父親の泣ける話 – 感動エピソード【10】全5話

父親の泣ける話 - 感動エピソード【10】全5話 泣ける話

 

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父親の泣ける話 – 感動エピソード【10】

 

 

父の車

私が免許を取って、初めて乗った車は父の使っていた車だった。
緑っぽいメタリックな色でゴツくて大きいMT車。
この車の外見のおかげで若葉マークを付けた女が乗っていても
あまり煽られたりしなかった。

父は、もうその頃は糖尿病で体も視力も弱くなっていたので
私だけが使っていた車だった。
高校生の時は毎朝、運転席に父、助手席に私が座っていた。
父を病院まで送り迎えする時に、運転席に私が、助手席に父が座っているのが
なんだか変な気持ちだった。
父が死んで1年も経たない内に車を買い替える事になった。
ひとまわり小さな新しい車がうちの車庫に入れられ、
緑色の大きなあの車がうちから去って行くのを見送りながら
とても寂しくなった。
あの大きくて無骨な車は私にとって父そのものなんだ、
と思ったら、たまらなくなった。
泣きそうになりながら見えなくなるまであの車を見送った。

 

辛かったら

結婚が決まり、実家から引越しのその日に父から来たメールです。
新居で一人、荷物を片付けていると携帯が鳴りました。

『結婚おめでとう。
今日からが○○(私の名前)の人生のスタートになるんだろうと思います。
○○には、沢山苦労をかけてしまったけれど彼と幸せになるんだよ。
辛かったらいつでも帰っておいで。
お父さんとお母さんは、いつでも待っています。』

家具一つない新居で、一人ワンワン泣きました・・・

お父さん、私は幸せにやってます。
年末には帰るからね。

 

メロンパン

学校帰りに東武のデパ地下を通りかかると、丁度パン屋でメロンパンが焼きあがったところだった。
試食させてもらうと中々美味かったので、俺はオヤジへの土産と自分の分の二つを買った。
甘いものが好きで子供舌なオヤジの事だから、多分メロンパンも好きだろうと思ったのだ。

当時、オヤジはガンの手術を受けた直後。家のベッドで療養していた。
衰弱して手足を満足に動かせないオヤジに、俺はメロンパンを千切って食べさせた。
「うん、美味いな」
「だろ?だから思わず買ってきたんだって。もっと喰う?」
「……いや、いい」
オヤジはメロンパンを二欠片しか喰ってくれなかった。
ちょっと拍子抜けして、俺はほぼ二個のメロンパンを平らげた。

それから数ヶ月。
転移したガンにやられ、オヤジは51歳で天国へ長期出張。
通夜・葬式と慌しく時間が過ぎ、やっと一段落した時、俺は初めてお袋にあの時のメロンパンの話をした。
そこで初めて知った事が二つ。
オヤジはそんなにメロンパンが好きではなかったという事。
あの時、既にオヤジは口から食べ物を摂取できる状態ではなく、
たった一片のメロンパンでさえ食べるのが苦しかったはずであるという事。

オヤジは無理してメロンパンを食ってくれたのだ。断ってしまって、俺が傷つかないように。

メロンパンを見せた時の「おぉ!」という声と笑顔。
「喰う?」と聞いた時にも躊躇い無く「喰う」と答えてくれた。
思い出して、涙が止まらなかった。

一昨日、職場のおばちゃんが美味しいメロンパンを買ってきて、俺におすそ分けしてくれた。
俺が思わず涙ぐんだ理由をおばちゃんは知らない。

 

3種類のドーナッツ

本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので結局日帰りにしてしまった。
母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んでいると、父が会社から帰ってきた。
口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、一緒に居ると息苦しさを感じていたので、父が帰宅する前に帰ってしまいたいということもあり日帰りにし、ひいては家から通えない距離の学校を選んだのも理由の一つだった。

父が、「なんだお前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、
「そうか・・・」と言いながら手に持っていた ドーナツの箱を私に差し出し、
「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。
電車の中ではさすがに食べられないと思いながらも受け取った。

駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。
家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。 でも、私が9個貰っても食べきれないよ・・・
箱の中を覗き込みながら苦笑した。
その直後。
あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。

様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、どれもこれも
切なかったり苦かったりばっかりで。
手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯直後の干す前みたいに濡れても涙は止まらなくて、
結局、もう一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた・・・。

 

仕事一筋

俺の親父は仕事一筋、俺が小さい時に一緒にどっか行ったなんて思い出は全く無い。
何て言うのかな…俺にあんまり関わりたがらないような人って感じ。

俺は次男で、兄貴には結構厳しくて説教したり時には手出してたの見た事も有った。
俺にはそんな事は全く無かったんだ。
だから余計に兄貴ばっかりで俺には興味が無い(言い方変かもしれんが)んじゃないか、って
よく思ってたんだ。

高校決める時も「お前がいいならそれでいい」の一言だけ。
遅く帰っても、テストの成績が悪くても全く口出さなくてさ、いつも俺に言うのはおかん。
まともに今日何が有った、とか話した事も殆ど無かった気がする。
親父から話し掛けてくる事なんてまず無い。
だから俺も殆ど親父に関わらずに生きてきたんだ。
そんな親父が入院したのはちょうど高校2年の時。
動脈硬化?って言うんだっけか…血管がコレステロールで詰まってしまう病気。
その時もさ、確かに驚きはしたけど、そっか…って感じだった。
しばらく入院と通院が続いて、手術もして大分良くなった時が、ちょうど俺の大学受験と重なったんだ。

第一志望の大学の合格通知見た時、おかんはちょうど病院に居た。
連絡取りたくてもその時は今ほど携帯普及してなかったから、
おかんから電話が来るか帰ってくるの待つしかなかった。
その時タイミング良く今から帰るから晩飯買って行くって電話来たんだ。
当然その時に報告したらおかんも大喜びしてくれた。

おかんと電話で話してから20分くらいしてからかな、家に電話かかって来た…親父からだった。
おかんから今さっきの電話で大体の様子は聞いてた。
少なくても一人で電話して来れるほどにはまだ回復して無い事も。

「親父何やってんだよ、寝てなきゃ駄目じゃないのか?」
「馬鹿、俺なんかどうでもいいんだよ。それより、大学受かったんだって?」
「あぁ…」
「そっか、良かったな…おめでとう!」

その時さ、何かもう頭の中真っ白になっちゃってその先何話したか全然覚えてないんだ。
無理してまで俺におめでとうって言ってくれたのが嬉しくてさ…
電話切った瞬間に、涙溢れて止まらなかった。

おかん帰ってきた時も俺泣いてて、俺言葉にならない様な声でおかんにその事言ったんだ。
そしたらさ、ゆっくり話し始めてくれた…親父の事

親父小さい時に父親戦争で亡くしてて、
親としてどう子供に接したらいいか分からないっておかんによく言ってた事。
兄貴に厳しくして俺に何も言わなかったのも、
どうしたら上手く俺とコミュニケーション取れるか分からなかったからって事。
俺が小さい頃に一回怒って、俺が全く親父に寄り付かなくなった時が有って、
それがずっと心に残ってた事。
俺が何が好きかよく分からなくて、
休みの日にどこに連れて行こうか迷っている内に結局行けなくなってしまった事。

俺の事可愛くて仕方が無かったから、何も言えず、ただ心配しか出来ず、
おかんに色々言うしか出来なかった事。

親父が俺を避けてたんじゃなくて、俺が親父を避けてたって事

馬鹿だよな俺。何も分からなくて、分かろうともしなくて・・・親父は凄く悩んでたってのにさ。
もしかしたらさ、俺のせいで病気になったんじゃないかって。
もう情けなくて申し訳無くて、泣きながらずっと親父に謝ってた。

それからすぐ親父は仕事を退職、毎日家に居る。
相変わらず毎日の薬と、週何回かの通院のままだけどね。
親父、長生きしてくれな。
俺も大学卒業出来て仕事に就いて、今まで出来なかった親孝行やっと出来る様になったんだからさ。

俺が仕事行く時にわざわざ玄関まで来なくたっていいよ。
欲しい物有ったら何でも言ってくれよ。
体辛くなったらすぐ言ってくれよ。気なんか遣わなくていいんだからさ・・・
最後に、面と向かっては言えないからここで言わせてくれ。
こんな馬鹿息子で本当にごめん・・・ありがとう。

三年前に親父が死んだんだけど、ほとんど遺産を整理し終えた後に
親父が大事にしていた金庫があったんだよ、うちは三人兄弟なんだけど
おふくろも死んじゃってて誰もその金庫の中身を知らなくてさ
とりあえず兄弟家族みんな呼んで、その金庫をあけることにしたんだけど
これがまた頑丈でなかなか開かないんだよ。仕方ないから鍵屋を呼んで
開けてもらうことにしたんだけど、なかなか開かなくてさ
なんとなく俺たちは子供の頃の話を始めたんだよ、親父は昔からすごい厳格で
子供の前で笑ったことも一度もなくて旅行なんてほんとにいかなかった
子育てもお袋に任せっきりで餓鬼の頃はマジで親父に殺意を覚えたよ

んで、一番下の弟が、そういうわけだからしこたま溜め込んでるんじゃねえか?
みたいなことを言い出して、その後に真中の弟も親父が夜中に金庫の前で
ニヤニヤしながらガサガサやってんのを見た とかいったから
俺もかなり金庫の中身に期待を抱いちゃったんだ
んで、そのときに鍵屋がちょうど「カギ、開きましたよ」といったから
ワクワクしながら金庫の前に行き、長男の俺が金庫のドアを開けたんだ
そしたら、まず中からでてきたのは、古びた100点満点のテストなんだ
それをみた一番下の弟が「これ、俺のだ!」といって俺から取り上げたんだよ
次に出てきたのは、なんかの表彰状、すると次は次男が”俺のだ”といいだして
その後にネクタイが出てきたんだ、見覚えがあるなあと思って
気がついて叫んじゃった「あ、これ俺が初めての給料で親父に買ってやったネクタイだ」
その後に次々と昔の品物が出てきて、最後に黒い小箱が出てきたんだよ
その中には子供の頃に家の前で家族全員で撮った古い写真が一枚出てきたんだ

それを見た俺の嫁さんが泣き出しちゃってさ、その後にみんなもなんだか
泣き出しちゃって、俺も最初は、なんでこんなものが金庫のなかにあるのかが分からなくて
なんだよ、金目のものがねーじゃんとか思ってちょっと鬱になってたんだけど
少したって中に入っていたものの意味が理解できたとき、その写真を持ちながら
肩震わして泣いちゃったんだ。人前で初めて本気で号泣しちまったよ
そこで鍵屋が、きまずそうに「あの、私そろそろ戻ります」とかいったんで
みんなが、はっとして涙をにじませながら「ありがとうございました」
このとき、俺は親父がどんなに俺たちのこと想っていてくれたかと
さっきまでの自分が金目当てで金庫を開けようとしたこと
子供の頃に親父に反感を抱き、喧嘩ばっかりしたことが恥ずかしくて仕方がなかった
親父は金よりもほんとうに大事なものを俺たちに遺していってくれたと思っている

 

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