DV父への刺殺未遂
私は20年近く前に人を刺した事があります。
未成年で、相手が死なず、尚且つ正当防衛だったので大事にはなりませんでしたが、
今の時代なら間違いなくニュースや新聞に載っていただろうと思います。
その相手というのは実の父親です。
酒のみで自己中心的、気に入らないことがあったら暴れて母や私をよく殴りました。
その日は2月でした。
まだ私が中学2年生の時です。
父は出たばかりの給料をもって車で出かけました。
母はどこか淋しそうにしていましたが、
(いつもの喧嘩だろうか?)
と軽く考えていました。
この時点で私もマヒしていたんだと思います。
夜21時過ぎだったでしょうか。
母が血相を変えて外から走ってきました。
「すぐに逃げよう!」
といい、私の手を引き裏の山へ引っ張っていきました。
(どうしたのだろう)
と考えていると母がポツリと語り始めました。
「(父)が遅いので駐車場を見に行ったら助手席に女を乗せて
いかがわしい事をしていた、腹が立って石で窓を殴って逃げてきた」
と言います。
母が父にこういう歯向かい方をするのは珍しく、
今までの積もりに積もったものが爆発したんだと思います。
すぐに家の方から父の怒鳴り声が聞こえ、家の窓ガラスを叩き割る音が聞こえました。
近所の人たちも、もう慣れてしまって誰も警察を呼んでもくれません。
父に何をされるか分からないと考えていたのでしょう。
ガラスの割れる音に続いて飼い犬の悲鳴が聞こえ、
私はいてもたってもいられず家に飛んで帰りました。
父は顔を真っ赤にして泥酔しているようでした。
しきりに
「〇〇(母の名前)はどこだ!」
と怒鳴っていました。
足元には、足を折られたのかはいつくばってもがいている飼い犬の姿が…。
我を忘れて父に飛び掛かりましたが、若いころはレスラーをしていた父に、
男ではあるとはいえ中学生で勝てるはずもなく。
組みふされ殴られ続けました。
母もすぐに棒切れをもって応戦してくれましたが
、細腕で喧嘩もしたことない母は簡単に殴り倒され、何度も蹴られました。
そのうち母がぐったりと倒れ、口からは大量の血を吐き出しました。
それでも蹴ることをやめない父を、本気で
(殺したい)
と思い、部屋の中に飛んで帰り刺身包丁を持って庭へ駆け出しました
そのままの勢いで、玄関で母を蹴り続ける父の脇腹めがけて刺身包丁を突き入れました。
何の抵抗もなく、サックリと刺さる包丁を勢いのまま何度も何度も突き入れました。
1回目ほど深くは入らず、最後の方は何度も手で防がれました。
(殺さないと殺される)
と考えていたので、執拗に何度も襲い掛かっていると父が脇腹をおさえて逃げ出しました。
追いかけて殺そうとも思いましたが、母が心配ですぐに家の電話から救急車を呼びました。
「母が父に蹴られて死んでしまう」
と説明したからなのか、近所の人が通報したのか、救急車と一緒に警察が来ました。
その時には母も何とか身を起こせていましたが、
折れた肋骨が内臓に刺さりかなり危ない状態だったそうです。
警察官は当初私が母をやったのではないか、と聞いてきましたが、
母が「父親から私を守った」
と言ってくれたので疑いは晴れました。
が、包丁も私の手も父の血でぬれていたので、
「もしかしてお父さんを刺したの?」
と聞かれました。
「殺したと思います」
と答えました。
すぐに警察官が血の跡を辿って探すと、父は車の側でうずくまっていたそうです。
父は深手ではありましたが死にはしませんでした。
母も重症でしたが命に別状はなく、母方の祖父母や親類が飛んできて
「なぜ相談しなかった!」
と怒っていました。
私はその後警察に連れていかれて3日間ほど聴取を受けましたが、
近所の方の証言や、度重なるDVで心身ともに衰弱していたこと、
母と自分を守るための正当防衛などが認められ、罪には問われませんでした。
その後両親は無事離婚し、私は母と共に母の田舎へ引っ越しました。
中学校ではすぐに噂が広がり、周りは皆同情してくれましたが、
その頃の私にはそれがとても辛かったんですね。
父の報復の恐れもありましたので、少しでも味方の多い地域へ…
というのは当然だったかもしれません。
今日、父が施設で死んだと祖父母に連絡がありました。
数年前に酒の飲みすぎで脳梗塞から認知症になっていたそうです。
父方の祖父母から
「葬式もしないから気にすることはない、一応知らせたくらいだから。
(私)に今度遊びに来なさい、と伝えてください」
と言われたそうです。
今ほど、私は心から人の死を喜んでいる瞬間はないと思います。
事件から20年近くたった今でも、
気分が沈むと当時の事を思い出したりして苦しかったのですが、
今日、心が解放された気がします。
母は少し悲しんでいるようですが、
悲しんであげられる母を、私はすごいなと思いますね。
<追記>
犬は右後ろ足を蹴られて足先の方が折れていました。
その後すぐに動物病院に入院し、母方の祖父母が引き取ってくれ、
私たちよりも先に引っ越していました。
それから6年後に大往生するかたちで息を引き取りました。
確か12歳だったかとおもいます。
足の方は寒い日には傷むようでしたが、
それでも大好きなフリスビーを追いかけられるくらいには元気になっていました。
名前は「ポコ」と言います。
タヌキの様な顔をした中型犬でした。
最後に、父方の祖父母は父と違い、私と母に大変よくしてくださいました。
この事件が発覚した後も父を強く非難し、
「一歩でも近くに来れば即通報する」
としたほどでした。
私と母には言葉で表せられないほどよくしてくれました。
大学のお金も父方の祖父母が、車も祖父が乗っていたものをくれたりと、
私の一生を左右する大事な時期には父に代わりしっかりと支えてくれました。
まだ二人とも元気で、
「孫の顔が見たいと言える立場ではないけど、また遊びに来てほしい」
と先日別れ際に話してきました。
それから母ですが、あの事件まで結婚してから17年、
私が生まれてから14年、私を守るためにずっと身を粉にしてくれていました。
あの日の事を何度も母は謝罪しましたが、
あれはなるべくしてなった事だと考えています。
14年間母に溜まった黒い感情を否定することは決してしたくありませんし、
ひとりの人間として全てを捧げるようなことはしてほしくはありません。
母も年を取りましたが、これからも楽しく生きていってほしいと思います。
今まで誰にも話したことがない話ですが、
今日ここ吐き出せてよかったように思います。
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