『天国に持っていきたい記憶』など短編5話【32】 – 感動する話・泣ける話まとめ

『天国に持っていきたい記憶』など短編5話【32】 - 感動する話・泣ける話まとめ 感動

 

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感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【32】

 

 

俺の寝顔が写ってた

なんか機械音痴の母がデジカメを買った。
どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。
何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく「どうすればいいの?」って聞いてきたが
「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。
さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。
そしたら「・・・ごめんね」と一言。
そんな母が先日亡くなった。
遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら

俺の寝顔が写ってた・・・。
涙が止まらなかった。

 

 

生まれて初めて乗った救急車

今度の土曜日に息子が生まれて初めての運動会wwwwwwwwwwww
昨日保育園からプログラムもろたwwwwww
先生曰く息子のやつ走るの速いらしいwwwwwwwwwww
しかもリレーの選手とかwwwwwwwwwwww
みwなwぎwっwてwきwたwwwwww
もう実家に電話しまくったwww
俺のオトンオカン気合い入りまくりwwwちょっと引くwww
もち俺の弟と妹も応援にくるwwwwww
たかが4歳のハナタレ小僧に応援に親族8人集合とかwwwwサーセンwwww

4年前。
息子は、生まれたときに肺に水が入っちゃって、すぐ大きい病院に連れて行かないと危ない、といわれた。
俺が生まれて初めて乗った救急車が、生まれたての息子の同伴。
正直わけがわからなかった。
ついさっきまで嫁と「やったね!元気な男の子だね!」って喜んでたのに。
救急車で片道2時間の距離を運ばれ、それから1カ月保育器に入っていた。
その1カ月は俺は自宅で、嫁は実家で、息子は病院で3人別々にくらしてたっけな。
寂しかったな。

そんな息子がついに運動会デビュー。
よくここまで大きくなった。
よくここまで元気になった。
順位なんて何でもいい。ビリけっつでもいい。
土曜日は父ちゃん一番大きな声で応援するからな。

 

 

途方にくれていた時

大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。

「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽物であることが判明した。
すぐに親父電話した。

俺「おい!偽物子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ。最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」

正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。往年の面影も消え、ガリガリになった親父が
また時計をくれた。まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」

オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。
俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・

親父が死んだ今も、金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。

 

あなたの弟に生まれて良かった

丁度、今お通夜の最中です。
兄貴が死にました。
4つ年上の兄貴は40歳の若さで、この世を去りました。
胃がんでした。

私の家は、母子家庭でした。
だから、初めて野球を教えてくれたのは、親父でなく兄貴でした。
新聞配達をして貯めたお金で、私が小学4年のときグローブを買ってくれました。
SSKの安いトンボ目のグローブでした。
中学生のくせに、小学生相手に「剛速球」を投げ、取れないと怒鳴る奴でした。
「カーブ!」と一声。
私に投げられたボールは、手前で私の視界から消えました。
私の中では、江夏、堀内を凌ぐピッチャーでした。
近くの公園で日が暮れるまで、キャッチボールをしました。

「まこ、兄ちゃんが、お前の親父代わりだから、兄ちゃんがお前を大学に行かせてやる!」
少しばかり成績の良かった私に、高校を卒業した兄はそう言いました。
貧しかった我が家の家計を考えてのことだったと思います。
おかげで私は大学を出させてもらいました。
本当に感謝するべきことなのです。
しかし大学卒業後に家を出た私は、兄の恩を忘れていたのでしょうか。
私は上場会社で課長になり、兄貴は自営業とはいえ、従業員は兄の妻を含め3名の零細企業です。
いつのまにか、兄を見下していた気がします。

何様なんだよ、お前は・・・・・ただ自分を自分で罵ることしか出来ません。
「カーブ!」
にいちゃん、にいちゃん、もう1度でいいから、カーブを投げて欲しいです。
私は、あなたの弟に生まれて本当に良かった。

 

 

天国に持っていきたい記憶

『ワンダフルライフ』っていう映画知ってますか?
自分が死んだ時に、たった一つ天国に持っていける記憶を選ぶ、っていう内容。
高校生の頃この映画を見て、何の気なしにママに聞いてみた。
「どのシーンを持っていきたい?」
ママは即答えた。

「アンタが生まれた瞬間かな。」

うちは大して裕福でもなかったのに、私が男の子苦手だったからなんて理由だけで、小学校から身分不相応な私立のお嬢さん学校に通わせて貰った。
なのにちっとも勉強しなくて、ママは何回も赤点取った私のせいで学校に呼ばれた。
受験もないくせに、授業についていく為に塾にも行かせて貰った。
そんなに余裕なかったはずなのに…。
でも当時の私は全然そんな事も考えないで過干渉だって反抗ばっかりしてフプチ家出。
たくさん怒らせ、泣かせた。

やっと専門まで出て、念願の幼稚園の先生になれた。
家にお金も入れられるようになった。
なのに無計画な妊娠…。しかも相手は4つも年下の学生の彼氏。おろしてって言われた。
産みたいけど、1人じゃ無理だよってママに言ったら、人殺しってひっぱたかれた後、

「私にまだ子宮があれば代わりに産んであげたのに…」って泣いた。
ママは子宮筋腫で子宮をとってしまっていた。

その後私の貯金と、今迄家に入れてたお金(ママが貯めててくれた)を合わせて、引っ越し、出産資金にした。
彼氏ははっきり言って自己中のDQNでまだまだ子どもだけど、なんとか説得したよ。
今はお腹の子どもに毎日話しかけてる。

24にもなって、これだけ大切に育てて貰ったのに、何一つお返し出来ず、いい年こいて最後の最後に心配や迷惑をかけたまま嫁に出た。
妊娠経過もよくなくて、度々お世話になってしまった。
みんな諦めた方がいいって言う中、あなただけが私の産みたい気持ちを尊重して、精一杯の事をしてくれた。
私の幸せのために祈り、叱ってくれた。
こんな大人になってもだめな娘だけど、やっぱり天国には初めて会えた日の記憶を持って行ってくれるかな?

ママの孫は、今週か来週には生まれるよ。
あなたを超えるのは難しいけど、私も娘に、あなたが与えてくれた愛情を伝えて行きます。

いつもごめん。
ありがとう。
世界一尊敬してます。
もうすぐバーバになるママへ。
もうすぐママになる馬鹿娘より。

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