泣ける話 短編5話
一通の封筒
以前、免許やらキャッシュカードやらの入った財布を紛失。
心当たりの場所は探したが見つからず、交番に届けを出した。
数日が経ちもう財布は見つからないだろうと諦めていた頃一通の封筒が自宅に届く。
送り主の名前は無い。
何だろうと開けてみると、中によれよれになった財布、カードや免許
そして手紙が同封されていた。
以下手紙の内容。
○○くんへ
小生、釣り好きの老人です。
先日~川で釣りをしていた所、川辺にて財布を発見しました。
中身を確認するとお金は入っておらず、同封した物だけが入っていました。
○○くんが何か事故に遭われたのか、
落としたものを誰かが捨てたのか分かりません。
本来なら警察に届けるべきなのでしょうが、
当人にとって大切な物であると判断した為、勝手ながら送らせて頂きました。
貴重品の自己管理はしっかりされたし、と思っております。
小生のおせっかいが貴方の為になれば、自己満足とさせて頂きます。
釣り好きの一老人より
今でもこの手紙は私の宝です。
「ありがとうはんきゅうでんしゃ」
阪神・淡路大地震のあと、阪急電車の復旧を沿線の人々は待ち望んでいた。うちもその一軒。
夜を徹して行われる作業、騒音や振動をこらえてくださいと、電鉄会社の人が頭を下げに来た。
「何を言ってるんだ?我慢するに決まってるじゃないか。それよりも一刻も早い復旧を。」
うちも含めて、沿線の人々はみなそう言って、電鉄会社の人を励ました。
阪急は国の補助も受けず、少しづつ復旧・部分開業していった。
そして最後に残された西宮北口~夙川間の高架部分の再開によって、
ついに神戸本線は全通した。
再開の日に、もちろん俺も乗りに行った。神戸で逝った友のもとへ行くために。
運転台の後ろは人だかりだった。みな静かに鉄道の再開の喜びをかみ締めているようすだった。
夙川を渡るそのとき、川の土手に近所の幼稚園の園児たちが立ち並んでいるのが目に飛び込んできた。
手書きの横断幕を持って・・・。
「あ り が と う は ん き ゅ う で ん し ゃ」
運転手が普段ならしないはずのそこで敬礼をした。
そして大きく「出発進行!」と声を上げた。
その声は涙声になっていた。俺も泣けた。
ときよ、上越新幹線よ、もまいを待っている人々がいる。
復興のために、そして人と人をつなぐために、よみがえれ、不死鳥のごとく。
ミスター競馬
亡くなった「ミスター競馬」こと野平祐二さんほどやさしい人はいなかった。まったく分けへだてがなかった。
じつは、野平さんのことで、忘れられない思い出がある。昭和61年だから、もう15年も前のことである。
百貨店に勤める友人に頼まれて、千葉県船橋市にある百貨店で、トークショーをすることになった。
トークショーといっても、百貨店の広報部の女性と僕とで、競馬について何かしゃべるという、地味なうえにかなりアバウトな企画だった。
これにまったく人が集まらなかったのである。
無料とはいえ、若造の訳の分からないトークショーに足を運ぶほど奇特な人はいないところにもってきて、8月のものすごく暑い、平日の午後1時である。
たいがいの人は会社にいるか家にいる時間だ。
おまけに、トークショーをやった場所というのが、百貨店の5階にある紳士服売り場の片隅。百貨店のなかでも、ただでさえお客さんの少ない場所なのである。
スタートの午後1時。
30ほどの椅子を並べた会場に、お客さんは誰ひとりいなかった。
とりあえず始めましょう、始めればそのうち声を聞いてお客さんも集まってきますからということになって始めたのだが、5分ほどしてご婦人がひとりお座りになった。
どこかでお見かけしたお顔だが、さてどなたかと、しゃべりながら考えているうちに、男性がひとり会場に入ってきて、そのご婦人の隣に座った。
それでハッと分かった。なんと、野平祐二ご夫妻だったのだ。
あとで伺ったところによると、百貨店へ旅行のチケットを買いに来て、たまたま会場前を通りかかったとのこと。
それからの1時間、野平さんご夫妻は、こちらの話を聞いてくださったのである。お客さんは、ほかには最後までゼロだった。
何を話したのか、ほとんど記憶にない。本職が前に座っているのだから、相当にアガッたのだと思う。
それを見て、野平さんが助け舟を出してくださった。その場面だけはよく覚えている。
こちらに一瞬の間があったとき、タイミングよく「質問してもいいですか?」と手を挙げてくださったのだ。
「どんなことでしょう」
「競馬で儲けるにはどうしたらいいでしょうか」(笑)
「僕の予想を買わないことです」(笑)
「そんなに外れるんですか」
「ものすごく損します」
「それでも競馬をやるのはなぜですか」
「競馬のように、なくても誰も困らないものが、存在できる世の中が平和だと思うからです」
「……」
「先生。この答えでいいでしょうか」
「満点だと思います」
先生、あのお言葉一生忘れません。ご冥福を祈ります 。
近所のたいやき屋
他の話に比べると全然せつなくないんだけど…
私が小学校2年生位の頃、近所においしいたいやき屋があった。
おばあちゃんはそこのたいやきが大好きだったけど、
少し糖尿病の気があるからと、たまーにしか食べなかった。
その年のおばあちゃんの誕生日に、「今日くらいならいいだろう」と思って
学校の帰りにとってあったお小遣いを握りしめてそのたいやき屋に行った。
おばあちゃんよろこんでくれるかなーとうきうきしながら
焼き立てのたいやきを抱えて、家に帰った。
そしたら、既にそこにはたいやきを食べているおばあちゃんと弟が。
同じ事を考えた母親が弟と一緒にたいやきを買いに行ったらしい。
私は先を越された悲しさと、私が買った分までおばあちゃんが食べちゃったら
おばあちゃんが病気になっちゃうーとか一瞬に色々考えて
うわーんと泣き出してしまった。
それを見たおばあちゃんが私が手にたいやきを持ってるのを見て
理解してくて「○ちゃんの分も食べるよ」と笑顔で頭を撫でてくれたけど
今でもたいやきを見るとこの事を思い出してなんだか切ない。
巻き寿司
近所に婆ちゃん一人でやってる食料品店があって、なんか雰囲気が好きで結構通ってたら
いきなり店に品物が無くなった。
婆ちゃんが「驚いた?商売の保証人やってた弟が病気になったからこの店たたむのよー。」
一週間かそこらでチラシ無き在庫セールも終わり、婆ちゃんは店の前で椅子を出して
ボーっとしてた。
そんなある日仕事帰りに寄るとなんかニコニコして掃除しながら「奇特な人がいてね、今度どこそこで
店やるからそこで惣菜作らせてもらえるの。お店の2階が住めるようになっててね、お風呂もトイレも
ついててそこに住めるのよ。」
思わず「おばちゃん良かったねー。」って一緒に喜んだんだけどさ、商売人なら移転した店の場所くらい
教えるわな…
その近辺に行って本気で店を探そうと思ったんだけど、友人に止められた。その方が良いのは
分かっていても、あの巻き寿司がもう一度食べたいよ。
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