父親の泣ける話 – 自慢したくなる父 編
手作りのカバン
ちょびヒゲ親父がマスターやってる小さい喫茶店でバイトしてた頃の話。
その喫茶店には、近所のばあちゃんと高校生の孫娘という2人組が数少ない常連客の中にいた。
ばあちゃんと孫娘はめちゃめちゃ仲良しで、俺やマスターも2人と仲良かった。
ある日、そのばあちゃんと孫娘がいる時に初来店の女子高生2人組の客も来たのね。
んで、その女子高生2人組は孫娘のカバンを指差してクスクス笑いだした。
「何あのだせぇの」「ありえなくね?」「つかあんなん持てる奴が信じらんない」とか言いながら。
孫娘が持ってるカバンは確かに流行りのものとかではなかった。
でもそれはばあちゃんの手作りのカバンだったからなのよ。袋っぽいカバン。
俺とマスターは以前そのカバンの話をばあちゃんと孫娘から聞いてて、
そんでカバンがばあちゃんの手作りってことも知ってたたもんで、内心すげーむかついてた。
しかも店が狭いうえに笑い声とかが無駄にでけーもんだから孫娘たちにも丸聞こえで、
ばあちゃんなんか明らかに悲しそうな申し訳無さそうな(←孫に対して)顔になっちゃってる。
俺の中でその女子高生2人はもう、うんこ。注文取りにいくのもすげー嫌。
そしたらいきなりマスターがそのうんこ2人組んとこ行って、そんで「帰れ」って言った。
うんこ共は最初半笑いで「はぁ?」とか言ってたんだけど、マスターが「いいから帰れ」って
また言ったら、奴らは「まじむかつくんだけど」「マジうぜぇキモイ」って切れながら帰った。
俺はもう、ちょびヒゲを心底尊敬したね。むかつくと思うことしかできなかった自分を恥じると共に。
そんで更に孫娘、「あたしこのカバン大好きだよ?」ってばあちゃんに笑顔で言った。
ばあちゃんすげー嬉しそうで、そんでちょっと泣きそう。むしろ俺が泣いた。我慢できなかった。
鼻水まで出す勢いで泣いてしまった俺はさすがに死ぬほどかっこ悪かったが、
ちょびヒゲのマスターと優しい孫娘はマジかっこいいと思った。マスターと孫娘の武勇伝。
たまに家に帰ってくるおじさん
中学1年で父親を亡くして、女手一つで育てられたうちの親父
よくある話だけど新聞配達をしながら中学高校を卒業したが、生まれつき体が弱かったため一浪で大学に。
憧れだった松下電器を受けたが、片親だった事が災いしたのか落された。
そして当時はまだ中小だった今の会社へ。
どれほど頑張って働いたかは知らないが、幼い頃の記憶は「たまに家に帰ってくるおじさん」
ぐらいの印象しかないほど出張で世界中飛び回ってた。
40年以上もの間、無遅刻無欠勤で頑張り続け兄、姉、俺の3人に何不自由させる事もなく
育ててくれた、そんな親父も来年の2月でやっとお勤めが終わる。
性格は偏ってるし、言う事きついけど、働き出してやっとわかる親父の偉大さ…
上2人に比べて出来悪くてほんと申し訳ない…直接言えないのがまた情けない
そして、俺が出来たと分った時、親父は「もう2人いるんだし、おろしたら?」と言ったのを
「せっかく授かったんだから産みたい」と押し切ってくれたオカン。
昔から一番手のかかるダメ息子で、グレたり反抗したりもひどくて何度も泣かせた。
今でも毎日ご飯作ってくれてしんどいときは慰めてくれて…愚痴が多いのがたまにきずだけど
最高のカーチャンです。いつもありがとう
面と向かって言えるぐらいしっかりした大人になりてぇよ…orz
自分は絶対に出世する
小さい頃は近所の駄目人間おじさんをバカにしてたっけ・・・。
よれよれの紺のビニールジャンパー、べた付いてそのままよりも少なく見える髪の毛。猫背。生気のない瞳。ただその存在そのものを見下してたね。将来自分は絶対に出世するんだって何の根拠もなく思ってたね。
小さい頃からの日々の積み重ねが大人になるまで続いてくなんて夢にも思わなかったよ。中学生の頃通っていた塾の先生が言ってたな。
「俺はあんまり頭良くないから法政にしか行けなかったんだ、ははは。」
クラスのみんなで大笑いしてたっけ。あの内何人が法政以上の大学に行けたというのだろうね。毎日会社に通って夜遅くまで働いてるお父さんがいかに大変で偉大かって、やっと分かりました。
転職を繰り返して人に馬鹿にされて初めて分かりました。生きるって本当に大変。何をやっても後悔が待ってるもんね。特別じゃない。
自分は特別な人間でも何でもないんだって、20代後半になってやっと分かりました。あの頃、白い眼で見てしまったおじさん、ごめんね。
あなたのぶんまで生きようと思います。
でも、時間が必要だったことだけは分かって欲しいんだ、おじさん。
職人
うちの親父はかなりボケが進み 脳味噌プリン状態
息子である俺の顔もわからんようだが台所に立たせると
スイッチが入ったかのように豹変し、マシーンのように一切無駄な動きをせずに
酢飯の仕込みから魚の捌きまでを黙々とこなし
現役時代となんら変わることのない熟練の手つきで寿司を握る
その時、親父には家族は客にしか見えてないようで普段のフガフガした口調とはガラリと変わり
威勢のいい声で「へいらっしゃい なに握りやしょうか?」
おかげで我が家は月に一度、達人の本格江戸前寿司を味わえるのであった
初めはボケの進行を抑えるためのリハビリの一環のつもりだったが
さすがは13歳から寿司を握り続ける父
ボケてもなお衰えぬその手さばきには感嘆を漏らすしかなかった
「ホントにあんたは寿司バカなんだねぇ」とは、いつも涙をぬぐいながら寿司を食べる俺の母の談である
誇り
俺の親父は
小学校の卒業式にも中学の入学式も卒業式も
高校のだって来なかった。
反抗期の俺を怒ることもないし、どんなに頑張っても褒めてもくれなかった。
部活のレギュラーになった時も。表彰された時も。
それでも俺が小2の頃に、
子供守って殉職した警官の親父は
今でも俺の誇りなんだよ。
家出
小さい頃ヘマして叱られ、お前なんか出ていけと放り出された
幼かった俺は家出してやると思って街に飛び出した
十分ほどたってやっぱり寂しくなって家に戻ると親父がいない
親父は俺を探しに行ったのだ
そのせいでさらにこっぴどく叱られたわけだが、俺は二度と家出しないと心に決めた
リストラ
親父がリストラされてから俺は親父を軽蔑してた。
ハローワーク通ってたが歳も歳なので雇ってくれるとこなんてほぼ皆無。だんだんボロボロになっていった。
働かないで費用がかかるとかクズだと思ってた。
親父より良い給料もらってた母親は愛想つかしてた。
そんなとき俺が死亡事故並みの交通事故を起こした。奇跡的に手首と太ももの骨折だけで済んだが家の車を壊した上、母親に迷惑をかけてしまうので俺は少し病んでいた。感情が無いような入院生活が始まって一週間経った頃、親父が申し訳無さそうに見舞いにきた。
正直かったるかった。
その頃の俺が言えた立場じゃないがお前みたいなダメ人間に会いたくもねーよと思ってた。
何も喋ろうとしない俺、気まずそうな親父。
喋ったのは「病院食おいしいか?」と聞かれて「まずい」と返した会話だけだった。
不機嫌な俺の空気を悟って「しんどいのに邪魔して悪かったな。見舞いの品も買えずにすまんな。」と言い帰り際に巾着を渡された。
タッパーに入った親父の手作り弁当だった。意味のわからないふりかけがかかったご飯と不規則に切れ目の入ったウインナー、パサパサに焼いた玉子焼き、唐揚げは作れなかったのかからあげくんの辛いやつが入ってた。
俺は昔から辛いものが好きだった。
びっくりするくらい涙が出た。ポロポロポロポロ流れ出てきた。
今すぐ親父に今までの態度を謝りたくなった。
親父ごめん
親父の手作り弁当
小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった
寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと
持っていったお菓子のみで腹を満たした。弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。
でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。
でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。
流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。
親父は去年死んだ。病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」
とか何とか言った俺に対し、
親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。
弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。
お花で埋め尽くしたお弁当箱
遠足の日、お昼ご飯の時間になり、子供たちの様子を見回って歩いていた時、向こうの方でとても鮮やかなものが目に入ってきました。
何だろうと思って近づいて行くと小学校三年生の女の子のお弁当でした。
中を覗いて見ると、お花でびっしりのお弁当箱でした。
実は、その女の子の家庭は、お母さんとお父さんとその女の子の三人の生活でした。
しかし、遠足の数週間前に、お母さんは交通事故で亡くなってしまったのです。
それ以来、お父さんと女の子の生活が始まりました。
お父さんの仕事はタクシーの運転手さん。
一日交代の勤務で遠足の当日は勤務の日でした。
でも、お父さんは炊飯器でご飯だけは炊いてくれていました。
女の子は一人で起きてご飯を弁当箱につめます。
おかずは自分で作らなければなりません。
家にあるのは梅干とたくわん。そこで、おかずを作り始めます。
小学三年生の女の子にできたのは、ぐじゃぐじゃの卵焼きだけでした。
そのぐじゃぐじゃの卵焼きを白いご飯に入れたとき
女の子はお母さんが生きていた頃のことを思い出します。
お母さんが生きていた頃は、とても素敵なお弁当を作ってくれました。
同時に今日もって来るお友達のお弁当箱が気になり始めます。
お母さんが作ってくれる可愛らしい綺麗なお弁当。
そう思って自分のお弁当箱をのぞいた時
真っ白いご飯に黄色のぐじゃぐじゃの卵焼きだけ。
女の子は思わずお母さんの仏壇の前に行き
仏壇にさしてあったお花をちぎって持ってきて
自分のお弁当箱に入れ
びっしりとお花で埋め尽くしたお弁当箱を持って来ていたのです。
この女の子の担任は、遠足から帰ると大声で泣きました。
この子の生活を十分知っていた自分であったはずなのに
実はしっていたつもりでしかなかった悔しさで、泣き続けたのです。
古い写真
三年前に親父が死んだんだけど、ほとんど遺産を整理し終えた後に
親父が大事にしていた金庫があったんだよ、うちは三人兄弟なんだけど
おふくろも死んじゃってて誰もその金庫の中身を知らなくてさ
とりあえず兄弟家族みんな呼んで、その金庫をあけることにしたんだけど
これがまた頑丈でなかなか開かないんだよ。仕方ないから鍵屋を呼んで
開けてもらうことにしたんだけど、なかなか開かなくてさ
なんとなく俺たちは子供の頃の話を始めたんだよ、親父は昔からすごい厳格で
子供の前で笑ったことも一度もなくて旅行なんてほんとにいかなかった
子育てもお袋に任せっきりで餓鬼の頃はマジで親父に殺意を覚えたよ
んで、一番下の弟が、そういうわけだからしこたま溜め込んでるんじゃねえか?
みたいなことを言い出して、その後に真中の弟も親父が夜中に金庫の前で
ニヤニヤしながらガサガサやってんのを見た とかいったから
俺もかなり金庫の中身に期待を抱いちゃったんだ
んで、そのときに鍵屋がちょうど「カギ、開きましたよ」といったから
ワクワクしながら金庫の前に行き、長男の俺が金庫のドアを開けたんだ
そしたら、まず中からでてきたのは、古びた100点満点のテストなんだ
それをみた一番下の弟が「これ、俺のだ!」といって俺から取り上げたんだよ
次に出てきたのは、なんかの表彰状、すると次は次男が”俺のだ”といいだして
その後にネクタイが出てきたんだ、見覚えがあるなあと思って
気がついて叫んじゃった「あ、これ俺が初めての給料で親父に買ってやったネクタイだ」
その後に次々と昔の品物が出てきて、最後に黒い小箱が出てきたんだよ
その中には子供の頃に家の前で家族全員で撮った古い写真が一枚出てきたんだ
それを見た俺の嫁さんが泣き出しちゃってさ、その後にみんなもなんだか
泣き出しちゃって、俺も最初は、なんでこんなものが金庫のなかにあるのかが分からなくて
なんだよ、金目のものがねーじゃんとか思ってちょっと鬱になってたんだけど
少したって中に入っていたものの意味が理解できたとき、その写真を持ちながら
肩震わして泣いちゃったんだ。人前で初めて本気で号泣しちまったよ
そこで鍵屋が、きまずそうに「あの、私そろそろ戻ります」とかいったんで
みんなが、はっとして涙をにじませながら「ありがとうございました」
このとき、俺は親父がどんなに俺たちのこと想っていてくれたかと
さっきまでの自分が金目当てで金庫を開けようとしたこと
子供の頃に親父に反感を抱き、喧嘩ばっかりしたことが恥ずかしくて仕方がなかった
親父は金よりもほんとうに大事なものを俺たちに遺していってくれたと思っている
重い病気
今日は結婚記念日でカミさんと外食した。
レストランはそこそこに混んでいてガヤガヤうるさかった。
特に隣の家族がうるさくって、カミさんとちょっと顔を見合わせて苦笑いをしたぐらいだった。
父親が子供にいろいろ質問しては笑い、っていうのがえんえん続いてこっちもうんざりしてた。
しかも、その父親がやたらと大きく咳き込むので実際鬱陶しかった。
しばらくすると、ウチのカミさんがその家族の父親を見て、「ちょっとあのお父さん見て」と言うので、見つめるのも失礼なので向いの鏡 越しに彼の後姿をみてみた。
咳き込むたびにハンカチを口に当てていて、それをポケットにしまうのが見えた。
ハンカチは血だらけだった。咳き込んだあとは赤ワインを口に含んで子供たちにばれないよう大声で笑いごまかしていた。
向いに座っていた彼の奥さんは笑っていたが、今にも泣きそうな顔をしていた。
奥さんはどうやら事情を知っているみたいだった。その父親が何らかの重い病気なのは明らかだった。
うちのカミさんはちょっともらい涙していた。
帰りに俺は無神経にも「今日はなんか暗い結婚記念日になっちゃったな。台無しだよな」とカミさんにいった。
カミさんはちょっと沈黙を置いて、
「かっこよかったじゃんあのお父さん。ああいうお父さんになってね」
って涙声で俺に言った。俺もちょっと泣いた。
綺麗に包装された箱
一昨日、姪が5歳の誕生日を迎えた。
毎年姪の誕生日には決まって実家近くの居酒屋で誕生会をしている。
そこは姪の誕生を一番心待ちにし、残念ながら姪をその腕に抱くことなく逝ってしまった俺の親父の行きつけの店だ。
親父はいまどき珍しいほどの職人気質を絵に描いたような古風な男だった。
無口で厳格で特に俺にとってはこわい父親だった。
俺たち兄妹が幼い頃、たまの休みに遊びに連れていってくれたデパートの屋上で乗り物に乗った俺たちが「お父さん!」と手を振っても、照れくさそうに口をへの字に曲げて不細工な笑顔を作るような、愛情表現の不得手な親父だった。
妹が産婦人科の医師からおめでたを告げられたその翌日、
酒の飲みすぎで体を壊していた親父は5年間断っていた酒を飲むために、以前行きつけだった居酒屋に入ったらしい。
そこでいい加減酔って気分良くなった親父は帰り道、あと家まで100メートルくらいというところで事故に遭い、すぐに病院に運ばれたがそのまま他界した。
事故に遭って道路に横たわった親父は、純綿のフリルのついたおくるみが入った、綺麗に包装された 箱を大事そうにかかえていたそうだ。
親父の葬儀のとき、最後に会ったことを因果に感じてか居酒屋の大将が弔問してくれたので、その数日後、俺はお礼がてら居酒屋へ初めて入った。
長い付き合いだけあって、大将は俺たちの知らない親父の一面をよく知っていた。
意外だったが、俺のことも自慢げによく話していたという。
なにより大将の話の中で一番印象に残ったのは妹の体のことだった。
妹はかつて、卵子が通る卵管というところに問題があり、産婦人科からも通常の妊娠はまず難しいだろうとの見解を示されていた。
その事実を知った父親は、俺たちの前では「まぁ、子供を産むことだけが人生じゃない。旦那と2人で幸せに生きていくってのも人生のひとつの在り方だろう。」と半ばぶっきらぼうに言っていた。
しかし、大将の前では違っていたと言う。
飲みすぎを気遣う大将の静止も聞かず酒をあおり、「あの子が何をしたっていうんだ!俺の娘には親になる資格がないっていうのか!」とひどい荒れ様だったというのだ。
その後、長い不妊治療の末、妹がようやく妊娠できたことを知った親父は、それでも俺たちの前では「良かったな。」と口をへの字にした不細工な笑顔で言った程度だった。
そして最期の夜。ずいぶん久しぶりに大将に会った親父は、すこぶるご機嫌だったらしい。
15分に一度おくるみの入った箱を目の前に突き出し、「こいつでくるんだ孫をもうすぐ抱っこしてやれるんだ」と繰り返し言っては目じりを下げ、酒を飲んでいたようだ。
店を出るときに足元のおぼつかない親父に「だいじょうぶか?」と声をかけると、「だいじょうぶだよ!俺はもうすぐおじいちゃんになるんだから!」と理由ともつかないことを言っていたらしい。
俺は久しぶりに人前で泣いた。
別に『男は人前で涙を見せるもんじゃない』という親父の教えを頑なに守っていたわけではないのだが、大将の話を聞いて本当に久しぶりに人前で泣いた。
本当に不器用だったんだなと思う。
照れ屋だったのかもしれない。
俺も親父の愛情を読み取れるほど勘がいいわけでも器用でもなかった。
そして来月、俺もようやく親になる。
親父のように愛情をたっぷりと注げる父親になりたい。
できればもっと上手くその愛情を示したいけど。
遠足のおやつ
小学生の頃、母親が入院していた時期があった。
それが俺の遠足の時期のちょうど重なってしまい、
俺は一人ではおやつも買いに行けず、
戸棚にしまってあった食べかけのお茶菓子とかをリュックに詰め込んだ。
そして、夜遅くオヤジが帰宅。
「あれ・・・明日遠足なのか」と呟き、リュックの中を覗き、しばし無言。
もう遅かったので、俺はそのまま寝てしまった。
次日、リュックを開けて驚いた。
昨日詰めたおやつのラインナップがガラリと変わっている。
オマケのついたお菓子とか、小さなチョコレートとか・・・
オヤジ、俺が寝てからコンビニ行ったんだな。
俺、食べかけの茶菓子でも全然気にしてなかったんだけどさ。
あの時、オヤジがどんな気持ちでコンビニへ行ったかと思うと、
少し切なくなる。
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