感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【14】
子供たちの優しさ
私は今日車を買い換えることを子供たちに伝えた。
主人が結婚する前に、私をくどくために買ったマーチだった。
私を射とめ結婚しそれから6年間乗ったのだから
もうそろそろ新しい車が欲しいね、と彼は言った。
わたしも別段反対することもなく、
子供たちにも普通の会話のつもりで話した。
そこで話は終わるはずだった。
子供たちの反応は私たち夫婦のとは異なり、
今にも泣き出さんばかりであった。
「こわれちゃったの?」「もうあえないの?」
確かに普段から、ものにも心があるのだ、
だからものを粗末にしてはならないのだ、と教えてはいたが、
彼らがマーチに対してこれほど思いを抱いていたとは知らなかった。
私たち夫婦は彼らの優しさに心を打たれ、
それをほほえましくまた誇りにさえ思ったが、
実際今度生まれる三人目の子供のことを考えると、
今の車では小さすぎるのだ。
だから私たちは彼らが傷つかないように根気よく彼らを説得した。
その夜わたしはかれらがいつまでもその心を持ち続けることを願って床についた。
納車される前の日に、上の子が手紙を持って私の前に座った。
別れゆくマーチのために手紙を書いたのだった。
「マーチへ。
いままで いろんなところに つれてってくれて ありがとう。
これからも げんきでね」。
文字の書けない下の子はマーチの絵を
上の子の手紙の挿絵として書き加えていた。
マーチは自動車販売店に下取りされることが決まっていた。
そこのお店の人の迷惑になるかもしれないと思いつつ、
息子たちの手紙をマーチに忍ばせ、わたしたちはマーチを見送った。
それから新しい車が来て、私たち家族は久しぶりに少し遠くまで出かけた。
それから9ヶ月がたったころ、マーチから息子たちへ手紙が届いた。
「あつし ゆうき へ
げんきにしてるかな? ぼくは げんきです。
あつし と ゆうき と わかれたあと、ぼくは あたらしいかぞくに であいました。
おとうさん と おかあさん と けんたくん の さんにんかぞくです。
けんたくんは まだまだ ちいさくて あまえんぼうさん です。
おおきく なったら けんたくんも あつし や ゆうき の ように
やさしいこに なってほしいな。
いつまでも げんきでね。
マーチ」
かわりに読んでいたわたしは、途中で主人に代わってくれといい、
彼もあと少しで涙するところだった。
上の子は、まだたくさん泣いていい年頃なのに泣くのを必死にこらえている。
「悲しくないのにね、何で泣いちゃうんだろうね。」
一生懸命笑おうとしておかしな顔になっている息子を見て、
わたしたちも泣きながら笑った。
下の子はよく分かってないみたいだけど、一緒に笑った。
たった一台の車が、よく出来た夫と優しい息子たちをわたしに与えてくれた。
そして、けんたくんのおかあさんがやさしい贈り物を贈ってくれた。
私は今何気ない日常の中で嬉し涙の味をかみ締めている。
出会いは損か得かじゃない
何年か前の、5月の連休中のこと、あるご夫婦が、ライトバンのレンタカーを借りて、佐賀から大分県の佐伯(さいき)市を目指して出かけた。
佐伯市からは夜11時に四国行きのフェリーが出ていたからだ。
有料道路も整備されていなかった時代なので、充分な時間の余裕をもって出かけたつもりだったが、迷いに迷ってしまい、大分の湯布院に着いたときは、夜の9時だった。
ご主人はこれでは間に合わないとあせって、大分南警察署に飛び込み、佐伯までの近道を聞いた。
警察官は、
「我々、大分の慣れた人間でも、佐伯までは距離があり、山道で複雑なので、道に迷ったり、事故にあうかもしれない。
今晩はあきらめて、ゆっくりここへ泊まり、明日出かけたらどうですか?」
とアドバイスした。
しかし、ご主人は、
「それは、できません。
実は、私たちの19歳になる娘が、高知県でウインドサーフィンをやっている最中に溺(おぼ)れて亡くなった、という知らせを今日受けたのです。
生きた娘に会いにいくのなら、明日でもいいのですが、死んでしまった娘ですから急いで駆けつけてやりたいのです」
と正直に事情を話した。
それを聞いた、警察官はそういうことなら、「全力をあげて、何とか努力だけはしましょう」と言った。
そして、すぐにフェリーの会社に電話をし、事情を説明して、出港を待って欲しいと頼んだが、
「公共の乗り物でもあるし、キャンセル待ちが何台もあり、難しい。とにかく10時半までには来て下さい」、と断られたという。
そのやり取りをしている間、もう一人の警察官が署長に了解を取り、車庫のシャッターをあけ、しまってあったパトカーを出してきた。
そして、赤色灯をつけ、レンタカーの前にぴったりつけ、
「今から、この車をパトカーで先導します。
このレンタカーの運転もベテランの警察官が運転しますので、ご夫婦は後ろの席にかわってください」と言った。
そして、ものすごいスピードで大分市内まで降りてきて、
「我々はここから先は送れませんが、とにかくこの10号線をまっすぐに南に下ってください。
そうしたら佐伯に必ず出られます。
どうか、頑張って運転してください」
と言って、敬礼をして戻って行った。
佐伯に着くと、警察官の再三再四の要請に、船会社も動いてくれ、一台分のキャンセル待ちのスペースを空けて待っていてくれた。
そして、フェリーになんとか乗ることができ、娘さんの遺体を収容して帰ってくることができたという。
娘さんを亡くされたご夫婦は、その後何日間かは、あまりの悲しみで呆然(ぼうぜん)とし、何もできなかった。
しばらくして、気持も落ち着き、「あの時、もし船に間に合わなかったら、どんな気持で一日待っただろうか」、と思うと、いてもたってもいられなくなり、大分南警察署にお礼の手紙を出した。
そして、その手紙で、皆の知るところとなった。
そのときの若い警察官は表彰され、こう言ったという。
「我々だけじゃないと思いますが、人と人との出会いは損か得かじゃありません。損か得かだったら、こういうことは一歩も進みませんから」
オレオレ詐欺
ある日、叔母さんのうちに一本の電話がかかってきた。
「こちら警察のものですが、お宅の息子さんが事故を起して通行人に怪我をさせてしまいまして、被害者の方から示談で良いとのことで、至急こちらの口座に振り込んでいただきたいのです。ただいま、息子さんに代わりますね・・・」
叔母さんはすぐにそれが最近流行っているオレオレ詐欺だということに気が付いた。
なぜなら、息子は5年前に事故で亡くなっているからだ。
「母さん、俺だよ、事故起しちゃってさぁ、大変だよ。すぐに示談金振り込んでくれよ」
叔母さんはその声を聞いてハッとした。
死んだ息子の声とそっくりだったからだ。
まるで死んだ息子が蘇り、そこにいるような気がした。
叔母さんは電話を切ることが出来ず、しばらく息子にそっくりなその電話の声に聞き入っていた。
そして再び警察官と名乗る男に代わった。
「そういうわけなので、どうかお母さん、示談金、お願いしますね・・・」
再び息子と名乗る男に代わった。
「母さん、ゴメンよ、助けてくれ」
そこで叔母さんはやっと真実を話した。
「あのね、私の息子は5年前に死んでるの。」
電話の声がパタリと止まった。気まずい空気が流れた。
しばらくの沈黙の後、電話が切られる前におばさんは言った。
「ちょっと待って、あなたの声、息子とそっくりなの。電話切る前に、もう一言だけ、声を聞かせてもらえないかしら。」
しばらくして、電話の主はこう言い、電話を切った。
「母さん」
川が氾濫したときの事
タクシーの中でお客さんとどんな話しをするか、
平均で10分前後の短い時間で完結する話題と言えばやはり天気の話しになります。
今日の福岡は台風11号の余波で朝から断続的に激しい雨が降っていました。
午後も遅く、
駅の近くの整骨院からそのおばあちゃんをお乗せした時も─。
「どちらまで行きましょう?」
「近くて悪いけど五条(太宰府市)の○○薬局までお願いできるやろか」
「了解しました」
普通に走れば10分ほどの距離です。
「よく振りますねー」
「やっぱり台風の影響やろうか」
「四国や近畿は大変みたいですよ」
「福岡は被害が少なくてな有難かよ」
※福岡は去年から台風の直撃が無い。
「オオカミ少年の話しみたいに、
来る来るって言われて来ないとだんだん警戒しなくなりますよね」
「そういう時が本当は一番危なかとよ」
と、ここまでは最近の定番の流れです。
─車は若干の渋滞の中を増水した川に沿って走っていました。
「昔な、私がまだ小学校の三年生やった頃、台風でこの川が氾濫した事があったとよ」
「はあ…」
「家の台所、その当時は土間やった所に水が入って来てな、
母親が学校に行って人を呼んで来なさいって言うとよ」
(長くなりそうな予感)
「その母親は継母で厳しい人やったけん、私は逆らえんで雨風の中に飛び出したと」
「ほほう‥‥」
「ちょうど今ぐらいの時間やったけど空はもっと暗くてね、どこが川なんか分からんくらい辺り一面水浸しやった。
途方に暮れたけど、家に戻ると叱られるってわかっとったからな、
もう無我夢中で土手をよじ登って、
何度も吹き飛ばされそうになりながら学校に向かって走ったとよ。
校舎の裏の崖を今度は半ば流されながら下って、やっと学校にり着いた時には辺りはもう真っ暗やった…」
─車は五条の通りをノロノロと進んでいます。
台風で学校に残っていた先生達は
職員室に駆け込んで来た彼女を見て驚いた様子でしたが、
彼女が事情を話すと数人の男性教師が合羽を着て外に走り出して行きました。
「よくここまで来たね」
「お母さんが寄こしたの?」
「そう…大変だったわね」
残った先生達が彼女を労ってくれました。
皆彼女の家の事情は知っていたようで、
(可哀想にこんな小さな子を台風の中外に出すなんて)
と言う気持ちだったのでしょう。
中でも一人の女性教師が、
「T子ちゃん こんなに濡れて 頑張ったね!
辛かったね
でもお母さんを悪く思わないでね」
と抱きかかえるようにして彼女の身体を拭いてくれました。
「有り難くてね涙が止まらんかったよ」
─あと1つ角を曲がれば薬局が見えてきます。
(そろそろ切り上げ時かな)
僕は、「先生の恩って有難いですね」とかなんとか、無難な合いの手を入れて話しを終わらせようとしました。
しかし、次の彼女の一言で言葉が出なくなりました。
「後で判ったんやけどな、その時の女の先生っていうのが私の本当のお母さんやったんよ」
─車は薬局の駐車場で停止しました。
「ごめんな運転手さん、年寄りの話しに付き合わせて」
「いえ…」
「いくらかな」
「920円です」
千円札を出して
「お釣りはいらんからな、コーヒー代にもならんやろうけど」
「ありがとうございます」
足を庇いながらうつむき加減に降りていったおばあちゃんの顔は見なかったけど、泣いているのは声でわかりました。
顔を見れなかったのは、僕も泣いていたからです。
形のいびつなおにぎり
もう20年以上前の事でオンボロアパートで一人暮らしをしていた時の事だ
安月給で金は無かったが無いは無いなりに何とか喰ってはいけた。
隣の部屋には50代くらいのお父さんと小学2年生の女の子が暮らしていた
お父さんとは会えば挨拶する程度だったが娘の陽子ちゃんは仕事から帰ってくると
いつも共同スペースの洗濯場で洗濯をしていたので、会う機会も多く良く話はした
いつだったか、夕方「今日もお父さん遅いの?」「うん」などと会話をしてたら
俺の腹が「グーー」「あれ?お兄ちゃん、お腹空いてるの?」
「まあね」「ちょっと待ってて」
と言うと部屋に入り、まもなくして 形の「いびつ」なおにぎりを持ってきてくれた。
味も何も無いおにぎりだったけど俺は「ありがと」
と言って、たいらげた。
それから彼女と会わない日が続いた。
どうしたのかな?と思う程度で気にはしなかった
ある日、仕事から帰ると救急車が止まっていた。
何だ何だと覗いてみる
「何かあったんですか?」駆けつけてた大家さんに聞く。
「無理心中だよ」
「まいったよ、よそで死んでくれれば良いのに」と吐き捨てるように言う
やがて救急隊が担架を運んでくる。顔までかけられた毛布がすでに死んでいるのを物語る
あれ?担架に納まる身体が小さい。子供?ま・さ・か・・・。
後から判った事だが、お父さんは病気がちで仕事もできず、ガスも水道も止められていたらしい
最後の電気が止められる時、事情を聞きに市役所の職員が大家さんと訪問して 事件が発覚したそうだ。
食べる物も無く米どころか食品は何も無かったそうだ
「あれ?お兄ちゃん、お腹空いてるの?」その言葉が脳裏に浮かんでくる
あの時すでに食べる物はもう無かったんじゃないのだろうか?
たまたまお腹を空かしてた俺を、可愛そうと思い、あの小さな手で一生懸命おにぎりを 作ってくれたんじゃないだろうか?
自分の食べる分も無いのに・・・・。
自然に涙がこみ上げてきた。
やるせなかった。
その後、間をおかず引越ししたが。
今でもあのアパートの近くを通ると思いだす
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