感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【42】
家族を連れて行かないで
俺18歳なんだが今年で18年目になる飼い猫がいる つまり俺と同い年なわけだ
どんなに記憶を遡ってもそいつがいる
本当に兄弟のように一緒に育った
布団の中に入ってくるし、寝るときに部屋に連れて行かないと廊下で入れろと鳴く
餌は好き嫌いが多いし、甘えてきても腹がいっぱいになれば呼んでもうるさそうに振り向くだけ
でもそんなとこも妙に可愛い
でもそいつもこの数ヶ月で急に衰え始めた
餌が食えない 階段が登れない 一度横になるとなかなか立ち上がれない
病院に連れて行ったら老衰だった
覚悟をしていて下さいと言われた
胸が苦しい 言葉がでない
半年前なら外に連れ出せばすぐに走ってどこかに行こうとしたのに今は腕の中で丸くなってるだけ
こんなに軽かったっけ?こんなに細かったっけ?
事故で死んだりするのとは違ってゆっくりと確実に終わりに近づいていく
こんなに悲しいなら飼わなければよかった
だけどこいつがいなきゃ嫌だ
死んでほしくない
あと20年ぐらい生きてほしい
神様お願いだよ
家族を連れて行かないで…
文面から感じられる優しさ
脳梗塞で入退院を繰り返していた祖父 私たち家族は以前からの本人の希望通り、医師から余命があとわずかである ことを知らされていたが、祖父には告知しないでいた。
「元気になって、またみんなで楽しく暮らそうね」
祖父を見舞った際の合い言葉のようでもあった。
祖父の1周忌が過ぎた頃、父が祖母に1通の手紙を手渡した。
祖母の心の落ち着きを待ってのことだった。
衰弱し、震える手で書かれた文字は書道で師範格であった祖父が書いたとは思えない程弱々しかったが、文面から感じられる優しさ、慈しみが祖父のそれであった。
「おばあちゃん元気 ともに過ごした時間は永いようで短い50年でしたね また機会があればいっしょに暮らしたいものです」
祖父が書いた最初で最後のラブレターである。
待ってた
オレは東京の大学に合格し上京した
夏休みと冬休みは実家に帰り家で飼っている猫と遊んだ
その猫はオレが小学生の頃に、母親の知り合いのところで猫が子供を生んだからと言うので
母ちゃんと一緒に見に行って、その中で一番可愛い奴を貰ってきた猫
仔猫の時は箱にタオルを敷いて中に入れ、オレのベッドの枕元に置いて寝かせていた
大きくなるとオレの布団に入ったり、上に乗ったりして寝ていた
オレが東京に行くと、猫は母ちゃんの布団で寝るようになったそうだ
でもオレが実家に帰るとオレの布団に入ってくる
そんなある日、実家から電話が入った
猫が母ちゃんの布団に来なくてオレのベッドの上で泣いていると
それが毎日のことなので一度帰ってきてあげて・・・
オレは金曜日の授業が終わるとそのまま東京駅に行き新幹線で帰省した
家に着くと猫は大喜びでオレに擦り寄ってきた
でも昔ほど元気はない、もう10才くらいになるから
その夜、猫はいつものようにオレの布団に入ってきて、オレにぴったりくっついて添い寝をし
嬉しそうににゃーにゃー鳴いていた
翌朝、目を覚ますと布団の中で猫は息を引き取っていた
あまりに急なことでオレはしばらく声も出なかった
ただ涙だけが止めどもなく溢れてきた
その後、家族に猫の死を知らせに行った
やさしく声をかけてくれた
子供が外に遊びに行こうと玄関を開けたとたん、みはからっていたのか猫は外に飛び出していってしまいました。
そして探して見つけ出した時にはあの子はかわりはてた姿になってしまった。
私はバスタオルにあの子をくるみその場で泣き崩れてしまった。
自転車で通りすぎる人、横を走る車、みんなが止まり
「どうしたの?大丈夫?」
と声をかけてきてくれた。
でも、その声にも答えず私は声をあげてあの子を抱きかかえて泣いた。
まだ体があたたかったことが、悔しかった。
毎朝、あの子はきまった時間にパパを起こし、えさをねだるのが日課であった。
パパの眠い目をこすりながらも、おねだりするあの子にえさをあげてから朝の一服をする。
あの子が死んだ次の日の朝、パパはいつもの時間に起きてきた。
そして、ソファーに座りたばこに火をつけた。今日は足にまとわりついてくるあの子がいない。
パパの背中がさみしそうで、また涙がこみあげた。
あの子はいつも長男と一緒に二階に上がり長男のベットで一緒に寝ていた。
あの子が死んだ時、呆然としていた長男が、ベットで夜泣いていた。
私は声をかけてあげることができなかった。
親として悲しんでる子供をなぐさめてあげなければいけなかった。
でもその長男の姿を見た私は、その場でうずくまって声を殺して泣き崩れてしまった。
食事の用意をしていても、掃除をしていても、涙が勝手にあふれてくる。
泣いている私に息子は、
「次はどこ掃除する?手伝うよ。」
とやさしく声をかけてくれた。
「ママが隊長で、僕は副隊長になって掃除しようっ!」
泣きっぱなしでぶさいくになっている私は、
「隊長ばっかで部下がいないじゃん。」
とぐしゃぐしゃの顔で笑った。
あの子が死んでから初めて笑った。
くよくよしていたらいけないことを息子が教えてくれたようでなさけなかった。
今日で、もう泣くのは終わりにしよう。
あの子とのいっぱいの思い出を胸にしまい、今日からいつものママにもどるからね♪
火災現場で救助
五年前のある日、ある病院から火災発生の通報を受けた。
湿度が低い日だったせいか現場に着いてみると既に燃え広がっていた。
救助のため中に入ると一階はまだ何とか形を保っていたので、そこを同僚に任せて先輩と二人で階段を上った。
二階は見渡す限り火の海になっており、煙が廊下を覆っていた。
先輩は西病棟を、俺は東病棟の病室を回り要救助者を探した。
出火場所は二階のようでフラッシュオーバーの可能性も考えられたので時間との戦いだった。
東病棟を回っていくと一番奥の病室にだけ女性が一人いた。
声をかけたが気を失っていて反応がなく危険な状態だったため、急いで抱きかかえて救助した。
数日後、俺は不意にあの女性がどうしているのかが気になり、病院に連絡をとってお見舞いに行くことにした。
看護師に連れられて病室へ行くと彼女はベッドの上で会釈した。
改めて会ってみるととても可愛らしい人だった。
「お体は大丈夫ですか?」
と聞いたが彼女は首を傾げるだけだった。
看護師が少し困ったような顔をしながら紙に何かを書いて渡すと彼女は笑顔になって、
「ありがとうございました。大丈夫です!」
と書いて俺に見せた。
彼女はろうあ者だった。
しばらく二人きりで筆談し、趣味のことや小さいころのことなど色々なことを話した。
耳が聞こえないということを感じさせないくらい前向きな人で本当に楽しいひと時を過ごすことができた。
彼女は
「もしよかったらまた来てくださいますか?」
と少し心配そうに聞いてきたので
「では、またお邪魔します。」
と答えて病室を後にした。
彼女と話すために手話を勉強し始めたり、好物のお菓子を持っていったり・・・。
そんな関係が続いて二ヶ月ほど経った非番の日。
俺はやっとどうしようもなく彼女に惹かれていることに気づいた。
彼女のことを考えない時がない。
俺はこの気持ちを告白することを決意した。
彼女の病室の前まで来たのだが、いざ取っ手に手をかけると緊張のあまり、手が震えた。
一度、深呼吸をして気持ちを落ち着けてから引き戸を引いた。
その日は冬にしてはよく晴れて暖かい日であり、やわらかい日差しが窓から差し込んでいたのをよく覚えている。
彼女はその光に包まれながら読書をしていた。
いつもの童顔で可愛らしい雰囲気とは違い、どこか大人っぽい感じがして思わず見蕩れた。
俺が来たことに気づいた彼女はいつものようにニッコリ笑って本を閉じ、それからはいつもと変わらない時間を過ごした。
その中で
「大事な話があるんだけど聞いてくれるかな?」
と切り出した。
彼女が頷いたので思いの丈を紙に書いて渡した。
彼女はそれを見て不安そうな顔をし、何かを書き付けて寄こした。
紙には
「私、耳聞こえないんだよ?一緒にいたら大変だよ?」
と書いてあった。
すごく寂しそうな顔をしていた。
返事を一生懸命に考えてはみたが、残念ながら気の利いた言葉を言えるような素敵な男ではないので思っていることをそのまま書いた。
「ただ傍にいたい。いつだって力になりたい。そんな理由じゃダメかな?」
ダメ元だった。
それを見て彼女は泣き出し、震える手で
「ありがとう。おねがいします。」
と書いた。
つきあっていく内に茄子と稲光が苦手だとか、実は甘えん坊で頭を撫でられたり抱きしめられるのが好きだとか、知らなかったたくさんの面を知ることができた。
つきあい始めてちょうど二年が経った日にプロポーズした。
相変わらず飾り気のない言葉だったが、嫁は顔を赤らめて少しだけ頷いてくれた。
ご両親には既に結婚を承諾してもらっていたが、一応の報告と式のために二人の故郷、能代へと帰省した。
もうじき結婚生活三年目だけど、感謝の気持ちを忘れたことはないよ。
どんな時でも笑顔で送り出してくれる嫁がこうして傍にいてくれるからこそ、死と隣り合わせの火災現場でも俺は頑張れるんだから。
今からちょっと抱きしめてくる。
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