感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【65】
幼い頃の記憶
祖母が弱ってきて、寝たきりになった時、遊び盛りだった私は見舞いにも行かなかった。
母から、もう何もわからなくなってしまって意識もない、いよいよだと聞かされて、さすがに心苦しく思い顔見せに行くことに。
病室に入ると、やせ細った姿の祖母がいました。
母に「手にぎってあげなさい」といわれ、そっと握ると意識のないはずの祖母が手を強く握り返してきて、目からは涙が・・・
握った手のぬくもりから、幼い頃手をつないでいろいろなところに連れて行ってもらった記憶か蘇って号泣してしまいました。
祖母がなくなったあと、遺品の中からスケッチブックが。
まだ意識のあった頃に病室で書いたと思われるそれには私や、孫たちの絵で埋まっていました。
本当は話しかけてあげたかった
今就職活動中で実家に帰れないんだけど、うちのじいちゃんが突然倒れて入院した。
ばあちゃんは雪かきして転んで脚を骨折してそのまま病院暮らしだ。
雪かきくらい手伝いたかったけど、家が離れていることもあって、祖母もこれくらいの雪なら大丈夫と思ったんだろう。
もう5年も入院暮らししてる。
俺の家は転勤族で、中学三年生までは祖母の町からはずっと離れて生活してた。
小さい頃は分け隔て無く話せたんだけど、もの心ついてくるとなんとなく話すときは親しく話せなかった。
そんなこんなで、今は祖母、祖父は入院ということになった。
祖父は1年前くらいは元気で医者にも100歳まで生きるだろう、なんて言われてたんだけど、夏にバスを待っているときに突然倒れてそのまま検査ってことになった。
診断結果はガンだった。
かなり進行していて、余命もあと2年生きられるかどうかだとも言われた。
だから入院はしないでそのまま実家で静かに最後を迎えることにしてたんだけど、また病状が悪化して、入院生活を送ることになった。
脳にも転移して記憶が、あいまいになってきている。
俺は母親と弟と見舞いに行った。
祖父の状態は良好で、血色もよかった
母親が祖父に話しかけている。
母にとって祖父母は父方の両親なんだけど、よく看護をしてくれてる。
そんな母親を俺は誇りに思ってる。
母親がいつも祖父母に話しかけていて、俺は黙って見守っていることしかできなかった。
本当は大丈夫?とか、がんばって!と話しかけてあげたかった。
母親がてきぱきとなんでもこなしてしまうから俺の役目は余り無いのかもしれないとも少しではあるが、感じていたのかもしれない。
でもこの見舞いをしたら後、就職が落ち着くまでこの祖父母がいる町に帰って来れないかもしれない。
そう考えたら、とても不安とか焦燥とか寂しさとかが沸いてきて、泣きそうになった。
何か話しかけてあげなきゃなと思って
「おじいちゃん、がんばってね」と声を掛けてあげて、おじいちゃんが微笑んでうなずいたときは、とても温かい気持ちになれた。
就職を早く決めて、はやく会いにいってあげたいと思うよ。
あとちゃんと言葉にしたいと思う。
今度が最後の入院
2年前の8月10日、大好きだったじぃちゃんが亡くなりました。
私は小さい時からよくじぃちゃん家に泊まりに行ってました。泊まりに行くたびにいろんな事を教えてくれました。
本当に優しくてみんなから頼りにされていて絶対にツライと言わない人でした。
じぃちゃんの病名は「肝臓ガン」。
その事は私の親夫婦と叔父夫婦だけにつげられました。
私達孫とじぃちゃんとばぁちゃんは何も知らず3年間は今まで通りの生活をしていたのでした。
しかし、だんだん病気が進行し入退院を繰り返すようになりました。
検査入院だと本人や周りに嘘をついていた叔父夫婦や親夫婦もとても辛かったと思います。
じぃちゃんはお見舞いに行くたびに決まって「いつ帰れるんだ」と聞いていました。
早く帰って仕事がしたいと…そんな体じゃなかったのに…
お腹が妊婦さんのようにふくれあがりご飯が食べれなくなって息も苦しそうで家に帰ってきても寝てるばかりでした。
そして、ツライはずなのに明るく笑うのです。
そして最後の入院。
その時に私達やばぁちゃんに「今度が最後の入院だ」と言う事がしらされました。
実感がわかず、ただ早く病院に行きたいと思いました。
1週間後じぃちゃんは亡くなりました。
じぃちゃんの最後は親戚みんなにみとられ静かに最後までツライと言わず安らかな顔でじぃちゃんらしく亡くなりました。
じぃちゃんの人柄かお葬式にはたくさんの人が来てくれてみんな泣いて悲しんでくれました。
みんなじぃちゃんに感謝していました。
後日、遺品整理をしていると一冊のノートがでてきました。
それはツライ中もうろうとした意識の中で書いたノートでした。
そこには
「もうかんねんした。亡き父母弟が迎えにきた。
もう長くない…(自分が病気なのを)黙っていたのはすべて私を思ってのため、辛かっただろう。
ありがとう。もうあきらめよう。楽しかった。ありがとう…」
と、最後に入院する日に家で書いたらしい…
じぃちゃんは全部わかってたんだ…
だから最後の入院では家に帰りたいって言わなかったんだ。
もっといっぱい喋ればよかった。
もっと優しくすればよかった。
もっと感謝すればよかった。
でも、いつか言ってた「すぐツライと言うのはほんとはツラくないんだよ」って。
その言葉忘れない。
優しい気持ち忘れない。
じぃちゃんみたいにみんなに頼られて誰にでも優しくて明るくてがまん強い人になる。
ありがとう。じぃちゃん…忘れないよ…
祖父が亡くなって1か月
小学5年生になったある日、祖母が親戚の法事で遠く離れた親戚の家に泊まりで行った。
その頃、祖父は病気で入院していた。
祖母は3日間位で帰ってくる予定だったのに、心臓が悪かった為倒れてあっちの病院に入院してしまった。
病状がかなり悪かったらしく、手術をしてしまうはめになり、思ったより入院は長くかかってしまった。
その頃、地元では祖父の容態が急変しそのまま帰らぬ人となってしまった。
祖父が亡くなって1か月後、祖母が退院して地元に帰ってきた。
祖母は、心臓に悪いからと祖父が亡くなった事を知らされてなかった。
仏壇の前に連れて行かれ、始めは何が何だか分からないという感じだったが、
ようやく現実を受け止めたようで、仏壇の前にしゃがみこんで大きな声で泣いていた。
それを陰から見て、私は幼いながらも涙が止まらなかった。
今になっても、その時の光景が頭から離れない。
俺のことが書いてあった
俺はいつも同僚のかおちゃんに言っていたんだ
俺はかおちゃんのことが好きだ
それだけで幸せ
かおちゃんが俺のこと好きにならなくても幸せなんだ
かおちゃんはテレやだから感情をストレートに出さなかったし
遊びに誘ってもてれて断ってた
だから俺はかおちゃんからすかれていないと思っていたんだ
そんなかおちゃんは最近新潟の地震にあってなくなった
かおちゃんの部屋からは日記が発見されて
そこに俺のことが書いてあったらしい
私は○○さん(俺)が好き
恥ずかしくて自分の気持ちうを言葉に出せないけど
○○さんがいることで私は幸せ
って。
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