感動する話・泣ける話まとめ 短編5話【87】
老紳士
電車で泥酔して寝ている若者が床に落としてしまった携帯電話
それを声をかけても爆睡している若者の上着ポケットにソッとしまってあげる老紳士を見て思いました。
自分も気がつかない間に誰かに優しくされているのかもしれない。
そう思うと何だか自分も優しくなれる気がします。
電車内で家族は一つにまとまった
父が高校生の時に、僕の祖父が死んだ。事故だった。
あまりの唐突な出来事で我が家は途方に暮れたらしい。
そして父は高校を卒業し、地元で有名な畜産会社に入社した。
転勤により僕ら家族は実家からの引っ越しを余儀なくされた。
見知らぬ土地。
田舎の実家と比べるとかなり狭い部屋。
帰りが遅い父。
寂しさが募る母。
大きいお家に帰りたいと泣く僕。
そんなある日、父が帰宅すると母と僕が泣いていたという。
父は決心して転職し、家族で実家に戻った。
それから父は変わった。
休みの日はキャンプや海に連れていったり、家族の時間を大切にしてくれた。
小学生の頃。
家族で東京ディズニーランドに行った。
その日のホテルへの帰り道だったと思う。
人身事故で駅のホームは大混雑。
小さな視点を埋め尽くす乱立した人だかり。
待たされた人たちの静かな苛立ち。
都会の異様な冷たさに呑まれる僕と母と父。
電車のドアが開いて、流れ込む人だかり。
流れのままに電車の中へ入る僕たち家族。
殺気立つ人々。
押し潰され「痛い」と叫ぶ僕。
母と繋いだ手が離れそうになる。
母と父から遠ざかる。
痛い。
怖い。
気持ち悪い。
「小さい子がいるんです。押さないでください!」
と父は怒鳴った。
電車の中は静まりかえった。
すると僕たち間に空間が生まれ、するりと父と母の元へ。
電車内で家族は一つにまとまった。
父が格好良かった。
そして、電車内で当たり前のことを指摘した父が、周りから冷たい視線で見られていたのがとても印象的だった。
田舎から大都会へ来て、満員電車を経験したことがなかったため、父は思わず叫んだかもしれない。
でも満員電車はこれが当たり前という雰囲気の中で、家族のために叫ぶ父は素晴らしい。
僕は同じことをできるか自信がない。
僕が大きくなってから、あの日のことを聞いた。
「お前のじいちゃんは早くに死んだ。
悔しかったと思う。もっと子供と一緒に居たかったと思う。
だから俺がその分、子供を大切にしなければならない」
と父は言った。
白髪が増えた。
老眼鏡をかけるようになった。
体は細くなった。
でも、相変わらず酒の量は減らない。
最近、父に孫が出来た。
歳を取っても変わらず、子供に一生懸命に向き合っている。
お盆のある時
私には4年前、赤ちゃんの時に亡くなった子どもがいました。
昨年の8月のお盆のある時、上の娘が空を見上げて
「お母さん、空見てみて。
ほら、空の雲の間に光っているところあるでしょ。そこから○○ちゃんが見えるんだけど、歩けるようになってるよ。
笑ってるし。あと、一人じゃないよ。
ほらお母さんのお友達かな? 一緒にいてくれているよ。
だから寂しくないから、大丈夫だよ」
と私に言うのです。
それを聞いて私は涙が止まらなくなりました。
何故なら、まだ上の子が生まれる前に仲良しだった友人が若くして亡くなったのですが、娘には詳しく話したこともなかったのに、その友人のことまで私に教えてきたのです。
私は思いました。
友人が泣いてばかりいる私に、「私が一緒にいるから大丈夫だよ」と娘を通して励ましてくれたのではないかと。
亡くなった子も天国では成長し、歩いて、笑っていることも判り、少しですが心がすっとしたことを思い出します。
今でも悲しくてふさぎ込むこともありますが、お盆の時の出来事を思いだし、少しずつ前を向いて行けるように頑張りたいと思っています。
食卓のテーブルに四枚のお皿
私と淳子は、結婚して社宅で暮らし始めました。
台所には四人がやっと座れる小さなテーブルを置き、そこにピカピカの二枚のお皿が並びます。
新しい生活が始まることを感じました。
ある日、いつも通りに夕食をしていると、はにかみながら淳子が言います。
「赤ちゃんができたから…」
「そうか」
としか言葉が出てきません。
次の言葉も、「そうか、そうか」です。
淳子はうんと頷き、
「私、お母さんになるんだ」
と涙を流します。
女性が母になるとはこういうことなんだ。
そう思ったことを覚えています。
無事、景子が産まれました。
生後百日目に、お食い初め(おくいぞめ)をします。
子どもが一生食べ物に困らないように願い、赤ちゃんに食べ物を食べさせる儀式です。
ただ口にすると言っても、食べる真似をするだけです。
まず、ご飯を食べさせます。
景子は、少し舐めると苦そうな表情で、直ぐに大声で泣き出します。
その様子に、私も淳子も大笑いです。
テーブルの上には、私と淳子、そして景子のお皿。
三枚のお皿が初めて並んでいます。
家族が増えた。そう思いました。
やがて康平が産まれて、食卓のテーブルには四枚のお皿が並ぶようになりました。
家族のイベントがあると、お皿には色々なものが盛られます。
誕生日にはバースデーケーキ、お雛様やこどもの日にはお祝いのもの、お月見にはお団子、クリスマスはケーキ…。
みんな、とっても素敵な笑顔です。
数年後…。
景子が亡くなります。
闘病中は、家族が離れ離れになっていました。
家族全員が揃って、久しぶりの朝食です。
食卓のテーブルには、三枚のお皿が並びます。
景子のお皿は、遺影の前に置かれています。
景子は、もう居ない…。その現実を知らされます。
言葉にならない悲しさ。
ただ無言で食べました。
景子の誕生日。
淳子がバースデーケーキを買って来ました。
景子が大好きだったいちごのケーキです。
チョコレートには、『景子ちゃん お誕生日おめでとう』とデコレーションされています。
みんなでハッピーバースデーを歌いました。
景子ちゃんも一緒、そんな気がします。
今もお祝いをしています。
康平が下宿をすると、テーブルのお皿は二枚になりました。
家の中は、大きな穴がぽっかり空いたような気持ちです。
寂しいねと、どちらともなく言葉を交わしました。
康平は滅多に家に帰って来ません。
でも、偶に帰省して三人分のお皿になると、家全体が明るくなります。
家族が一緒に居る、小さな幸せを感じるのです。
本当に不思議なことです。
四枚から三枚になった時は、人生の不幸を感じました。
でも、二枚から三枚になると、幸せを感じるのです。
お皿は同じ枚数なのに。
テーブルのお皿に盛られていたのは『私の心』でした。
悲しい、辛い、寂しいことがあるからこそ、幸せも感じられる。
そう思うのです。
心臓の病気
その昔、大学の同級生の女の子にがりがりに痩せた子が居た。
細身の娘が好みだったので声を掛け、程なく恋仲に。
ある日、
「心臓に大穴が空いていて、苦しい。子供も無理。諦めるなら今のうち」
と告白された。
本人は死ぬ気だったらしい。
それでも迷うことなく、恋人のまま。
出来る手術があるのならと、方々の心臓外科を探しまくって何とか手術に漕ぎ着けた。
どきどき。
成功した。
嬉しかった。
術後も良好。
でも、子供は無理。
受胎しないだろうと言われた。
当然、親同士は結婚に猛反対。
俺の親は勿論、向こうの両親も。
無視。
無視し続けても尚、説得も続け、6年掛けてやっと挙式・入籍。
十年後、余程経過が良かったのか、妊娠が発覚。
主治医に相談したら、
「妊娠できたのなら出産は問題ないだろう。挑戦しましょう」
お前、俺の女房だぞ、俺の子供だぞ、大丈夫なんだろうなぁ。
どきどき。
無事出産。
3,000グラムの元気な男の子。
あまりに嬉しくて、二寸ほど宙に浮いていた。
半年後、かみさんに似たような心臓障害が発覚。
成長しないだろうってどういう事?
「様子を見ながら出来るものなら手術をしましょう」
かみさんの執刀医の紹介で、小児心臓外科の先生にお願いする。
大事な一粒種、殺すなよ。
頼むから。
どきどき。
成功した。
これ以上ないくらい。
あれから15年。
ころころ太ったかみさんが居る。
「うぜえんだよ、親父」憎まれ口をきく、ちょっと小振りな男子高校生が居る。ここに、冴えないサラリーマンの普通の一家がある。
かみさんにも、せがれにも言わないが、幸せを噛みしめている。
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