泣ける話 短編 全10話
拾われた僕
僕はご主人様に拾われました。
毎日、おいしいご飯をくれました。
外で汚れたら、お風呂で洗ってくれました。
いつも、いっぱい遊んでくれました。
たまに、イタズラして怒られました。
けれども、すぐに頭なでてくれて許してくれました。
ご主人様が泣いて帰った時、僕が慰めました。
そしたら、いっぱい僕を抱きしめて、いっぱい泣いてました。
いつも、ご主人様の布団で寝かせてもらいました。
いつも、ご主人様の暖かさが伝わってきました。僕の体が痛くなって、ご主人様は夜中に走って病院に連れて行ってくれました。
病院で先生のお話を聞いて、ご主人様泣いてました。
家に帰っても、ご主人様は泣いてました。
だから僕はまた、ご主人様をなぐさめました。
そしたら、ご主人様は僕を抱きしめて、『ごめんねごめんね』っていっぱい泣いてました。
数日後…僕は体が動かなくなりました。
ご主人様は僕を抱きしめて、また泣いてました。いつもより、いっぱい僕の名前をよんでくれました。
ご主人様、なんで泣いてるの?また僕が慰めました。
僕は…少し眠くなりました…
ご主人様がもっと強く抱きしめてくれました。
ご主人様、なんで泣いてるの?また僕が慰めました。
僕は…少し眠くなりました…
ご主人様がもっと強く抱きしめてくれました。
ご主人様の暖かさがいっぱい伝わりました。
ご主人様…僕が起きたら、またいっぱい遊んでください。
僕はすごく幸せです。おやすみなさい。
僕は…眠りにつきました…
「お父さん、体の調子が悪いんだ」
父が食道癌になりました。
ウチは癌血統ではなかったので、この告知は本当に驚きました。
私は父と、この10年ほど腹を割って話したことがなく…
何かあれば衝突ばかりで。。。
大事な話は、母を通して話してました。
喧嘩ばかりというよりは、ロクに話したことがないのです。
だから、
「お父さん、体の調子が悪いんだ」
そんな言葉を耳にしても、気にもとめずに、いつもの様に遊び歩いていたんです。
そんな父が緊急入院した時は、本当に目の前が真っ暗になりました。
食道癌のせいで、食べ物が飲み込めずに痩せ…
無理に飲み込もうとしたせいで、腫瘍から出血を起こし、血液が殆どない状態で、緊急入院となったのです。
私と母は、何とか暗い気持ちにならないように父の検査が終わるのを待ちました。
「癌な訳ないから、きっと大丈夫!」
そう言い合ってました。
が、
下された診断は、癌でした。
父は肝硬変も患っているらしく、肝臓が弱りすぎて手術は不可能らしく、放射線治療となりました。
その告知を家族と一緒に聞いていた父は、主治医に急に怒り出しました。
「何故、こんなことを家族に聞かせるんだ!
俺だけに言えばよかっただろう!?」
お父さん、普通逆だよね?(笑)
“本人に聞かせないように!”って家族が気を使うよね?
何もこんな時にまで、家族を守ろうとしなくていいんだよ。
怖い時には、震えて泣いていいんだよ。
皆の前でわざと強がって、布団に顔を隠して泣かなくていいんだよ。
お父さん、私はあなたのことをわかろうとしなかった。
事業に失敗したり、借金抱えたり…頼りにならない父親だとばかり思ってた。
こんな大人にだけはなりたくないと、思ってた。
でも、今は…
こんな家族思いな父の娘に生まれてきて本当によかった。
こんなに優しくて、思いやりのある父を心から尊敬します。
お父さん、一緒に頑張ろうね。
うまく書けなくてゴメンなさい。。。
高校1年の時、夢を見た。
高校1年の時、夢を見た。
それは、夢を見る数ヶ月前にボケはじめて今は老人ホームにいるじいちゃんのとこに行った夢。
ボケてたはずなのに、俺の事わかってるみたいで優しく笑いかけてくれて2人で写真とったり、じいちゃんの昔話とか聞いたりして本当楽しかった。初めて見たじいちゃんの夢。
そこで夢がさめた…。
夜中の2時くらいで、家の中がうるさくて「また親がケンカしてんのかな?」って思った、そしたら母さんが部屋に入ってきて「じいちゃんが…」って。
みんな急いで支度してじいちゃんのトコに向かった。
家から出て数分後に父さんの携帯に電話がきた、「…今逝ったって…。」その時はまだ信じきれなくて、ただただじいちゃんに会いたかった。
着いたのは老人ホームじゃなくて病院で、もう治る見込みがなかったのかな?ほかにも老人ホームに入りたい人がいるからって病院にうつされてたんだって。
病院に入ると重い雰囲気…そして、じいちゃんのいる部屋へ案内された。
そこには泣いてる叔母とばあちゃん、看護婦さんとじいちゃん。
じいちゃんしばらく見ないうちに小さくなってた。
涙を流しながら叔母が話しかけてきた、
「じいちゃんね、亡くなる前にあんた達兄弟の名前ばっっっかり呼んでたよ。あんた達に1番会いたかったんだろうね、あんた達の事1番かわいがってたから。」
そこで初めて涙が流れた、じいちゃんが亡くなったって実感した。
じいちゃんは最後に俺の夢の中へ会いに来てくれたんだね。
あの時間は本当に楽しかったよ。
あの時のじいちゃんの優しい笑顔、まだ覚えてるよ。
会いにきてくれて、ありがとうね。
天国で見守っていてください。
俺には、3つ違いの弟がいた。お袋は俺には「お兄ちゃんだから我慢しなさい」なんて一言も言わなかったと思う。
でも、甘えるの我慢してた記憶はたくさんある。3歳ながらに「弟はまだ赤ちゃんなんだから」っておもってたんだよなぁ。
親父は出張が多くてほとんど家にはいなかったな。
俺が小学生なって初めての運動会の朝、お袋は「○○君(俺)がんばってね!お母さん、△△(弟)とお弁当持って見に行くからね!」って
送り出してくれた。
それが、最後の言葉だった。
お袋は自転車の後ろに弟を乗せ、カゴには俺の大好きなものばかり詰まった弁当を乗せて、俺の初めての運動会を見に行く途中
信号無視したトラックにはねられた・・・。
小1の頃の記憶は、ほとんどない。
「お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。」
もっともっと、甘えればよかった。
弟が乳を飲んでいる時にも、「もう片方のひざはぼくのモノ~」って甘えればよかった。
もっともっと甘えたかった・・・。
今日の午前2時55分、俺は親父になりました。
俺は、嫁と娘を全力で一生守ります。誓います。
お母さん、けんじ、どうか天国で見守っていてください。
抱っこしてもらっていた俺が、ガンで衰弱した親父を抱っこした
子どもの頃、親父の膝で抱っこされるのが好きだった。
海水浴や動物園に行った帰りの電車で親父に抱かれてうつらうつらしてた幸せな記憶を今でも思い返す。
親父の胸に頭をくっつけると、あったかくて、ぎゅっと抱かれると不思議と安心した。
でもさすがに10歳くらいになると親父が重たがるようになったから、止めたし、
まあ、その後はお決まりのように反抗期で口を聞かなくなり、
20歳を過ぎてから普通に会話するようになりといった具合に普通の親子関係だった。
んで、親父が定年を迎えるから、海外旅行でも行こうかと相談してたら、
突然、検査で親父が胃がんだと告げられて、末期で治療もできないと言われ、
親父は、ほんとにあっという間にやせ衰えて、しなびたようになってしまった。
でも、せめて最期くらいは家で過ごさせてやりたかったから、退院させたんだけど、
もう歩けないくらい衰弱してたから、俺が抱えて車に運んだ。
そしたら親父が「いつも俺に抱っこしてもらいたがってた、お前に抱っこしてもらえるとはなぁ」
なんて嬉しそうに言うから、俺も家族も泣きまくった。
臨終の時に親父は、すごく安らかな顔をしてた。
今、俺の膝の上には5歳の息子が乗ってる。
俺もこいつに抱っこされて死ねたら、
きっと、それまでの人生全部いいものだったって思える気がする。
ありがとう、お母さん
私を大学に通わせてくれた母へ
あなたは私を産むまでずっと父の暴力に苦しんでいましたね
私が産まれて時、あなたは泣きながら喜んだんですね
私が一歳の誕生日に、借金を抱えたまま父が自殺しましたね
借金を返すために昼はパート夜は居酒屋で仕事の毎日でしたね
保育園では遠足のおやつは雑穀のおはぎでしたね
小学校の給食費を払えない月もありましたね
修学旅行のおみやげはご当地キーホルダーだけでしたね
中学の制服は親戚のおさがりでしたね
高校のお弁当はいつもご飯に梅干しと海苔でしたね
無理を承知で大学行きたいと頼んだ時、あなたは反論しませんでしたね
ごみ処理場から捨てる予定の参考書をもらいに行きましたね
お金がかかるから私立は受けられず、国立専願受験でしたね
センター試験の前日には初めて特上寿司を食べさせてくれましたね
センター試験に失敗したけど、あなたは最後まで諦めないよう励ましてくれましたね
前期に落ちて、一度私は自殺しかけましたね
あなたは怒ることもなく、ずっと私に謝り続けていましたね
私もあなたにずっと謝り続けましたね
そして私は気持ちを切り替えて後 私はその後も頑張って勉強して、なんとか後期に合格することが出来ましたね あなたはずっと「おめでとう、おめでとう」と泣き続けてくれましたね
でもあなたは入学の準備の時に急に倒れて病院に運ばれましたね 医者が、癌が全身に転移していてこれから一週間が峠だと告げましたね
私がただただ泣き続けている時にあなたは「この体の傷や癌の一つ一つがあなたを育てあげた立派な勲章なのよ」と微笑みながら言いましたね
あなたは最後まで泣くことも苦しむこともなく、静かにこの世を去りましたね
今私は医者になるために毎日一生懸命に勉強していますよ あなたの命を奪った癌に苦しむ人々を治療して助けたいから
私が育った環境は決して恵まれてはいなかったけれど、あなたに生まれ、育てられて本当によかったよ
ありがとう、お母さん。
弟が学校帰りに床屋で丸坊主にしてきた
昔、当時中学生の弟が学校帰りに床屋で丸坊主にしてきた。
失恋でもしたのかと聞いたら、小学校からの女の子の友達が今日から登校するようになったからだ、と。
彼女は今まで病気で入院しており、薬の副作用で髪の毛が全部抜けてしまったらしい。
「女が丸坊主じゃ恥ずかしいって言ってたし、だったら他にも丸坊主がいりゃいいかなと思って。
野球部の奴等は元々丸坊主だけど、野球部じゃない丸坊主がいた方がいい」
と弟は言っていた。
翌日、丸坊主で登校した弟は帰宅するなり「同じ事考えた奴が一杯いた……」と。
なんでも優等生から茶髪問題児を含め、クラスの男子全員が丸坊主かそれに近い頭になっており、
病気の子と仲が良い女の子達までベリーショート、一人は完全な丸坊主になってたらしい。
更に担任の先生(男性)まで丸坊主。
丸坊主だらけの教室で、病気の子は爆笑しながら「ありがとうありがとう」と泣いたという。
示し合わせたわけでもないのに、全員同じ事考える当時の弟のクラスに和んだ。
ちなみに病気の子は今も健在、弟は意外に丸坊主が気に入ったらしく、それからずっと丸坊主。
娘をよろしく
高校の頃に付き合ってた彼女がいた。
彼女がピアノのレッスンをしている時に、彼女のお母さんとお茶を飲むのが、至福のひとときだった。
ある日、アルバムを見ていた彼女のお母さんが一言こう言った。
「娘をよろしくお願いします」
やがて高校の卒業式を迎えた。
学校が違ったため、1日早く休みを迎えた俺は、彼女の卒業式の日、1人家で彼女からの連絡を待った。
昼を過ぎても連絡がない。
夕方を過ぎても連絡がない。
やがて夜になり、夜中を越え、連絡が無いまま朝になった。
翌日彼女に会った。
前日は、卒業式の打ち上げでカラオケに行き、その後色々あり、一緒にいた男と寝たと言った。
許すつもりだった。
彼女のお母さんの言葉が心に残っていたわけでないが、彼女のことを愛していた。
でも彼女の言葉は違った。
「彼が好きなの」
やがて東京の大学に進学するため、俺は地元を離れた。
バイトと勉強に明け暮れた生活で、友達と同じように彼女を作る暇は無かった。作る気も無かった。
そんな生活が2年程続いた時、久しぶりに彼女から連絡が来た。
彼女のお母さんの訃報だった。
あまり親戚もいなかったため、俺も式を手伝うことになった。
ただ、彼女と話すことはほとんど無かった。
やがて式が終わり一段落がついた頃、彼女に2人で話がしたいと言われ、呼び出された。
彼女が持ってきたのは少し古びた日記だった。
整理をしている時に見つけたらしい。
そこにはあの日のことが…
まだ年端も行かない俺に向けて、娘を託したことが記されていた。
彼女は何度も謝った。
あの時の男とはすぐに別れ、その後は俺と同じでずっと1人だったらしい。
俺は彼女に言う。
「結婚しよう」
それから二年後、俺達は式を挙げた。
式の日の夜、彼女は疲れ果てて深い眠りに就いていた。
俺も同じく疲れて寝ていたのだが、夜中にトイレに目を覚ますと、枕元に彼女のお母さんが立っていた。とても驚いたが、俺は言った。
「彼女を一生かけて幸せにします」
その言葉を聞いたお母さんはニコリと笑い、
「ありがとう。娘をよろしくね」
と言い、ふうっと消えていった。
友からのメール
僕の友達が事故で亡くなったんです。
本当に突然のことで、何が何だかわかんなくて涙なんか出ませんでした。葬式にはクラスのみんなや友達がたくさん来てました。
友達は遺影の中で笑ってました。
いつも僕に見せていてくれた笑顔です。
それを見てたら自然と涙が頬を伝っていました。
それが口まで流れてきて、しょっぱいなって思って、それで自分が涙を流しているんだと気付いたんです。僕はいたたまれなくなって葬式の会場を飛び出していました。
次の日、僕はパソコンのメールをチェックしました。
そこにはあの亡くなった友達からのメールが届いていました。
日付を確認すると事故の日でした。
僕は何だかドキドキして、メールを開きました。すると
「あさってに、いつも学校帰りで通る公園で待ってるから。午後5時にね。遅れるなよ」
と書いてありました。
何でわざわざメールで?と思いましたが、何か不思議な力が働いたような気分でした。
実はその日は僕の誕生日で、親と出かけることになっていたのです。車に乗って高速道路を使い、隣の県に住むおじいちゃんの家に行くことになっていたのです。
僕はおじいちゃんに電話をし、今日は行けないと伝え、親にも今日は用事があると言いました。そしておじいちゃんの家に行くのは中止になったのです。
僕は友達からのメールの通り午後5時に公園に行きました。
もちろん誰も来ません。午後5時に鳴る、公園のそばにある時計台の鐘を聞き、僕は友達との思い出を振り返って家に帰りました。
そして家に帰ると親が血相を変えて僕に話し始めました。
「さっきニュースでやってたんだけど今日通る予定だった高速道路で玉突き事故があったんだって。予定通りに行ってたら私たちも事故に遭ってたわね」
僕が生まれた日に、僕が死ぬのを友達が救ってくれたんだ、そう思えてきてあのメールは今でもパソコンに保存してあります。
兄弟
中学の修学旅行に行く朝、かわいがっている妹が行かないでと言って泣き出した。
「またかよ」
前にもあったことなので、特に理由を聞くこともなかった。
「俺が行ってる間、ジョン(犬)の世話を頼むな」
そう言って、僕は出発した。
1日目の夕方、有名な神社の境内を歩いているとき、ふと妹に呼ばれた気がして振り返るが、もちろんいるわけはない。
なんとなく心配になって、宿舎から家に電話をかけたら妹が出た。
「何か変わったこと、なかったか?」
「昼寝をしている時、お兄ちゃんの夢を見た」
不思議だったけど、双子とか仲の良い兄妹ってある種のテレパシーのようなものがあるらしいし、それみたいなもんなのかな。
2日目の夕方、観光中に僕は友達とふざけあっていて、つい道路に飛び出してしまった。
クラクションに驚いて振り返ると、大型トラックが目の前まで迫っていた。
「ああっ」
次の瞬間、体が突き飛ばされたような感じがして、轢かれた!と思って目を閉じた。
しかし、気がつくとなぜか歩道に戻っていた。ケガはすり傷程度。
「はねたかと思ったぞ!」トラックのドライバーが窓から怒鳴った。
その夜、家に電話すると妹が出て
「またお兄ちゃんの夢を見た」と言った。
「どうろに、とびだしたらいけないよ、はねられると、すごくいたいんだよ」
事故のことは何も言っていないのに。
ほんとに俺たちには目に見えない絆があるのかも。
だが、翌日帰宅した僕を待っていたのは、病院のベッドに横たわっている妹の姿だった。
母親の話によると、前日の夕方買い物から帰ってくると妹の部屋からうめき声が聞こえたそうだ。
何事かと思って見に行くと妹が苦しんでおり、あわてて抱きかかえると異常に痛がった。
救急車を呼び、病院で検査をすると、結果は全身打撲だったそうだ。
だけどうちはベッドじゃないから、落ちて身体を打つなんてこともないし、母も混乱していた。
僕は、あの時助けてくれたのは妹なんだと直感した。
僕は付き添って看病することにした。
翌日、身の回りのものを母に持ってきてもらおうと家に電話をかけると、妹が出た。
なんで?と思っていると、母親の声に変わった。
聞き間違いか。
病室に戻ると、妹の容態が急変していた。
その日の夜、妹は息を引き取った。
高校に入って僕は家にあまり帰らなくなった。
妹のことを思い出すのが嫌で、夜遊びばかりしていた。
ある日、いつものように遊び歩いていると家から電話がかかってきた。
また母親のお小言か。
でも、そのときばかりはなぜか出てみる気になった。
聞こえてきたのは妹の声。
「おにいちゃんはやくかえってきて、わたし、ジョンとあそんであげられないよ」
あわてて家に帰ると母は電話中で、僕に電話がかかってきた時刻も話していたと言う。
だけど僕の携帯の通話履歴にはちゃんと『自宅』の表示が。
……妹からだったのか…。
玄関から追いかけてきたジョンがじっと僕の顔を見ていて、その顔を見ているとむしょうに泣けてきた。
僕はジョンに謝りながら一晩中泣いていた。
今はジョンもかなり老犬になってしまったが、最後まで俺が面倒を見るつもりだ。
今も家に電話をかけると、時々最初に妹の声が聞こえることがある。
コメント