感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【7】
障害者っぽい男の子のお客さん
今日、ツ○ヤでいつものように働いていたところ、見るからに障害者っぽい男の子がお客さんとして来店しました。
接客は私がしたのですが、その子の放つ笑顔がとても素敵で、ほんとに素敵で、
接客中なのにも関わらず、最後の方は涙声になってしまいました。
私には、12歳の弟がいます。先天的な染色体異常により、知能障害が出、いまだ言葉を話す知能はありません。
実家に帰省した時、二人で一緒に散歩に出かけたりしますが、世間は弟を人として見ていないことも分かってるし、
その視線を痛いなどと思ったことは一度も、微塵にも思ったことはございません。
でも、障害者の知り合いの家族からは必ずしも幸せな話ばかりは聞こえてきません。
ダウン症だと分かって離婚、などザラでかわいいくらいの話です。
きれい事だけで育てていけるほど甘くないというのは重々理解できます。
私は兄ですが、親としてみれば私の想像できないくらいの努力とか、愛情が必要です。
私の母は元気で活発な性格なのですが、人づてで、弟と一緒に死ぬことも考えたとも聞きました。
今日出会った男の子の笑顔、素敵でした。
きっと、家族に心から、愛されているのでしょう。
彼が今の家族の下に生まれてよかった。彼が心から愛されてて本当によかった。
その家族の努力と、そして愛情の大きさがとても心に染みて、泣けました。
今でも、父と弟の話をした時のこと思い出します。
弟は、というより障害者は基本的に長く生きながらえることができません。
父は、
「父さんらと死ぬ時はそう大きく違わないだろう。その程度しかこの子は生きられないんだ。
おまえらに迷惑かけずに済む。世の中ってほんとうまくできてるよなあ。」
と少し笑いました。その顔がとても哀しくて、悔しくて。
父は私ら兄弟に迷惑かけたくないと思っているのでしょうが…
そんなこと思わないで欲しい。そもそも迷惑だなんて思わない。だって家族だろ?
あんたらの愛も相当なモンだとは思うが、俺らだってそんなに負けてる気はしないぜ?
弟に、胸張れる背中見せたくて、来年、一度きりの法科大学院試験(弁護士になるための入学試験)受けます。
願わくば…今日の世界が昨日の世界よりも少しだけ幸せでありますように。
そして明日の世界が今日の世界よりも少しだけ幸せでありますように。
元気な母だった
昨日4時22分に母が亡くなった
風邪一つ引かない元気な母だった。
僕が幼稚園に入るころもう父はいなかった。
借金作って逃げたらしい。
朝は4時に起きて俺らの弁当作って6時から17時まで弁当屋でパート。
帰ってきたら晩飯作ってすぐに出て行って11時までパチンコ屋で掃除のバイト。
休むのは月に3回あればいいほう。
そうやって僕と妹は育てられた。
反抗期なんてほぼ無かった。
あんなに頑張る母親を見て反抗なんてできるはず無かった。
いや・・・一度だけあった。
クリスマスの2,3日前ゲームボーイが欲しいとねだった。
友達がみんなゲームを持っていたのに自分だけ持ってないと苛められると。
何故あんな嘘をついたのだろう・・・。
母は「ごめんね・・・」と顔をくしゃくしゃにして泣いた。
僕も何故か悲しくなって家族3人でボロボロ泣いた。
その日は3人とも同じ布団で抱き合って寝た。
クリスマスの日の夕食はおでんとケーキだった。
母親は子供のようにはしゃぎ、歌い、最後に「はい」とプレゼントを渡した。
古いゲームソフトだけを買ってきた。
「これだけじゃできないんだよ」と言おうとしたけどうれしそうな母の顔を見ていえなかった。
あれから20年、兄妹そろって大学まで出してくれた。
俺も妹ももう就職したしこれからは楽させてあげるから仕事やめなよ。っていったのに。
働いてなきゃボケるって・・・そんな年じゃないだろう。
どっか3人で旅行にいこうよっていってたのに。
妹の結婚式みるまでは死ねないっていってたのに。
なんで末期癌になるまで働くんだよ・・・。
何度も病院いこうって言ったじゃないか。
先生もいってた「あんなに我慢強い人見たこと無い」って。
看護婦さんに「迷惑かけてごめんね」ばっかり言ってたんだってな。
いっつも人のことばっかり気にして・・・。
震える手で書いた枕もとの手紙・・・読んだよ
「耕ちゃんへ
小さいころはいつもお手伝いありがとう
あなたはわがままをひとつも言わないやさしい子でした
妹の面倒も沢山見てくれてありがとう
あなたが生まれてきてくれてほんとうにうれしかったよ
あなたのお嫁さんを見たかった
梓へ
女の子なのにおしゃれをさせてあげられなくてごめんね
いつも帰ったら「ぎゅっとして」といってくるあなたに何度私は救われたかわかりません
あなたはあなたを愛する人を見つけなさい
そしてその人のために生きなさい
死は誰にでも訪れるものです。
悲しまないで
あなたがもし辛いことがあったらいつでもあなたの枕元に立ちますよ なんてね
あなた達の母親で良かった
また生まれ変わってもあなた達の母親でありたい。
それが私の唯一つの願いです
体に気をつけて。
寒いからあたたかかくして。
それから・・・それから・・・きりが無いからやめとくね
たくさんたくさんありがとう」
お母さん・・・手紙涙でにじんでボロボロだったよ。
だから紙を買ってきてくれっていってたんだね。
お母さん・・・ありがとう・・・ありがとう・・・ありがとう・・・
まだ遊んでるよ。
プレゼントしてくれたスーパーマリオランド
隣の席の男性が突然死
会社で、私の隣の席の男性が突然死してしまった。
金曜日お酒飲んで、電車で気分悪くなって、途中下車して
駅のベンチで座ったまま亡くなってしまった。
死因はスカッシュをやって亡くなった宮様と同じもの。享年55歳。
でもみんな、分かっていた。この人仕事のし過ぎで亡くなったんだって。
私はそのとき祖母の納骨で地方にいた。お通夜は出れなかったが、
その日のうちに東京戻って、翌日は休みの予定だったけど、会社行った。
上司に言われて花を買いに行った。
「社員の人が亡くなったので、机に飾るお花にしてください」
花屋さんで、泣いた。こんなことは初めてだった。
綺麗だがとても香りの強い花で、今でも私はその香りを嗅ぐと涙が出る。
亡くなった時に持っていたカバンには、家で仕事をするための膨大な資料、
会社のPCにはやりかけの仕事が山のように入っていた。
とりあえず私を含めた三人で割ったが、それでも追いつかない。
仕事の中にはとても単純だけど、時間のかかる作業とかいっぱいあった。
何度か言ったことはある。やることあったら言ってくださいね、と。
その人は穏やかに笑って、じゃあ考えておくね、と。いつもこの繰り返し。
膨大なデータを集計しながらまた涙。
なんでもっと強く言って、仕事をぶん取らなかったんだろう。
私がこうした単純作業だけでも引き受けていたら、
この人は死なずに済んだじゃないだろうかと後悔ばかり。
そんな中、その人の家族が荷物を引き取りに来た。
小柄で華奢な奥さんと、真面目そうな女子大生。一人一人に丁寧に挨拶。
私の番になった。奥さん、私の名札を見て小さく笑う。
「何度か主人から聞いていました。職場にとても真面目で優秀な女性がいて、
いつも仕事ないですか、何でも言ってくださいね、って言ってくれるんだ、って。
あなたのことですね。主人はとても感謝していましたよ」
会社だし、他の部の人もいるし、とかそんなこと関係なく泣き崩れた。
ありがとう。私のことそんな風に思ってくれてありがとうって思った。
早いものでもう来月は三回忌。
私はそのとき以来、部員の仕事量も観察して、一人の負担にならないように
自分に出来る仕事はぶん取ったりすることもある。
この間、亡くなった男性の仕事を引き継いだ男性から言われた。
「もしあなたがいなかったら、俺は仕事に追い詰められて死んでたかもしれない。
笑い話じゃなく、本当に。だから、ありがとう」
その言葉で、やっと救われたと思った。
ちょうどこの時期「椿山課長の七日間」という本を読んでいて、
椿山課長と男性が被ってしまい、電車の中で泣きながら本を読んだことが
あります…。
腫瘍が見つかってからたったの半年
去年のはじめ主人が死んだ。大腸がんだった。
2人の娘を残して逝ってしまった。
腫瘍が見つかってからたったの半年しか生きられなかった。
まだ36歳。これからだって言うのに。
余命を告げられてからも元気な日は子供たちとたくさん外に出た。
働き虫で子供と接するのが苦手だった彼だが、
会社をやめてからはずっと子供と過ごしてくれた。
秋に北海道旅行もした。写真やビデオもたくさんとった。
しかし冬になって見る見る弱っていった。
入院を余儀なくされたが、病室のベッドで子供たちと絵を描いたり、
絵本を読んでやったり、プリキュアごっこをしてくれた。
子供たちはまだ幼稚園児だったが、
父親が死んでいくということに気づいていたようだ。
その証拠に「パパはもうすぐ天国に行くんでしょ?」
ってあどけなく言っていた。
「パパ痛い痛いの?○○がさすってあげる」
「パパの痛いのどうやったら飛んでいくのかなあ」
幼い手で父親のお腹なでながら困った顔をしている娘たちをみて苦笑いしていた。
「パパ大好き。ずーっと大好き。天国に行ってもずーーっと大好きなんだから」
と突然子供たちに抱きつかれ、へらへら笑いながら泣いていた。
子供たちは幼稚園が終わるとすぐに病院に行って夜まですごした。
毎日毎日話をして楽しく過ごした。
意識が無くなる前彼は言った。
「ゴメンな。でも、子供がこんなに愛しいってこと気づけてうれしいんだ」
そう。彼は幸せに死んでいった。
彼が幸せなら、遺された者も幸せ。
1年たってやっとなんとなくそんな風に思えるようになった。
君が結婚すると聞きました
君が結婚すると聞きました。心から祝福します。
君が告白してくれた時俺は死ぬ気力もありませんでした。
両親にも紹介したカノが俺の長期出張中に入籍したと聞いた時は耳を疑いました。
何の前触れもなく。しかも人伝で。腹が立ちました。でも女の心変わりは
当たり前。俺はありったけの意地をかき集めて
最後にゴメンと言ってもらって円満に決着しようと思いました。
お土産を持って会いに行った時に元カノは俺がプレゼントしたスカーフを巻いてました。
そして俺の顔をみるなり、これも俺のプレゼントでしたが、バッグから携帯を
取り出して警察を呼びました。どうやらストーカーらしいです。
嗤うしかありません。
ガキの頃から良い恋愛しかしてこなかった俺が最も信頼したのは醜悪な
人間でした。100%俺が悪いと罵り続ける元カノに出会って俺はぶっ壊れました。
後日別の決着にしました。
プレゼントを回収する惨めな男がいると聞いたことがあったけど、何のことはない俺でした。
手放す惜しさを主張する元カノに全部売らせて振り込ませました。
人格障害者と罵られました。はは、その通り。お似合いだったね。
女なんて二度と信じられないと思いました。俺は間違えていたと思うと
飯が食えなくなりました。そんな時に告白されたので一度は適当な理由を
つけて断りました。でも誰かに聞いて欲しかったのかな、俺の事を
心配する君につい元カノに何が壊されたのかを教えてしまいました。
前代未聞の20ページの手紙www君からの返事は一言でした。
私を傷つけてもいいからリハビリとして2ヶ月付き合いなさい。
7歳年下の君に命令されて君に賭けてみようと思いました。
最高に心地よくて胸糞悪い時間でした。
常に俺を気遣い優しくしてくれる君。そんな君をどうせ裏切るに決まっていると
疑う俺。最後に君が作ってくれた料理はとても美味しかった。
飯が食えない俺のために色々考えてくれたんだよね。食べて一分後に
トイレでリバースしている俺は化け物だと思いました。でも君は悲しむどころか
ひたすら俺を心配しました。君を解放しなければ、と気持ちを決めた瞬間でした。
お別れを告げても君は俺を詰るところか俺を心配してばかり。
いつもいい笑顔の君の泣き顔は忘れられません。
あれから3年たって時々まともな食事もできるせいか体重7キロ戻りました。
あと5キロで標準体重になれそうです。社内では相変わらず悩みがなさそうで羨ましい
といわれます。これからもそうでしょう。凄く優しいと言われて女性にモテたりします。
そりゃそうでしょうね。女を全く信じていないから様子がよく見えるし、
無責任に耳障りのいい事しかいわないから。
今夜は久しぶりにゆっくり眠ることができそうです。いや逆に嬉しさゆえに寝付けないかもw
君は幸せになるべき人間です。心から君の結婚を祝福します。おめでとう。
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