いたのは「最近の子供は老人に対する尊敬の気持ちが・・・」というような
説教だったんじゃないのか?餓鬼は都合の悪いことは忘れようとするからな
大人が読んでも意味がわからんよ
子供心にも意味がわからず
表現の仕様のない不可解さが不気味な体験として認識されちゃったんだね。
で、
これはどう読むべきか
オカ板らしく単純に幽霊譚として読むべきか・・
校庭で見たじじいが生きて見られた最後の姿
その後殺されたか事故か病死かでこの世を去る
Iが見たのは幽霊あるいは生霊
聞いた言葉は呪詛の言葉、Iは言わばノロイをかけられたことになる
思い出さなければ死ぬことはなかったが(性格が変わったのはこの事件によるトラウマ)
思い出してしまったために呪いが発動
(この車に飛び込まなくては・・・・この車に・・・・)と衝動的に道路に飛び出す
すべてをIが背負ってあの世に行ったため外にいた32たちはたまたま助かった
思い出した言葉をIが口に出さなくて良かったな
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