短編 – 本当にやった復讐 修羅場編【101】
海外で見た友人の一面
友人Aと海外旅行に行きたいという話になった。
私(海外旅行経験2回)は個人行動したい、行きたい場所に行きたいのでツアーは参加したことないし嫌なタイプ。
友人(海外旅行経験2回)も、ツアー参加経験あるが、すべて決められているのが嫌で個人旅行が絶対いいと言っていた。
Aはヨーロッパに行きたいと希望を出したが、私の金銭的問題で近場がいいと言い、結局香港に行くことにした。
希望を通すことが出来ず悪いな、と思ったので、香港は一人旅行したことがあるから少しなら案内できるよ、と言った。
ホテルと航空券を決めるときにも
「どこでもいいよ、任せるよ」
と言っていた。
Aは1年近くニートのため、時間があるなら調べてくれてもいいのにとは思ったが、香港旅行経験者ということで信頼してくれているのかと思い、口コミやブログを読みあさってここだと思えるホテルを予約した。
本当は人気のオプショナルツアーを申し込みしようとしてたんだけど、予約していい?とラインしたら返事がこなくて、結局3日後売り切れてしまい、「売り切れたよ」とラインしたら「返事遅くなってごめん」とすぐ返事が来た。
2ヶ月前の事前打ち合わせで会った時には、ガイドブックを持っていったが
「ガイドブック買ったんだ」
と驚かれ嫌な予感がした。
ただ海外を友人と旅行するのが初めてだったため、普通の人はガイドブック買わないのかな、と思った。
行きたいところを言ってみて?と聞くが、言ったのは観光客なら大体申し込む無料のショーと、オープントップバスのみ。
それ以外はよく分かっていないようで、観光地も有名店も話してもピンときていなかった。
ここでやめたくなってきたが、航空券はキャンセル料全額だし、本人も
「すごい楽しみなんだ」
といっていたので実際行く時までには調べるだろうと思っていた。
「●●ってできるのかな?」
と言った時にも
「店員に聞けば分かるんじゃない?」
と言っていたので、人に聞けるタイプなんだすごいと思っていた。
空港で待ち合わせたときにはガイドブック買った、と言っていたので安心した。
しかし実際いってみた結果。
ガイドブックを買ったはいいが見ていない。
ホテルの地名を覚えていない。
道に迷っても、
「どこだろうねー」
だけで地図を出さない。
レストランに入って、トイレを探す時も
「店員に聞けば分かるのかなーチラッ」
と私に聞かせようとする。
(最終的に自力で歩いて見た)
英語は全て私で、できない英語を駆使して伝えた後、Aは「me too」と言うだけ。
「どこでもいいよ」「次どこいくの」「どうやって行くの」連呼。
とりあえず観光名所に連れて行くが、ガイドブックも前情報も見ていないので、どんな観光名所なのか分かっていない。
ストリートで買い物するときも、どこかで待ち合わせしようと言ってもずっと付いて来る。
一人行動しないと駄目になるタイプだから個人行動の時間を作りたいとAに伝えていたが、Aが個人行動できないため結局どこでも一緒。
食事場所を決める時にも、私がレストランをネットで調べている横で待っているだけ。
最終的には自分はツアコンなんだ、と思って名所案内とナビに徹した。
それに気づいたのか、
「次は好きなところ行ってもいいよ?」
と言ってきたこともあったが、そもそも行くところ全部私が決めているのであってAはずっとついてきているだけ。
ガイドブックと地図を3日目あたりで読み出すが、地図は読めずにただ持って眺めているだけ。
つけていガイドブックは読んでるアピールなのか
「シャトルバスあるって」
などと言うが、そもそも目的地とは違う観光地へ行くシャトルバスだったりと検討違いばかり。
ただのお荷物で、Aがホテルで休むと言った半日の間、一人で観光できたときが一番楽しかった。
一度一人旅をしたことがあるという土地だけど、観光名所も道もレストランも全部知っているわけじゃない。
それでも毎日仕事帰りに本屋行ったり、ネットで調べて頑張ったつもりだった。
でも、案内しても「ありがとう」の言葉もないし、道間違って案内した時に
「ごめんね」
と言えば
「うん、いいよー」
という返事で心にひっかかった。
ツアーは嫌!と言っていたが、Aのように調べない、決断しない、地図読めない、一人行動できないのであればツアーのほうが楽なんじゃないかと思う。
旅行途中でツアーの人とすれ違う時に、Aをつっこみたくなった。
2日目あたりで最低限以外話さなかった。
羽田空港についた瞬間行動的になったので、海外に行かないと見れない1面だったかもしれない。
空港で別れる時に
「ありがとう」
と言っていたが、二度と会わない。
ポルトガルで出会った男の子
ポルトガルで出会った男の子とおじいちゃんの話。
ポルトガルを一人旅していた時のことです。
カフェで友人宛の手紙を書いていると、すぐ横で7~8歳くらいの少年とお爺ちゃんが立ち止まりました。
2人共ニコニコと笑顔でこちらを見ています。
アジア人が珍しいのかな?と思いながら、こちらも笑顔につられて挨拶。
「日本人ですか?」
とお爺ちゃんが訪ねるのでそうだと答えると、少年は一層笑顔になりました。
少年「僕、学校で日本の文化の勉強したよ。カタカナで名前も書けるんだ(`・ω・´)」
お爺ちゃん「日本とポルトガルは何百年間も友達だからね、この子も日本が大好きなんだよ。」
なんでもその子の通う小学校では選択授業の1つに日本文化の授業が行われているそう。
折り紙や習字、簡単な日本語講座などがあるそうです。
少年「『ハジメマシテ。コンニチハー。アリガト。』」
私「『こんにちは、初めまして。』」
こちらも日本語とお辞儀で返すと、少年も「通じた!」と興奮気味。
お爺ちゃん「ポルトガル語と日本語は似ているよね。例えば、オブリガード と アリガート とかね。」
私「(似て…いるのか!?)」
このダジャレ(?)は他のポルトガル人も言っていました。
語呂合わせで覚える日本語として、ポルトガルではお約束のフレーズなのかもしれません。
お爺ちゃん「ジェロニモス修道院は行ってきた?」
私「今日行ってきました。とても綺麗ですね」
お爺ちゃん「そうでしょう? 国立美術館もお勧めだ。あそこには沢山日本のものがあるよ」
少年「僕、行ったことある! 屏風見てきたよ」
少年とお爺ちゃんは終始フレンドリーに、日本とポルトガルの共通点の話やおすすめの観光地とポルトガル料理の話をしてくれました。
ポルトガルでは他にも多くの日本贔屓の人に出会いました。
ヨーロッパの中ではちょっとマイナーな国かもしれませんが、物価も安くで治安もよく、オススメの国です!
…あれ、ポルトガルびいきの日本人の話になってしまった。
思い出したのでもう一つ。
ダジャレの小話。
ブラジル人は親日な方が多いです。
移民により日系ブラジル人がいること、日本企業がブラジル人を受け入れしていることそしてマンガやアニメが沢山届いている事から日本をちかしく感じている人が多いようです。
あるブラジル人の青年(イタリア系ブラジル人、色白のイケメン)と話していた時のこと。
ブ「ブラジルではドラゴンボールとNarutoが人気あるよ。男子なら大抵見てるんじゃないかな。日本にはマンガやアニメが色々あって羨ましいよ。」
私「ありがとう! 日本人もブラジルが大好きだよ。素敵なサッカー選手が沢山いるし、バナナやマンゴーみたいな美味しいフルーツも。日本にない物があるからね。」
ブ「そうだねー、でも…」
ブ「日本にManga(発音:マンガ/マンゴーのこと)は無いけど、マンガがあるじゃないか!(どやあ)」
イケメンによる不意打ちのオヤジギャグに声出して笑ってしまった。
くやしい…。
トメと私のおせち
義実家でDQNやって追い出されてきましたw
おせちは黒豆と煮物(小芋と人参とちくわ)だけをつくり、あとはいつもスーパーで出来合い買ってたトメ。
毎年それを繰り返すくせに
「ヨメコはおせちも作れない」
とほざいてた。
私は結婚前はしがないOLだが、父親は京料理を出す料亭の花板。
泣きながら包丁を持たされて仕込まれたのは小学校低学年時代からで、おせち料理も京都の伝統を守った物を毎年作ってました。
ダンナが
「おふくろに食わせるのはもったいない」
と言って義実家に持って行かなかっただけw
で、今年は全部持って行った。
花蕪の浅漬け見て
「ボロボロに割れてる!」
とか
「小芋が角張ってる!」
とか騒いでたけど、それはわざとそういうカタチに切ってるんだよバーーーーカw
1日の義実家親戚含めて来られたお客には「今年のおせちは奇麗ね」「すごいね」と好評でトメ作以外、全部奇麗に食べられたのも面白くなかったらしい。
お重を早々に洗って
「今年はもう帰りなさい」
と突きつけられた。
おかげで旦那が怒って、
「今年からは盆も正月も無いと思え!」
だそうです。
トメ力作の黒豆(皮破れ&破裂あり)と煮物(小芋と他の物を一緒に煮るのでべったべた)を皿に盛り、私の黒豆と煮物を別皿に盛って隣りに添えてやったのがDQNだったかなと思ってます。
反省してませんけど。
曾祖母の言うことは絶対
昔、20代前半の頃に付き合っていた彼と結婚話が出た時に彼のご実家から強烈に反対された。
私も彼も地方から東京の大学に進学してそこで知り合って恋人同士になり、お互い就職して3年目のことだった。
彼のご実家は福島の旧家で、大きな家に曾祖母、祖父母、両親、彼の兄夫婦とその子供、彼と妹と5世代が同居しているような家。(但し兄夫婦は同じ敷地内の別棟)
ふたりの間で婚約の話が出てから初めてご挨拶に伺った時、最初は笑顔で歓迎されたんだけどまるで取調べのように家族のことを細かく質問された。
何を聞かれようが後ろ暗い事はなにもないので、聞かれるままに素直に答えていたが東京に戻ってきて数日後、突然彼から別れ話を切り出された。
彼の家は曾祖母の決定が全てだそうで、その曾祖母が断固として許さないと言ってるらしい。
私、何か粗相をしたのかしらと彼に聞いてみたら、その理由にビックリ。
私の地元が山口県だったから。
「長州もんを身内にすることを許すわけにいかね」
と、なんかそんなふうな言い方をしてると彼に聞かされた。
思わず
「んあ?」
となり、そのあと
「で?」
となった。
「曾祖母さんがそう言ってるから結婚できないってこと?」
って聞いたら
「ひいばあちゃんの言うことは絶対だし・・・」
ともごもご。
「そっかー、私よりひいばあちゃんの方が大切だってことだよね」
って聞いたら
「そう言うわけじゃないけど、絶対だし・・・」
ともごもご。
いつの時代の話よ。
結婚相手にそんな条件があるなら年頃になる前に言い含めておけっつーの。
そして出会う女に長州薩摩お断り!って自己紹介しろっつーの。
その反対する理由も理由だけど、いい大人が自分の意思関係なく
“ひいばあちゃんの言うことが絶対だから”
ってなんだそれ?って感じ。
一気に冷めてしまって、その日限りで別れた。
スマホを弄り続ける友人
ここ数年、友人A子は会っててもずっとスマホを弄ってた。 一緒にランチしてても食べながら片手で弄ってて注意しても「平気平気」って感じ。 話をしてる時でも、LINEの着信が入るとすぐ確認して返信する。 終わるのを待ってると 「いいよ、続けて」 って
ここ数年、友人A子は会っててもずっとスマホを弄ってた。
一緒にランチしてても食べながら片手で弄ってて注意しても「平気平気」って感じ。
話をしてる時でも、LINEの着信が入るとすぐ確認して返信する。
終わるのを待ってると
「いいよ、続けて」
って言われる。
話を聞きながら打つぐらいできるからって。
でもこれって凄く不愉快。
この間、映画を見に行った時も何度かゴソゴソとバッグの中でLINEしててスマホの画面って本人が思ってる以上に明るくて映画館の暗がりの中じゃ目立ってるのが分かってない。
それで
「マナー違反だよ。やめなよ」
って小声で注意したんだけど
「すぐ終わるからっ」
って止めない。
で、エンドロールになった途端に今度はバッグから出して堂々とやってるの。
それで映画が終わったあとちょっとした喧嘩になった。
私はそういうのが凄く気に障るし、映画見てる間もスマホが気になるなら家でDVDで見ればいいじゃないかと。
とにかくスマホ中毒にもほどがある、こんなんじゃA子と行動を共にすることはもう出来ないと言った。
その時点では
「これからなるべく気を付ける」
って言うから
「なるべく、じゃなくて本当に止めてよね」
と言っておいたのにその直後にランチしてた時のこと。
その日にA子と会ったのは実はそれがメインだったんだけど、私の勤務先のパート枠にひとり欠員が出ることになってA子を紹介することになっていた。
主婦のパートで事務員というのはすごく競争率が高いけどうちのパート先は募集掛けずに紹介で入ってくることが多い。
A子はずっと事務のパートを探してて、A子自身元は銀行員だったので会社に話したら面接してくれるって言うので紹介してた。
そもそもうちの雇用の仕方を知って前々から欠員がでたら紹介してって言ってたのはA子の方。
それなのに、部長に話してOKが出たことや面接の日取りを決めなきゃいけないことなど話してる間もずっとLINEやってて、
「今大事な話してるの分かってる?」
って言うと
「ああ、ごめん、すぐ終わるから」
と言いながら目も向けないし指も動かしたまま。
それで
「堪忍袋の緒が切れかかってる。3つ数えるまでに止めて」
と言って
「3、2、1・・・」
とカウントしてる間も全く変わらない。
「はい、終了。今回の話も終了。あんたとのおつきあいも終了」
と言ってお金を置いて出て来た。
立ち上がる瞬間に
「え?なになに?帰るの?話は?」
とか言ってたけどスルー。
都合よく店の前にタクシーが止まってたので、ひとりで乗って去った。
その後、メールが入った。
「意味わかんない。今日面接の話するんじゃなかったの?どうなってるの?」
と何故かA子の方がお怒りモード。
「私には私の職場での立場がある。自分の身を守るためにもA子を紹介することは出来ない。何故紹介できないか、自分でよく考えて」
と返信して着拒した。
旦那さんが転職して以来収入が激減して住宅ローンの返済に困ってるけど土日や年末年始は勤められないし、立ち仕事は辛いと言うからせっかくのチャンスだったのに馬鹿じゃなかろうかと。
土日祝日、年末年始やGWにカレンダー通りにきっちり休める事務職のパートが働きたい主婦にとってどれだけ貴重か分かってるだろうに。
どっちが大切か、どっちを優先させるべきか、そんなことも分からないような人、紹介できるわけないじゃん。
血液型で分かった姉との関係
今となっては笑い話だけど自分の修羅場。
血液型で親子関係が疑われるっていうのはよく見るけど、自分の場合はその対象が姉。
遺伝の法則習ったときに自分家族の血液型を聞いてきて実際に確認しようみたいな課題があった。
うちは両親と姉、自分の4人で祖父母とは同居していない。
それで家族の血液型当てはめてやってみたら姉だけ合わなかった。
父親の血液型から考えると姉の血液型は出ないはず。
姉は母が不倫してできた子供なのか?と思い、自分だけが気付いてしまったということにパニック状態。
うっかりこの事実がばれたら家庭崩壊?なんて考えていた。
必至に隠そうとしていたけれど家族から見れば明らかに様子がおかしかったらしい。
数日間は何も聞かれなかったけれど、私が何も言わないのでそれとなく母、姉、父の順番で
「何かあったのか?」
と心配された。
もちろん自分が気付いてしまった事実を相談できるはずもなく、いろいろな理由で誤魔化した。
(風邪っぽいだけとか、部活で疲れたとか)
それでもずっとモヤモヤしてて、だんだん悪い想像ばかりするようになってきた。
いよいよ私の様子がおかしいとなって家族会議招集。
「とにかく様子がおかしいのはわかってるから言ってみなさい。お父さんやお母さんに言いにくかったらお姉ちゃんでもいいから」
と父に言われて限界だった私は泣きながら気付いたことを告白。
半分くらいちゃんとした言葉になっていなかった気がする。
「お姉ちゃんはお父さんの子供じゃないの?」
みたいなことを言ったと思う。
そしたら父に
「お姉ちゃんは血が繋がってなくともお父さんの子供だよ」
と諭すような感じでいわれた。
「それで、何かあったのか?」
と聞かれたけど私は
「????」状態。
私「え?」
父「え?」
みたいなやり取りをリアルにやってわかったのは、
・母は再婚で姉は母の連れ子
・父はもちろん承知だし、姉も記憶にある
・再婚後に私が生まれた
ということで私だけが知らなかっただけ。
父は姉と私が半分しか血の繋がりがないとかで何か言われたのかと思った模様。
母姉にはもっと深刻な悩みかと思って心配したのにと言われました。
自分が深刻に悩んでいたのはなんだったのかと呆然でしたよ。
目の前で人が階段から落ちた
いきなりだけど、自分の目の前で急病人発生とか、事故とかが起きるっていう経験、普通の人間なら一生で何回経験して何歳ぐらいで一回経験するんだろうか?
俺は今30代だけど経験したのは24の時に一回だけだった。
会社で飲み会があったとんだがその飲み会、基本は俺の居る部署の部長が主催するけど他の部署の人とかも気軽においで、という感じの軽い雰囲気の物。
そのときの飲み会は雑居ビルの2階にある居酒屋で行ったんだけど、別部署の偉い人(Aさん)が窓から一回の別のお店に入る更に別部署の人を発見。
「ちょっと俺達と飲むように呼んでくる」
とかいって千鳥足のまま店を出てしまい、俺は部長に
「俺君、ちょっとついて行ってくれ」
といわれてついて行った。
後から聞いた話だとAさん、酒飲みの癖に酒癖が悪く、不愉快な事があると暴れるくせに会社で一番の年長者で社長クラスでもなかなか文句が言えないというお局様の男バージョンみたいな人。
なので部長はもしAさんが暴れ始めたら俺に止めさせるつもりで着いて行かせたらしい。
で、俺はAさんより先回りしてエレベーター呼んで中に入れて、一回の店へ。
一回の店では別部署の部長(Bさん)と何人かが飲んでてAさんが呂律の回らない口調で
「二階に居るからお前らも来い」
見たいな事を言ってるんだけどその人は
「他の人と合う約束があるから無理」
と応答。
Aさんは
「じゃあ仕方ない」
と言って階段で戻ろうとしたけど足元がふらついていたので俺が
「エレベータ来ましたから、それで行きましょ」
となだめてエレベーターで二階の店に戻った。
その一時間程後、Aさん
「あいつら遅いな、ちょっとどついて来る」
と言って店外へ。
部長「俺君、ちょっとついて行ってくれ」
俺、慌てて後を追う。
ただ、このとき俺は一時間前よりかなり酔っていて後を追うのが遅れてしまった。
エレベーターの前にはAさんは居なくてすごいフラフラしながら階段を下りようとしているAさんを見つけたのでAさんに
「階段は危ないですからエレベーターで行きましょ」
と声をかけたらAさん、こっちに振り向いたんだけどその瞬間足を踏み外して階段を滑り落ちてった。
慌ててAさんに近づいたらAさん、ピクリとも動かない。
何回かAさんの名前を呼んでも反応せず、さらに頭の所から血が流れ初めて床に広がり始めた。
俺はパニックになってしまって一階のエレベーターに乗ろうとしていた女性(だいぶ若かった、大学生とかで俺より年下だと思う)の肩を掴んで救急車を呼ぶよう要請、その後階段を登って二階の店に飛び込んで部長に報告。
部長と何人かを連れて一階に行くとさっきより血が更に広がっていた。
このとき俺はパニック状態。
俺がAさんをエレベーターに乗せなかったから~とか、俺が声をかけてしまったから~とか、これでAさんが死んでしまったらどうしよう。
なんて事ばっかり頭の中を周ってて、子供みたいに泣き喚いてた。
さらに部長やBさん、同じ部署の先輩とかが
「あーこりゃひどいね~」
なんて大した事でも無いような口調で言うものだからかえって混乱してしまった。
(なんで混乱してしまったのか分からないんだけど、部長やBさんの口調が俺を責めているように感じてしまったんじゃないか?と後で人事の人に言われたのでそんな感じなんだと思う)
で、救急車が到着、Aさんは搬送されるんだけど、Bさんが付き添い、なぜか俺も付き添いする事になってしまった。
Bさんは救急車の中で社長やAさんの家族に連絡を取っているので救急隊員は泣き喚いている俺にAさんの事を聞いて来る。
でも俺はAさんの事は苗字ぐらいしか知らない。
「この人のフルネームは?」
「わがりばぜん…」
「住所は?」
「わがりばぜん…」
救急隊員に
「分からないじゃないでしょ!」
と怒鳴られる始末。
結局この受け答えは社長らへの連絡を終えたBさんが全てする事に。
病院についたらAさんは処置室に運ばれて俺とBさんが待合室で待つ事に。
その間も俺は頭の中が「俺のせいだ」しかなくて、少しは落ち着いたもののずっと泣いてえぐえぐ言ってて、Bさんにコーヒー奢られるわ少ししてやってきたAさんの奥さんと息子さんに慰められる始末。
結局Aさんは頭蓋骨にヒビは入ったけど命に別状は無く後遺症とかも無くてしばらくして退院。
退院して一ヶ月もすれば笑い話の一つになったんだけど俺の中ではまだ尾を引いてたみたいで、他の人がその話をすると気分が悪くなるなんて事が何ヶ月も続いた。
特に身長185、体重95の大男である俺が慌てて泣き喚くのが相当おかしかったみたいで同期や後輩に結構な笑いのネタにされていっそ仕事をやめてしまおうかなんて思ったりもした。
俺からすれば目の前で人が倒れて大量出血なんて始めてだから混乱しても仕方ないだろ。
と言いたいんだけど、その時の他の人の冷静な反応を見ていると俺だけが異常でなんか障害でも負っている様な気がする事が今でもある。
あと自分より30センチも背の高い大男に行きなり肩を掴まれた女性や、泣くだけで何も答えない大男に手を焼いた救急隊員なんかもけっこう修羅場だったんじゃないかと思う。
モンスターになった姉妹
従姉の話をさせてください。
まず、我が家は両親と兄と私の四人家族。
父には双子の兄がいて、その伯父夫婦の一人娘が従姉。
伯父は本家の長男で、父とは仲が良く、ずっと頻繁に行き来していた。
従姉は本家の一人娘で、容姿がとても良いので、親戚一同に甘やかされて育った。
伯父夫婦は
「本家といっても昔はともかく今はただの兼業農家だし」
というスタンス。
ただ、従姉がまだ小さい頃、伯母が第二子を流産し、それからしばらく弱ってた時期がありその時に祖父母の家(本家を伯父夫婦に譲り、元は別荘だった家に住んでた)に預けられる事が多かった従姉は、なかなかわがままに育ってしまった。
でも意地悪をするわけでもないので、イトコ同士はそれなりに仲が良かった。
従姉がおかしくなり始めたのは、従姉が高校生の頃。
その頃から頻繁に東京へ遊びに行くようになり、そのたび芸能事務所等のスカウトを受けた従姉。
身なりがどんどん垢抜けて、読者モデルとして何度か雑誌に載った事もある。
その頃から、徐々にイトコ同士の付き合いは薄れて行った。
ある日、伯母が真っ青な顔で両親に相談があるとやって来た。
聞きかじった事や後に噂になった事をまとめると、従姉は複数の男性と大人のお付き合いをしてたようだ。
そして、誰の子供かわからない子を妊娠したとのこと。
地元ではそこそこ有名だった従姉は、この件で一気に本物の有名人になってしまった。
ほとぼりを冷ます為、従姉は高校卒業と同時に他県に進学、親戚の家に下宿。
在学中は、お目付け役がいたせいか、特に問題を起こす事もなく、無事卒業。
そしてさすがに地元には戻っては来なかったものの、伯父のコネがきく会社に就職した。
ところが、その会社で今度は不倫騒動を起こし、またも妊娠、相手の家庭を崩壊させ、略奪婚。
伯父は従姉の尻拭いのため、土地をだいぶ売り払った。
信用もだいぶ失ったと思う。
そのままおとなしくしてくれていれば良かったのに、二年も経たずに離婚。
従姉は育児以外の家事を放棄、散財、不倫未遂、従姉元旦那はまたもや不倫というどっちもどっちぶり。
どういう経緯でそうなったかは知らないけど、子供は元旦那のご両親が引き取ったようで従姉は身一つで実家に戻って来た。
当時の従姉は、顔立ちは整ったままなんだけど人相が悪くなったと言うか、いつも皮肉を言っているみたいな、あまり魅力的ではない容姿になっていた。
実家に戻っても伯父夫婦との関係は悪く、親子なんだけど家庭内別居のような状態だった。
それから少し経って、東京で働いていた兄が婚約者を連れて来た。
華やかなタイプではないけど、落ち着いた雰囲気の美人。
大塚寧々にちょっと似てる。
職場の同僚で、仕事の都合上職場の方も呼んでの披露宴は難しいということもあり親族だけの食事会と人前式という形を取って、結婚した。
その食事会で、従姉がまたもややらかした。
幸い、小さい声でのぼやきだったので、兄嫁さん親族には聞こえてないと思うけど
「私の方が美人なのに…なんであんな地味な女と…」(上記のとおり、兄嫁さんは十分すぎるくらい美人)
「理系の女とか、結婚に向いてるわけないじゃん…」(兄嫁さんは料理上手の綺麗好き。性格も穏やか)
「兄くんも、本家の娘と結婚する方がメリットあるのに…」
(妹の私が言うのもなんだけど、兄は学歴も職業もかなりハイスペック。見た目も悪くない。堕胎経験あり不倫略奪からのバツイチ子持ちの従姉と結婚するメリットとは?)
私に向かってぼやいていたのを、私は適当にあしらいつつたしなめてたけどあんまりしつこいので伯父にチクったら、伯父がタクシーを呼んで伯母を付き添わせて従姉を帰した。
後から母に聞いたんだけど、食事会に出掛ける間際に、従姉が白いドレスを着ていたので一悶着あったらしい。
そのドレスも、色を差し引いても、透け感とか露出が昼の食事会にはふさわしくないものだったそうな。
出来ればその時点で従姉の出席を取りやめにして欲しかった…。
その後も懲りずに未成年との恋愛騒動を起こしたり、本家の蔵から金目の物を盗み出そうとしたり色々あって、従姉は伯母と共に、伯母の持ち物の古い平屋に引っ越した。
この当時、伯父夫婦は破綻してなかったけど、従姉を野放しにするわけにはいかず伯父は仕事があるし、本家の長男だし、致し方なく別居とあいなった、はずだったんだけど。
この正月に久々に伯父に会ったらげっそり痩せてて、伯母に男がいると。
伯母にキャッシュカードを預けていた貯金があって、定期的に入金と記帳をしてたそうなんだけど別居当時は月に10~15万程度の引き出しがある程度で、二人暮らしならむしろ慎ましいくらいだと思ってたんだって。
だけどある時期を境に、倍、更に倍、みたいになって、おかしいと思って調べたら伯母と従姉、同じ男にたらしこまれてた。
40代の、役者もどきと水商売とヒモで生きてきたみたいな男。
実質三人暮らしをしてるみたい。
伯父は今月中の解決を目指して離婚へ一直線だけど、私は色んな意味で怖くなってしまった。
昔は仲が良かった従姉の、言葉は悪いけど、転落ぶりとかごく普通の主婦で明るくて優しかった伯母の変貌とかたったひとりのモンスターのせいで家庭ってここまで壊れるのか、とかなにより、私は従姉と血が繋がってるんだよなっていう事とか。
結婚を考えている恋人が居るんだけど、なんだか、無理かも。
結婚するのが怖い。
子供を作るのが怖い。
たかがイトコのことでここまで思いつめる自分が怖い。
針はチョウチョじゃない
幼いころの修羅場。
保育園~小学校低学年時、自家中毒でお祭りとか運動会とかの後に気持ち悪くなったり吐くことが多かった。
病院で点滴を入れてもらうと楽になるためよく打ってもらってた、でも未だに点滴怖い。
ある日、また朝から気持ち悪く吐いてしまったので病院にいこうとしたら、ちょうど診療所の先生が休みの日だった。
しょうがないので別の総合病院の小児科にかかったんだが、やはりまた点滴を打たれることになった。
んで、外来の処置室的なベッドの上に寝かされた。
いつものとこの看護師さんだったら、何も言わずに一息にやって包帯ぐるぐる巻きにしてくれるんだけど、そこの看護師さん、あろうことか翼状針(羽ついてる短い針)を
「ほーらチョウチョだよ~、チョウチョが腕にとまるよ~」
と目の前でぷらぷらさせやがった。
当時から針が怖かった私は、
ギャー!
と叫んで処置台から落ちた。
チョウじゃないじゃん針じゃんか!
と幼いながらに思ったことと。
お尻が痛かったのは未だに覚えている。
ただ、看護実習中に見た小児の専門書の中に
「恐怖心を軽減するため、針をチョウに見立てたり~」
とか書いてあったのを見つけたのも、心の中が結構な修羅場だった。
針は針だろうよ!
子供だってわかるわ!
仕事辞めて介護してと土下座
元夫が土下座をしながら仕事を辞めて義母の介護をしてくれと頼んできたから、後ろ髪を引かれる思い出仕事を辞めた。 良義母さんだったから仕事に未練があった時期はほんの僅かでした。 介護は大変だったけど、義母さんとのコミュニケーションは楽しかった。 そんな
元夫が土下座をしながら仕事を辞めて義母の介護をしてくれと頼んできたから、後ろ髪を引かれる思い出仕事を辞めた。
良義母さんだったから仕事に未練があった時期はほんの僅かでした。
介護は大変だったけど、義母さんとのコミュニケーションは楽しかった。
そんな義母さんも残念ながら80歳目前で死去。
そんなときに放った元夫の言葉がこちら。
俺は専業のお前を養うために昼も夜も働き詰めだった。
そろそろ働いてくれなきゃ困るんですけど。
いつまで専業やる気?
母さんを長生きさせられなかったんだから介護に関して礼は言わない。
言われなくても働くつもりだったし、辞めた会社の社長さんからもう一度と誘われてるんじゃボケ。
私はあんたのためにかいしてたんじゃない。
義母さんの為にやってたの。
あんた土下座までしておいて何様?
ここまで言ったら元夫、にたーっと満面の笑みになって
働くんだ、よかった。今度は君が働いて僕ちんが休む番だね!辞めてくるよ!
と言いやがったので大喧嘩。
休む番って何?日中家でゴロゴロしたいと思ってるわけ?
私は休んだ覚えは無いんだけど!まさか介護と全ての家事を担った私を休んでた嫁なんて思ったんじゃないでしょうね!
と言い返してしまった。
すると元夫は、え?会社辞めたじゃん。休んでたじゃん。介護だって断れたはずなのに承諾したじゃん。
母さんと笑いあってたよね?え?あんなの働いてたうちに入らないよと真顔で言われた。
はぁあああ?と心底脱力してその日は寝た。
翌日離婚してほしいと言ったら、君は休むだけ休んでおいて僕を捨てるんだね。
離婚はしないよ。さっさと働いてよ。僕が一生懸命働いた分きっちり返せよ!
と言ってのけたので、きっちり弁護士入れて離婚させて頂きました。
弁護士入れた途端弱気になって短期間で決着がついたよ。
そしてここに書き込んだ理由が、その元夫が私を探ってきているらしいから。
私は50間近で同い年の男性と再婚していて、小学生の女の子を施設から引き取って3人で暮らしている。
元夫は小学生の子供(12歳)がいるのは時期的におかしい、浮気してたんじゃいかと粗探しをしているようなので、離婚したときの弁護士さんに対処をお願いしているところです。
コメント