泣ける話『プレゼント』『両親は大切に』など【短編】全5話 |切ない話・泣ける話まとめ

泣ける話『プレゼント』『両親は大切に』など【短編】全5話 |切ない話・泣ける話まとめ 泣ける話

 

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泣ける話 短編 全5話

 

プレゼント

今日さ、友達の買物につきあってデパート行ったわけ。
遠方に住んでる両親に送るプレゼント選ぶとか言って夫婦茶碗とか見てんの。
ようやく決めて会計する時に、10日に着くように送ってくださいとか頼んでて。

で、10日ってその子の誕生日なんだけどさ。
なんで自分の誕生日なのに親宛でプレゼントとか贈ってんのw
と聞いたら友達が照れくさそうに笑って

『あ、これね、産んでくれてありがとうのプレゼント』

だってさ。
自分で稼げるようになってから毎年贈ってるらしい。
なんか家帰ってからじんわり涙でた。

 

両親は大切に

人前ではほとんど泣いたことのない俺が、生涯で一番泣いたのはお袋が死んだ時だった。

お袋は元々ちょっとアタマが弱くて、よく家族を困らせていた。

思春期の俺は、普通とは違う母親がむかついて邪険に扱っていた。

非道いとは自分なりに認めてはいたが、生理的に許せなかった。

高校を出て家を離れた俺は、そんな母親の顔を見ないで大人になった。

その間実家に帰ったのは3年に1回程度だった。

俺もいい大人になり、それなりの家庭を持つようになったある日、お袋が危篤だと聞き急いで病院に駆けつけた。

意識が朦朧として、長患いのため痩せ衰えた母親を見ても、幼少期の悪い印象が強くあまり悲しみも感じなかった。

そんな母親が臨終の際、俺の手を弱々しく握りこう言った。

「ダメなおかあさんで、ごめんね」

精神薄弱のお袋の口から出るにはあまりにも現実離れした言葉だった。

「うそだろ?いまさらそんなこといわないでくれよ!」

間もなくお袋は逝った。

その後、葬式の手配やらなんやらで不眠不休で動き回り、お袋が逝ってから丸一日過ぎた真夜中のこと。

家族全員でお袋の私物を整理していた折、一枚の写真が出てきた。

かなり色褪せた何十年も前の家族の写真。

まだ俺が、お袋を純粋に大好きだった頃。

みな幸せそうに笑っている。

裏には下手な字(お袋は字が下手だった)で家族の名前と当時の年齢が書いてあった。

それを見た途端、なぜだか泣けてきた。

それも大きな嗚咽交じりに。

いい大人がおえっおえっ泣いてる姿はとても見苦しい。

自制しようとした。

でも止めど無く涙が出てきた。どうしようもなく涙が出てきた。

俺は救いようがない親不孝ものだ。

格好なんて気にすべきじゃなかった。

やり直せるならやり直したい。

でも、お袋はもういない。

後悔先に立たず、とはまさにこれのことだったんだ。

その時、妹の声がした。

「お母さん、笑ってる!」

皆布団に横たわる母親に注目した。

決して安らかな死に顔ではなかったはずなのに、表情が落ち着いている。

うっすら笑みを浮かべているようにさえ見えた。

「みんな悲しいってよ、お袋・・・。一人じゃないんだよ・・・」

気がつくと、そこにいた家族全員が泣いていた。

・・・あれから俺はことあるごとに両親は大切にしろと皆に言っています。

これを読んだ皆さんも、ご健在であるならばぜひご両親を大切にしてほしい。

でないと、俺のようにとんでもない親不孝ものになっちゃうよ・・・。

 

救いようのあるバカだ

お前らは、本当にバカだな。

むかしカーチャンに反抗しただろう?

それ以来カーチャンはお前に気を使ってんだぞ。

誕生日か母の日を一度でもすっぽかしたことがあるだろう?

カーチャンはすげー楽しみにしてんだぞ。

連絡せずに夜遅く帰ったことがあるだろう?

カーチャンは心配しながら待ってんだぞ。

「生んでくれなんて頼んでねえ!」って言ったことがあるだろう?

カーチャンはその言葉に、半年は苦しんだぞ。

一生の傷になるぞ。

家事の手伝い、最近してないだろう?

やってもらうのは当たり前じゃねーぞ。

カーチャンは、さも当然のようにやってくれるが

お前らはバカだ。

だが、救いようのあるバカだ。

俺は救いようがない。

孝行する相手がいないからな

なあお前ら。

とりあえずパソコンを離れて、今すぐカーチャンに電話でもしろよ。

近くにいるなら会いに行け。

「育ててくれて有難う」くらい言ってみせろ。

カーチャンは「何だい急にw」って言うだろうが、見えない所で泣いて喜ぶぞ

矮小な恥ずかしさなんか捨てて、小さな親孝行してきな。

お前らが受け取ったものに比べれば、まだまだちっぽけな愛だがな

 

分からず屋でゴメン

ちょっとした事で母とケンカした。

3月に高校を卒業し、晴れて4月から専門学生となる私は、一人暮らしになる不安からかここ最近ずっとピリピリしていた。

「そんなんで本当に一人暮らしなんて出来るの?

あんたいっつも寝てばっかで‥ゴミ出す曜日は確認した?

朝は起きられるの?

火事だけには気をつけてよね?」

事あるごとに聞かされる母の言葉にうんざりして、ついに今日

「あぁー!もぉーうるさいなあ!!

自分で決めたことなんだから大丈夫だって!!

わざわざ不安を煽るような事は言わないでよ!!

すこしは私の気持ちも考えて!

最初っから上手くいくわけないでしょお!?

自分の娘ならちょっとくらい応援してくれたっていいじゃん!!!」

と自分でもビックリするぐらい大声で母に怒鳴ってしまった。

はっとして

「やばい!怒られる」

と思ったが母は何も言わず、悲しいような怒っているようなどこか複雑な顔をして、そのまま車に乗って行ってしまった。

いつもと違う母の様子に少し戸惑ったが、特に止めもせず、イライラしながらもテレビや携帯を見て一人で適当に時間を潰した。

夕方をすぎても、夜になっても、母は帰って来なかった。

遅い、遅すぎる。

まさか事故にでもあったのか‥?

冗談じゃない。

それだったら病院から電話があるはず‥

なんて考えていたら外で母の車のエンジンの音が聞こえた。

「ただいまー」

いつも通りの母の声にほっとした反面、なんでこんな帰りが遅いのか問いただそうとした瞬間、目の前にやたらと大きな薬局の袋が置かれた。

「何これ?」

と母に聞くと、

重たそうなその袋を見ながら

「あんたの薬。

一人暮らしするとき薬がなかったら大変でしょう。

とりあえず一通りあったもの買ってきたから。

あんたはすぐ体調崩すからねぇ。」

頭痛薬、咳止め、湿布や包帯、口内炎の薬、のど飴など袋の中にはありとあらゆる種類の薬が入っていた。

「こんなにたくさん‥」

驚いてもうそれしか言えなかった。

こんな時間まで私のために母は‥

「一人暮らしかぁー。

見送ってやらなきゃいけないのにねぇ。

お母さん心配でね、すごく寂しいのよ。

風邪引いた時とか、本当はお母さんがそばにいてあげたいんだけどねぇ。」

もうそれ聞いて涙が溢れて溢れて、自分の不甲斐なさと母への申し訳なさで顔あげられなかった。

薬だって決して安いもんじゃないのに。

自分の娘を応援しない母親なんて居るはずないのに、なんで気づいてあげられなかったんだろう。

もっと応援しろだなんて‥

一番私のことを思ってくれて支えてくれたのは他でもなくお母さんなんだよね。

分からず屋でゴメン。

いつも、いつも、いつも、いつも、ありがとう。

その後、遅めの晩御飯を母と一緒に食べました。

残り少ない母の味をもっと大切にして行こうと思います。

 

おばあちゃんとやったすごろく

俺は小さい頃、家の事情でおばあちゃんに預けられていた。

当初、見知らぬ土地にきて間もなく当然友達もいない。
いつしか俺はノートに自分が考えたスゴロクを書くのに夢中になっていた。

それをおばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み~」
おばあちゃんはニコニコしながら、「ほーうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。

やがて俺にも友達ができ、そんなことも忘れ友達と遊びまくってた頃
家の事情も解消され、自分の家に戻った。

おばあちゃんは別れるときもニコニコしていて
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」
と喜んでくれた。

先日そのおばあちゃんが死んだ。
89歳の大往生だった。

遺品を整理していた母から「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみみるとそこにはおばあちゃんの作ったスゴロクが書かれてあった。

モンスターの絵らしきものが書かれてあったり、なぜかぬらりひょんとか
妖怪も混じっていた。

「おばあちゃんよく作ったな」とちょっと苦笑していた。

最後のあがりのページを見た。

「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に
「義弘(俺)くんに友達がいっぱいできますように」

人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。

おばあちゃん、死に目にあえなくてごめんよ。

 

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