『亡くなった母親のお供えを盗んでいた知人嫁』長編 震災のときにあったずうずうしい話

『亡くなった母親のお供えを盗んでいた知人嫁』長編 震災のときにあったずうずうしい話

 

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亡くなった母親のお供えを盗んでいた知人嫁

 

震災じゃないんだが。
誰にも言えなくてずっと苦しくて、ここに吐き出していく。

因みにもしもしな上長文。

 

震災からすぐ、母親が死んだ。

俺の家はすごい田舎で、山奥の豪雪地帯。
震災で、若干だがライフラインに影響が出て水や食料を買い出しに出た両親が事故にあった。

雪崩だった。

家への道はその道路しかなく、山の上で下はすぐ崖→川という状況だった。
他の車も何台か巻き込まれたが、みんな無事だった。

運悪く両親は雪崩にのまれ、道路から押し出されて数十メートル下の川に落下した。

 

奇跡的に父は生きていたが、母は既に意識はなく2人とも車外に放り出された状態だったそうだ。

父は、文字通り身を切る様な冷たさの川の中で顔だけ出た状態だった。
そんな中で必死に流されそうな母の手を掴み、車の窓枠に掴まっていたらしい。

ずっと、母の手を離さず頑張っていたが雪解け水で増水した川の強い流れと寒さで父も意識を失い、気がついた時には病院だったそうだ。

母の意識は既になく、身体は川の中だった。
でも、このまま母を離したら流されて連れて帰れない。
父はそう思いながら、必死に母の手を掴み続けたそうだ。

 

母の死は父の責任ではない。
母は、数週間後にまさに変わり果てた姿で隣の市の海岸で見つかった。

葬式で親戚らは、父を責めた。

何故、手を離したのか
母が死んだのは、お前のせいだ。と

それに反論し、親戚と大喧嘩になりながら父をなだめて何とか元気付け様と過ごした数ヶ月が俺的に第1の修羅場。

それから何とか1年の月日がたち、日常が徐々に戻ってきた。

俺は、事故現場に花や母の好きな菓子を供え続けていた。
が、ある時からお供えを回収しに行くとお供えがなくなっている事が多くなった。
それも食べ物ばかり。

そして、お供えしにいった早朝にお供えの食べ物をカバンにつめている三十代くらいの母親と子供に遭遇した。
他の町内だが、知人宅のお嫁さんだった。

俺はとても不愉快だ、どういうつもりでそんな事をしているんだと聞いたが、そのお嫁さんは何故かとても怒り喚いて逃げ帰ってしまった。

俺は、怒りが収まらず。
知人宅に押しかけようかと考えたんだが、周りに話せば父の耳にも入る。
せっかく立ち直りかけた父に、心配もかけたくなくで悩んだ。
その結果、花はこれまで通りで食べ物だけお供えするのを止めた。

 

そして何ヶ月後かの冬。
そのお嫁さんが、事故で死んだ。

子どもを旦那さんに預けて、遊びに行った帰りに場所は違うが両親が事故に遭ったのと同じ川だった。
うちは豪雪地帯で、二階から出入り可能な程の積雪が普通なんだが、そんな寒さの中ハンドル操作を誤って崖から川に転落。
足を折ってしまい、動けなくなったらしい。

更に半分水に浸かって携帯や車は全く動かず。
夜中だった為に他の車も通らなかったか気付かないまま、崖を登れなくて凍死してしまった。

 

その後、葬式などがあったがその母親が子どもを虐待していたことがわかって俺の心の中が何故か第2の修羅場。

偶然だと思うが、何ともいえない気持ちで誰にも言えずに眠れない日々が続いてしまい、何故か辛くてたまらない。

自分の母親が死んだこと
知人宅のお嫁さんが死んだこと

そして、もし自分なら
大切なその人の手を、離さずにいられたのか
たてえ、自分が死んでしまっても

頭の中がゴチャゴチャで、眠れない
聞いてくれて有り難う

 

あと少しだけ。

両親が買い出しに行ったのは、俺に当時臨月近い妻がいて初めは俺が買い出しに行く予定でした。
しかし、両親は妻を気遣ってくれて震災から電気もつかず寒い中不安だろうからと俺に妻のそばにいる様に言い、結果として買い出しに行ってくれた両親が事故にあいました。

どなたかが仰る通り、ああすれば良かった、こうしていれば…の堂々巡り。
そして、父の気持ちを思うと…夫婦、父と共に心の中が修羅場だったと思います。

 

その後、無事に子どもが産まれてきてくれ、父も子どもの成長をみて徐々に気持ちが回復。
やっと平和な日常が戻ってきた時の、お供え泥棒でした。

何故虐待していたことがわかったのかと言えば、知人のお嫁さんの子どもは当時小学校低学年で
(見た目はもっと小柄で小さく見えた)
自分たちのしていた事が泥棒だということ、お供え物の主がどんな事故で亡くなったかをわかっていて

  • お母さんは罰が当たって死んだ
  • 自分も泥棒だから、次は自分の番
  • せめて死ぬ前におじさん(俺)に謝りたい

等を父である知人に泣きながら告白したのが始まりでした

 

そして、お母さんが大好きなこと。

でも、そのお母さんから

「お父さんと結婚する為に、あんたを産んだ。
(知人は出来婚でした)
だから、もうあんたに用はない。
いうこと聞かないならいらない。
お父さんもそう言っている。」

と陰で言われ続けて、大人でも熱いお風呂にずっといれられたり、今回の様に泥棒行為を手伝わされたりと陰湿な虐待を受けていた事がわかったそうです。

知人にはとても良すぎるくらいの妻を演じていたそうで、泣きながら親子で謝罪に来てくれました。

 

母親を亡くした悲しみが、ましてやこんな幼い子の気持ちを思うとやりきれず…

そして、一瞬でも。
俺は、知人嫁さんの泥棒行為を見た時に思ってしまったんです。

俺の母親の代わりに、こういう奴が死ねば良かったのにと。

その気持ちを後悔する気持ちや、結果的にその子は虐待から解放されたことなどでまた心の中が修羅場でした。

 

今は、子どもの成長をみんなで見守って幸せな日々が戻りつつあります。

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