人が死なない泣ける話 – 感動エピソード【10】全5話

人が死なない泣ける話 - 感動エピソード【10】 泣ける話

 

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人が死なない泣ける話 – 感動エピソード【10】

 

 

ありがとう はんきゅうでんしゃ

阪神・淡路大地震のあと、阪急電車の復旧を沿線の人々は待ち望んでいた。うちもその一軒。
夜を徹して行われる作業、騒音や振動をこらえてくださいと、電鉄会社の人が頭を下げに来た。
「何を言ってるんだ?我慢するに決まってるじゃないか。それよりも一刻も早い復旧を。」
うちも含めて、沿線の人々はみなそう言って、電鉄会社の人を励ました。

阪急は国の補助も受けず、少しづつ復旧・部分開業していった。
そして最後に残された西宮北口~夙川間の高架部分の再開によって、
ついに神戸本線は全通した。
再開の日に、もちろん漏れも乗りに行った。神戸で逝った友のもとへ行くために。
運転台の後ろは人だかりだった。みな静かに鉄道の再開の喜びをかみ締めているようすだった。

夙川を渡るそのとき、川の土手に近所の幼稚園の園児たちが立ち並んでいるのが目に飛び込んできた。
手書きの横断幕を持って・・・。

「あ り が と う  は ん き ゅ う で ん し ゃ」

運転手が普段ならしないはずのそこで敬礼をした。
そして大きく「出発進行!」と声を上げた。
その声は涙声になっていた。漏れも泣けた。

ときよ、上越新幹線よ、もまいを待っている人々がいる。
復興のために、そして人と人をつなぐために、よみがえれ、不死鳥のごとく。

 

ミスター競馬

亡くなった「ミスター競馬」こと野平祐二さんほどやさしい人はいなかった。まったく分けへだてがなかった。
じつは、野平さんのことで、忘れられない思い出がある。昭和61年だから、もう15年も前のことである。
百貨店に勤める友人に頼まれて、千葉県船橋市にある百貨店で、トークショーをすることになった。
トークショーといっても、百貨店の広報部の女性と僕とで、競馬について何かしゃべるという、地味なうえにかなりアバウトな企画だった。
これにまったく人が集まらなかったのである。
無料とはいえ、若造の訳の分からないトークショーに足を運ぶほど奇特な人はいないところにもってきて、8月のものすごく暑い、平日の午後1時である。
たいがいの人は会社にいるか家にいる時間だ。
おまけに、トークショーをやった場所というのが、百貨店の5階にある紳士服売り場の片隅。百貨店のなかでも、ただでさえお客さんの少ない場所なのである。
スタートの午後1時。
30ほどの椅子を並べた会場に、お客さんは誰ひとりいなかった。
とりあえず始めましょう、始めればそのうち声を聞いてお客さんも集まってきますからということになって始めたのだが、5分ほどしてご婦人がひとりお座りになった。
どこかでお見かけしたお顔だが、さてどなたかと、しゃべりながら考えているうちに、男性がひとり会場に入ってきて、そのご婦人の隣に座った。
それでハッと分かった。なんと、野平祐二ご夫妻だったのだ。

あとで伺ったところによると、百貨店へ旅行のチケットを買いに来て、たまたま会場前を通りかかったとのこと。
それからの1時間、野平さんご夫妻は、こちらの話を聞いてくださったのである。お客さんは、ほかには最後までゼロだった。
何を話したのか、ほとんど記憶にない。本職が前に座っているのだから、相当にアガッたのだと思う。
それを見て、野平さんが助け舟を出してくださった。その場面だけはよく覚えている。
こちらに一瞬の間があったとき、タイミングよく「質問してもいいですか?」と手を挙げてくださったのだ。
「どんなことでしょう」
「競馬で儲けるにはどうしたらいいでしょうか」(笑)
「僕の予想を買わないことです」(笑)
「そんなに外れるんですか」
「ものすごく損します」
「それでも競馬をやるのはなぜですか」
「競馬のように、なくても誰も困らないものが、存在できる世の中が平和だと思うからです」
「……」
「先生。この答えでいいでしょうか」
「満点だと思います」
先生、あのお言葉一生忘れません。ご冥福を祈ります 。

 

暗くてわかんない

おかんの誕生日が1月4日なのね。

で年始終わって電車で首都圏に戻る時に駅まで車で送ってくれたんだけど、
車降りた時にトゥモローランドで買ってラッピングしてもらったブラウスを
渡したの。(誕生日当日に「おめでとー!」なんて渡すのはオイラにはできんのだよ)

「やるよ。」って素っ気無く渡したらおかんは何も言わずに受け取って
そのまま助手席置いて、「それじゃあね。」って言って帰ってしまった。

「おぉーい!ありがとうもなしかよー!‥‥まいっか。」
と思った次の日おかんからメールが。

「何よー、ちゃんと渡してよー、暗くてわかんなかったじゃなーい。家帰って
泣いちゃったわよー」
良かった‥
就職決まった事だしこれから親孝行するからいつまでも元気でいてくれ、おかん!

 

ささやかなプレゼント

昨日は、来年中学生になる息子の誕生日。
ささやかなプレゼントとケーキでお祝いしたよ。

「ぼくを生んでくれて、元気に育ててくれてありがとう」
だって。

夫婦で嗚咽して、パーティーを台無しにしてしまったよ。

おまえこそ、生まれてくれて、元気に育ってくれて
ありがとうな。

 

自分のやりたい事

3年前のある日、両親が離婚。俺と弟が母さんについていきました。
母さんは今まで専業主婦だったから仕事なんて全然できない。
パートを始めるも一月もしないで退職の繰り返し。家計は苦しくなる一方。
当時高校生だった俺のバイト代だけじゃやっていけるわけも無く
高校を中退して現場の仕事に就きました。
その際に少しでも家計の足しになればと漫画、ゲームをすべて売り
家にあるエフェクター、ベース、ギターも売ろうとしました。
でも、母さんは
「あんたの見つけた趣味なんだからバンドだけは続けなさい」
と、楽器の売却には猛反対しました。

学校を辞めたときにバンドも辞めたから楽器があっても意味がないと思い
俺は売る気まんまんでした。
でも母さんがあまりにしつこく言うのでベースだけ一本残しました。
その後、仕事仲間にバンドをやろうと誘われて、バンド活動を再開しました。
手元にあるのはアイバニーズのしょぼいベースのみ。
アンプもシールドも無い。シールドが無きゃスタジオ練習もできないので
楽器屋の600円の激安シールドを一本だけ買いました。
それ以来ずっとチョッケルです。

話がそれるんだけど今年の誕生日に母さんが
「いつも無理して頑張ってくれてるから・・・」
と言って少しずつ貯めていたパート代でモンスターケーブルを買ってくれました。
何やってんだよバカ。家計が苦しいのに。
楽器の事シロートなのに楽器屋の店員に色々聞いただと?
無理してんじゃねえよ。そんな金あるなら自分の服でも買えってのに・・・
やつれた顔で精一杯笑いながら
「誕生日おめでとう。まだ若いんだから自分のやりたい事頑張りなさい。」
恥ずかしながら泣いちゃったよ。もう体の水分全部出るくらいw
厨房の卒業式以来だよ、親の目の前で大泣きしたのは。

 

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