心が切なくなる話 60選 短編【31話 – 40話】
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弟が学校帰りに床屋で丸坊主にしてきた
昔、当時中学生の弟が学校帰りに床屋で丸坊主にしてきた。
失恋でもしたのかと聞いたら、小学校からの女の子の友達が今日から登校するようになったからだ、と。
彼女は今まで病気で入院しており、薬の副作用で髪の毛が全部抜けてしまったらしい。
「女が丸坊主じゃ恥ずかしいって言ってたし、だったら他にも丸坊主がいりゃいいかなと思って。
野球部の奴等は元々丸坊主だけど、野球部じゃない丸坊主がいた方がいい」
と弟は言っていた。
翌日、丸坊主で登校した弟は帰宅するなり「同じ事考えた奴が一杯いた……」と。
なんでも優等生から茶髪問題児を含め、クラスの男子全員が丸坊主かそれに近い頭になっており、
病気の子と仲が良い女の子達までベリーショート、一人は完全な丸坊主になってたらしい。
更に担任の先生(男性)まで丸坊主。
丸坊主だらけの教室で、病気の子は爆笑しながら「ありがとうありがとう」と泣いたという。
示し合わせたわけでもないのに、全員同じ事考える当時の弟のクラスに和んだ。
ちなみに病気の子は今も健在、弟は意外に丸坊主が気に入ったらしく、それからずっと丸坊主。
いじめられている君へ
中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。
いばっていた先輩が3年になったとたん、無視されたこともありました。
突然のことで、わけはわかりませんでした。でも、さかなの世界と似ていました。
たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。
せまい水槽に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃し始めたのです。
けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。
すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。
助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。
いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、
なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。
ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。
でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。
学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。
話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、
だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。
大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、
悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。
外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。
広い空の下、広い海へ出てみましょう。
東京海洋大客員助教授・さかなクン
専業農家だったカーチャンの飼っていた牛が連れていかれる日の話
戦後間もない頃の話、昭和30年頃
専業農家だったカーチャンが小学生だった頃まで、牛を飼ってたそうだ
その牛に朝夕、畑の草を食わせに行くのがカーチャンの仕事の一つで毎日散歩のようにやってた
小さい頃に家にやってきた牛はひどく懐いて、
何も言わずともカーチャンについてくるようになって本当に仲良しになった
しかし、数年経ってカーチャンが中学生になったある日・・・
カーチャンが学校から帰ると、家の前にトラックが
カーチャンがバーチャンに「これ、なんのくるま?」と聞くと「・・・牛、連れて行くんよ」
カーチャンはそれで全てを悟って、泣き叫んで暴れて嫌がった
それを見た牛はポロポロと大粒の涙を零しだした
だけれど、牛は、自分がどうなるかを悟ったかのように、動かず暴れたりせず、立ったまま泣くだけ
牛はトラックに乗せられてポロポロ涙流したままカーチャンをずっと見てた
そこでバーチャンが「あぁ、あれはあんたを妹のように思ってたんねぇ」
カーチャンが正気に戻ったとき、業者もバーチャンもカーチャンも牛もみんな泣いてたそうな
業者が言うにはそこまでの牛と娘はめったにいないとか
そういう経験を経たカーチャンは今でも動物を愛するバーチャンになっている
人間は他者の死の上で生きてることを忘れちゃいけない、と教えてくれた時に言われた話のひとつ
ドナルド・キーンが京都に留学生として下宿していたとき
ドナルド・キーンが京都に留学生として下宿していたときのこと。
「或る晩のことです。十五夜で、それはそれはきれいな月の晩でした。私は大学からの
帰り途、その月を見上げて惚れ惚れしながら京都の町を歩いておりました。」
キーン博士は思ったのだそうだ。こんな月の光に照らされた竜安寺の石庭はさぞ美しかろう。
是非見てみたい。博士はその足で竜安寺へ向かった。当時(大戦前)の京都の寺はいずこも
終日門が開いていて、人の出入りも自由だったという。
「私は竜安寺の門をくぐって本殿に入り、あの有名な石庭を前にした縁側に座り込みました。
月光に照らされた石庭の美しさ。私はしばらく身動きができませんでした。三十分、いえ
小一時間ほども私はぼんやりと庭を眺めていました。もう十分すぎるほど石庭に見惚れた後です。
ふと傍らへ目をやると同時に私は驚きました。いつの間にか私のそばに、一杯のお茶が置いて
あったのです。誰が?いつの間に?どうして?想像するしかないのですが、おそらくお寺の誰か
だったのでしょう。外国人の若い学生が石庭に見惚れているのを見て、邪魔をしないように、
そうっとお茶を置いていってくれたのです。私は、とても感激しました。」
こんなもてなし方ができる民族は日本人だけだ、と博士は思ったそうである。
「そして、だからこそ私は日本のことが大好きになりました。」
無口で朴訥として不器用な祖父から
いつからか祖父が灯油を買いに行くようになった。
農業に一生を捧げた無口で朴訥とした人間で、体が弱くなってからはあまり外に出たがらなくなっていたので家族は驚いた。
それまでは母が車でガソリンスタンドへ赴いていたのだが、手間が省けたと昼頃にふと思い出したようにポリタンクをキャスターに載せて家を出る祖父を見送った。
しかしそれから暫くして、母が父にぼやくのを聞いた。
「お義父さんいつもお金を多く請求するの。『少しくらいならいいじゃないか』って。うちだって切り詰めてやってるんだから。」
父は苦笑いしていた。
冬も終わろうかという或る日、トイレから戻ると祖父が俺の部屋にいた。
遂にボケたのかと思い、出て行けと強く怒鳴った。
萎縮して小さくなった背中に軽蔑と憎悪の視線を突き刺しながら言った、小汚い守銭奴め。
祖父は一言も口にすることなく部屋を出た。
その日以来、僅かながらも半ば義務的に繋がっていた祖父との関係は断絶した。
そこにいてそこにいない人だった。
いつかの自分を重ねてしまい、誰に対するわけでもない悪態をついた。
5月に祖父が亡くなった。
何事もなく眠り、眠ったまま、眠るように亡くなった。
悲しみは無かった。
そこにいなかった人間がいなくなっただけなのだから、当たり前だ。
祖父の遺品に新品のスーツがあったそうだ。
大切に保管されていたそれは父でもなく祖父でもなく、24歳の俺にピッタリのサイズだった。
いつからだろうか、一切を放棄することで全てを諦め、他人の前に姿を見せなくなり始めたのは。
些細なことがきっかけだった高校時代のイジメが原因かもしれないし、日中から家に居ることをただ責めた両親の鈍感が原因かもしれない。
けれど本当はわかっていた。
誰の所為でもないと。
このままではいけないと。
祖父は知っていた。
焦燥を、苛立ちを、無力感を。
シワ一つない真っさらなスーツは、無口で朴訥とした、不器用な祖父なりの精一杯だった。
必死で貯めたお金、訊けなかった寸法、渡せなかった答え。
泣くのは違う気がした。
明日、これを着て一歩踏み出すことにした。
レストランで大きく咳き込む隣の父親
今日は結婚記念日でカミさんと外食した。
レストランはそこそこに混んでいてガヤガヤうるさかった。
特に隣の家族がうるさくって、カミさんとちょっと顔を見合わせて苦笑いをしたぐらいだった。
父親が子供にいろいろ質問しては笑い、っていうのがえんえん続いてこっちもうんざりしてた。
しかも、その父親がやたらと大きく咳き込むので実際鬱陶しかった。
しばらくすると、ウチのカミさんがその家族の父親を見て、「ちょっとあのお父さん見て」と言うので、見つめるのも失礼なので向いの鏡 越しに彼の後姿をみてみた。
咳き込むたびにハンカチを口に当てていて、それをポケットにしまうのが見えた。
ハンカチは血だらけだった。咳き込んだあとは赤ワインを口に含んで子供たちにばれないよう大声で笑いごまかしていた。
向いに座っていた彼の奥さんは笑っていたが、今にも泣きそうな顔をしていた。
奥さんはどうやら事情を知っているみたいだった。その父親が何らかの重い病気なのは明らかだった。
うちのカミさんはちょっともらい涙していた。
帰りに俺は無神経にも「今日はなんか暗い結婚記念日になっちゃったな。台無しだよな」とカミさんにいった。
カミさんはちょっと沈黙を置いて、
「かっこよかったじゃんあのお父さん。ああいうお父さんになってね」
って涙声で俺に言った。俺もちょっと泣いた。
我こそは平野弥次右衛門が下人、五右衛門なり!
加賀120万石の礎を築いた名君として名高い前田利常の家臣、
平野弥次右衛門の従者に五右衛門という人物がいた。
大坂夏の陣の際、真田丸を攻めていた弥次右衛門は鉄砲隊に照準を合わせられた。
いち早く気づいた五右衛門は主君の前に立ちふさがり、十八発もの銃弾を全身に浴びてしまう。
だが五右衛門は倒れずそれどころか「なんのこれしき、かすり傷でござる!」と笑い捨てた。
合戦は一時中断、五右衛門の剛気に感銘を受けた真田丸の兵達は、
「名を聞かせ給え」と五右衛門に声をかけた。
ところが五右衛門は押し黙り困惑した。下人に過ぎない五右衛門は姓を許されていなかったからだ。
これを見た主人の平野弥次右衛門はすかさず「我が姓をつかわす!」と大声で言った。
これを聞き五右衛門は渾身の力を振り絞り叫んだ。
「我こそは平野弥次右衛門が下人、五右衛門なり!
これまで御供したる褒美としてたった今姓を賜り、平野五右衛門となり申した!」
血の霧を吹き出しながら言い終え、崩れ落ちた平野五右衛門の死に顔は微笑んでいたという。
静まり返った両軍からやがて平野五右衛門を称える槍や箙を打ち鳴らす音がいつまでも続いていた。
400年ほど前の日本には男達がいた。
介護を頑張る母に手紙を書いたら…
小さい頃からひいおばあちゃんの介護を一人でしてた。しかも義理の。
おばあちゃんたちは先に他界してたから、カーチャンしか見る人がいなかった。
離れに住んでたんだけどいつもいつもブザーがなって呼び出されてたな。
夕飯も自分たちのよりおばあちゃんのが先。
寝たきりだから体ふいてあげたり、しもの世話までしてた。
痴呆でぼけちゃってるから食事も投げつけられたり、
誰もいないのに「あそこに女の子がいるからおい払え」とか怖いこと言われたり。
すさまじかったと幼少ながら記憶してる。
介護があるから旅行なんて全くしたこともなかったし、うちに友達を呼ぶのも禁止だった。
小学校高学年のある日、カーチャンがトイレでうずくまって泣いてるの見てしまった。
いてもたってもいられず、思わず手紙を書いた。
お母さん泣かないで、自分も妹と一緒にお手伝い頑張るから、とかそんな内容。
まだ文字も書けない妹に鉛筆持たせて、一緒になまえかいた。
そんで居間のテーブルにおいといて、寝た。
次の日の朝、テーブルの手紙は無くなってたけど、特にカーチャンは何も言わなかった。
結局ひいおばあちゃんは、自分が中学に上がるまえに亡くなった。
あれから15年の月日が流れ、自分は25歳になり、去年結婚することになった。
結婚する前夜、カーチャンは色褪せたそのときの手紙を大事そうに持って来て見せてくれた。
そんで、「私はあんたのカーチャンになれて本当に幸せだよ、自慢の子供なんだ。
幸せになってね。」って言って、初めて自分の前で泣いた。自分もないた。
カーチャンみたいに無償の愛情を注げる人間になれるよう頑張るよ。
ファミレスでお母さんと男の子が「あんがとめした」
俺の隣の席にお母さんと3~4歳ぐらいの男の子が座った。
あーうるさかったら嫌だなーと思いながら、自分の
オーダーを待ってた。
すると、その隣に座った親子の会話が聞こえてきた
母「○○は、お子様ランチでいい?」すると、子が
内緒話をするように母の耳に手を当てて(丸聞こえな訳だがw)
子「そいでいい」
母「もう少し声出してもいいよ。」
子「そいにする(笑顔)」
全ての子供がうるさいと思った俺謝れと自分に言ったよ。
で、料理が運ばれてきて食べてると
子「楽しいねお外でごあんは楽しいね」
と母とニコニコお行儀良く料理を待ってた。
親子の所に料理が運ばれてきて、
子「かあしゃんいたあきますするよ」と母を促しててホノボノ。
俺は食事が終わりコーヒー飲んでそろそろと思った時、隣の席から
子「ごちそうめちた」って元気な声が聞こえた。
こうやって、子供育ててるってスゲーななんて思ってたら、
母「今日はデザート半分こしようね」とデザートをオーダーしてた。
最後までちょっと親子を見てみたいと思い、ゆっくり新聞読みながら
コーヒーを飲んだ。
親子の元にデザートが届き、チラ見すると子が「あんまとめした」
とウェートレスにお礼してて、キューンとなった。
母「きれいだね。楽しく食べようね」
子「あんまとめした。かあしゃんあんまとめした」
と母親にもお礼を言ってた。
すると、母親が「帰ったら、とうちゃんにもありがとうって言おうね」
子「うん、とうちゃんあんまとめした」
ってデザートに拝んでて、あー躾って素晴らしいなと思ったよ。
ここらへんまでしか見てないけど、今日ほど結婚したいと思ったこと
は無かった。
長文スンマソ 読んでくれたら「あんがとめした」
ろう者の嫁に「愛してる」って言ったら…
嫁は妊娠中。もうすぐ八か月。
西日の部屋で、ソファに座ってお腹を撫でてる嫁を見てたら、なんとなく言いたくなって
後ろから抱き締めて「愛してる」って言った。
ただ、俺の嫁、ろう者なのね。なんも聞こえないの。わかんないの。
わかんないはずなの。
でも、嫁、振り返って
手話で
《わたしも》
って言ってくれた。
俺、明日もがんばれるわ。
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