『先生の最後の作品』など短編5話【70】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『先生の最後の作品』など短編5話【70】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【70】

 

 

先生の最後の作品

美術館でバイトをしていた。
その日の仕事は地元の公募展の受け付け作業。
いっしょに一人、審査員の先生も同席してくれる。
その時にいてくれたのは、やさしいおじいちゃん、と言う感じの彫刻の先生。

一緒に並んで座っている私が咳をしていると「手を出しなさい」と言う。
不思議そうに手を出すと、服のポケットから出した缶入りの南天のど飴の小さな缶を振って、私の手のひらに飴を落として「たべなさい」と優しく笑った。
私は風邪気味でその日は何度も咳をし、そのたびに手を出しなさいと言われた。

「大事にしなさい、人間は簡単に死ぬからね」とぽつんと言われ、

「やだー、先生、そんなに簡単に死にませんよー」と笑っていったら

「そうだなぁ、そうだなぁ」と優しく笑った。

半年後、新聞の死亡記事でその先生を見つけた。
その数日後に美術館でバイトをした時、その先生の話になった。
癌だった先生は、告知を受けており、私が飴を貰った頃はすでに自分の死期が近い事を知っていたという事だった。

その半年後、某美術展の地方巡回展があり、私は売店のバイトをする事になった。
開会日の前日、会場の売店の整理の合間に作品を見てきてもいいと責任者にいわれて会場を回った。
とても優しく笑っている女の子の彫刻に喪章がついていた。

審査員出品作。
その先生の最後の作品だった。
優しい笑顔がふいに浮かんで、トイレにかけこんで泣いた。

 

 

おかんみたいなおかんになる

高校の頃とにかくバイトと遊びではしゃぎまくってた。
無免で中型乗って馬鹿だからマッポに捕まったりしてお母さんに迷惑かけまくった。
バイトもキャバクラと他に掛け持ちして学校も公立の普通科で超多忙で通学費だけは自分で払ってた。

そんな中、高2~3までダイエットと忙しさで拒食症になった。
すごいガリガリになって普通の生活が辛くて眠くてイライラがずっとあった。
でもバイトも学校もしっかり行っていたが、毎朝おかんが作るお弁当を全く食べずに家においていったままにした。
ほとんど食事をとらず友達にも家族にも相当心配かけてた時期。
家族との仲に溝ができて、会話がほとんどなかった。

しかしやっぱり人間の本能。
いずれ食欲は出て来て普通の生活が出来るようになり、今ではその反動がきてるw
拒食症の症状も軽くなった頃の高校卒業間際、学校最後のお弁当がある登校日。
久々の朝の会話
「お弁当忘れてるよ。」

その日学校で丁寧に包まれたお弁当ばこを開けた。
母からの手紙が。

あなたがダイエットをする頃から母はお弁当を作らなくなり、悲しいような…楽チンだったような…
一時期は本当にどうなるのか不安で仕方ありませんでした。
たくさん心配かけることをしてくれたあなたですが体だけは健康にね。
いずれあなたにも子供ができて、文句を言いながらお弁当を作る様子を思い浮かべると笑っちゃう。
でもあなたはママの娘。
何があっても大丈夫。
これからも頑張ろうね。

学校で泣いた。友達に自慢しまくったw
泣きながら手紙入ってるよーって。
そのお弁当には私の大好きな母の手作りだし巻き卵焼きが入ってました。
うちのおかんは本当に料理がうますぎて、ピザも生地から手作りで、味噌とかも家で作ってます。
絶品。

今私は19歳。
就職して1人暮らししています。
おかんのお弁当、なんでなんでもっと欲張って食べなかったんだろう。
人生最大の悔い。
今更だけどおかんのお弁当ってどれだけあったかくておいしかったのか思い知らされました。
あの愛情に勝てるものはこの世にないでしょう…
おかんみたいなおかんになることが私の夢です。

 

思い出のスーファミソフト

スーファミの発売日にファミコンが大反対だった父が何故か買ってあげると言い出して父と一緒にデパートに買いにいった。
デパートにはもう人がたくさん並んでいて、ピリピリとしたムードだった。
開店と同時に雪崩れるように、「走らないで下さい!!!」と言う係員の声も聞かずダッシュ。
みんななりふり構わずエスカレーターを猪突猛進。
ハイヒールが片一方落ちていたり、わーわーキャーキャー酷かった。
命からがら?おもちゃ売り場につく。
多分5階だったかな?
ちょっと息がきれてたし心臓もバクバク。
マリオが欲しかったんだけど売り切れてて仕方なく買ったのがエフゼロだった。

でも嬉しかったな。
父が帰りの車の中でドヤ顏だったのと、抱きしめたデパートの袋がなんとなく懐かしい。
グラフィックとか中学生のオレには良くわかってなかったがとにかく「はえぇ~おもしれ~」だった。
遊ぶ時間は1時間だけって約束を何度も破ったっけ。
父と話すのは苦手だし、話も聞きたくないけど、思い出すと良い思い出もあるもんだな。

思い出のスーファミソフトでこんな時間にこんな事思い出すなんて思わなかったよ。
ありがとう。

 

 

ホームシック

今アメリカに留学してるんだけど親から「救援物資」とかいって荷物が届いたんだよ。

好き勝手して留学してるんだし迷惑もかけたくないからそういうのいいからって言ってたんだけどなあ
って思いながら伝票を何気なくみたら、おれんちの住所に入ってる小文字の「r」が1カ所筆記体になってるんだよ。
お、すげーじゃん、筆記体とかかけるんだ、あ、姉が代わりに書いたのか、
それにしても字が母親の字だなとかそのときはちょっとだけ疑問に思ったのよ。

んで次の日に段ボール捨てようと思って外に持って行ったら何かまたその伝票が目についた。
そのときにこの小文字の「r」俺の字に似てるなって思ったんだよ。
それに気づいて、ようやく俺はわかった。
母親は冷蔵庫に貼ってきた俺の家の住所を、そのまんま一字一句間違わずに書き写したんだと。
老眼鏡をかけて、「あー住所ねはいはい」なんて言いながら書いた読みにくい俺の字を、
多分これが「r」だなんてことも知らずに、万が一にも間違わないように注意深くゆっくり写したんだ。

電話で母親に「筆記体かけるの?すげーじゃん」っていったら
「あたりまえじゃない。バカにしないでよ」って笑ってた。
結局伝票ははがして今も捨てられないでいる。
まあただのホームシックなんだろうなw

 

 

くじけない

俺はほんとに馬鹿で、いくら頑張っても頭にものが入らない奴。
おかげで見事に大学受験失敗したときに従兄の嫁さん、当時21歳と話す機会があったんだ。
今ではほんとの姉のように思ってるから、姉とする。

姉「大学失敗したんって?」
俺「うん…」
姉「もっかいチャレンジせんの?」
俺「就職さがすつもり…」
姉「将来したい事とか、なんかないん?」
俺「農業継ぎたい、でも知識もないし、親父は兄貴に継がせるからって教えてもくれんから…」
姉「諦めるんか?」
俺「しかたないやんか!頑張ってもあかんかったんや!」

確か俺、この辺で泣いてた。
もっと酷いことも言った。
でも、男の癖にぐずぐず泣く俺を、姉が抱き締めて撫でてくれた。

最初びっくりして抵抗してたんだけど、姉が一声俺の名前呼んでくれた途端になんかが弾けてしがみついて号泣。
泣きながらでいいから聞きなさい、って姉に言われて
こんな事言われた

姉「やりたい事があるなら、もう一度頑張りなさい。
おじさま(俺の親父)が渋るならお姉ちゃんが一緒に頭下げてあげよ。
それでダメなら、お金もお姉ちゃんと、〇にい(従兄)が助けてあげよ。
その代わり、一生懸命頑張りなさい。
受かるまで何度でも頑張りなさい。
一度ダメでも、また一年頑張れば、その分上乗せで皆よりちょっぴりお得やないの。ね?」

姉さん俺頑張ったよ。
実家継げるんだよ。
俺が挫けなかったのは姉さんのおかげ。

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