私がもう一度「なにしょうるん?」と聞くと、
お爺ちゃんは「悪いんをとりょうるんよ」と言って、また孵化器の中を覗き始めました。
私はそれまでに、孵る前の雛を間引くなぞ聞いたことも無かったので、
「ヒヨコに悪いんがおるん?」と聞きました。
お爺ちゃんは、「ほうよ、取らにゃあ大変なことになるんよ」と言って、
孵化器の中からまた一つ玉子を取り出しました。
私は玉子を良く見ようと覗き込みましたが、
お爺ちゃんがあわてた様子で「こりゃ見ちゃダメじゃ!目が潰れるで!」と言って、
すぐにブリキのゴミ箱の中に玉子を叩きつけてしまいました。
私が見た玉子には、中から雛が突いたのでしょう、大きなヒビが入っており、もうじき雛が孵りそうな様子でした。
ゴミ箱の中はスプラッタな様子が容易に想像できたので、見たいとも思いませんでしたが、
お爺さんは私の目から隠すように、すぐに蓋をしていました。
□ □ □
その時、ゴミ箱の蓋に、何か白い紙のようなものが貼ってあるのが見えました。
何だろうと思っていると、お爺ちゃんが腕時計を見て、
「0時を回ったけえ、今日は終わりじゃ。坊、帰って寝ようや」と言い、すぐに孵化室から出ようとしました。
私も夜中にこんな不気味なところへ一人で残されるのは御免なので、あわてて孵化室を出ました。
そのとき、孵化室のドアの横に、なにか玩具のようなものが見えたような気がしましたが、
もう眠いし、ちょっと怖くなってきたので、次の日見ることにして、
お爺ちゃんと一緒に母屋へ帰り、その晩はお爺ちゃんの布団で一緒に寝ました。
□ □ □
次の日、午前中,弟と虫取り遊びをし、帰って早めの昼食を摂っていると、何か違和感を覚えました。
ああそうだ、今日はお爺ちゃんが居るんだ。
よく考えてみると、それまでお爺ちゃんと一緒に昼食を摂った記憶がありません。
いつもお昼の11時30分頃から姿が見えなくなっていたのです。
その日は村の寄り合いがあるとかで朝から出かけており、
11時頃ベロベロに酔っ払って帰ってきて、一緒に食卓を囲んだのでした。
お爺ちゃんは白飯に冷たい麦茶と漬物でお茶漬けにして食べていましたが、途中で食卓に突っ伏して寝てしました。
私達は起こしちゃ悪いと思って静かに食事を済ませ、外に遊びに行きました。
外に出てから、前の晩にチラッと見た孵化室の玩具のようなものを思い出し、弟と一緒に見に行くことにしました。
□ □ □
それは、玩具ではありませんでした。ペンキのようなもので鏡面を朱色に塗られた手鏡。
粘土で作られた小さな牛の像。プラスチックの安そうな造花。
昨夜はそのカラフルな色合いから、玩具のように見えたのでしょう。
しかし、それらはなんに使うものかまったく見当も付きませんでした。
私は、お爺ちゃんが昨夜玉子を捨てていたゴミ箱に気が付きました。
昨夜は暗くてよく分かりませんでしたが、明るいところで見るとそのゴミ箱の蓋には、
昔風の線を崩した読めない字で何か書いてある、古そうな紙が一杯貼ってありました。
□ □ □
「あっ!生まれとるで!・・・え、・・・何・・アレ・・・」
孵化器を覗いた弟が、玉子が孵っているを見つけたようです。
私は生まれたての雛を見たくて、孵化器の扉を開けました。
すると、雛?がいました。
しかし、その雛?は、他の雛とは何かが違いました。
良く見ると、他の雛達と違い、全く震えていませんでした。
全くさえずっていませんでした。
そして眼が、眼だけが、人のそれでした。
ソレは孵化器の棚からドサッと土間へ落ちると、首を振らず、スタスタと歩いていきました。
私はその異様さに、動くことができませんでした。
ソレが孵化室を出て西のほうへ歩いていき、見えなくなると、金縛りが解けたようにやっと動けるようになりました。
□ □ □
そして弟の方を見ると、弟はよだれをダラダラと流し、眼はどこも見ておらず、
呼びかけても呼びかけても反応がありませんでした。
私が大声で弟の名を何度も呼んでいると、お爺ちゃんとお婆ちゃんが息を切らして飛び込んできました。
「おいっ!!見たんか!!」
私はお爺ちゃんの形相が恐ろしくて、「見てない」と答えました。
お爺ちゃんは私の眼を見ながら、「見とるじゃろ。どっち行ったんなら?」と怖い眼で聞きました。
「あっち」と私は西のほうを指差しました。
するとお爺ちゃんは、出入り口のドアの横においてあった粘土の牛の像と造花を持って、
私の指差した方へ走っていきました。
お婆ちゃんは弟の名を何度も呼んでいましたが、弟はよだれを流すばかりでなんの反応もしませんでした。
「ヒギョウさまと眼が合うたんか・・・」
お婆ちゃんは悲しそうに言いました。
「もう直らんの?」
私は、弟とそれを見るお婆ちゃんに、幼いながらもただならぬ様子を感じ、そう尋ねました。
「いや・・・坊、そこの赤うに塗っとる鏡を取ってくれ」
□ □ □
私が鏡面を朱色に縫られた手鏡を手渡すとお婆ちゃんは、
「見ちゃあいけん、母ちゃんのところへ行っとき」と、私を孵化室の外へ出しました。
私は母と姉のところへ行きましたが、母に何と話していいものか、何も言えずに母に抱きついていると、
弟とお婆ちゃんが戻ってきました。
私は歩いてくる弟を見て、ああ、なんでもなかったんだ、良かったとホッとしましたが、
何か弟に違和感を感じました。
話してみると、確かに弟です。
一緒に孵化室に行ったことや、昨日のこと、一昨日のことも覚えています。
しかし、どこか、何かが違うのです。
母も、弟に何かを感じたのでしょう。
お婆ちゃんに、「お母ちゃん、まさか・・・」と聞きました。
お婆ちゃんは悲しそうに頷くだけでした。
母が弟を抱きしめて、ワンワンと泣いたのを覚えています。
弟はキョトンとしていました。
姉は弟を薄気味悪そうに見ていましたが、母が泣くのを見て、一緒に泣き出しました。
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