キュルキュル
これは中学のとき国語の先生から聞いた話。その先生も怖がりだけど怖い話が好きって人で、
よく余った時間に怖い話をしていた。今はもう殆どは思い出せないんだけど、何個か覚えてて、
「友達の友達から又聞きした話」っていう話。それを特に覚えてる。
ある三人の仲の良い大学生が、夏に伊豆か何処か…泳げるに所に何日か旅行に行った。
一日目、海はとても楽しくて、あっと言う間に時間が経った。三人、旅館に戻ったらへとへとで、
部屋で食べる晩御飯が準備されるのを待ってた。ああいうものは準備が始まってから終わるまで、
結構時間かかる。頼んだのは少なめの刺身とすき焼きで、だから余計に時間が掛かった。
そのうちの一人は、食欲が旺盛な奴で、まだかまだかと、割り箸を既に割って待っていた。
それで、準備が終わってやっと食える!というときにそいつの携帯が鳴ったんだ。
普通はさあ食うぞって時に電話鳴ったら嫌だろう。そいつも嫌な顔して振り返って、でも無視しようとした。
でも他の二人が、食べるのは待ってるから、出たほうが良いと言う。そうして、そいつは渋々電話に出た。
はい?と電話取って、聞き取りにくいのか、もしもし?って何度も繰り返す。
すると段々機嫌が悪くなってきて、しまいには何かを怒鳴って電話を切った。
どうしたんだ、と二人が聞くと、女の声で、「あなた、『キュルキュル』の?」って繰り返されたんだと答えた。
その『キュルキュル』と言うところは、早送りにしているようで、なんと言っているのかわからず、
同じ事ばっかり聞くからきっとテープか何かでイタズラされていると思ったらしい。
なんにせよタダのイタズラだ、ということになった。楽しく鍋と刺身を食べて、疲れてたからすぐ寝てしまった。
でもそいつは、次の日に溺れて死んだ。プカプカ浮かんでて、二人は最初、正直ありえないと思った。
そいつからは、水泳を子供の頃から10年近くやってて、泳ぐのやめてからも50メートルでは36秒位は楽勝だと聞いていた。
遠泳も記録を聞く限りそれなりだったし、手足が攣っても呼吸ができるとも聞いていた。
それで、残った二人は予定を早めて帰る事にした。当然だ。人が死んだのに旅行なんかが楽しめる訳がない。
帰って数日後には葬式があった。でもそのときに、二人は、そいつが溺死じゃなくてショック死だと聞いた。
考えたらわかることだった。溺れるなら、肺に水が入って沈む。でも、浮いてたんだから肺に空気が入ってる。
二人はこういう話をそいつから会話の中で聞いていた。必ず当てはまる訳ではないことだが…とも聞いていた。
でも、林の川のような場所ならまだしも、海でショック死?二人は揃って不自然だと思った。
しかし、自分が考えても仕方ないと思ったのと、恐ろしい死に顔を思い出して、ただ心の底からひたすらに冥福を祈った。
また数日経って、旅行に一緒に言った一人から、電話があった。声は掠れ、まるで一気に老人になったようだった。
どうしたのかと慌てて聞くと、自分のところにも電話が掛かって来たという。一瞬なんのことかと思ったが、
すぐに、旅行中死んだやつが出た電話に思い当たった。掛かって来た電話の内容を注意して聞くと、
6つのことがわかった。おそらくはショック死の発端は電話にあること、自分にもその電話が掛かって来たこと、
自分は恐ろしさのあまりに電話を切ってしまったこと、そしてそのせいで自分も死ぬであろうということと、
きっとお前にも電話は来るだろうということ、そして早送りの様な『キュルキュル』に鍵があるであろうこと。
彼は怖い話が好きで、夏にもなればいつも話していた。だからそこまで思い至ったのだろう。
それを聴いた男も、いつもなら笑い飛ばすところだったが、人の死と、数日でしゃがれた声、
そのふたつの現実を前にすっかり信じた。しかし、それを信じるなら彼は死んでしまう。彼の元へ行くというが、
彼は老人のような声で、どうせ助からないから、お前は電話に出られる準備をしておけ、と言った。
それでも男は言うことを聞こうとしないが、彼は、『キュルキュル』を最後まで聞いて、
そしてまたあの世で会うことがあったら土産に聞かせてくれ、と言った。そう言われて、その男は従った。
彼がどうしても助からないことを、なんとなくではあるが感じ、また、正直に言うと男も命が惜しかった。
そうして、家でじっと過ごした。次の日の夜には彼が死んだと親から携帯にメールがあった。
交通事故だったようで、見ていた人の話では、道のずっと向こうから走ってきて道路に飛び出し、撥ねられたそうだった。
近く葬式をするから来てほしいという内容で閉め括られていた。男はしばらく画面をじっと見続けていた。
電話が掛かって来た。
突然の事に男は驚き、思わず携帯を取り落とした。電話に出なくてはと思うが、手は震え、携帯に触れることができない。
それでも男は必死に手に取ったが、今度はボタンを押すことができない。指を当てる。ほんの少しの力で押せる。
ここで出なければどうねるのか?それを考えれば身が凍り、電話への恐怖には手が震えた。
頭が恐怖に真っ白になりかけたとき、電話が、ピッ、と軽い電子音を立てた。はっと驚き画面を見つめる。
そこには通話中、と表示されていた。強い震えのせいか、または何かの力か、ボタンは押されていた。
後は耳にあてるだけ。男は一瞬動けなかったが、そのときに、電話を切ってしまった、という言葉が頭に響いた。
彼は電話を切って死んでしまった。ならば電話が切れる前に出なくてはいけないのでは…
新しい恐怖が湧いた。すると電話を持った男の腕は、死への恐怖が勝ったのか、ゆっくりと耳へと当てられた。
そうして、搾り出すように、もしもし、と一言発した。電話の相手は答えた。
「あなた、『キュルキュル』の?」
男は、何も答えられなかった。答え様がなかった。黙っていると、電話の相手は続ける。
「あなた、『キュルキュル』の?」「あなた、『キュルキュル』の?」「あなた、『キュルキュル』の?」
何度も聞いているうちに男の恐怖が爆発したのか、相手に叫ぶ。何が言いたいのか。何か答えてくれ。
頼むからやめてくれ。俺を殺さないでくれ。大別すればおそらくはそんな内容だった。
電話の相手はただ同じ内容を繰り返し、男も叫び続けた。何時間も何時間も聞き続け、
とうとう朝になってしまった。そのころには男の顔は涙と鼻水でくしゃくしゃで、
それでも枯れた涙声で相手に聞き続けていた。ずっと叫び続けていたせいか、咳が出て、
なかなか止まらず咳き込み、叫ぶのをやめて呼吸を正そうとした。そして男はあることに気がついた。
今まで早送りのようで何を言っているのかわからなかった『キュルキュル』が、ゆっくりになっている。
耳を傾けていると、またゆっくりになった。男は凍りつき、呼吸するのも忘れて聞き入った。
だんだんと遅くなっていく。まだ何をいっているかわからないが、『い』だと聞き取れた。
また遅くなった。今度は『に』と聞こえた。まだ遅くなる。『た』と聞き取れる。
次第に遅くなるが、まだ全体が聞き取れない。どうやらそんなに長い言葉ではないようだ。
手が汗でべとべとし、反対に喉はからからで張り付く。必死に聞き耳をたてる。
もう一度で聞き取れるかもしれない。それはすぐだったが、喋るまでの間が長く感じた。
「あなた、死にたいの?」
男は凍りつき、返事をできなかった。電話は最後に喋ったあとに切れており、返事をする暇はなかった。
そのことを考えると、どうやら助かったようだった。男は緊張の糸が切れ、後ろに倒れこんだ。
葬式にいかなければならないことを思い出したり、海で死んだやつが、最後に何か怒鳴っていたことを、何らかの肯定を返してしまったのかもしれないと考えたりと、しばらく倒れこんで
考え事をして、そのうち意識が薄れて眠り込んでしまった。
聞いた内容はここで終わり。丁度授業が終わって、それでもうこの話をすることはなかった。
ひょっとしたら続きがあったかもしれない。最後の一言までに、言っていることに気付いて
返事をしなければならなかったのかも知れない。あるいはこのまま何も起こらなかったかもしれない。
何にせよ、不気味な電話には迂闊な返事をしてはいけない。何が起こるかわからないから…
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