3.11の時の武勇伝 – 被災に抗ったスーパーの従業員の武勇伝
初書き込みですがご容赦を。
医者に「出来るだけ他人に話したほうがいい」と言われたのですが、
口に出すと未だに情景がフラッシュバックして震えてしまうので、
文章に起こしてみます。長文、いくつかに分けます。
3.11の際の武勇伝。
当時某食品スーパーに勤めており、当時片思いだった女性も同じ職場に勤めていました。
妙な地響きが聞こえる、と思った瞬間、本震が来ました。
マニュアルには買い物籠をお客様に被らせる、というものがありましたが
真っ先に思いついたのは片思いの彼女の事。
本来なら叩かれる行為なのでしょうが、彼女が担当、その時間いるであろう場所へ
途中転びながらも走って向かいました。
丁度彼女が座り込んでいる天井部分がつり天井となっており
支えているワイヤーもすでに残り1本になっていました。
ああ、このままだと潰されるな、と、
妙に冷静にその光景が目に入っていたのを覚えています。
とっさに彼女の手前まで飛び込むように滑っていき(走るより安定したので)
危ない!と叫ぶつもりなのに呂律も回らず「っぶぁ!w」と妙な鳴き声を上げながら
彼女を抱えて陳列棚が並んでいる隙間に転がり込みました。
それから体感1秒ほどでしょうか。案の定天井が落ちてきて、僕の背中に何かが強打しました。
彼女を抱え込むように庇いました。
恐怖のあまり、目を瞑ってはいましたが、腕の中で叫ぶ彼女を
「大丈夫!大丈夫だから!」と慰めにもならない叫び声をかけていました。
そう言いつつも、内心
(ああ、だめかな。でも好きな人抱えて死ぬならいっかなー)
とか
(俺って判るように身分証は服の中にしまっときたいな)
なんてことを無駄に考えていました。
暫くして、背中のしびれも地震も収まってきた頃、瞑っていた両目を開けました。
店内は真っ暗。というか、天井板らしき残骸に埋もれてしまっていて
光が瞬時に目に入ってきませんでした。
腕の中の彼女はブルブルと震え、右手部分の周辺だけスペースを作り
彼女の頭をなでました。
ただ呻いている彼女の身体に怪我がないか確認したかったのですが
生憎ほぼ動けない状態だったので
「怪我は?痛いところはない?」
と声をかけるので精一杯でした。
声をかけても反応がないことに恐怖を覚え、無理やりにでも確認しようと
動かせる右手で彼女の身体に触れました。
刺さっているようなものも、折れているようなところもなく、ほっとしたとき
「あの、誰ですか?」
と、彼女が声をかけてきました。
「俺だよ。ごめんね、変に身体触って」
「ううん、大丈夫。ありがとう」
ありがとうも何も、僕は結果的には崩れ落ちた天井の下に一緒に入り込んだだけの形だったのですが、彼女は繰り返し感謝の言葉をかけてくれました。
お互い大した怪我はないと確認し、その後は救助を待つことにしました。
長文になりすぎるので割愛しますが、そ近くに誰かいたか、なんてことはまったく覚えていませんでしたのでとにかく声を大きく上げる以外ありませんでしたが、
程なくして同僚たちに救助されました。
その後、背中は打撲程度で済んでよかった!とパートのおばちゃんに怒られ、
津波警戒のために帰宅禁止令が出され、また買い物客が押し寄せる可能性もあり
店を離れられませんでした。
僕は自宅に両親がいないことはメールで確認できていたので安心していましたが、
彼女は、まだ家の方と連絡が取れていませんでした。
1時間ほどたち、解散の流れになったのですが、行く先などありません。
とりあえず彼女とニュースを見ていた時、あの、津波の映像が流れました。
「私家に帰る!」
落ち着かせようとしましたが、彼女は先ほどのパニックを引きずっていたようで
あっという間に錯乱してしまいました。
「判った。俺も行くよ」
と、こっちが折れ、彼女の家を目指していたとき、彼女のケータイにメールが届きました。
『家族は無事、二階に逃げている』
彼女は子供みたいに大声で泣いていました。
ただ、僕は家が流されないか、不安は残っていました。
彼女に聞くと、家には祖母と母親の二人だけが残っているらしく、
祖母の足が悪いために残る判断をしたようです。
家に行くために、崩壊したオフロード状の道を進んでいくと、まだ津波は到達していないようでした。
車から転げるように彼女が飛びだし、それに僕が続きました。
ちょっとした庭石があったので、そこに飛び乗り海を見ると、もうすぐそこまで津波は来ていました。
「2階に上がれ!靴忘れんなよ!」
そんな僕を見ていた彼女のお母さんいわく、波に背中を押されているんじゃないかと見えるようだったと聞きました。
本当にギリギリで階段を駆け上がると、後ろからいろいろなものが悲鳴のような轟音を立てました。
車は流されましたが、なんとかまた生き残れました。
2階の部屋に通されると、彼女のお母さんが泣きながら怒っていました。
「あんたたち!なんで大人しく避難所に行かなかったの!」
「だってぇ…」
そこからは暫く親子ならではのやり取りを。でも、微笑ましい再会ではなく、事態はもっと逼迫していました。
「もうこっから動けねぇなぁ…」
ばーちゃんがぼそっと呟き、ベランダのほうをじっと見ていました。
そうだ。様子だけでも見ておかなきゃ。
そう思い、ベランダに出ました。
そこでようやく自分が土足だったことに気づき、平謝りをするとばーちゃんは「だいじょぶだ。ぜーんぶ掃除しちまうから」と、この事態に動じることなく淡々としていました。
下に止めていた愛車は、もうどこにもありませんでした。
車が流されるほどの激流に、この家が堪えられるのか。先刻考えていた不安がまさしくその瞬間、現実味を帯びていました。
携帯は持っている。情報は入るものの、一番重要な現地の情報が入りませんでした。
津波です。逃げてください!その繰り返しです。
ばーちゃんはカラカラと
「逃げろっておみぇ、出来るもんならさっさとやっとるが」
笑いながらニュースを見ていました。
空が暗くなり、雪がちらついていました。
そんな時間まで、ただずっと部屋で待機していたのですが、ふと外から人の声が聞こえてきました。
ベランダに出てみると、波はおさまり、大海原に家がポツポツと浮かんでいるような、そんな風景が広がっていました。
「おおーい!こっちだー!ここだー!助けてくれー!」
年老いた声が聞こえてきました。はっとして下を見ると、目測20mほど離れた場所にある車の天井部分に、人影が見えました。
「怪我されているんですか!?」
こちらが応えると
「水に濡れてしまった!寒くて一晩持ちそうにない!助けてくれ!」
聞けば、津波に揉まれたものの、たまたま浮かんでいた防砂林の流木にしがみつき、そこに行き着いた、とのことでした。
「ちょっと俺行ってきます。ここに連れて来てもいいですか?」
「波は大丈夫なの?」
「多分。浮いてるものも動いてないし」
服が濡れると後が辛いと思い、彼女の前で気恥ずかしいものの、下着一枚になり助けに向かうことに。
その男性が待っている場所までは障害物も漂流しておらず、帰りのルートを覚えながら向かいました。
見ると、大体70代ほどの人でした。
「迎えに来ました。歩けそうですか?」
「寒くてもう水に入りたくない。おぶってほしい」
大人一人なら、普段なら問題なく背負えるのですが。
足元は腰まで浸かる水。しかも泥も混ざっており覚束ない状態でした。
それでも確かにその男性は全身をガタガタと震えあげており、危険な状態なのは見て取れました。
「分かりました。どうぞ!」
背中で受け止める姿勢を取り、男性を背負いました。が、やはり思った以上にキツイです。
それでも何とか体制を崩すことなく、玄関先までおぶって行くことができました。
何度か足元を掬われるような泥にぬかるみましたが、そこは好きな女性が見ているということもあり、踏ん張ることができました。
階段の濡れていない段まで、彼女と彼女の母がタオルを持って下りてきてくれていました。
濡れた身体を拭いて、男性にも以前亡くなったじーちゃんの服を着させていました。
階段を上がり、部屋でばーちゃんとその男性が顔見知りだという話から救助までは割愛します。全て書いていたら切りがないので。
その晩は、男性女性に別れて寝たものの、夜中こっそ廊下の窓際で彼女と話をしたりしました。
翌日、彼女たちを連れて移動が出来ないか、と考えていました。
しかし、老人を二人とも自分が担ぐことはできません。
男性は前日に濡らした身体が万全ではありませnでしたし、
何より水の引いていて、尚且つ人が救助に来てくれそうな場所が思い当たりませんでした。
結局、大人しく救助を待つことに。
救助が来るまでの間、少し周辺を確認しましたが、あるのは語彙隊
それでも何とか体制を崩すことなく、玄関先までおぶって行くことができました。
何度か足元を掬われるような泥にぬかるみましたが、そこは好きな女性が見ているということもあり、踏ん張ることができました。
階段の濡れていない段まで、彼女と彼女の母がタオルを持って下りてきてくれていました。
濡れた身体を拭いて、男性にも以前亡くなったじーちゃんの服を着させていました。
階段を上がり、部屋でばーちゃんとその男性が顔見知りだという話から救助までは割愛します。全て書いていたら切りがないので。
その晩は、男性女性に別れて寝たものの、夜中こっそ廊下の窓際で彼女と話をしたりしました。
翌日、彼女たちを連れて移動が出来ないか、と考えていました。
しかし、老人を二人とも自分が担ぐことはできません。
男性は前日に濡らした身体が万全ではありませnでしたし、
何より水の引いていて、尚且つ人が救助に来てくれそうな場所が思い当たりませんでした。
結局、大人しく救助を待つことに。
救助が来るまでの間、少し周辺を確認しましたが、あるのはご遺体が数人分と、その人数分以上にあった腕の欠片とか。思い出したくないんで。
それと書き忘れていたので補足を。
彼女の父親は彼女が生まれる直前に交通事故で亡くなっていました。
そこで祖父が住むこの地に引っ越し、3代4人で暮らしていたそうです。
男手がなかったこともあり、片付けにも駆り出されたのは後日談。
そして、誰が話しているか分かりにくく感じたので、
僕:僕
彼女:ちー(ちーちゃんと呼んでいたので)
彼女の母:おば
祖母:ばー
と分けます。
男性は正直、会話らしい会話ができなかったので割愛します。
それでは続けます。
ずっと待っているだけは性に合わず、僕は一階部分の確認を始めました。
後日被害規模を聞いたところ、1階部分の北西の柱が折れていたとのことでした。よくぞ持ちこたえてくれました。あの家を建ててくれた彼女のじーちゃんに感謝します。
水は床上50cmほどの位置。腰より下でしたので、僕自身の家よりは被害は小さく収まっていました。
まず探し始めたのは食料でした。缶詰が床下収納に入っていた、というおばさんの言葉に従い、
床部分の清掃を行い、中を確認すると・・・・・・何もありませんでした。床下は津波でめちゃくちゃになっていたので、何もない、ということはないわけですが。
諦めて冷蔵庫の中を確認しました。中には水が入り込んでおらず、ひっくり返ってはいたものの、いくつか食べられるものが残っていました。
それらを適当な袋に詰め、2階へ持って上がりました。
ここまで書いたのでおわかりだと思いますが、救助が来るまでの食料。
それが僕たちの当面の危機でした。
2,3日飲まず食わずでも人間は命に別状は出ません。しかし、
そこに被災という異常事態が重なると、その苦痛はストレスへと直結します。
ストレスは無駄に体力を使い、マイナス的な考えに陥りやすくなります。
食料は手に入ったとは聞こえがよく、即食べられそうなものは
ハム、梅干し、リンゴジャム、葉唐辛子の佃煮、コップ1杯分ほどの麦茶が入ったペットボトルでした。
飲み物が圧倒的に足りませんでした。
結果として、流されて体力の落ちた男性、彼女のばーちゃんを重点に食料を渡し、
僕は梅干しで食いつなぎました。
これがよかったらしく、梅干しの種を飴玉のようにずっと口の中で遊ばせているだけでも、何とも言えない癒しになっていました。
しかし、このままでは心が折れてしまうのは時間の問題でした。
何よりも年寄りがいる、という状況。布団に横になってはいましたが、明らかに生きる気力が落ちていました。
意を決し、僕は助けを呼びに家を出ることにしました。3.13、朝のことでした。
ずっとこのまま、何の希望もないまま籠っていては、本当に死人が出てしまう。なぜかわかりませんが、そのような予感がありました。
こう書くと創作を疑われるかもしれませんが、被災した直後から1か月ほど、身近に「死」を感じていました。
異常事態であり、すぐ近くにご遺体が点々としていたからでしょうか。自身も天井の下に埋まりましたし。
津波もなく、地震が来ても崩れるものは全て崩れていたのに。
今思えば、それが生存本能だったのでしょう。死の気配に異様に敏感になっていました。
だからでしょう。
僕「ごめん、俺、やっぱり人を呼んでくるよ」
ちー「やめて!一緒にいてよ!大丈夫って言ってたでしょ!?」
僕「その大丈夫を連れて来るんだよ」
確か、このような会話を彼女としたと思います。必死にしがみついてくる彼女の頭を撫でて、ひたすらごめん、と謝りました。
彼女も、「ここで行かせたら死なせてしまうような気がする」と後日話してくれました。やはり、みんな同じように死の気配を感じ取っていたようでした。
しかし、おばさんはきりっとこちらを見据え
おば「お願いできる?ごめんね、あまり(ばーちゃん達も、食料的にも)持ちそうにないから」
僕「移動するのにどれほどかかるか分かりません。避難所に着いたとしても、救助の手が出るまでにどれほど時間がかかるか分かりません。それでも、待ってくれますか?」
おば「任せて。この子(彼女)は納得していないけど、そうするしかないっていうのは分かってるから」
僕「はい。それではよろしくお願いします」
それからすぐに1階部分で持って行けそうなものを調達しました。
水の深い場所で浮くための空ペットボトル。それを入れておく背負い袋(彼女が小学生の頃家庭の授業で作ったらしいです)。
それから偶然見つけた戸棚に入っていたおかき。これは3欠片持って行き、あとは彼女たちに渡しました。
そして男性が乗っていた車の中から、発煙筒を一本。
またその近くにあった別の車に向かい、自分用に発煙筒を、と助手席から覗き込むと、
多分親子だったのでしょう。運転席と後部座席にいらっしゃいました。
彼らの詳しい状況、描写は伏せます。正気を失いそうになりながらも、すみません、お借りします、と手を合わせ、発煙筒を拝借しました。
程なくして準備は整い、寒いから、とばーちゃんが箪笥から亡くなったじーちゃんの上着を渡し、背中をばんっと叩き、ずっとさすってくれました。
僕「ありがとうございます」
ばー「とーちゃん(じーちゃん)が守ってくれる。無茶はすんじゃねぞ?」
ちー「がんばってね・・・」
目に涙を浮かべて、子供みたいにひくつきながらちーちゃんが手を握ってきました。
ここだ、と思い、僕は意を決して彼女をぎゅっと抱きしめ
僕「戻ってきて落ち着いたら君に好きって言いたいんだ。待っててくれる?」
と、今思い返すと背中がうがあああっ!!!と痒くなるようなセリフを吐きました。それでも、何かの希望が欲しくて。そして僅かな吊り橋効果を期待して。それを伝えました。
ちー「・・・うん」上手くいったと思った時、
ばー「私ら邪魔かね」
外野がいることを、本当にすっかり、忘れていました。外野三人、ニヤニヤしていました。多分、僕も向こう側にいたらニヤついていたでしょう。
僕は「行ってきます!」とぎこちない明るさで別れを告げ、ケータイを彼女に渡しました。充電は少ないけど、電源を切っておけば多少はもつ、と。
手の甲に彼女の番号を直接書き込み、
時間を確認。確か、10時2、3分。出発しました。
さて、震災当日は車で移動していたので気づきませんでしたが、避難所までの距離がだいぶありました。
地図は頭に叩き込んだつもりですが、ほぼ当てにはなりません。
追記ですが、僕はこの土地に高校を卒業してから家族で移住。そのまま就職、毎日勤務と、地元のことがほぼ分からない状態でした。
なので、土地勘もなく地図は脳内、大体にして「物理的に」道がどこなのかも分からないところを、ひたすら歩いて行かなくてはいけませんでした。
聞いていた通り、まずは高台にある学校を目指すべきか。と思ったのですが、その小学校はいわゆる分校であり、校庭も小さく救助隊が来るのは後回しになるだろうと考えました。
若いとはいえ体力は温存したい僕は、判断に迷いましたが大きな校庭がある隣の学区の中学校を目指しました。
その近辺には広い範囲にまばらですが住宅地がありましたし、人がいればそれだけ早く来てくれる気がしたので。
膝上までの水の中を歩く、ということがどれほどきついのか。
みなさんもプールなどで経験したことがあると思います。
1時間でいくら進めたのか、今でも思い出せません。
程なくして、町民体育館が見えてきました。以前地域レクリエーションと称した催しの際、中を見ていたのですが、その駐車場の出入り口に「緊急避難所」という看板がありました。
誰かいるかもしれない。もし若い人がいれば、数人で移動したほうが心強いかも、と思い。
体育館に向かいました。
そこも、その時に胸の高さほどまで水がありました。
避難所と書かれていても、水が抜ける前は僕の身長以上の水かさがありました。
「それ」を表す壁を見たのに。
入口が開かないのに。やぶれた壁の隙間から、中を見てしまいました。
角の方に、ごちゃごちゃした何かがありました。
それが十数人分のご遺体だと気付くのに、そんなにかかりませんでした。
恐らく、他人を下敷きにして自分が上に上がろうとしたのでしょうか。それとも、波に遊ばれ角に寄ったのでしょうか。
2階部分から光が差し込み、その中に黒々とした、まさしく死屍累々の山。
ジェットコースターで内臓が浮いたような感覚になり、そのときは、
「ああ、そっか」と呟いて引き返したのですが、その情景が頭から離れない。今も。
本来の目的地に向かいます。
その道すがら、時々人が見えました。
助けないと、という気があったのか。正気を失っていたのか。
恐らくその両方でしょう。
こういう事態なんだな、とふわっと感じていた程度でした。
人の手が水面に出ていたので握ると、人の重さを感じず、肘から根本に向けては何もありませんでした。
別の方はじっとこっちを見ていました。車と流木に身体を潰され、小首を傾げるように。なぜか、「こんにちは。寒いですね」と声をかけていました。
異臭と疲労と「そういうこと」で、頭の中でサッカーボールがバウンドしているような。
そんなガンガンとした頭痛に悩まされながら。
人のご遺体があっても、程なくして無反応になりながら。
みんなのために早く早く、と念仏を唱えるように呟きながら。
******
朝から歩き、夕方頃になってようやく目的地に到着しました。
行きすがら田んぼの用水路に落ちたりしましたが、浮き袋のおかげで溺れずに済みました。
しかし見かけは泥だらけ。下半身などまるでドラクエのマドハンド。分からない方はマドハンドで画像検索してみてください。
近くにいた方に「救助隊はどこに?」と訊くと、「ここにはいない。日が落ちるまで救助に向かうと言っていた」とのこと。
どうやら小さい船で近場から救助しているようでした。
戻ってくるのを待ち、事情を話し、翌朝一番で向かうことになりました。その際、道案内として同船することに。
あの道をまた戻る。それだけだ。
大丈夫、何も起こっていない。みんな元気にしてるはずだ。
そう言い聞かせ、冷たく濡れた身体を温めるため、グラウンドの端でひたすらシャトルランのような往復をゆっくりと繰り返しました。
翌朝。
船とは言っても手漕ぎのボートにエンジンを積んだようなもので、何やら無線でどこかと通信しながら自衛隊員の方がひたすら周辺に気を配っていました。
自衛隊員(以下自)「この辺りに救助が必要な方はいませんでしたか?」
と問われ、
僕「いや、みんな大丈夫そうでした」
自「?いるのですか?」
僕「あ、いや、手遅れなんで」
自「そうですか・・・」
と、そんな会話をしたのは覚えています。
一日かけて歩いた距離を、ボートだとさほど時間をかけずに戻りました。
大声をかけて、助けに戻ったことを家に伝える。
ちーちゃんがベランダに出てきて、大きく手を振ってくれた。
早く、早くと叫んで。
「もう大丈夫」と、昨日より少し水が引いた庭に船を着けて声をかけたのですが、様子が少し変です。
自衛隊員が何かを察したのか、ばたばたと二階に上がっていきます。そのあとをついていくと、男性に何やら声をかけていました。
体調が崩れ、返事をしない、と。
段々と体温が下がって、みんなでさすっていたようでした。
急いで医療員の方が脈を計りましたが、弱いな、と応急処置に入るために部屋から出てほしい、と僕たちを隣の部屋に誘導しました。
僕「こんなことになってるって知っていれば、もう少し早く戻りたかった」
ちー「うん、でも、戻ってきてくれて嬉しかった」
告白したい、と言っていた自分はどこに行ったのか。
まるで人が変わった、と彼女は言っていました。
それでも、絶対戻ってくると信じてくれていました。
すぐに船で男性を避難所まで運び、僕らも別に来た船で後を追いました。
低体温で危ない状態だと、ちーちゃんの手を握りながら隊員の話を聞いていました。
その後、数日してなんとか体調は戻ったものの、一カ月後に亡くなった、と話を聞いた。
もっと早く戻っていれば、と。
体育館なんかに寄らなければ、あるいは、と何度も考えました。
でも、そのたびにちーちゃんの嬉しかったという言葉を反芻し、気持ちを切り替えました。
医者に聞いたところ、恐らく行きの道での出来事はきっかけであり、決定打はここにあったのだろうと仰っていました。
完全なPDSDだと言われ、仕事は休むようにとも言われました。
しかし、スーパーは食料品を扱うライフライン。そう簡単に休むべきではありません。
しかも、その頃にはすでに部門を支えるべき立場にあったので、家族に連絡ができないまま、職場で寝食をしながら家族が来るのを待ちました。
ちーちゃんは避難所からの通い勤め。
夕方になるとバックヤードで話をするのが日課となり、
2カ月後、「遅くなってごめん。約束を果たしたい」と告白をしました。
吊り橋効果かどうかは分かりませんが、彼女はそれを受け止めてくれました。
命の恩人だけどそれだけじゃなく、これからも守ってくれると思ったから、という理由からだそうです。
僕はその後転職し、仕事の関係でその地を離れてしまいました。
時々近所の小中学校に出向き、被災の体験を語る場を頂いたりしていますが、
今でも演台でこの話をすると、情けないことに膝が震え、言葉が詰まってしまいます。
ですが、治療の一環というわけで続けさせていただいています。
今では遠い地で彼女と同棲しています。被災した際に使ってしまった貯金も段々と貯まり、今度プロポーズをしようかと画策しています。
震災後からずっとそばにいてくれるお蔭で、僕もPDSDと付き合いながら、完治に向けて日々頑張れています。
彼女にとっての僕の武勇伝、ということで。
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