子供の泣ける話 – 感動エピソード【2】
1等賞だ
娘千春が逝ってから、もうすぐ1年。
千の春を迎えられる位長生きして欲しいという願いを込めて名をつけたのに、あの子はたった7つの春しか迎えられなかった。
先天性の免疫不全症候群で、生まれてから一度も病室の外に出ることはなかった。
「いつになったらお外へ出れるの?」
悲しそうに呟くあの子の姿が今も目に焼き付いている。
結局、生あるうちにその願いは叶えられないまま終わった。
小さな身体で懸命に、最後まで、生きることを諦めなかった千春。
闘って、闘って、闘い抜いた千春。
とうとう力を使い果たして、眠るように逝った千春。
「よく頑張ったね、えらいぞ、1等賞だ。だからね、もういいからね、おやすみ」
主治医の先生が看取った時に、優しく千春の頭を撫でながらそう言って泣いていた。
私は主人と一緒に泣きながら、そんな先生に何度も何度も頭を下げた。
小さかった千春をもっと小さな一握りの灰と骨にして、海と山に撒きました。
外の世界に焦がれ続けていた千春を、また狭くて暗い墓の下に閉じ込めたくなかったので。
千春、千春、今あなたはどこにいるの?
空? 海? 山? 幸せでいる?
今はまだ、あなたのことを思い出すと涙があふれて止まらないよ。
おかあさんの娘に生まれてくれてありがとうね。
またいつか会おうね。
お花のお弁当
遠足の日。
お昼ご飯の時間になり、担任が子供たちの様子を見回って歩いていた時、向こうの方でとても鮮やかなものが目に入ってきました。
何だろうと思って近づいて行くと、小学校三年生の女の子のお弁当でした。
中を覗いて見ると、お花でびっしりのお弁当箱でした。
実は、その女の子の家庭は、お母さんとお父さんとその女の子の三人の生活でした。
しかし、遠足の数週間前に、お母さんは交通事故で亡くなってしまったのです。
それ以来、お父さんと女の子の生活が始まりました。
お父さんの仕事はタクシーの運転手さん。
一日交代の勤務で、遠足の当日は勤務の日でした。
でも、お父さんは炊飯器でご飯だけは炊いてくれていました。
女の子は一人で起きてご飯を弁当箱につめます。
おかずは自分で作らなければなりません。
家にあるのは梅干とたくわん。
そこで、おかずを作り始めます。
小学三年生の女の子にできたのは、ぐじゃぐじゃの卵焼きだけでした。
そのぐじゃぐじゃの卵焼きを白いご飯に入れたとき、女の子はお母さんが生きていた頃のことを思い出しました。
お母さんが生きていた頃は、とても素敵なお弁当を作ってくれました。
同時に今日もって来るお友達のお弁当箱が気になり始めます。
お母さんが作ってくれる可愛らしい綺麗なお弁当。
そう思って自分のお弁当箱をのぞいた時、真っ白いご飯に黄色のぐじゃぐじゃの卵焼きだけ。
女の子は思わず、お母さんの仏壇の前に行き、仏壇にさしてあったお花をちぎって持ってきました。
自分のお弁当箱に入れ、びっしりとお花で埋め尽くしたお弁当箱を作って持って来ていたのです。
この女の子の担任は、遠足から帰ると大声で泣きました。
この子の生活を十分知っていた自分であったはずなのに、実はしっていたつもりでしかなかった悔しさで、泣き続けたのです。
今までありがとう。
この前、一人娘が嫁に行った。
『目に入れても痛くない』と断言できる一人娘が嫁に行った。
結婚式で
「お父さん、今までありがとう。大好きです」
と言われた。
相手側の親もいたし、嫁の旦那もいた。
何より笑顔で送ってやりたいと思ってた。
だから、俺は泣かなかった。
涙と鼻水を流して笑った。
『我ながら情けない』と思った。
しわくちゃの顔で、俺を見て泣いた娘。
立とうとして転んで泣いた娘。
背中よりもでっかいランドセルを背負って、カメラの画面いっぱいに笑顔を見せた娘。
手が隠れるぐらいの制服に身を包んだ娘。
『お父さんのと一緒に洗わないで』と、嫁に怒鳴った娘。
嫁がこの世を離れたとき、病室の窓ガラスがビリビリというくらい泣いた娘。
三回に一回美味しい料理を作ってくれた娘。
(今は三回が三回とも美味しい。断言する。)
頬を染めて、でも緊張しながら男(現旦那)をつれてきた娘。
『大好きです。』といって、笑い泣きしてる娘。
嫁に似て、笑顔の似合う娘が嫁に行ったよ。
娘のウェディングドレス綺麗だったよ。
若い頃の嫁にそっくりだったよ。
俺も娘も元気にやってるから心配するなよ。
落書き 嫁が長女をこっぴどく叱っている。
私「キョーコがなにかしたのか?」。
嫁「●●(私)のクルマを釘みたいなもんでひっかいとるとよ!」。
私「なんでそんなことしたん?」と聞くが長女は答えない。
気になってクルマを確認しに行った。
懐中電灯に照らされて浮かび上がったそれを見て言葉が詰まった。
覚えたばかりのひらがなで
『おかさん そだてくえて あいがとお いつもくるまにきおつけて』
と書いてある。
自宅付近で死亡事故が続き、子供にも注意していた頃である。
もちろんその‘落書き’を私は今も消していない
優しくしてあげてね 女房が来月3人目を出産するんですけど、そろそろ40歳ということもあり、妊娠当初からとても辛そうでした。
私は自営業の特権というか、時間が自由になるので、家事と上の2人の子供(6歳と3歳)の世話を全部引き受けてました。
加えて出産費用を稼ぐために仕事もフル稼働という生活が半年くらい続いていたんですけど、趣味も酒も全部絶っていたせいか、ストレスが溜まっていたみたい。
今日、些細なことから夫婦喧嘩(何年ぶりだろう?)。
臨月の女房に向かって怒鳴りつけてしまいました。
一人になって反省しようと夕飯の買い物へ出掛け、帰って来たら女房から聞かされました。
6歳の長男が女房に言ったそうです。
「お父さんは、お仕事と、僕たちのお迎えと、お洗濯と、お掃除と、それに美味しいお料理を作ってくれて、とても忙しいんだから、優しくしてあげてね。」
涙を流したなんて何年ぶりだろう。
私も妻に詫び、今日はみんなで
おでんを食べました。
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