彷徨える女
今から5年ほど前の話である。
私の父の知り合いの奥さんの話なのであるが、この女性は長きにわたってある病気で苦しんでいた。
様々な病院を転院し、最終的に某病院で、あるステロイド系の薬剤注射を用いた治療を受ける事となった。
この薬剤の効果は劇的で、彼女の病状はみるみるうちに好転した。
が、治療を始めて数ヶ月が経った後、彼女に異変が起こった。
彼女が奇妙な行動をとる様になった。
「自分の体じゅうに虫が這いずり回っている」と叫んで体中をかきむしったり、
「部屋の隅に黒い小人が盆踊りをしている」等と、意味不明なことを口走ったりした。
最後には「ウガが追いかけてくる!ウガが追いかけてくる!来るなぁ!来るなぁ!」と叫んで、病院中を駆けずり回る始末。
ついに彼女は隔離病棟に移される事になった。
担当医師は、こんな事になった原因が全くわからなかった。
が、1年後に驚愕の事実を知る事となった。
なんと治療に用いられていたステロイド系薬剤に、
『中枢神経に障害を与える、重篤な副作用を引き起こす危険性がある』事が明らかになったのである。
上記の事実が明らかになるまでの間、ずっと投薬治療は行われ続けた。
当然。即刻、投薬は中止されたが、既に彼女はその薬剤によって相当に精神を蝕まれていた。
その後の数年間、彼女は幻視・幻聴に苦しむ事となった。
そしてある日、彼女は車で外出し、行方不明になった。
彼女の夫(父の知り合い)は必死になって彼女の行方を捜したが、彼女は見つからなかった。
□ □ □
そして半年が過ぎた。
私の父と彼女の夫は釣り友達で、釣り場へ向かうためによく横・横道路を利用していた。
久しぶりに静岡方面に遠出する事となり、朝早く車で出発した。
車が横・横道路の横須賀側入り口に入るちょっと前の事である。
道が左右に分かれているのであるが、
彼女の夫は、見慣れた車が工事中の左手の道に止まっている事に気がついた。
「悪い。*ちゃん(私の父のニックネーム)。ちょっと車を、左方向につけてくれないかなぁ?」と、思わず口走ってしまった。
父は不思議に思いながらも、車を左方向に向けて一時停止した。
彼女の夫は車を降り、乗り捨てられた車のほうに歩いていった。
「おい!**ちゃん。どこ行くんだよぉ」と父は声をかけたが、
彼女の夫の様子がただならない事に気づき、後についていった。
呆然と立ち尽くす彼女の夫。
「この車、うちのだ・・・」
これを聞いてピンときた私の父。
まるで何かにとりつかれた様に先を進んでゆく彼女の夫。後に続く父。
道は上り坂となって先に続いていた。
その先は旧阿部倉トンネル跡である事を、まだ二人は知らなかった。
□ □ □
道はトンネル跡で行き止まりになっていた。
が、彼女の夫は進む事を止めようとしない。
「**が近くにいるかもしれない」
「まさか・・・こんな所に・・・」と父。
「!」「?」
二人はほぼ同時に同じ方向を向いた。
ある方向から異様な臭いが漂っている事に気がついたのだ。
この時父は最悪の状況を想像した。そしてその予感は見事的中する事となる。
彼らの十数m先にグレー色の何かが転がっていた。
すぐさまそれに向かって歩き出す彼女の夫。
が、その時。耳をつんざく凄まじい音が響いた。
あまりの音の大きさにたじろぐ二人。
見ると、無数の黒い小さな虫の群れが飛び回っていた・・・無数のハエの群れだった。
色がグレーがかっていたのは、無数の蛆が死体をむさぼっていたからであった。
周囲には数個のポリタンクが散乱していた。
(焦げているものもあり、それは生々しい状況だったと、後に父は私に語った)
絶句する二人。
ちなみに父は見事に腰を抜かしてしまった。彼女の夫は呆然とするばかり。
とりあえず父が携帯電話で110番通報。
20数分で警察が到着し、二人は事情徴収を受ける事となった。
刑事の話によれば、「今年はこれで3人目です」との事。
後に歯型及び血液型から、遺体は彼女であることが確認された。
死体はかなりの程度で焼け焦げていた事から、ガソリンで焼かれた事によるものという結論となった。
司法解剖及び組織検査の結果から、彼女は生きたまま焼かれた事が明らかとなった。
遺書は見つからず、現在でも自殺か他殺か不明との事である。
□ □ □
数年が過ぎ、ある若者たちの一団が、旧阿部倉トンネル跡を肝試し走破するべく集合した。
この時、参加者の中に髪の長いかわいい娘がいた。
野郎どもの目的は、ここでいいかっこして彼女にアクセスするチャンスを作ろう、という魂胆だった。
トンネルに入って数分後。
彼女は、誰かに見られている、とても気持ちの悪い気配を感じ取っていた。
彼女は霊感の強いほうではない。
が、何かねっとりした視線が、自分に向けられている事を感じていたのである。
「何か私・・・ちょっと気分が悪い・・・」と、彼女がポツリともらした。
「大丈夫。大丈夫。何も起こりゃあしないって」と男性参加陣。
「あたしも気持ち悪~い♪」と女性陣。
「あ~そうかい。そうかい。お気の毒に」
「なによぅ。**ちゃんばっかり、信じらんな~い」
「うっせーなぁ(おまけどもが)」
「何ですって!」
□ □ □
ああ、また始まったかと、彼女はうんざりした。
が、その時。「アナタキレイネ」という声がまじって彼女の耳に入ってきた。
「!」
「気のせい、気のせい。早く出たいなぁ・・・こんな所」と彼女は思った。
が、次の瞬間、
「アナタキレイネ・・・トテモキレイ・・・」
はっきりと分かる声が彼女の耳に聞こえてきた。
低く抑揚のない、が、何か威圧感のある声が。
えっ?・・・私?
「ソウヨ・・・アナタ・・・アナタ・・・」
「!!!!」
「どうしたの?**ちゃん。びくっとして」
「ちょっと・・・あたし。何か変な声聞いたんだけど・・・」
「????」
「????」
「????」
「・・・(オイマジカヨォ・・・)何て?」
男の一人が尋ねた。
「あなた、きれい・・・だって」
「へ?」
場内大爆笑。
「**ちゃんって、意外と自意識つよいんだぁ♪」と女性陣。
「違うよぉ。ホントに聞こえたんだってばぁ」
「脅かし方は下手だねぇ」と男性陣。
□ □ □
と、その時。
ぺちゃっ・・・ぺちゃっ・・・ぺちゃっ・・・ぺちゃっ・・・ぺちゃっ・・・ぺちゃっ・・・ぺちゃっ・・・
何か、水が滴り落ちるような音が、後ろから聞こえてきた。
それも、徐々に大きくなってくる。
「!」「!」「!」
そのうちその音は、何か濡れているものを引きずっているような音に変わってきた。
「何か、私たちの後からついてきてる」
「おい、冗談だろ?」
「天井から水がたれてきているだけだって」
ところが、メンバーの中で自称霊感のある男性(仮にAとしよう)は、後ろを振り返って絶句した。
「お前ら!!走れ!!」とAは叫んだ。
ただならぬAの様子に全員が浮き足立った。
「おい、何なんだよ?」
「何大きな声上げてんのよ!」
「いいから!走れ!」
ともかく一団は一斉にトンネル出口へと走り出した。髪の長い彼女を除いては。
どうして?体が動かない!!
恐怖心のせいなのか、それとも別の何かなのか?彼女は身動き一つ出来ない状態になっていた。
まさかこれって、金縛り?やだぁ!こんなの!!
ずりゅっ・・・ずりゅっ・・・ずりゅっ・・・ずりゅっ・・・ずりゅっ・・・ずりゅっ・・・
音はだんだん近づいてきた。
□ □ □
おとうさん!おかあさんっ!と思った次の瞬間。音はぴたりと止んでしまった。
・・・あれ??
あ、体が動く。あれ??何で??
「アナタミタイナヒト・・・マッテタノ・・・ズットズットマッテタノ・・・」
すぐ耳元で声がした。
「きゃああああああっ!!!」
彼女は逃げ出した。・・・が、出来なかった。
何者かが自分の髪を掴んでいる。
何?何?何何何何????
彼女が振り返った瞬間!
ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!
凄まじい彼女の悲鳴が、トンネル内にこだました。
走っていた全員がその声に驚き立ち止まった。
「彼女・・・つかまっちまった・・・」
Aがうわごとのようにつぶやく。
「何につかまったんだよ!おい!おい!A!しっかりしろよ!!」
「あれっ?**ちゃん、いないよぉ・・・」
「!」「!」
「まさか・・・おい!おまえら、戻るぞっ!」
「おい・・・何だよ。見捨てる気かよ!お前ら!」
□ □ □
トンネル内を静寂が包んだ。
Aを含む数人の男性が来た道を戻って、彼女を探すこととなった。
しばらくして、懐中電灯の明かりが人影を捕らえた。
誰か倒れている・・・彼女だった。
「おい!しっかりしろっ!大丈夫かぁ!」
Aが彼女を抱き起こそうとしたとき、手にヌルッとした感触が走った。
「?」
「何だこりゃあ・・・って、血??」
「おい!しっかりしろっ!大丈夫かぁ!」
「おい・・・A、彼女をよく照らしてみろよ・・・」
「!」「!」
「おい・・・これって・・・」
彼女は頭から相当量の出血をしていた。倒れた時に頭を打ったのだろう。
が、彼女の頭には髪が一本も無くなっていた・・・というより、何かに根こそぎ引き抜かれていたのである。
絶句する彼らの頭上で、抑揚のない声が響いた。
「ワタシ・・・スットマッテタノ・・・ズットマッテタノ・・・
ワタシノカミ・・・モエテナクナッチャッタカラ・・・
ホシカッタノ・・・キレイナカミガ・・・ズットホシカッタノ・・・
コンドハ・・・アナタタチノ・・・ハダヲチョウダイ・・・
ハハハハダダダダヲヲヲヲチョウダアアアイイイイ!!」
彼らは彼女を抱え、ほうほうの呈で逃げ出した。
この事があって以来、髪の長い女性や肌のきれいな人がトンネルに入ると、トンネル内を彷徨う何かに襲われる・・・
という噂が、まことしやかに流れている。
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