母親の泣ける話 – 感動エピソード【11】
母ちゃんもう年だから
今日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
「昔からここ美味しいのよね」って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。
ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、
俺もつられて笑っちまったよ。
しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・。そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。
母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね」と繰り返してた。
「んなもんしゃーねーべ」と言うと、俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。
そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
いつの間にか立場も逆転。
あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。
そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。
俺、立派な社会人になるわ。
おかんの息子でよかった
中学に入り気持ちが荒れはじめ悪い事をたくさんした。
バイク、喧嘩、たばこ、酒、知り合いの兄ちゃんに頼みこんで、入れ墨まで入れていきがっていた。
警察から毎日の様に電話がかかりおかんは頭を下げあやまっていた。
俺はそれを見て何とも感じない程、腐りきっていた。
そんなある日、おかんが病気になり入院した白血病だった。
それから二年後おかんは死んだ。
数年がたち、俺もやっと落ち着いて結婚する事になった。
ささやかだが結婚式も挙げた。
結婚式も終盤をむかえるころ、ばーちゃんが出てきて手紙を読み始めた。
『だいちゃんへ』
と言うタイトルだった。
その手紙は、天国のおかんからだった。
後から分かった話だが、おかんが入院中に書いてくれたのを祖母に預けていたらしい。
俺はボロボロ泣いた。
人前で初めて泣いた。
なぁ、おかん。
本当ありがとう。
俺、おかんの息子でよかった。
成人式
私が19歳のとき、母が末期ガンと診断されました。
もう長くはないと。
入院中、もうすぐ成人式だった私に
「振袖そろそろ見に行かないと」
「お母さん一緒に行けなくてごめんね」
「△△さん(母の親友)と一緒に見に行っておいで?」
など、すごく振袖を気にしていました。
私は正直、こんな状況なので成人式なんてどうでもよく、行く気もありませんでした。
そして、どんどん病状が悪化していくある日、病院から帰ろうとする私に母は
「○○を産んで幸せだったよ。○○、幸せになってね」
と言った。
涙が止まらなかった。
それからしばらくして、親戚が「これを着て病院に行きなさい」と振袖を借りてきてくれました。
美容院で着付け、ヘアセット、メイクをしてもらって病院に行った。
その頃の母は、もうほとんどしゃべれなくて意識も朦朧としていました。
振袖を着た私を見て何度も「可愛い」って言ってくれました
病室の中で撮った家族写真を見たら、母は私の方ばかり見ていました。
その夜、なんとなく嫌な予感がした。
もう会えない気がしたんです。
次の日の朝、家族の見守る中お母さんは逝きました。
お母さん会いたいです。
いっぱいありがとうって言いたいです。
まだまだ一緒にいたかったです。
俺のために
中三の頃、母が死んだ
俺が殺したも同然だった・・・
あの日、俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕飯も食べずに部屋に篭った
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたが、父親が部屋に飛び込んできたので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の親父の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげてくださいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間に外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のために母はアイスを買いに行って事故にあったとわかった
通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんよ
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている
生んでくれてありがとう
俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。
俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」
なんて、真っ先に疑われたっけ。
「貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!」
って悪態ついたときの母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。
どうしてもファミコン欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。
そのかわりに小3の妹にアシックスのジャージを買ってやった。
いままで俺のお下がりを、折って着ていたから。
母には、ハンドクリーム買ってやった。
いっつも手が荒れてたから。
去年俺は結婚したんだけど、結婚式前日に母に大事そうに錆びたハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。
初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。
コメント