『我慢と無知はよくない』など 短編10話【87】修羅場 – 本当にやった復讐の体験談

『我慢と無知はよくない』など 短編10話【87】修羅場 - 本当にやった復讐の体験談

 

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短編 – 本当にやった復讐 修羅場編【87】

 

泥未遂にキレタ

泥未遂?だけど、警察にまでお世話になった話。

恥ずかしい話だけど、私は買い物中鞄とは別に「ずだ袋」を持っている。

プラスチック製の安いやつだけど、動きやすくするためになんでも放り込む。

落ち着いたらちゃんと鞄に直すようにはしてるんだけど、会計直後とかに財布を放り込んだり、両手が塞がってたら車の鍵とか、携帯をぽいと放り込んだりする。

その袋を赤ちゃん連れママに泥されかけた。

昨日は三連休ということもあって、駅も百貨店もものすごい人が多かった。

急にゲリラ豪雨みたいな雨が降ってきたのもあって、どこに行っても人・人・人…って感じだった。

駅から百貨店の間には通路があるんだけど、そこには屋根がない。

だから、駅の入り口や百貨店の出入り口には濡れながら走って来た人や、傘を畳んだり、鞄にしまう人でごった返してた。

私も折り畳み傘を畳んで、ずだ袋に入れた。

服も髪もびしょびしょだったから、袋をベンチにおいて体とか髪を拭いてたんだけどふっと振り返ると袋が消えている。

あれ?落ちたかな?と思って周りを見ても何もない。

ベンチの下にも、裏にも、落ちている様子はない。

急いで周りを見回してみたら、なんとベビーカーを押した若いお母さんが、ちょうど私の傘を差しながら店をでていくところ。

袋はベビーカーの後ろのポケット?みたいなところに入れられてた。

私「ちょ、ちょっと。その傘、間違ってませんか。」

母「は?何ですか?」

私「なんですかじゃなくて。その傘と袋、私のです。返してください。」

ちょっといらっときたので、強い口調で言った。

そしたらその母親、いきなり傘と袋を下に叩きつけるように捨てました…

「っぜぇな。」と一言吐き捨てて。

もちろん、豪雨なので床はびしょびしょ。

半分外みたいな場所なので、水溜りにべしゃーっと入りました。

その拍子に車のキーがころころと転がりでてきてこのまま盗られてたら…と初めて背筋がすっと寒くなりました。

呆然と見ていると

「子どもが濡れてもいいとか、まじないわ。傘1本でケチくっせぇ。」

と腹立たしそうに言う始末。

ぶちっと頭の中で何かが切れた気がしました。

本気で頭にきて、生まれて初めて「はああああ???」と怒鳴ってしまいました。

・誰がケチだどの口が言う。
・泥棒がよく言うわ。恥を知れ。
・どっちがケチだ。赤ん坊濡らしたくないなら傘を買えタクシーに乗れ。
・数百円ケチって泥棒して、そっちの方がケチだろうが。
・盗人猛々しいとはこのことだ。

みたいなことを次々にまくしたてました。

頭に血が上りすぎてすごい支離滅裂だったと思うんだけど、あまりの態度に怒鳴らずにはいられませんでした。

周りの人たちもなんだなんだ、となったけどこっちは悪くないので、むしろ泥棒の顔をしっかり見てくれとさえ思いました。

それでも憮然とした表情で聞いてるので、もう話にならんと思って、第三者交えてしっかり責任とってもらうことにしました。

「警察呼びます。」

とたんに青ざめ、慌てだす女。

たかだか傘で、とか。だって、とか言い訳を始めたが、もう遅い。

「こちらは車の鍵を盗られそうになった訳ですから。警察呼びます。誰か警察!!警察呼んでください!!」

恥ずかしかったけど、叫びました。

絶対許さん!と腹を括って、人の目を気にせずに。

その女は慌てて逃げようとしたけど、手首をがっと掴んで離しませんでした。

50代くらいのおばさま方が近づいてきてくれて

「なに?泥棒?」

と聞いてきたので

「はい。未遂ですけど。車の鍵とか貴重品の入った袋を盗られそうになって」

というと、傍で一緒に待っててくれました。

「ごめんなさいごめんなさい」

「許してください警察だけは…」

「子ども、子どもがいるのに」

「ほんとごめんなさい、ごめんなさいぃぃ…」

と泣きはじめたが、知らん。

「子どもがおるなら、余計盗みなんてするな。」

とだけ言うとその場にうずくまって泣き始めました。

とりあえず誰かが呼んでくれたのか警備員さんが来てくれその後警察と一緒に、裏の事務所?で話し合うことになりました。

開口一番「車の鍵を盗られそうになりました。あと荷物も。防犯カメラを見てもらっても構いませんし、目撃者もいると思います」

と堂々と言ったのが利いたのでしょうか。

警察も店側も、終始こちら側の味方でいてくれました。

「盗ったんやな?」

という警察の問いに

「荷物をとる気はなかったんです…傘をちょっとだけ、使わせて欲しくて」

「だって、車の鍵とか、入ってるって知らなかった」

「傘ぐらい、いいかなって思ったんだもん…」

ともごもご、ダッテダッテ。

警察のおじさんが
「傘ぐらい?値段の問題じゃないだろう。盗むという行為が、そもそも犯罪だ。君のやったことは立派な置き引きで、犯罪だよ」

と強い口調で言うと、さめざめと泣き出した。

未遂かつ初犯ということで、恐らく厳重注意?になるらしい。

用事もあったしそこまでで事務所を出てきたんだけど、なんだかなぁと、どっと疲れたよ。

子どものいる若い親が全員そうだとは思わないけど、なんかちょっとトラウマになった。

私も花嫁衣装着たかったのに

もう10年近く前の話。

上の兄の結婚式がらみの修羅場。

式場を予約して招待客も目星をつけ、そろそろ招待状送るかという時期に突然兄の元に式場からの電話が。

その内容が

「お母様から式場キャンセルのお電話がありましたが、ご承知ですか?」とのこと。

寝耳に水だった兄は仰天して車で1時間の実家に駆けつけ、そこで緊急家族会議が開かれた。

そこで母が泣きながら訴えたのは以下の内容。

「母と父も最初はきちんとした式場で結婚式を挙げるはずだった。
それなのに父親族が『しきたりだから』と式場を無理やりキャンセルし飛行機の距離のど田舎の父実家で宴会をやっただけで終わってしまった。
一応白無垢は着せてもらえたが髪結いも化粧も素人の父方伯母(父姉)がやって到底見れたものじゃなかったし父方は遠縁まで親族全員、どころか隣近所まで呼ばれたのに
『嫁入りする立場だから』と自分の親族は母方祖父しか呼んでもらえなかった。
しきたりと言うならば息子夫婦も同じようにするべき!」

初耳の兄、下兄、私は目が点。

父は黙って俯いてるだけ。

そのうち母が

「どうしても式場で挙げるなら、一緒に私と父の結婚式もやり直したい!そうでなければ認めない!」

と言い出した。

新郎新婦の隣で新郎父と新郎母も一緒に三々九度やってるとか聞いたことない、馬鹿なこと言うもんじゃない!と家族全員で説得するも泣きに泣いて

「どうして私は我慢したのに息子夫婦はちゃんとした結婚式ができるの!」

と父に食って掛かり、父は答えられずに黙りこくる。

下兄の

「そんなに結婚式したいなら今から父さんと母さんだけでやればいいじゃん、兄ちゃん巻き込むな」

という発言には父が激しく反対した。

もう60も過ぎて今更婚礼衣装など着れるかバカバカしい、やり直す必要なんぞない、と。

それを聞いて母がさらに発狂。

『やり直す』のはあんただけだ!私にとっては初めての結婚式だ!

あんなのが結婚式だったなんて絶対認めない!と。

父はだんまり。

母としては

「1組も2組も変わらないじゃない!夢と諦めていた花嫁衣装を着るチャンス!」

と思ったらしくどんなに兄弟全員が非常識と言っても聞かない。

揉めるだけ揉めて解決策が見つからないままお開きとなってしまった。
母はその後も毎日のように式場にキャンセルの電話

(式場の人が全部「新郎様に確認の上手配致します」でスルーしてくれたらしい)、かと思えば花嫁衣装の写真とか雑誌の切り抜きをどっからか持ってきて

「こういう柄じゃ若すぎるかしら?こっちの色の方が映えるかしら?」

と式に花嫁として出るつもり満々で衣装選び。

父は相変わらず沈黙。

「2人だけで式しなよ。せめて写真だけでも撮りなよ」

などの説得には

母→なんで息子のとは別に私たちだけで式なの

父→バカ言うな、恥ずかしい、必要ない

結局、そんな母から逃げる形で式場をキャンセルした兄夫婦は二人だけで海外で挙式。

後日親戚とのお食事会、友人や会社関係者とのお披露目会を終えてすぐに義姉実家近くへ引っ越してしまった。

母はお食事会の時に涙ながらに

「本当は私も一緒に式を挙げるはずだったのに」

と訴えて新婦方のみならず自分の親族にもドン引きされ今でも月に数回は海外の教会で撮影された兄夫婦の写真を見ながら

「私も花嫁衣装着たかったのに」

と恨みがましく言い、未だ独身の私と下兄が帰省するたび

「あんたたちの結婚式では私にも花嫁衣装を着せなさい。絶対」

と言ってくる。

私も下兄も彼氏彼女の影も形もないけど、億が一結婚できるとしたら兄と同じように海外に逃げるしかないと思っている。

はっきり言って父が一番悪いと思ってるけど、母も十分過ぎるほどキチガイ。

もうすぐ盆で帰省と思うと欝になって吐き出したかった…。

–後日投稿–

父は家族だけでひっそりやる式でも結局介添えの人とかスタッフさんに「新郎さま」としてチヤホヤされるのがこの年になって恥ずかしい、耐えられない、らしい。

いっそ母だけで好きなドレスでも打掛でも着て写真撮ってこい、ってのが父の言い分なんだけど、母は「結婚式は夫婦でやるもの!」で平行線。

帰省するたびに私も下兄も父と母にあれこれ言って妥協点を探してるんだけど難しい。

一応父のフォローもしておくと、父は4兄弟末っ子で兄姉は全員見合い結婚。

当然父も見合い結婚、になると親族は思っていて相手も用意していたから父が突然母を紹介しに来た時は両親だけでなく兄姉親族まとめて大反対だった。

でも父が2年かかって何とか家族を説得して結婚を承諾させたそうでだから式まで自分たちのやりたいようにやるってのはさすがに許されなかったんだろうな、と思う。

だからって母がかわいそうってのはそりゃそうだよね。

キチガイとか書いてごめんね、母ちゃん。

今晩でも下兄に電話して今年の帰省時の父説得方法を考えてくる。

 

俺の親父は真性のDV野郎

誰にも話したことないんだが、そろそろ一度吐き出そうと思うので書いてみる。

俺の親父は真性のDV野郎で物心ついた頃からめちゃくちゃ殴られてきた。

母親は右耳の鼓膜が破れているし、俺は一度頭蓋骨にひび入れたれたし、左手の小指を折られたこともあるしあばらなんてしょっちゅう折られたりひび入れらたりした。

倒れたところを蹴られまくったからね。

けど母はまわりから何度も何度も離婚を勧められながら、耳を貸さずただただ親父に従うだけの女だったんだ。

ガキの頃は、親父が仕事から返ってくる夕方近くなると息が苦しくなって身体が震えてしょうがなかったよ…

こういう糞野郎だったが、金儲けはうまかった。

雑貨屋みたいなのをやってたんだが、古物商取引の免許を持っててまあ手広く色々やってたみたい。

田舎だから、○察やら代議士やらいろんなところに顔も広く地元の顔役でもあったから、なにかあっても、こっちには誰も味方なんかいなかった。

当時は民事不介入、DVなんて言葉すらあんまり聞かない時代だったしな。

実際、物音に驚いた近所の人がなんどか警察呼んだこともあったけど、いつもうやむや。

俺はガキだし、なんの力もないし、どうにもならなかった。

小学生高学年頃は、ただただ親父に復讐したいってことしか頭に無く中学に入ってからは空手部に入って必死で身体を鍛えた。

親父は若いころ柔道とボクシングをやっててからだもでかく、俺自身が強くなる以外、対抗できないと思ってた。

で、高1の時、やっちまった。

その日、親父はなにが気に入らなかったのか帰って来てから母親をめちゃくちゃ殴ってた。

俺はその頃はそうとう使えるようにはなってたんだけどそれでも親父が怖かったし、自分の部屋で耳塞いでじっとしてた。

けど母親の悲鳴が一段高まった時、何かが切れた。

部屋を飛び出し、叫びながら親父に向かっていって何発か殴ったと思う。

親父の鼻がひしゃげて血が飛び散ってた。

親父が倒れたので、母親を助け起こそうと目を離した隙に親父が包丁を持って襲いかかってきた。

こっから先はなんだかよく覚えていないんだ気がついたら、俺の眼前に親父が血まみれで倒れていた。

俺も何箇所か切られて血だらけだった、らしい。

母親は部屋の隅で呆然と震えていた、と思う。

どれぐらいたったのか分からんかったがふと

「あー…終わったなあ…」

って思った。

何が終わったのか分からんが、とにかく終わったって。

とりあえず手についた血を洗って110番した。

まあ、あとは救急車や警察やらでおおわらわ。
結果から言うと、結局警察沙汰にはならなかった。

親父は鼻の骨が折れ、あばらにヒビが入ってたらしいが、命に別条なし。

俺も、全身20針ぐらい縫ったけど命に別条なし。

すべてちょっと過激な家庭内のゴタゴタということで収まった。

当時の田舎警察がこういうのを事件化するのを嫌ったのか親父の政治力かなんかはしらないけどね。

それから親父のDVはとりあえず止んだ。

少なくとも俺がいる前では。

ただ、家庭内は氷の野原みたいだったけどね。

高校卒業まで、父親とは一言も話さなかったし母親も、俺を避けていた。

大学は新聞奨学生で地元を離れ、卒業してからはそこで就職。

実家とは縁切り状態。

5年前、親父が糖尿こじらせ死んだ時も、結局帰らずじまい。

もちろん、俺自身の暴力沙汰もあれきりだ。

ただ、いまでも大きな物音や人の声に心臓が痛むのは治らない。

PTSDってやつらしい。

昼間仕事してる時はまだしも、夜一人になると、物音一つ立てず暮らしているw

ってのは嘘だが、出来る限りそうしてる。

というかそうなってしまう。

おかげで、何度か良い人が俺のことを好きになってくれたんだけどなかなかうまくはいかなかった。

ドアを閉める音や、人の足音にまでビクつくんだから、そらあかんw

がんばってなんとかしてくれようとしたんだけど結局ダメだった。

彼女たちには、ほんとに悪いことをしたと思っている。ごめんね。

後半は蛇足だが、これが俺の修羅場おもひで。

 

山で拾った女性

数年前友人とドライブに出かけた。

丁度車の事故が起こったようで道が大渋滞になって夜になってしまった。

なんとか早く家に帰りたかったので普段通らない山道を通って帰ることにした。

真っ暗の道をゆっくり走ってると友人が突然

「あれ人じゃね?」

といった。

確かに人っぽかったが周りには家もないし灯りもない。

俺は幽霊だといったが

「じゃあ確かめてやる」

といって友人は車から降りていった。

しばらくすると女性を連れてきた。

「なんか彼氏にすてられたんだって。家まで送ってってやろうぜ」

といって女性を車にいれた。

その女性は真っ青な顔色と無表情な顔は幽霊そのもの内心、絶対まともな人間じゃないと思いブルブル震えながら運転をしていった。

ようやくまともな道にでると直ぐそばのコンビニで降ろしてくれといわれて降ろした。

友人は暢気に

「可愛かったから連絡先教えてもらったよ」

と嬉しそうだったが俺は何事もなかったので一気に力が抜けその後一週間ほど風邪で寝込んでしまった。

絶対にあの幽霊のせいだ、自分は呪われて死ぬんだと寝込んでいる間ずっと考えていた。

そして先日その友人と件の女性が結婚することとなった。

友人と女性との出会いを他人に話す度に思いっきり爆笑される。

俺としては寝込んでいる一週間は正に死に直面した修羅場だったのに。

身に覚えがない転職活動

就職して2~3年目頃の話。

ある日会社にどこだかの会社の人事の人が訪ねてきて自分の勤務態度や素行を教えてほしいといってきたそうな。

対応した人事の人達は内緒で就活してやがったのかと激怒。

総務のお局様がニヤニヤしながら

「○○さ~ん××社から人が来ちゃったわよ~」

と何も知らない自分を呼びに来たので何のこっちゃと思いながらとりあえず呼ばれた応接室に行った。

知らないおじさんとゆでだこのように怒りまくった自社の人事のえらいさんが待っていた。

「○○君はまじめによく働いてくれてると思っていたが、影で転職活動をしていたのかね?」

ときかれたが、そんな事実は無いので

「そんなことしてません」

と答えたのだが、人事のえらいさんは疑いを解いてくれない。

だが、知らないおじさん(××社の人事の人)が自分の顔を見てるうちに

「あ?あれ?○○さん?あれ?あれ?」

と言いだし持ってきた履歴書らしき書類と自分を見比べている。

自分はそのおじさんを全く知らないし××社の名前も知らないから

「失礼ですが、どちらの方でしょうか?」

「○○は私ですがどなたかとお間違えでは?」

ときくとおじさんは

「顔が違いますねぇ…」

と困ったような顔をする。

で、自社の人事のお偉いさんが××社の人事のおじさんが持ってた履歴書を

「ちょっと拝見」

と受け取って

「なんじゃこりゃ~!こいつは△△(横領で懲戒解雇になった先輩)じゃないか!」と…

自分もその履歴書を確認させてもらったが、名前と住所は自分の物で、電話番号や本籍地が違う。

学歴職歴ももちろん違うのだが出身大学だけ自分の所が書かれていた。

人事に保管してあった自分と△△先輩が入社したときの履歴書を××社のおじさんに見せて△△先輩がなりすましを図ったことを自社の人事と××社のおじさんに納得してもらったが転職は会社に対する裏切りと考えるような中小企業だったから、疑いが晴れるまでの人事のお偉いさんの怒りに燃えた視線とその場の重苦しい空気に内心大修羅場だった。

 

我慢と無知はよくない

色々重なってしまった自分の修羅場をお一つ。

俺は薬屋の倅。

幼少時よりスポーツをやってたこともあり体は頑丈で風邪を患ってもうちの薬を飲んで一晩寝れば全快!のまさに子供は風の子を地で行く。

そんな体だから、捻挫などの外傷で整形にお世話になったりはあるけども年に一度あるか無いかの程度(実際3階から落ちても擦り傷で済んだりしていた)

俺も順調に年を取り、立派に就活に励む年齢になり外側は頑丈だが、お腹はよく下す青年へと変貌を遂げたころに事件が。

就活も順風満帆、次の面接に通れば第一志望の最終面接!おいおい遂にここまで来たかと思った矢先に腹痛が…

(まぁ、いつもの腹痛だしトイレに行って家に帰って薬を飲めば楽になるだろ)

安易に考えながらなんとか面接を終え、自宅で父親に相談しながら

乳「そうか、薬でものんどけ、タヒにやせんわ」←(どんな時もこれしか言わない)

父の言に従い、薬を飲んで明日の別の会社の面接準備をして就寝。

翌日もどうも腹痛が治っていない…朝のお勤めもキレがない。

騙しだまし面接をやり遂げ、自宅で父に相談「薬でものん(ry」

しかし飲んでも効果が無いし、丸一日飯ものどを通らずひどい腹痛で一睡もできず、明け方に痛みで気絶したほど。

さすがに我慢強い自分にも限界がきて、朝一番に病院へ父に車で送ってもらうことに。

……えぇ、おもしろいモンでしたよ、お医者様の反応は。

明らかに顔色のおかしい、痛みで牛歩すり足で歩く自分を見てすぐに触診(右下腹部が押して離す瞬間に痛い)、点滴(看護師が即座に用意)、痛み止めにレントゲン急性虫垂炎(盲腸)でした。

お医者様が完全に

「どうしてこうなるまで放っておいたんだ」

のAAのまんま。

ストレッチャーに乗せられて手術室へ。

どうやら我慢を重ねた結果大きくなりすぎて薬で散らすことができない状態&破裂したらタヒぬかもよ状態(オヤジェ…)

傷跡が残りますとか5日間入院ですとか矢継早に説明され、さっさとサインをしろと。

ちょっと待てや!3日後には第一志望からの最終面接案内がさっき病院受付途中でメールと電話が来たんですけど と第1の修羅場。

多分お医者様の方も、こっちが急にごねて

「手術はする、しかし俺は2日で帰る。盲腸だし余裕だろ!就活あるんですよ!」

と急にキレだしたから(ストレッチャーの上)修羅場に感じてたと思う。

する。しない。で揉めてると父がキレはじめ

「タヒにたいんか!ならタヒね!命を大事にしろ!」等と。

意味不明なことを叫びだし、恥ずかしくなった俺が素直に手術することにサイン。

無事に手術は終わったものの、麻酔が効きすぎて丸一日寝通して朦朧としながら起きたはずみに女性看護師の胸を鷲掴みしてしまい、お互いに驚いた瞬間に俺の股間に伸びていたカテーテルが変な風に刺さったみたいで血尿がどんどんとあふれてくる事態。

20代の男が股間をもぞもぞしながら泣いてしまったのは仕方無いはず。 第2の修羅場。
右下腹部の手術跡が縦に5センチくらいにのびており(術前説明は横に1センチ程度)詳しく聞くと

「大腸より大きくなってたからね、糞石も溜まってたし仕方ないよ。ホラ」

となぜか自分の盲腸を見せられるハメに。

「こんなに大きいのはなかなか無いよ。いやーいいねぇ、ちょっとこれ学会に出していいかい?」

と聞かれ、世の中にはいろんな人が居ると再認識しました。

ほかには入院2日目に東日本大震災が起きたり、結局最終面接は事情説明しても受け入れられず第一志望をこんな形で逃すとはと心の中が修羅場ったりして大変な一週間でした。

我慢と無知はよくないね。

 

私の修羅場人生

軽くフェイクあり。

私が小学生の頃に始まった我が家の修羅場。

父方祖父母は自営業をしていた。

私の父は3人兄弟の次男で、叔父(父兄弟の長男)と一緒に祖父母の下で働いていた。この時、我が家と叔父一家は祖父母とは別居。

ここまでが前提。

私が小学生の低学年頃、借金が返せなくなり祖父母の会社が倒産する事になった。

借金の額は大きく、祖父母が住んでいた古くて大きな家も売る予定だった。

が、「住み慣れた家を手放したくない」

という祖母の言葉に次男の父がはっちゃけ、

「俺が借金を返す!」

と祖父母の借金を全部背負い込んだ。

その年の冬休み、私は何も知らされず従兄弟家族に旅行に連れて行ってもらった。

旅行から帰ってきたら家族だけで住んでいた一軒家ではなく、祖父母の家に連れて行かれ、暗い顔をして生まれたばかりの妹に母乳をあげている母に

「今日からここに住むから」

と言われた。

私達の住んでいた一軒家は借金返済の為に売られた。

お母さんの匂いがする綺麗で落ち着いた家から、お線香の匂いがする古くて怖い家に突然住むことになったのが私の最初の修羅場。

父は借金返済の為に別の自営業を始めた。

この資金でさらに借金が増えた。

母も仕事を手伝う事になり、二人共私とはあまり話すことが無くなった。

365日仕事で、家族で出かける事は無くなった。

夏休みや冬休みは私も裏方で手伝いをした。

家族で休みを楽しんでる友達や従姉弟達がとても羨ましかった。

でも、私が我侭を言えば親が困る事が分かっていたからできるだけ我慢していた。

祖父母と暮らしている間、母は祖母から家の事や仕事の事、子供の躾の事や妹のアレルギー(甲殻類アレ)の事などで嫁いびりにあっていたらしい。

その上祖母は、妹にアレルゲンを与えて2回殺しかけている。

顔を真っ赤に腫らし、体中が斑模様になった小さな妹が泣き叫んでいる姿を私は今でも覚えている。

とても怖かった。

父の仕事が少し軌道に乗り、同居を始めて3年ほど経った頃、私達家族は祖父母の家から出て再び別居に。

母が父に頼み込んだらしい。

最初に住んでいた一軒屋より狭いアパートだったけど、母が明るい顔をしていて私は嬉しかった。

祖父母の居ない家族だけの空間は落ち着いた。

お金が無くて、お肉無しの肉じゃが(通称、じゃがじゃが)とか食べてたけど、お母さんの落ち着いた顔が見られた。

父の仕事は順調に利益を出すようになり、勢いに乗って規模を拡大する事になった。

この時再び借金を増やしたが、拡大した分だけ利益が上がった。

父は高級車に乗り、仕事が忙しいからとあまり家に帰らなくなった。
浮気をしていた。

母が言うには、父がある日突然暗い顔で「浮気相手に子供ができた」と言って来たらしい。

それまでの行動に浮気を疑ってはいたが、まさかの告白に母は大修羅場。

最終的に、浮気相手のお腹の子はこちらが費用を払って中絶してもらったそうだ。

本当なら母が浮気相手から慰謝料を貰う場面だが、なぜかこちらがお金を払っていた。

後日、母方の祖父母宅に行った時、

「子供さえいなければ離婚しているのに」

「あんた達がいるから…」

と母が祖母に泣きながら言っているのを聞いた。

当時、何も知らなかった私は、私のせいで母はつらい目に遭っていたのかと知り、再び修羅場。

今でもこの時の事を思い出すと苦しい。

その後も、父の仕事はそれなりに順調だった。

私は高校生になっていた。

バイトをしていてお金があったから、遅い時間まで友達と遊び、学校近くのファミレスで時間を潰して夜遅く帰る事が多くなった。

思春期特有の不安定からリスカするようにもなっていた。

私が自傷行為をしたり、夜遅くに帰る事にについて親は何も言わなかった。

保健室の先生の方が親よりも心配してくれた。

一度リスカをしている所を母に見られた。

母は何も言わずに別の部屋へ行った。

親は自分の事で手一杯で、私の事なんかどーでもいいんだなと思うととても悲しかった。

大学までは卒業させてもらい、普通に就職して家を出た。

職場恋愛で優しい旦那と出会い結婚もした。

義両親も旦那と同じでとても優しい。

旦那には今まであった事は自分の知る限り話してある。

旦那と結婚してから、泣くことが多くなった。

当時の事を思い出して突然涙が出て止まらなくなって、旦那にしがみついてわんわん泣いてしまう。

旦那は黙って抱きしめて頭を撫でてくれる。

「私なんかいらない人間なんだ」

と言うと、旦那は「俺には必要だよ」と答えてくれる。

抱きしめてくれる旦那の手や声が温かくてもっと涙が出た。

本当は子供の時に父や母に抱きしめて頭を撫でて欲しかった。

もっと自分を見て欲しかった。

抱きしめてもらった記憶も、撫でてもらった記憶も無い。

私のお腹には新しい命が宿っている。

優しい旦那との子供はとても楽しみだけど正直少し怖い。

私は子供を大事にしてあげられるだろうか。

ちゃんと見てあげられるだろうか、愛情を注いであげられるだろうか。

母や父のように見て見ぬふりをして、子供の事より周囲への体裁ばかり気にする親になったりしないだろうか。

私のような自己肯定感の低い人間に、子育てなんか出来るんだろうかと思うけど、私を信頼して大事にしてくれる旦那の為に頑張る。

今、父の仕事は傾いてきていて、持っている仕事用の土地も祖母の我侭で残していたあの大きな家も売る事になるかもしれないらしい。

父は仕事が上手くいかずうつ病っぽい状態らしく、家で母とは一言も会話をしてないそうだ。

親が心配だと思う反面、できればもう近付きたくないと思う自分もいる。

誘拐から守ってくれた犬

15年くらい昔、家族で盆に車で田舎の祖父の家に向かった。

深夜近くに途中の道の駅で、両親と弟がトイレに降りて私は後部座席でウトウトしていた。

ガチャっと音がして、後部のトランクドアが開いて誰かが私を抱き上げようとした。

その時は父だと思って

「だから、トイレは良いってば!」

と振り払おうとしたが相手は無言で、私を抱き降ろした。

腕の感触や匂いに違和感を感じて目を開けると、見知らぬ男性だった。

大声をあげようとしたが口を塞がれた。

その時、車に乗っていた犬がけたたましく吠えて、男に飛びかかってきた。

2週間くらいの滞在なので、犬も連れて行っており、親がトイレに降りた後こっそりケージから出していた。

小さいヨークシャテリアだったけど、凄い速さで男の腰や足に噛み付き男が悲鳴をあげて私を取り落とすと、男の腕に噛み付いた。

男が腕を振っても噛み付いたまま離れなかった。

私は、もう声をあげる気力もなく、泣きながら固まっていた。

駆け戻ってきた両親が、男から犬を引き離そうとしながら男に謝っていた。

その時やっと声が出て

「この人悪い人!犬は私を守ろうとしたの!」

と言うような事を叫んだ。

後のことは良く覚えてない、母と弟と犬と道の駅の事務所のような部屋で知らないおばさんに野菜カリントウを進められて、困った事しか記憶に無い。

警察の人に、車のそばで写真を撮られた時は、もう男はいなかった。

両親から何度も謝られたけど、この事件のことは家族のタブーみたいになっていてあれが誘拐だったのか、なんだったのか未だに良く分からない。

両親は鍵をかけて行ったはずなのに、何でトランクドアが開いたのかも謎。

–後日投稿–

犬は、一本歯が抜けてたけど元気だった。

去年18歳で天寿を全うした。

普段は誰にも吠えなくて、よちよち歩きの弟がしっぽを引っ張っても上に乗っかっても黙って我慢してる優しい大人しい犬だった。

 

手芸品を盗むトメ

ウトはいない。

トメは構って+察してBBAにイヤゲモノ攻撃してくる。

例えば義弟家族や私達家族の旅行に「連れてって」と喚いては息子達に〆られたり、悪気ないと言いつつ私の前でだけ毒吐いたりしてくる。

そんな糞トメに、私が裁縫にハマっているとバレてしまい、家に置いてあった作品を数点盗られてしまった。

旦那にも伝えたけどその瞬間も見てなかったから証拠もなくトメに追求出来なかった。

でもある日、義弟から

「母さんが手芸始めたみたいでやたらと凝ったもの持ってるけど、これ私さんのじゃない?」

とトメが私の作品を持ってニコニコした顔をしてる写メ付きの連絡が来た。

すぐ義弟に

「そうです!これなくなったと思ってたのに!」

と伝えると、

「他にも何個かあったけどやっぱりかー」

と返ってきた。

トメは手先が不器用で裁縫なんて絶対出来ないらしく、すぐに怪しいと思って撮りたくもない写真を撮ってくれたらしい。

義弟が

「友達にも褒められてね~♪色々頼まれちゃったわ~」

と言ってたから気をつけて、今BBAいないんだけどとりあえずこっち来る?と言ってくれたけど、身内がいくら〆ても性格が直らないのを全員知ってるので、話し合った結果しばらく泳がせてDQN返しすることにした。

ちなみに旦那からは物凄い勢いで謝られて、買うのを躊躇っていた高い布を買ってもらったw

とりあえずトメが確実に盗むだろう、「義弟さんがトメから聞いたトメ友人から頼まれた作品」を作っておき、これまた盗りやすそうな場所に置いておいた。

そして自然な感じにトメを家に招待し、着信音と同じ音に設定したアラームを鳴らし電話を取るフリをして最適な環境を作ってあげた。

10分ほどで戻ると、トメは

「用事あるからもう帰るわ~」

と言い帰宅。

もちろん作品はなくなってた。

その週末、義弟から連絡が来たので何食わぬ顔をして義実家へ行くと修羅場真っ只中だった。(旦那は出張でいなかった)

私の作品が床に並び、それを囲うようにして座るトメとトメ友人達。

泣きそうになっているトメが

「いや、これは違うのよ…。」

と必死に弁明していた。

笑いをこらえつつ、

「どっどうしたんですか!トメさん!!」

と駆け寄ると、トメ友人から

「あなた嫁子さん!?これあなたが作ったもの!?」

と詰め寄られた。

「はい、そうですけど…。えっ?あれ?なんで?」

と戸惑うフリをする私に、トメは得意の察してアピールをしてきてたけど、鈍感なのでいつもの如くそれに気付いてあげられなかった…。

トメ友人Aによると、トメから

「頼まれてたの出来たわよ~」

と呼び出され集まってたんだけど、作品についてたタグが「madebyyomeko」となってたので、どういうことかとトメに聞いていたところに偶然嫁子さんが来た、と。

私がどう答えようか悩んでいると、これまた偶然お茶を持ってきた義弟+義弟嫁が

「あれ!?これ嫁子さんがなくしたって言ってたやつじゃないですか!」

と叫ぶ。

それにトメが
「いやっ、これは違うの!」

と返してしまい、

「母さん盗んだの!?え、まじで?」

と混乱しだす義弟、

「うそですよね、お義母さん…」

と混乱する義弟嫁。

ものすごい空気のなか、

「お義母さんひどいです…。もしかしてなくなってたと思ってたけど、あれも!?」

とうっかり余罪をバラす私、それにより前回見せられた作品も盗品だと知り

「トメさん、あなた最低ね」

とその場を去るトメ友人達、

「こんな人ともう一緒に住めない!」

とここぞとばかりに別居しようとする義弟嫁w

ぐちゃぐちゃのまま、

「金輪際うちに関わるな。」

と告げて、盗まれたものを引き上げ帰宅した。

旦那に電話で経緯を話すと、ひと通り爆笑して

「あんなんでごめんな。ほんとごめん」

と謝られた。

義弟家族が別居して無事一段落したので記念カキコ。

 

実は健気で頑張る子

旦那には腹違いの13才下の弟がいてこれが中学でグレちゃって途中から通学しなくなって当然高校も行かずフリーター化。

19才で16才の彼女妊娠させちゃってデキ婚。

ちなみに当時私&旦那は32才で義弟嫁の母親は35才と聞いて焦った。

この義弟嫁が金髪で格好も「今時のDQN少女」って感じで話しかけてもムスッとして「うん」とか「別に」とか程度で会話も成り立たず旦那も義弟と確執があって嫁同士といっても全然交流もなかった…

んだけど、去年の末に義父が病気になり、義弟と話す機会が増えて和解。

義父が亡くなった後、義弟がうちに頻繁に遊びに来るようになった。

その時の話の流れで、DQNでどうしようもないと思ってた義弟嫁が実は健気で頑張る子だと知った。

朝5時出勤の義弟のために4時に起きてお弁当つくって、4時半に義弟を起こして送り出した後夜はどれだけ遅くても子どもにご飯食べさせて寝かしつけた後、自分はご飯食べずに待っていて必ず

「おかえりなさい。今日もお疲れ様」

といって出迎えて一緒にご飯食べるとか。

父親に殴られたりタバコ押し付けられたり髪焼かれたり虐待されて育ったので

「普通の家庭」

に対する憧れが強くどうすれば子どもにとって良い家庭になるのか、義弟に何度も相談して自分は良い母だろうか、良い妻だろうかと苦悩してたり、
私に対しても話しかけられても何と答えて良いのかわからない、嫌われてそうで怖いけどお姉さんなんだし仲良くしたいと相談していたり、
なんというか、人生経験少なくて色々歪んで育ったなりに頑張ってる姿が見えてきた。

じゃあ今度嫁も連れておいでよ、一緒に話しようよ、といったら義弟が嬉しそうに

「はい」

って返事してそれ以後、月に2度ほど家族同士で交流するようになって最近は義弟嫁から育児の事で相談をうけたりこの前食べたご飯が美味しかったので家で義弟につくってあげたいからと料理のレシピを聞いてくれる程度には仲良くなれた。

うちみたいに親子くらい年が離れていると、お互いに「嫁としての確執」が案外なくなるもんなのかも。

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