母さんの息子で良かったよ
母が肺癌だとわかったのは、亡くなる9ヶ月くらい前だった。
最近は、ズバッと医者から本人に言っちゃうのかな?
母本人が俺に癌だと電話してきた。
あと一年、ってところだと。
自分で言うのもどうかと思うが、俺は親の事をそれなりに大事にしているつもりだったし、実際母にとっても俺はどこへ出しても恥ずかしくない息子だったと思う。
勉強もスポーツもそれなりにできて、人から一目置かれる仕事にも就いている。
結婚した嫁さんは、俺の両親もちゃんと大事にしてくれる気立ての良い人だし、初孫も見せてやれた。
それでも癌だと聞いた瞬間は後悔の念で一杯になった。
これからたくさん旅行へ行って、綺麗な景色を見たり旨いものを食べたりしようとおもってたのに。
少しはお洒落したり、良い服を買ったりしなよ、って言って銀座に連れて行こうって思ってた。
初めてできた娘(嫁さん)や孫と親子三代ガールズトークするんじゃなかったの?ってか孫の七五三だの入学式だの成人式だの、勝手に気の早いこと言って楽しそうにしてたじゃん。
何で?これからだろ?
今まで必死に俺ら兄弟育てて、やっと育児終わった!!って言ってたじゃん。
これからでしょ。
ずっと贅沢なことや楽しいこと我慢してたの知ってるんだから。
でも何も言わなかった。
本人が一番残念に決まってる。
「おいおい、何言ってんのwうちの子まだまだお小遣いとお年玉もらうつもりだからw期待してっからw」
「とりあえず疲れないとこで、みんなで温泉でも行こーぜー」
その後暫くは、母にこまめにメールしたり電話したりして、必要以上に母が不安にならないようにフォローしてた。
でもそんな頃、自分が前々から希望してた海外転勤の話が出た。
悩んだ。
おそらくこれを受ければ、相当な確率で母の死に目には会えない。
ましてや普段の手伝いや元気付けなんて何もできない。
しかも本人が一番の心の支えと言ってはばからない、可愛い孫とも引き離す事になってしまう。
自分が家族に黙って転勤を断ればいい。
それだけの事だとも思った。
それでも決断しきれず、ズルズル返事を伸ばしていた時、母と仕事の話になった。
「どうせ働くなら人の役に立ちなさい。」
その時に決めた。
母に寂しい思いをさせるかもしれないが、俺は人の役に立つことをしよう。
胸を張って家族も会社も国も支えてきた、と言えるように生きよう。
転勤を決め、母にその旨を伝えた。
大変な時に、一緒に居られなくてゴメン、とも。
「あんた早く向こうに慣れて、奥さんと子供呼んであげなきゃ。 家族は離れてちゃダメよ」
母は自分の事は何も言わなかった。
赴任前、最後に言われた言葉は
「身体に気を付けて、気張りなさいよ!」
だった。
俺が最後に聞いた言葉になった。
海外の仕事と生活に慣れるため、最初は単身赴任だったのだが、一ヶ月が経った頃、母が入院したとの連絡が入った。
覚悟はしていたが、やはりきつかった。
赴任前にどうしても伝えたかった事を伝えたくて、母にメールを書いた。
返事はなかった。
その数日後、父から
「医者から、家族は準備をしてくれと言われた」
との連絡があった。
親の死に目に会えなくても後悔しない、という決意はここにきて崩れ去り、上司に事情を話して翌日には日本行きの飛行機に乗った。
帰国し病院で見たのは、モルヒネで意識の混濁した母。
痩せこけ、肌はカサカサで、もう意思の疎通は不可能だった。
医者が言うには、もってあと数日。
その数日は、父と兄弟と交代で、母の側にいた。
この時も俺の心は後悔の念で一杯だった。
こうなる事はわかってたのに。
母に気持ちを伝える機会はあったのに。
何で容体が悪化した後でメールなんかした。
入院を聞いた時にすぐ帰ってればもう一度母と話せたのに。
もう俺の言葉は届かないじゃないか。
最期の時、俺は母の傍に居られた。
もうマスクなしでは呼吸もできなくなった母の身体を、嫁さんと一緒に拭いていると、看護婦さんが
「手を握って耳元で話しかけてあげて下さい。話せなくても、最後まで聞くことはできるって言われてるんです」
と教えてくれた。伝えなきゃ。聞こえてるかどうかわからないけど、それでも言わなきゃ。
俺はゆっくりと母の手を握って顔を近づけて話し出した。
「母さん、どう?まだ痛い?本当に辛かったよね。だけど本当は、もう少し一緒に居たかったな。母さんもこれから色々やりたいことあっただろうけど。
どうかな?俺少しは親孝行できてた?
一応海外旅行も連れてってあげられたし、結婚式も見せれたし、孫も抱けたじゃん?一応俺ら世の中に迷惑掛けずに働いてるし、どっちかっていうと母さんは子育て上手くいった方だよね。すごいと思うよ。すごく尊敬してる。
うーん、どうかな?本当はまだまだしてあげたいことあったけど、、、
幸せだったかな?俺はね、幸せだったよ。母さんの息子で良かったよ。ありがとうね。
また生まれ変わってもね、母さんの子供になりたいと思ってるよ」
その時、もう外部への反応が殆どなくなっていた母の目から、急に涙が一粒流れた。
え?と思った瞬間、心電図が停止し、それが母の臨終の瞬間だった。
その後、兄弟と話してわかった事だが、母は俺からのメールをちゃんと読んでいたらしい(内容は最後に話した事と殆ど一緒)。
少しずつ体調が悪化する中、俺へ返事をする体力と集中力がないことを嘆いていたそうだ。
母さん、改めて、傍に居なくてごめん。
でも、俺が帰ってくるまで待っていてくれてありがとう。
最後の話もちゃんと聞いてくれてありがとう。
俺は少しは支えになれた?
母さんは何を言いたかった?
天国か来世かわからないけどさ、また次会った時、教えてな。
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