『逆さの樵面』|洒落怖名作まとめ【長編】

『逆さの樵面』|洒落怖名作まとめ【長編】 長編

また篝火が灯りました。
こんどは赤く猛々しい鬼神ような面をつけた人物が現れました。
そしてこう言うのです。
『これより、火荒神の舞を授ける』
山姫の舞から一転して激しい舞がはじまりました。
そしてその面はやはり土蔵から見つかった面だったのです。

舞が終わるとふたたび篝火が消え、また灯りました。
こんどは格衣に烏帽子姿の人物が闇の奥より現れました。
面を着けていない素面で、その目じりには深い皺が刻まれた初老の男でした。
『これより、萩の舞を授ける』
その声を聞いて明弘氏はすべての舞を演じたのがこの人だと悟ったのです。
明弘氏は、舞を見ながら涙を流したと言います。
どの舞も情熱的で、人が舞っているとは思えない神々しい舞でした。

社殿の畳の上で目覚めて、明弘氏はただちに今見た舞を踊りました。
試行錯誤を繰り返し、東の山に陽が射すころには
3つの舞を完璧にこの世に蘇らせたといいます。

これが失われた3つの舞が千羽神楽に取り戻された事の次第で、
未だに千羽に語り継がれる縁起なのです。
その夜、明弘氏の夢に現れた人物は高橋家の5代前の当主であった
高橋重次郎氏ではないかと言われています。

高橋家の大刀自は当時100に近い歳であったといわれていますが、
明弘氏が披露した舞を見たとき、幼いころに見た曽祖父の舞だと言って
泣き崩れたと伝えられています。

さて、失われた4つの舞のうち3つまでは復活しました。
『山姫の舞』『火荒神の舞』『萩の舞』・・・
『千羽山譚』によると残る一つは『樵の舞』とあります。
しかし高橋家の土蔵からはこの舞に使われる樵面が発見されず、
『樵の舞』だけは亡失されたままでした。

樵面は熊野より落着した日野草四郎篤矩が持参した面とされ、
明応七年(1498年)の銘が入っていたと、資料にはあります。
一時期、前述の翁面と同一視されていたこともあったようですが、
翁面には永禄五年(1562年)の銘があり、別の面であると
認識されるようになっています。

時は下って昭和40年。
私の父が舞太夫としての手解きを受けたばかりの頃です。
大正時代に高橋家より面が見つかって以来、役場を中心に各旧家の協力の下、
あれだけ捜索されても発見されなかった樵面が、あっさりと出て来たのです。
人々を震え上がらせる呪いとともに・・・

当時、在村の建設会社に勤務していた父は職場で「樵面発見」の報を聞きました。
社長がもともと舞太夫で、父に神楽舞を勧めた本人だったため、
早退を許してもらった父は、さっそく面が見つかったという
矢萩集落の土谷家へと車を走らせました。

もともと山間の千羽でも、特に険しい地形にある矢萩集落は町ほど
露骨ではなかったものの、いわゆる部落差別の対象となるような土地でした。
父のころにはまだその習慣が残っていて、
あまり普段は足を向けたくない場所だったといいます。

その集落にある土谷家は、もともと県境の山を越えてやってきた客人
の血筋で、集落では庄屋としての役割を果たしていたようです。
江戸時代から続くといわれるその古い家屋敷に、
噂を聞きつけた幾人かの人が集まっていました。

その家の姑である60年配の女と役場の腕章をつけた男が言い争いをしており、
その間に父は先に来ていた太夫仲間にことのあらましを教えてもらいました。
どうやら、その日の朝に役場へ匿名の電話が入ったようです。
曰く「樵面を隠している家がある」と。

それは土谷家だ、とだけ言って電話は切られました。
不審な点があるものの、とりあえず教育委員会の職員が土谷家へ向かい、
ことを問いただすと「確かに樵面はある」と認めたのでした。

言い争いは平行線だったようですが、
とりあえず土谷家側が折れて父たちを屋敷へあげてくれました。
歴史ある旧家だけあって広い畳敷きの部屋がいくつもあり、長い廊下を通って、
玄関からは最奥にあたる山側の奥座敷の前で止まりました。

どんな秘密の隠し場所に封じ込められていたのだろう、
と想像していた父は拍子抜けしたといいます。
姑が奥座敷の襖を開けたその向こうに、樵面の黒い顔が見えたのです。
しかしその瞬間、集まった人々の間に「おお」という畏怖にも似た響きの声が上がりました。

「決して中へは入ってはなりません」と姑は言い、
悪いことは言わないからこのままお引取りを、と囁いたのです。
明かりもなく暗い座敷の奥から、
どす黒い妖気のようなものが廊下まで漂ってきていたと、父は言います。

締め切られていた奥座敷の暗がりの中、
奥の中央に位置する大きな柱に樵面は掛けられていました。
しかしその顔は天地が逆、つまり逆さまに掛けられているのです。
しかも柱に掛けられていると見えたのは、
目が暗がりに慣れてくるとそうではないことに気づきます。

面の両目の部分が釘で打たれ、柱に深く打ち留められていたのです。
「なんということをするのだ」
と古参の舞太夫が姑に詰め寄るも、教育委員会の職員に抑えられました。
「とにかくあれを外します」と職員が言うと、姑は強い口調で
「目が潰れてもですか」

父は耐え難い悪寒に襲われていました。
姑曰く、あの天地を逆さにして釘を目に打たれた面は、強力な呪いを撒き散らしていると。
そしてこの座敷に上がった人間は、ことごとく失明するのだと言うのです。
「バカバカしい」と言って座敷に入ろうとする者はいませんでした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました