父親の泣ける話 – 感動エピソード【12】
誇れるようなものないけど
俺の親父は平凡で無趣味だけど、母さんと毎日喧嘩するけど、ずーっと仲が良い
俺ら子供を二人とも大学まで進学させてくれた
特にこれって誇れるようなものないかもしれないけど
子供出来たら今の親父のようになりたい
でも、いつも感謝の言葉伝えられてないから来年家族4人で旅行連れてってあげて
両親にここまで育ててくれてありがとうって言いたいね
お父さんのスーツ
「男は人前で泣くものではない」と厳しく言ってましたよね。
だから、お父さんが亡くなる時も通夜でも葬式でも
俺は決して泣かなかったのです。
あの頃、まだ幼稚園児だった弟はもう大学生です。
成長する毎に、顔、声、体格、なぜか仕草まで、
お父さんに生き写しと誰からも言われるようになりました。
弟が俺の結婚式で着ていたのは、お父さんのスーツでした。
「これお父さんの服」と弟に言われる迄、気付きませんでしたが。
弟はただ、ピッタリだからというだけの理由で着たようです。
しかし、それを知ったが最後、弟にばかり気を取られます。
一瞬、お父さんかと錯覚する程似て見えます。
お父さんに、今日のこの場所にいてほしかった。
そして「育ててくれてありがとう」と言いたかった。
初めてネクタイを締めた弟の姿を見せたかった。
様々な思いが去来する中、俺に「おめでとう」と言った弟の声が、
あまりにもお父さんに似過ぎていて涙を堪えきれなくなったのです。
言い付けを守れなくてすみません。
けれど、こればかりはお父さんも許してくれるのではないか、
と甘く考えていることも、正直に書いておきます。
夢と同じ味
昨日夢を見た。
嫁の「起きろー!」と言う馬鹿でかい声で目が覚める。
テーブルには娘がもう嫁が作った朝ご飯を食べている。
嫁が「はいよっ」と眠気覚ましのコーヒーを入れてくれる。
ちょっと味が濃い。でもものすごくうまい。俺の好きな味をよく知ってる。
会社に行く支度して嫁にネクタイ締めてもらって「はいっ、いってらっしゃい^^」
と背中をポンと叩かれ「いってきまーす」と玄関を開けたとこで
娘の「起きろー!」という声で夢から覚めた。
娘「お父さんニヤニヤして寝てたよ」
娘「良い夢でも見てた?」
俺「うん。お母さんに久しぶりに会ったよ」
娘が眠気覚ましのコーヒーを入れてくれた。夢と同じ味がした。
遺影の嫁がいつもより笑ってる気がした。
あの日から俺は
俺が小3の時、ガンを患っていた母が亡くなった。
それから父は、俺と当時2歳だった妹の世話をすることになった。
慣れない家事と仕事の両立に父は懸命だった。
当然遊び盛りだった俺も否応なく、家の事を手伝わせられた。
なぜ母を奪ったのかと、ずっと己の不幸を呪い、この世に神様はいないと天を恨んだ。
やがて幼かった妹にも手がかからなくなり、俺は高校へ進んだ。
学費はバイトを始めることで何とかなった。
ところが妹も小学校の高学年に進み、胸が膨らみ始めた。
これまで恥を忍んで妹の下着を買って来た父も、ブラジャーなど買った
ことがあるはずもなく、途方にくれていた。
そんな時、俺にバイト先で知り合った彼女ができた。
事情を話すと、彼女は妹と一緒に下着を買いに行ったり、生理用品の事など、なにかと妹の面倒を見てくれた。
当初戸惑っていた妹も、やがて彼女を実の姉のように慕うようになった。
彼女が遊びに来て4人で食事をしていた時、
母が死んで以来やめていた酒を父が久しぶりに飲んで酔っていたのをはっきり憶えている。
俺は亡くなった母が彼女と俺を引き合わせてくれたのかと、神様に深く感謝した。
母がいないことをのぞいて、やっと普通の家庭とはこんなものなのかと思える日々が訪れた。
そして社会人となった俺は彼女と結婚した。父と妹も、もちろん祝福してくれた。
父は定年退職したが、子会社のちょっとした役職で再雇用して貰えたと嬉しそうに話していた。
そんなある日、高校生になっていた妹が突然交通事故で死んだ。
葬式の数日後、父は会社に辞表を出し、俺は悲しみで何をする気力もなかった。
妻は父と俺のそんな気持ちを察してか、
妹の遺品を全て処分しようとして妹のタンスから
最初に買ってやったブラジャーを見つけて、泣き崩れた。
あの日から、俺は神も仏も信じられなくなった。
大切なメール
末期癌の父が新年明けて4時間後にくれたメール
タイトル:ありがとう☆頑張ります(^^)
去年は、ほんまにありがとう。(^-^)
家族みんなが支えてくれて、ほんまにありがとう。(^^)
今年も、甘いことを、言ってる状況では、ありませんが、できる限り、
前向きに、頑張りますので、
みんなで、協力してがんばってください(^-^)
とりあえず、今よりは、今年の夏のほうが元気になるを目標にします(^-^)
よろしくお願いします。(^^)v
こんなメールが母さんと兄弟3人全員に送られた。
もう歩けないくらい癌で弱ってたのに、必死にメールを打っていたと思うと泣けてくる。
このメールが送られてきた9日後、父は亡くなった。
このメールは一生大事にしようと思っている。
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