感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【68】
お父さんを大切に
私の部屋(生まれる前は応接室だった)にずっと母の本棚がある。
母が集めている推理小説とか過去にもらった本とかがたくさん入ってて、私は特に本棚の中を開けてみたり触ったりもしなかった。
数年前、ちょっと捜し物をしていて母の本棚を探っていたら「○○小学校」と書かれた母の母校の小学校の古い文集があるのが目に止まった。
好奇心だけで「どんなくだらないこと書いてたのかな~♪」って読んでみたら他の子(母の同級生)は家族で旅行をして楽しかったとか、遠足でみんなで遊んだ思い出とかを書いているのに対して、
母の作文だけタイトルが「おとうさんの入院」だった。
読むのをためらうタイトルだったけど読んでみると
「私のお父さんが入院しました」
から始まって小学生の子供が書いたとは思えないほどの深刻な内容がそこに・・・
読み終わる頃には涙が止まりませんでした。
おじいちゃん(母の父)は病気で母が高校生の時に亡くなったんだけど、とても苦労したんだなぁと思った。
私は父と仲が悪くケンカばかりしてて母が
「お父さんになんてこと言うの!お父さんを大切にしなさい」
と言うことの意味がその時やっとわかりました。
気づくのが遅かったかもしれないけど、これからも両親を大切にしていきたいと思う。
おとうさんのガンがなおるくすりをください!
6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いておいたから、
早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、
こう書いてあった。
「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください!おねがいします」
夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw
昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と
「ガンがなおるおくすり」
と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って
「ねえ!サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの!早く飲んでみて!」
っていって、夫に薬を飲ませた。
夫が
「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」
と言うと娘が、
「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」
……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が
「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」
と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。
あざと痕
私は生れつき足に大きなあざがあり、それが自分自身でも大嫌いでした。
さらに小学生の頃、不注意からやかんの熱湯をひっくり返してしまい、両足に酷い火傷を負ってしまいました。
それから何年も通院しましたが、火傷の痕は手術をしないと治らない、と医者に言われました。
小学生で全身麻酔が打てないということもあり、痕はそのままにするしかありませんでした。
しかし、それはたやすいことではありませんでした。
直射日光にあててはいけないし、プールや体育の授業の時はもちろん、制服はスカートなので、あざや痕が見えるとからかわれたり、気持ち悪がられました。
好きな人には、気持ちが悪いから付き合えない、好きになられても迷惑だと言われ続けました。
その言葉がショックで、それから学校以外は外にあまり出ませんでした。
おかげで肌は真っ白、余計に不気味に思われていました。
高校になり、地元以外の何も知らない人達と関わるようになりました。
好きな人も出来ました。
あざや痕のことは知らない人でした。
晴れて付き合うことになりましたが、そのことは言えないまま半年が過ぎ、彼がそろそろいいかな…と聞いてきました。
あざや痕が気持ち悪くて見られたら嫌われると思っていたから怖かったのですが、心から愛していたので身を委ねました。
彼は最初に見た時はやはり、はっと息を飲んでいました。
けれど、辛かったでしょ…と優しく撫でてくれました。
もう細胞が死んでいるのか、感覚はまったくないのに、私の名前を呼びながら何度も撫でてくれました。
私は生れつきあったあざのこと、不注意で負った火傷のこと、今までの経験を初めてその時ゆっくり話しました。
最後に「気持ち悪いよね、引くよね…?」と聞くと、彼は『なわけねーだろ!』と笑いながら言ったのです。
そして極めつけに一言、
『生れつきのものなんて俺にもあるぞ!このわがままでどうしようもない性格とかな。そんなの誰にでもあるだろー!』
私はこの時まで誰かに認められることがなかったのです。でも、分かち合えるって素晴らしいと思いました。
愛というのは、空以上に愛しい人を包み込むものだと思いました。
天涯孤独な自分にも
うちの父は何だか変な性格で、全然家庭人じゃない。
家のことなんて全くしない。
子供のようにわがままで、嫌なことがあるとすぐだんまりを決め込む。
私に対しても甘やかしたと思うと、いきなり叱り飛ばしたりとにかく気難しい。
反抗期だった私がなんであんな性格なんだろうね、やってらんないよ~、と母に言ったら
「A子(私)も一人前の年だから…」と母が話し出した。
父の父親は戦争で亡くなった。
父の母はそれが元で精神がおかしくなり、父の姉と父を連れて線路に飛び込んで心中を図った。
助かったのは5~6才の父だけ。
それからは知合い中をたらい回しにされ、いじめられ、大変な少年時代を送ったらしい。
『だから性格がひねくれたんだねぇ(;´Д`)。
でも、何回も流産を重ねた後でA子が生まれた時、
「天涯孤独な自分にも家族が出来た」って泣いたんだよ。
お母さんは所詮、お父さんにとっては他人だけど
A子はあの人にとって、一番の宝物だよ。』
この話を聞いたときは大泣きしてしまった。
「家族を持ったことがないから、どうしていいか分からない」と
母に相談していた父の気持ちを思うと切なくて泣けた。
お父さんに優しくしないとなぁ…
目の不自由な夫婦
私と彼の前を目の不自由な夫婦(二人とも杖の様なものを持っていました。)が歩いていました。
キャストの方が付き添い丁寧に説明をしながら歩いていました。
そしてミッキーに会う部屋に入りその夫婦の方の番になりました。
キャストの方が、「ここがミッキーの耳ですよ~!」
と言うとミッキーがその夫婦の手を持って自分の耳に持っていきました。
夫婦は手をさぐりながらうなずいてとても嬉しそうでした。
ミッキーは他にも、鼻に手を持っていったり、たくさん夫婦を抱きしめてキスをしていました。
そしてドアの所まで夫婦を送りました。
そんな光景を見て、私は泣いてしまいました。
そして泣いている私の所にミッキーが来て頭をなでてくれました。
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