『彼の人生が残り少ない事』など短編5話【9】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『彼の人生が残り少ない事』など短編5話【9】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【9】

 

 

自作のお弁当

小学校高学年のとき、優等生だった。

勉強もスポーツもできたし、児童会とか何かの代表はいつも役がまわってきた。たしかに、よくいえば利発な子供だったと思う。
もう一人のできる男子と二人で、担任には愛され贔屓されていた。

でもそれをいいことに、みんなが私たちに面倒や責任を押しつける雰囲気もできていて、やだなあと思いつつ空気読んでこなす日々だった。

そんなある日、自作のお弁当を作ってきて、皆の投票で優勝を決めようみたいな会が開かれた。

『どうせ皆親に手伝ってもらうのにくだらない』

と内心思いつつ、私はあえて適当な弁当を考案した。
ハンバーグと冷凍ポテトとなにか、みたいな。
制作時間も短めで済む内容。

優勝なんてどうでもよかった。

当日、親が全面的に支援したであろう皆の弁当はそれぞれに美味しそうで、はっきり言って大差はない内容だったと思う。

私は、Mちゃんの彩りや栄養がきちんとしていて、弁当にふさわしく手早く作っているお弁当に投票した。

結果は、優勝と準優勝は大差で、私ともう一人の優等生の二人。

本当に大差なかったのに。

結局みんないつもの通り、『優等生を祭りあげておけばいい』っていうことだったんだろう。

Mちゃんの弁当は、たいした順位じゃなかった。

でも、私は知っていた。
目だたないけどいつもニコニコして、優しいMちゃんの家は、父子家庭だということを。

彼女のすてきなお弁当は、お姉ちゃんと一緒に日々家事をこなしている、本当に彼女自身が文字通り自作した弁当だってことを。

皆バカだ
担任もバカだ
なんでわからないのか

と無性に悔しかった。

グループが違うので普段はあまり話さなかったけど、そのときはMちゃんに
『Mちゃんのお弁当に投票したんだよ』と伝えた。

『ありがとう』と笑ってくれた。

それからしばらくした運動会の日、離婚したMちゃんのお母さんを見た。
保育園時代にはよく会っていたからすぐわかった。

お母さんは父兄席からずっと離れた校庭のすみに佇んで、一生懸命娘の姿を探していた。
仕事の合間に駆けつけたんだろう様子で、自転車のカゴにお弁当はなかった。

なぜか今でもその光景は目に焼きついて離れない。

 

 

彼の人生が残り少ない事

2年前、父を癌で亡くしました

癌が発覚したのはその3年前。
カゼが治らないと病院に通い、それでも治らず精密検査をしたら肺癌が見つかりました。
しかもリンパにも転移していました。

この時から父を含め私達家族は彼の人生が残り少ない事を少しずつ覚悟していたと思います。

リンパに転移がある以上、もう癌を切っても意味がないので抗ガン剤治療です。 副作用で味覚は変わってしまって美味しいものを美味しいと食べれない生活でした。
でもその中で私達家族も父も精一杯幸せに過ごす事を一番に考えてたくさん笑いました。
笑う事で少しでも回復すると信じてた。

けど現実はそんな事なくて、 ある時から食べれてたのが食べれなくなり、ずっと嘔吐を繰返し、ついには痩せ細って倒れてしまった。
私は内臓に癌が転移したのかと心配していたけどそうじゃなくて、

転移は脳でした。

父は脳に転移した事で日常生活もままならず、記憶力も日に日に落ちていった。 賢くて、頼りになって、困ったら何でも治してくれた父が子どものようになってしまいました。

病はゆっくり父を蝕んで、脳に転移が発覚した一年後、父は静かに息を引きとりました。

病気が発覚してから父とお別れするまで私達には3年月日がありました。

事故などで大切な人と突然お別れした方々の事を思うと父と向きあう時間をしっかり作れたのは幸せな事で、 父自身も脳への転移で闘病で苦しんだ事も、死への恐怖も最後は分からず精神的に辛かった方々を思えば幸せだったと思います。

だけど、 やっぱり、 最初の病院でもっと早く癌を疑ってくれたら 嘔吐が繰り返された時にもっと早く脳への転移を疑っていたらと 後悔すればキリがありません。

最後にお父さんとちゃんと話したのはいつだったかな。
どんな話をしたのかな。

最後のお父さんの言葉、ちゃんと聞きたかったな。
色々大切な事 言葉にして話したかったな。

お父さん 大切にしてくれてありがとう。
いつも助けてくれてありがとう。
お母さんが反対した結婚に賛成してくれて祝福してくれてありがとう。
彼が挨拶に来た時泣いてたよね?
孫の事もとても可愛がってくれてありがとう。
これからも大切に育ててもらった分、 お父さんが一緒にいれなかった分、 お母さんを大切にして、 家族を大切にして、 周りを大切にして、 私は一生懸命生きるから見守ってね。

 

湿布はもう必要無いよ

私のばあちゃんは、何時もたくさん湿布をくれた。
しかも肌色のちょっと高いヤツ。

中学生だった私はそれをよく思っていなかった。

私は足に小さな障害があった。
けれど日常生活に支障は無くて、少し皆より運動能力が劣る程度のもの。

確かに湿布はあると助かるけれど、そんなに無くても困らない。
そんなに湿布を買うくらいなら別のものを買ってくれたっていいのにって思っていた。

受験生の時。

誕生日に半年ぶりにあった婆ちゃんから誕生日プレゼントを貰った。

それは沢山の湿布だった。
湿布が7、8枚入った袋を何十個もビニール紐で縛ったやつだった。

「もう運動することも無いんだし、湿布はもう必要無いよ。」

私は、ばあちゃんにそう言って湿布を受け取らなかった。
ばあちゃんは少し寂しそうな顔をして「そうかね」といって、お小遣いをくれた。

更に半年後ばあちゃんは死んだ。

私は受験だからと言ってばあちゃんに会いにいかなかったから、誕生日の時にあったのが最後になった。

葬式の最中も特に何も感じなかった。

暫くして、ばあちゃんのことも落ち着いた頃、私は軽い気持ちでそれを母へ話した。
すると、母が泣き崩れた。
私は何故母が泣くのか分からなくて、理由を聞いた。

「ばあちゃんね、癌があったのよ。」

ばあちゃんは私が小学生の頃に癌が見つかっていた。
ばあちゃんは私がショックを受けるのを嫌がって、私には言わないように言ったらしい。

ばあちゃんは抗生剤があまり体に合わなくて、しょっちゅう発作を起こしていたらしい。
体も酷く痛むから、医者からは毎回大量の湿布を処方して貰っていたそうだ。

でも、ばあちゃんはその湿布を使うことは無かった。

…その湿布の全てを私にくれていたから。

その時、私は初めて声を上げて泣いた。

ばあちゃん、あの時ばあちゃんの愛に気付けなくてごめんなさい。

受験にかっこつけてばあちゃんを避けていた私はとんでもない大馬鹿野郎です。

どうかもう一度会えるのなら、ばあちゃんと話がしたいです。

今度は私から、山程の湿布と、愛を贈らせてください。

お願いします。

 

 

アナフィラキシーショック

あれは何年も前、僕が年長さんの時でした。

僕は生まれた時から重度のアレルギーがあり、何回も生死の間?をさまよってきました。

アレルギーの発作のことをアナフィラキシーショックというのですが、それを年長の時に体験しました。

その時のことについて書きます。

幼稚園の年長さんの時、お腹が空いていた僕は、テーブルの上に置かれていた卵入り炒飯を食べてしまいました。

すると、十分後くらいに息苦しくなってきて、呼吸困難になりました。

そしてあれよあれよという間に、僕は意識を失ってしまったのです。

その時の事は今でもはっきりと覚えています。

本当に死なせて欲しい、そう思うほど苦しかったです。

でも、病院のベッドの上で聞いた話によると、あれから三日が経っていたこと、その間お医者さんが懸命に治療をして下さっていたこといったような事を聞きました。

それを聞いた時、

「みんなに助けてもらった、この命を大切に生きよう。」

と年長にして感じました。

それからいじめにも遭いましたが、このことを思い出して何とか乗り越えることができました。

最近、命を絶つ方が増えています。

僕はいつも悲しい気持ちで見ています。

もし、あなたが命を絶とうとしているなら、伝えたい言葉があります。

あなたの命は、一人だけのものではなくて、みんなのもの。

中学生の僕が書いたら生意気かもしれませんが。

 

 

なぜ私だけがこんなに苦しまなきゃいけないのか

あなたが天国に足早に旅立って

もう12年ですね。

2歳だった娘、

0歳だった息子ももう中学生です。

あの時からずっと自分を責めてます。

何かできたんじゃないか。

あぁすればまだあなたは生きていたんじゃないかとか。

あなたの家族に

私達なら救えたのに!と言われました。

なぜ私だけがこんなに苦しまなきゃいけないのか。

なぜ私だけがこんなに責められなきゃいけないのか。

ズタボロでしたよ。

追いかけていこうと何度も何度も考えました。

けど子供たちはいつも笑顔で私を必要としてくれました。

無我夢中で過ごしてきた12年。

悲しむことより怒りですね。

可愛い子供たちの成長も見ずに逝きやがって。

入学式、運動会、卒業式

夫婦揃ってる人たちを見た時

子供の体調不良で不安のとき

子育てで悩んだ時

あなたがいてくれたらって

何回、何百回と考えたか。

置いていきやがって。

、、、あほ。

ママが元気でいてくれれば

私はいいです。

と10歳の時に手紙に書いてくれたんだよ。娘が。

子供たちなりにも色々あっただろうよ。

感じただろうよ。言われただろうよ。

けど、何一つ言わず

パパいないけどうちは幸せだよね!って2人して言ってくれるよ。

何度も何度も。

こんな良い子たち残して

なに先走ったのよ。

私はこの子たちを私の人生をかけて

幸せにする。

あなたの分も。

だからそちらで精一杯見守るんだぞ。

2人を私に授けてくれて

ありがとう。

私と出会って、私を選んでくれて

ありがとう。

支えきれなくてごめんね。

私がそちらにいったら

まずパンチな。

そのあと抱きしめてね。

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