泣ける話 短編 全10話
母さん、俺だよ
ある日、叔母さんの家に一本の電話がかかってきた。
「こちら警察の者ですが、お宅の息子さんが事故を起して通行人に怪我をさせてしまいまして、被害者の方から示談で良いとのことで、至急こちらの口座に振り込んでいただきたいのです。ただいま、息子さんに代わりますね…」
叔母さんはすぐに、それが最近流行っているオレオレ詐欺だということに気が付いた。
なぜなら、息子は5年前に事故で亡くなっているからだ。
「母さん、俺だよ。事故起しちゃってさぁ、大変だよ。すぐに示談金振り込んでくれよ」
叔母さんはその声を聞いてハッとした。
死んだ息子の声とそっくりだったからだ。
まるで死んだ息子が蘇り、そこにいるような気がした。
叔母さんは電話を切ることが出来ず、しばらく息子にそっくりなその電話の声に聞き入っていた。
そして再び警察官と名乗る男に代わった。
「そういうわけなので、どうかお母さん、示談金、お願いしますね…」
再び息子と名乗る男に代わった。
「母さん、ゴメンよ、助けてくれ」
そこで叔母さんはやっと真実を話した。
「あのね、私の息子は5年前に死んでるの」
電話の声がパタリと止まった。
気まずい空気が流れた。
しばらくの沈黙の後、電話が切られる前におばさんは言った。
「ちょっと待って、あなたの声、息子とそっくりなの。電話切る前に、もう一言だけ、声を聞かせてもらえないかしら」
しばらくして、電話の主はこう言い、電話を切った。
「母さん」
母のおにぎり
おととしの、秋の話しです。
私が小学校5年の時に家をでて、居場所のわからなかった母に、
祖母の葬式の時、23年振りで、顔をあわせました。
その時、母の家に遊びに行く約束をしました。
その日は、私が料理を作りました。
ハンバーグと肉じゃがと、簡単なサラダです。
2人で食事をして、お酒を飲んで、
はじめはあたりさわりのない話しをしてましたが、
だんだん、「何故いなくなったのか?」という話しになりました。
母はたんたんと話します。
私も、母がつらくならないように、途中、冗談を入れながら、
聞きました。
帰る時、「今日はおかあちゃん、なんも できひんかってごめんな。」と、
言ったので、私は「ほな、残ったごはんで、おにぎり作って」と言いました。
母は、「そんなんで、ええんか」と笑いながら作ってくれました。
帰り、駅からタクシーに乗りました。
今日のことを思い出しているうちに、不覚にも涙がててきました。
運転手さんがびっくりして、「気分悪いんか?」と
聞かはりました。私は、
「いえ、なんか、嬉しくって、泣けてきちゃったんです」と、
泣き笑いしながら、運転手さんに、今日の事を短く話しました。
すると、運転手さんも一緒に泣き出してしまいました。
「よかったな、よかったな」と鼻水まですすってました。
家に持って帰ってきたおにぎりは、冷凍庫にいれて、
元気のない日に、1コづつ、大事に大事に、食べました。
兄と妹のドラクエ3
私には、兄がいました。
3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。
ドラクエ3を兄と一緒にやってました。(見てました。)
勇者が兄で、僧侶が私。遊び人はペットの猫の名前にしました。
バランスの悪い3人パーティ。兄はとっても強かった。
苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。おもしろかった。
たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。
とても、強かったので、大苦戦してました。
ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。
「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」
私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、
なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。
そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。
葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。
お気に入りの服。グローブ。セイントクロス。そして、ドラクエ3。
でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。
だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。
私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。
ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。
そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。
兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。
それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。
その時、初めて私は、泣きました。 ずっとずっと、母の近くで泣きました。
お兄ちゃんが死んじゃった。やっと、実感できました。
今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています。
鴨南蛮そば
一昨年の話。父が血の病気になり、入院しました。
俺は、広告の仕事をしており、自分のマンションにさえ毎日帰れないほどの忙しさで、父の見舞にあまりいけず、母親にばかり迷惑をかけていたのです。
あるとき、母親から仕事先に連絡がありました。
「もう、今夜だから」と言われ、愕然として、仕事をほうって駆けつけました。
父はそのときもう、昏睡状態でした。
手を握り、親父と呼びましたが、返事をしてくれませんでした。
翌朝、父は逝きました。
皆が悲しみに暮れている中、自分だけはしっかりとしようと思い、俺は親戚をとりまとめ、とりあえず通夜と葬式の段取りを始めました。
仕事ではプロデューサーなので、こういうことには慣れている。
通夜だからといってイベントみたいなもんだと、虚勢を張っていたんでしょう。
叔父などに「お前、大丈夫か」と言われても、「慣れてるんだよ」と生意気なことを言った。
とにかく、涙だけは見せるものかと、淡々と葬儀屋との段取りを進めたかった。
通夜には、友人も、前の恋人も来てくれて、それなりに嬉しかった。
だけど、母親と姉は疲弊していたから、俺が泣いたらだめだ、と思って、泣かなかった。
通夜が終わり、実家に帰り、お嫁に行った姉といっぷくしました。
俺は疲れていたので、お風呂に入りました。
ゆっくりつかって、とりあえずまあ、半分終わったし明日は楽だよな、まあ、いいかなんて思って、じっくり暖まり、出たのです。
すると少したって、お蕎麦屋さんがやってきました。どうやら姉が頼んだらしいです。
お蕎麦屋さんが持ってきたのは、もりそば、たぬきうどん、鴨南蛮そばが二つ、の計四人前。
姉は俺の前に鴨南蛮を置きました。
「なにこれ?」俺は聞きました。「お前それでしょ」と姉が言う。
ん? 確かに俺は鴨南蛮好きだけど、出前とるなら、聞いてくれたっていいじゃないか。
「なんだよ、声かけて聞いてくれよ、ひとことぐらい」
「声かけたじゃない! あんたが言ったんだよ、鴨南蛮がいいって」
俺はそんなこと聞いていない。
些細なことで喧嘩になりました。すると、母親が止めに入りました。
父は飲んべえで遊び人でどうしようもなかったんですが、入院してからは当然控えねばなりませんでした。
そんな父の唯一の楽しみは、時々先生の許可を貰って帰ってきたときに、近所のこの蕎麦屋に出前で頼む、「鴨南蛮そば」を食べることだったらしいのです。
思い出しました。
親父は食い意地もはっていて、俺が食べ盛りのガキの頃でも、俺のおかずを奪ってつまみにするほどの大食漢だった。
きっと父は、今も、俺の声を騙って、姉に食べたいものを言ったんでしょう。
「鴨南蛮がいい」って。
姉は母に聞いて、父の為にも「鴨南蛮そば」をとった。だから、二つ重なったんだと。
姉は姉で、やっぱ男同士の親子、好みも似るもんね、と不思議とも思わなかったらしい。
なんだか、それを聞いて、おかしくてしょうがなかった。
親父、相変わらずだな、おい。
母親が言いました。
「お父さん、それが食べたくて食べたくて、しょうがなかったんだよ」
俺はゲラゲラ笑って、じゃあ、親父の分まで食ってやる! と、猛然と食べました。
先生に内緒で食べる、油が浮いた鴨南蛮の、濃いつゆの味。病床の父には、たまらないごちそうだったんだろう。
遊んで遊んで、母親泣かせてた親父が、病床ではしおらしくなって。食べたくて、しょうがなかった。生きたくてしょうがなかったんだ。
俺は、なぜか、嗚咽していました。声をあげて泣いていた。
母親が言いました。
「それでいいんだ、お前が泣かなくて、どうする」と。
最後の挨拶
大学の友人が、訳あって親の援助が受けられなくなり、就職と引っ越しを余技なくされた。
その友人に頼まれ、飼っていた猫の『メイ』をしばらく預かる事に。
しかし、何とメイが妊娠していて、預かった日の晩に出産。
友人に連絡しようにも、彼の携帯は止められていた。
ワンルームで子猫6匹と親猫と暮らすのは凄く辛かったが、ある辺りから苦にならなくなり、むしろ楽しくなっていた。
メイも心を許したのか、俺が眠れば布団の中に子猫を運び一緒に寝ようとしたり、ソファにいれば家族総出で俺の横に。
そのうち、メイの考える事や要望が何となくわかる様になり、さらに絆を深めていった。
しかし、友人の生活も落ち着き、3ヶ月後には別れる事になった。
それから数か月後、急に夜中に目が覚めた。猫の鳴き声で。
眠くて仕方がない俺の布団に、なぜかメイが入ってくる。凄く嬉しそうな声と顔。寝ぼけていたが、
「お、どうしたメイ? 子供達は元気か?」
と撫でていた。が、メイがここに居る訳がない。友人宅までは原付で30分。アパートには入れる隙間もない。
我に帰った頃には、温かさを残して消えていた。目覚めた後も不思議と気持ちが良かった。
さらに数日後、また同じ状態でメイが現れた。しかし今度は何かを求めている感じ。
「どうした?」と聞いても、寂しそうに鳴くだけ。しばらく続くとメイは消えた。
次の日、友人から連絡があり、彼の家で呑む事に。しかしそこにメイの姿はなかった。
「実はちょっと前に家の近くで車にはねられてさ…」
俺は驚かなかったが、ひとつ疑問が残った。あの寂しそうな声。
「どこに埋めた?」
友人は微妙な表情。なぜかその時、俺の目には止めどなく涙が。
「実はまだ埋めてないんだ…」
真冬とは言え死後数日、ベランダに袋詰めにされていたメイは、氷の様に冷たく硬くなっていた。
「周りに埋められる場所がないんだ…」
俺は無視してメイの亡骸を抱え、原付で静かな林にいき埋葬した。
「だから俺の所に来たのか…?」
追いかけてきた友人は後ろで泣いていた。
「ゆっくり休めよ」
最後に挨拶に来てくれた事、最後に頼ってくれた事が、悲しいのに嬉しかった。
なあ、お前と飲むときはいつもここだな
なあ、お前と飲むときはいつも白○屋だな。一番最初、お前と飲んだときからそうだったよな。
俺が貧乏浪人生で、お前が月20万稼ぐフリーターだったとき、
おごってもらったのが白木屋だったな。
「俺は、毎晩こういうところで飲み歩いてるぜ。金が余ってしょーがねーから」
お前はそういって笑ってたっけな。
俺が大学出て入社して初任給22万だったとき、
お前は月30万稼ぐんだって胸を張っていたよな。
「毎晩残業で休みもないけど、金がすごいんだ」
「バイトの後輩どもにこうして奢ってやって、言うこと聞かせるんだ」
「社長の息子も、バイトまとめている俺に頭上がらないんだぜ」
そういうことを目を輝かせて語っていたのも、白○屋だったな。
あれから十年たって今、こうして、たまにお前と飲むときもやっぱり白○屋だ。
ここ何年か、こういう安い居酒屋に行くのはお前と一緒のときだけだ。
別に安い店が悪いというわけじゃないが、ここの酒は色付の汚水みたいなもんだ。
油の悪い、不衛生な料理は、毒を食っているような気がしてならない。
なあ、別に女が居る店でなくたっていい。
もう少し金を出せば、こんな残飯でなくって、本物の酒と食べ物を出す店を
いくらでも知っているはずの年齢じゃないのか、俺たちは?
でも、今のお前を見ると、
お前がポケットから取り出すくしゃくしゃの千円札三枚を見ると、
俺はどうしても「もっといい店行こうぜ」って言えなくなるんだ。
お前が前のバイトクビになったの聞いたよ。お前が体壊したのも知ってたよ。
新しく入ったバイト先で、一回りも歳の違う、20代の若いフリーターの中に混じって、
使えない粗大ゴミ扱いされて、それでも必死に卑屈になってバイト続けているのもわかってる。
だけど、もういいだろ。
十年前と同じ白木屋で、十年前と同じ、努力もしない夢を語らないでくれ。
そんなのは、隣の席で浮かれているガキどもだけに許されるなぐさめなんだよ。
親父の飯
小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった
寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと
持っていったお菓子のみで腹を満たした。弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。
でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。
でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。
流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。
親父は去年死んだ。病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」とか何とか言った俺に対し、
親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。
弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。
認知症のばあちゃん
俺には今年で80になるばあちゃんが居るんだが
もう長い間認知症で自分の名前も分からないし
言ってる事も支離滅裂だったもんでばあちゃんが何を言ってるかなんて俺も家族も全然気にしてなかったんだが、
ある晩自分の部屋ですいませんすいませんって誰かに謝ってる声が聞こえて(もちろん一人で)
いつもより妙にはっきり喋ってるからそのまま聞いてたら
すいませんね、すいませんね、ちゃんと謝らせますから
○○(俺)はホントは優しい子なんですよ…
って言ってた
俺が昔、友達に石ぶつけて怪我させて
ばあちゃんが先生に謝ってる時の事をフラッシュバックしてるらしい
なんか立ち聞きしながら泣いてしまった
今日はデイサービスで居ないが
帰ってきたら優しくしようと思う
俺の事は新聞屋(か郵便屋?w)と思ってるらしいが
そんなの関係ないぜw俺のばあちゃんに違いはないからな
「天国のあなたへ」
娘を背に日の丸の小旗をふって、あなたを見送ってから、もう半世紀がすぎてしまいました。
たくましいあなたの腕に抱かれたのは、ほんのつかの間でした。
32歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは、今どうしていますか。
私も宇宙船に乗ってあなたのおそばに行きたい。
あなたは32歳の青年、私は傘寿を迎える年です。
おそばに行った時、おまえはどこの人だなんて言わないでね。
よく来たと言って、あの頃のように寄り添って座らせて下さいね。
お逢いしたら娘夫婦のこと、孫のこと、また、すぎし日のあれこれを話し、思いっきり、甘えてみたい。
あなたは優しく、そうかそうかとうなずきながら、慰め、よくがんばったねと、ほめて下さいね。
そして、そちらの「きみまち坂」につれて行ってもらいたい。
春のあでやかな桜花、夏、なまめかしい新緑、秋、ようえんなもみじ、冬、清らかな雪模様など
四季のうつろいの中を二人手をつないで歩いてみたい。
私はお別れしてからずっと、あなたを思いつづけ、愛情を支えにして生きて参りました。
もう一度あなたの腕に抱かれ、ねむりたいものです。
力いっぱい抱きしめて絶対はなさないで下さいね。
パパは,1時間にいくらお金をかせぐの?
ヘタレプログラマーは,今日も仕事で疲れきって,遅くなって家に帰ってきた。すると,彼の5歳になる娘がドアのところで待っていたのである。彼は驚いて言った。
「まだ起きていたのか。もう遅いから早く寝なさい」
「パパ。寝る前に聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「パパは,1時間にいくらお金をかせぐの?」
「お前には関係ないことだ」ヘタレプログラマーである父親はイライラして言った。「なんだって,そんなこと聞くんだ?」
「どうしても知りたいだけなの。1時間にいくらなの?」女の子は嘆願した。
「あまり給料は良くないさ・・・20ドルくらいだな。ただし残業代はタダだ」
「わあ」女の子は言った。「ねえ。パパ。私に10ドル貸してくれない?」
「なんだって!」疲れていた父親は激昂した。「お前が何不自由なく暮らせるためにオレは働いているんだ。それが金が欲しいだなんて。だめだ!早く部屋に行って寝なさい!」
女の子は,黙って自分の部屋に行った。
しばらくして,父親は後悔し始めた。少し厳しく叱りすぎたかもしれない...。たぶん,娘はどうしても買わなくちゃならないものがあったのだろう。それに,今まで娘はそんなに何かをねだるってことはしない方だった・・・
男は,娘の部屋に行くと,そっとドアを開けた。
「もう,寝ちゃったかい?」彼は小さな声で言った。
「ううん。パパ」女の子の声がした。少し泣いているようだ。
「今日は長いこと働いていたし,ちょっとイライラしてたんだ・・・ほら。お前の10ドルだよ」
女の子は,ベットから起きあがって,顔を輝かせた。「ありがとう。パパ!」
そして,小さな手を枕の下に入れると,数枚の硬貨を取り出した。
父親はちょっとびっくりして言った。「おいおい。もういくらか持ってるじゃないか」
「だって足りなかったんだもん。でももう足りたよ」女の子は答えた。そして,10ドル札と硬貨を父親に差しのべて...
「パパ。私,20ドル持ってるの。これでパパの1時間を買えるよね?」
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