鬼伝説の山
俺が中学生のときだった。
いじめられっこだった俺は、夏休みになると祖母の住む田舎に帰省していた。
山に囲まれたA野という地区で、もともと俺の家族も暮らしていた。
だが母と祖母の仲が悪く、特に祖母が母の自分勝手な性格を嫌っていたのが、大きな原因で、ついに耐えきれなくなった母は引っ越すことを決意した。
だが自分の都合で我が子を振りまわすことに懸念を覚えたのか、当時、いじめられていると誰にもいえなかった俺の気持ちを、見当違いに推し量り、慣れ親しんだ学校を離れずに済むようにと、引っ越し先は山を一つ越えた隣の街になった。
(父は務めている会社も隣街だったし母のストレスも考えて承諾した)
今まで十分だった通学時間は三十分に延びたが、これでもまだ近い方だろう。
そして、いつも通りに自転車を漕ぎ、左右を木々が占領する道路を
十五分くらいかけて突き進むと、以前の我が家である民家に到着した。
孫の顔を見れて喜ぶ祖母は、母がいなくなって清々したことを俺の前で呟きながら、
張り切って畑仕事にいき、俺は居間のテレビを見る日々を過ごした。
裏にある深い森も、夏の風物詩であるセミの鳴き声を轟かせていた。
ただ、その森――B山には、古から残り続ける、ある伝承があった。
逢魔時になると鬼が出る、というものだった。
記憶が曖昧なので要点だけつかせてもらうと、大昔、この土地には鬼が住んでおり、
B山の頂上を拠点に悪行を繰り返していた。貧困で困り果てた地元民は窮状を百姓に訴えると、
腕の立つ用心棒を出向かせて鬼を討ったという伝説だ。
(大まかな骨格としては温羅伝説に似ている)
そしてB山を拠点としていた鬼は、討たれたことで悪霊と化し、
魑魅魍魎となって現れると云われていたのだ。
だが、A野で暮らす人たちは、若い世代になるにつれてその伝説を、
早く寝ない子には鬼が食べにくるぞなどと、子どもの躾けにかこつけることが多かった。
反対に、個人で山を持つ年配者の間では目撃談が飛び交い、鬼の存在を信じ怯えていた。
元来霊感の強かった祖母ももちろん鬼について語っており、お盆や真夜中になると
霊が何とか盛り塩がどうたら騒ぎたて、母とにらみ合っていたし、
A野の古い神社へお札を受け取りにいくこともあった。
そういった祖母の行動から、俺は幼いながらに鬼を信じていた。
逢魔時にB山へ立ち入ることもしなかった。
さらに、神社には神隠しを退けた人物の遺骨を保管している
というオカルト染みた事実も手伝って、ますます俺の信仰に拍車をかけた。
だが、中学生にもなると、俺は疑い深くなりネットの影響もあって
それらのことを信じなくなっていた。
祖母はそのことを承知していたらしく、帰省した途端入念に、
「あの森には近づくな、あそこは異界が開けている。いるのはただの鬼ではない」
と忠告を繰り返したが、俺の中二心を刺激したに過ぎなかった。
それに俺は他の目的もあって、鬼伝説が残るB山に入るつもりでいた。
俺は玄関を出た。
祖母は畑仕事に熱中していた。
そして家の庭には倉があった。
祖母が集めた魔除けグッズを保管している倉だった。
幸いなことに森の入り口と、それが一直線に見える畑の間に建っていて、俺の姿を遮り、祖母は森へ立ち入った俺に気が付いていなかった。
俺は自宅から持ってきた重いリュックサックを背負って山道を歩いた。
夕方までには程遠く、逢魔時になる前には、家に戻ることができるはずだった――
小学生の時、日中に何度も遊んだことのあるB山は相変わらず、木の葉が重なり合い、太陽の光を遮って僅かな木漏れ日を落としていた。
日が落ちれば静寂と闇が支配し、あらゆる気配を際立たせる。
三つの河川の堆積によりできた大規模な平野や、有数の山岳地帯がある地方の為、
高い位置まで上ると似たような山々や地形を眺めることができた。
俺は周囲を見回しながらそんなことを想起して、セミの大合唱を鬱陶しく思いながらもしばらく歩きつづけた。
そして、一瞬目について、ふと、また気になった大木の前に俺は立った。
その木が俺の目的に見合ったものだと判断したからだ。
次にリュックを地面に降ろすと、中から数本の釘や金づち、人型につくった粘土を取り出した。
俺の目的は呪いの実行だった。
今のご時世、大抵のことはググれば解決する世の中であるから、インターネットで情報を集めたのだ。
ターゲットはいわずもがな俺を虐めていたT、N、Uの三人だ。
俺はメモしていた手順を確認しながら準備を進めていった。
実行は真夜中だった。
だが、俺の選んだ方法は手間のかかるもので、暗闇の中作業をするのは効率が悪く、明るいうちに済ませ、あとは人型の粘土に釘を打つだけ、にしておきたかった。
用意した紙片に三人の名前を書き、採取しておいた髪の毛(うまくいかずTの髪の毛しか取れなかった)を粘土に仕込ませる。
指に付着した白い粉をズボンで拭きながら俺は淡々とこなしていった。
次に俺は木に近づいて釘が打ちやすいか試してみた。
少し力がいるが、容易に粘土を貫いて怨念と共に大木へとつなぎとめることだろう。
俺が眼間の木の幹から体を離した時、視界の異変を感じて固まった。
辺りが暗くなっている。
俺の背筋が凍った。
太陽はまだ高い位置にあったはずだった。
よほど葉の量が多く陽光を遮断しているのかとも思ったが、
上を見ればちゃんと隙間があり、薄暗い空には点々とした星がある。
先ほどまで響いていたセミの鳴き声もやんでいた。
携帯で時刻を確認すると十九時を回っていた。
森に入ったのが十四時くらいだった。すると五時間経過したことになる。
おかしすぎる。せいぜい数十分しか経っていないはずだ。俺は改めて周囲を覗う。
それは日も暮れて闇夜に移り変わる、れっきとした逢魔時であった。
俺は祖母の言っていたあの森は異界へ通じておる、
という言葉を思い起こしてゾッとした。
準備もある程度終えていたので、俺はそそくさと道具を片付けると、
リュックを背負った。
早く森を抜けなければならない、祖母の忠告を信じていなかった俺だったが、
いつの間にかそう思っていた。
真夜中にはまた訪れる場所だ。その時は逢魔時ではないし、
憎しみが恐怖を凌駕していたので、決行する決意は揺らいでいなかった。
俺の中で、だんだん祖母に怒られることに不安を覚え始めていたとき、
ふと声をかけられた。
ありえない出来事に俺は飛び上がりそうになった。
声のした方を見ると、木々の間に少女が立っていた。
薄いワンピースを着ていて、俺と同世代くらいだった。
暗闇に溶け込む黒髪はまっすぐに垂れ下がり、
肌は彼女を包み込む黒に相反して真っ白だった。
それが不気味さを際立たせている。
「それは呪具?」
透き通った声色だった。
俺はドキマギしてしまい、コクリと頷くことしかできなかった。
不覚ながら俺のタイプの顔をしていたのだ。
俺は少女に質問されて、リュックを見やったが、おや? と思った。
確かにこの中には釘や粘土が入っているが、それらが見えるはずがないのだ。
もしかしたら彼女は俺が呪いの準備をしているところを見ていたのかもしれない。
少し恥ずかしくなってくる。
俺は早く帰路につきたかったが、少女の名前くらい聞いておこうと、
思い切って尋ねてみた。
すると彼女は、
「わたし」と呟いた。
俺は理解できずに、もう一度訊きかえしたがまた、
「わたし」としかいわなかった。
彼女の名前は、わたしというらしかった。
もともとこの田舎は俺の地元だ。誰が住んでいるのか、
ある程度把握している。
だがわたしという名前の女の子は聞いたことがなかったし見たこともなかった。
知らない間に引っ越してきた子なんだろうか。
それにしても一人称が名前だとは到底信じられなかった。
俺はニックネームなんだと勝手に判断していた。
「いい目をしているわね」
彼女(以後彼女で統一)は唐突にいった。
そして一方的に、
「誰かを呪いたいの?」と続ける。
俺はふと、彼女の枝のような腕に目がいった。
そこには繊細な肌に似つかない赤黒い痣が刻まれていた。
俺は己の背中にある赤い痣を頭に浮かべた。
このとき、この子も俺と同じ境遇なのだろうかと予想した。
同級生にいじめられて、誰にも相談できず、たった一人で立ち向かっている。
俺は自然に口を開いていた。
「TとNとUって奴がいるんだけど、そいつらを呪ってやるつもりなんだ」
初対面の人間に対して発する言葉ではなかったが、俺はその前の経緯なども、
何故か滔々と話していた。
聞き終えた彼女はいった。
「あなたは頭が悪そうね」
「え」
俺は拍子抜けしてしまった。
てっきり同情や同調してくれると思っていたからだ。
でも確かに俺は成績もよくないし、話のまとまりもなかったように思うから否定もできなかった。
「協力してあげようか」
だから彼女がそう提案してきたとき、俺はまたひどく驚いた。
俺は半ばこの子と仲よくなりたいと思っていた。
顔もタイプだし、口が悪いところもあるけれど、共通の話題を持ちたくて、俺は頷いていた。
彼女は俺を見つめ続けていた。
「約束したわね。じゃあ、その呪具はいらないわ。
そもそもあなたがやろうとしている呪いはデタラメよ、効果なんてない。だから、この箱をわたすわ」
彼女は俺に、手のひらサイズの箱をわたした。
表面に紋様のような線が刻まれている重い箱だった。
「呪いたい相手の一部をこの箱に入れて。決して自分の物は入れてはだめよ」
俺は呪いの際に必要だった、Tの髪の毛を包んであるハンカチを取り出した。
Nの制服についていた抜け毛を何本か拝借したのだ。(俺はそのとき勘違いされてTに殴られてしまったが)
彼女の指示通りに箱の蓋を開けて、その一本を入れる。
「これで呪いが実行される、んですか?」
「そう」
俺は箱を凝視した。
また疑問が湧いてきて質問しようと俺が目線をあげると、わたしの姿は忽然と消えていた。
帰ったのは二十時を回っていて、祖母にこっぴどく叱られた。
帰りが遅いことの他に、B山から出てくるところを見られていたため、説教は長時間にわたった。
「それで、会ったのか?」
「な、何に?」
「鬼じゃ」
俺は首を振った。
実際は少女に出会ったが、余計なことをいうとまた怒られると思って黙っていた。
「もし鬼と出会っても話してはならんぞ」
祖母は俺を覗き込むようにしていった。
俺はその後引っ越してからもそのままにしてある自分の部屋に行き、リュックに入れていた箱をベットの上に置いた。
その箱は西洋に出回っている骨董品にも見えた。
俺は正直こんなもので呪えるはずがないと思っていた。
彼女の悪戯なら、まんまと乗せられた形だ。
しかしかわいい女の子に騙されるのも悪い気分はしなかったのだ。
あの三人を呪う時間はいくらでもあるし、NとUの髪の毛も採取しなくてはならない。
大木にも準備を施したままだ。準備もしたのだし、最後まで成し遂げたかった。
俺はそのまま眠りについた。
次の日、俺は再び森へ行こうと画策した。
もしかしたらあのわたしという少女が来ているかもしれないと考えたからだ。
今度は箱をポケットに入れて玄関を出た。
太陽は高く、夕方までやはり余裕はある。
しかし昨日のようにいつの間にか日が沈んでいるとも限らなかったが、中学生だった俺の好奇心をとめる理由にはならなかった。
そうと決まったら行動するのみだ。
そして、家を囲む塀の入り口まできたときだった。
視界に黒い点が映った。俺は違和感を覚えて目をこらした。
俺の家の前にはいくつかの田んぼが隣り合っている。
間には小道が走り、十字にわかれた箇所もある。
その十字路の中央だった。
「犬だ」
真っ黒い犬が佇んでいた。
遠くの方だったので、細部まで確認できなかったが、犬の形であることに間違いない。
誰かの飼い犬だろうかと思った。
だが不思議なことにその犬は、普通の犬がやるように舌をだしてしきりに呼吸するのではなく、
口をきっかり閉じたまま、じっとこちらを凝視していた。
俺は急に寒気がして足早に森へ向かった。
だが寸でのところで慌てた様子の祖母の声が聞こえた。
俺は冷や汗をかいて、すぐさま引き返す。
「ど、どうしたの?」
「大変じゃ」
「何が」
「お前のとこの同級生な」
誰だろうと思った。
「名前は?」
「うー、確かTとかいっていた」
箱に髪の毛をいれた奴だ。
「Tが何?」
俺はぶっきらぼうにいった。
「死んだ」
「!」俺は言葉を失った。
Tの家はここから近い。
俺が箱を見つめながら歩いていると、NとUが自転車に乗って走ってくるのが見えた。
「おい、Tが死んだんだ」
「知ってるよ」
「チッ、なんで」
二人は苛立ったようにいった。
俺はそのあと、二人にぼこぼこにされた。
話し方が気に喰わない、汚い手でさわるな、などと難癖をつくられて殴られたり水をかけられたりした。
彼らもTの唐突な死に戸惑っていたんだと思う。
俺もそうだった。
あとから聞いた話ではTの体には外傷一つなかったらしい。
持病があったわけでもなかったので、状況証拠から自殺、ということで片付いたそうだ。
彼女のいったことはこういうことだったのか。
しかし呪うといっても死に至らしめようとは微塵も考えていなかった。
だがその動揺は、次第に過激さを増すNとUの暴力によって、ざまぁみろという気持ちに変わっていき、
こいつらにも同じ目にあわせてやるという思いに変わっていた。
俺は隙を狙って逃げた。二人は追いかけてくる。
森へ逃げ込んだ。
俺は体力も二人に比べてなかったのですぐにつかまってしまった。
できるかぎりの抵抗をする。
二人もそれでますます熱がはいり、つかみ合いの喧嘩に発展した。
俺は二人の髪の毛を引っ張る。
彼らも俺の髪の毛を引っ張った。
痛みが頭部に走るのを我慢して、俺は何とか二人の髪の毛を数本握った。
ちょうどNとUの髪の毛を採取できるチャンスだったのだ。
ひりひりする己の頭をなでながら俺は尚も殴られ続けた。
ふと、突然Nの動きが止まった。
物音を聞き分けるように耳をすませている。
その様子に俺とUの手も止まる。
直後、Nは人がかわったようにその場にうずくまった。
震えているのがわかった。
Nは呆然と前だけを直視し、しきりに瞬きをしていた。
呼吸が荒くなっている。
虚ろな目をUに向けるが、すぐさま元の位置におさまる。
「どうした?」Uが声をかけた。
Nは何度かあごを突きだしてどこかを示していた。
「あそこの茂み……」
「茂み?」UはNが凝視する先を見た。
俺も気になって二人の視線を追う。
確かに茂みがあるが、いくつもあってどれのことをいっているのかわからなかった。
Uは適当に見当をつけたらしくいった。「茂みがどうかしたのか?」
「その後ろに……しゃがんだ」
「しゃがんだって? 誰が?」
Uは答えなかった。
尻餅をつき、首を左右に振り始めた。
「もしかして誰かに見つかったのか? なら早く逃げるぞ!」
Uは繰り返しいった。
だが、Nは固まって動く気配はない。
茂みをずっと見つめていたが、特に変化は見られなかった。
Uが走りだそうとした直後、
「動くな!」Nが叫んだ。
UはびっくりしてNを見た。
「まだいる!」
「な、なぁ、一体誰がいるっていうんだ」
「静かにしろ。お前にはいわなかったけど昨日から何かに見られている気がしてたんだ」
「そんなの俺は感じないぞ。気のせいだろ」
「いいや、確かだ。同じ気配がする」
Uは尖り声をあげた。
「お前は誰に怯えてるんだよ! 何もないだろ!?」
茂みは音を立てない。隙間には暗闇があるだけだ。
しかしNは吸い込まれるように生い茂る葉の塊を見据えていた。
「N! お前は何を見てるんだ!?」
「目だよ!」
Nが腹底から声を張り上げた為、一瞬だったが、辺りに低く響いた。
俺は身の毛もよだつ思いがした。
Uも固まっている。
「そんなのどこにも……」
すると、どこからともなく、
「うっうぅ」
という、うめき声が響いてきた。
Uが怯えているのがわかる。
「何なんだよこれ!」俺もよくわからない。
祖母のいっていた鬼が本当に出たのか。
がざがざがざ! 茂みが揺れた。
「やっぱりいるんだ! 俺を狙ってるんだ! 絶対に茂みの後ろにいるんだ!」
「誰が!?」Uが問いただす。
Nが走り出した。
Uも慌てて、そのあとを追った。
俺は傷の痛みと恐怖とで立つこともままならなくて、尻餅をついていた。
そういえば、昔この森には祠があり、怪異が閉じ込められていたと祖母から聞いたことがあった。
茂みは静かになった。
それから葉っぱをかき分けて誰かが出てくるということもなかった。
俺は全身に汗をかきながら、手に絡みついた二人の髪の毛を箱の中に押し込んだ。
家に帰りついたのは夕方だった。箱をベットの上に放り投げ、俺は夕飯も食べることなく、泥沼に沈むように眠りに落ちていた。
次の日、やたらと外が騒がしいと思って外にでると、家の前を幾人もの人が歩いていた。
俺はとある夫婦の会話を耳にした。
「立て続けに子供が亡くなるなんてこりゃ祟りだよ」
「こら、滅多なことをいうもんじゃない」
俺もそのあとをついていくと、Nの家が見えた。
パトカーが何台も群がりそれらを囲むように人だかりができていた。
瞬間悟った。
Nが死んだ。俺は言葉にできなかった。ただ茫然とそこにいるだけだった。
「おい!」
Uが俺の肩をつかんだ。
「Nのやつ、もしかしたら昨日の奴に」
ひどく脅えていた。だが俺はこいつと話す気もおきず、踵をかえした。
「おいお前も体験しただろ! 次は俺たちが同じ目にあうかもしれないんだぞ」
俺は無視して歩き続けた。Uが追いかけてきて腕を掴む。
「俺は死にたくない」俺は我慢できずにいった。
「そんなの知らない、少なくともお前は俺にそんなこという資格なんてない」
俺はまた殴られるかと覚悟したが、Uは下を向いたまま動かなかった。
俺は足早に家に戻った。塀の入り口が見えたところで俺は止まった。
黒い犬がいた。昨日よりも近い。改めてその大きさに鳥肌がたった。
じっとこちらを見ている。
俺はなるべく目を合わせないように裏口から入ろうかと考えていると、その犬が笑ったように見えた。
いま思えば錯覚だったのかもしれないが、そのように見えたのだ。
すると、家のほうから祖母の悲鳴があがった。
俺は即座に駆けだそうとする。
黒い犬は俺が動き出したと同時に、お尻をむけて歩き出した。
俺は横目でそれを見ながら、家に駆けこむ。
何か事故があったのかもしれない。最悪救急車を呼ぶ必要も念頭においた。
「ばあちゃん!」俺は玄関を開けて叫んだ。
だが、誰の返事もなかった。居間の扉を開けた。もぬけのからだった。
俺は訊き間違いかなと息を吐きだした直後、真横から知らない老婆が四つん這いで出てきた。
鳥肌とともに飛び上がった。
しかしよく見れば、祖母だった。
背中をさらけだした状態の祖母を見たことがなかったので判別できなかったのだ。
俺は今更ながらそのあともぴんぴんしていた祖母の手足と腰の頑丈さに感心するばかりだ。
現在は他界し享年九十歳の全てがつまった骨壷はお寺に納骨してある。
そして首だけが動き、見開かれた眼が俺を捉えた。震えながら、
「また邪気が来ておった! しかも闇を必要としないモノじゃ……」と呟いた。
祖母は震えながら、奥の部屋に向かって、また戻ってくると、俺にお札を渡した。
「身を守ってくれる札だ。持っておけ」
俺も不気味な現象を体験していたので、幾分心強く感じた。
その晩、俺はベットに横たわって、これまでのことを思い返していた。
あの少女にもう一度会って、この箱を返そうと思った。
俺の手にはよほど手におえないとわかったからだ。
それに森で感じた気配、ただならぬモノがうろついていることは確かだ。
あれがTとNを殺したのだろうか。
俺はその箱が異形のモノを操っているように思えて手元においておくのが怖くなった。
だが、俺は現在この箱の持ち主だ。呪いを受けているのはUたち。
だったらあの変なものは俺のところにはこないということになる。
俺は息をはいて目を瞑った。今日もすぐに眠れると思った。
その時だった。
「コンコン」
突如、窓が叩かれた。
誰だ。ここは二階のはずだ。
俺の背筋に悪寒が走る。
Uが石でも投げているのかと思ったが、確かに人間の拳でノックした音だった。
窓にはカーテンがしかれていて、向こう側は見えない。
俺は確かめる気にもなれず、布団をかぶった。
「うっうぅ」
うめき声が聞こえた。
昨日茂みからした声と同じだった。俺はさらに強く瞼を閉じる。
ドンドンドンドン!
ノックが激しくなった。
俺はますます震えて、耳を塞いだ。
何故俺のところへ? 箱は俺が持っていて、呪った相手はUたちだ。
髪の毛もいれた。瞬間、俺はここで思い至った。
昨日、喧嘩の最中、俺の髪の毛も引っ張られた。
そのとき、痛みに堪えかねて頭をなでたとき、一緒に自分の髪も手について、そのまま箱に入れた可能性があったのだ。
あの時、えらく動転していたからちゃんと確認していなかった。
俺は血の気がひいた。
しばらくするとうめき声もノックの音も止んだ。
俺は一先ず安心して、汗だくになりながらも、箱を持った。
蓋を開けようとするが開かなかった。息を飲む。
「まずい」
俺も呪われてしまった。
少女に取り消してもらわなければならない。この箱を持っていたのだから、その対処法ももしかしたら知っているかもしれないからだ。
最悪祖母にいって怒られるのを覚悟に、お寺へ相談しにいくしかないだろう。
「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
俺は飛び上がった。窓の外から大音量で不気味なうめき声が俺の部屋中に響いた。
俺はお札を何枚も壁に張った。今まで忘れていたことを悔やんだ。
再び布団に潜り込むと、ただ朝がくるのを待った。
そしていつのまにか、俺は眠ってしまっていた。
朝、思い切ってカーテンを開けた。
そこには何もなく、田んぼの景色が広がっているだけだった。
お札は剥がれ落ちていた。
よく見ると、お札の表面が真っ黒に塗りつぶされていた。
俺はこの日、部屋から一歩も出ることなく夕方まで過ごした。
Uが死んだという知らせはない。俺のところに奴が来ていたからだと思った。
お札のおかげで助かったのだ。
あの少女に会うには、最初のように逢魔時がいいと思った。
森に入ること自体恐ろしかったが、自分の命がかかっていると思うと気にならなかった。
そして十六時をまわったころ、俺は忍び足で家を抜け出し、森へ入った。
だが、いくら探せど、彼女は見つからなかった。
粘土が大木に打ちつけられているのが残っていて、俺はすぐさまそれを壊した。
俺はいい加減歩き疲れて森を出た。
落ち込みながら歩く俺は、入り口で再び黒い犬を見た。
呼吸をしている様子はない。
やはり鳥肌が立つ。俺は下を向いて進む。
家に入る前に、俺は少しだけ振り返ってみた。
犬はすでにそこにはいなかった。
このままでは本当に殺されると思い、俺は意を決して祖母に相談しようと思った。
まだお札もあるから時間もあるだろう。
居間に行くと、祖母が蹲っていた。
「どうしたのばあちゃん」
「……」
祖母は無言だった。
「俺、助けてほしいことがあるんだ!」
「む、無理じゃ、ワシにはどうにもならん。お前も逃げろ。邪気が消えんのじゃ。
鬼もおる。お札はまだあるじゃろう? だからそれを持って逃げろ」
祖母はそれを繰り返しいうだけで、俺の話に耳を傾けていなかった。
逃げられることならそうしたいが、呪詛返しのように奴らは必ず追ってくるだろう。
呪いを絶たなければ意味はない。時刻は十八時になる。じきに日が落ちて夜になる。
そうすればまた奴がやってくる。
今日はUのところへ行くのだろうか。だが、一匹だけとも限らない。
俺はとにかく今夜は奴が簡単に入れないようなところで寝ようと思った。
俺の部屋だと幾分心細かった。
俺は一人、庭にある倉にいった。
窓もなく、頑丈な鍵で施錠できる鉄製の扉があるのだ。
俺は中に入り、人一人分横になれるスペースを見つけた。
溜まっていた埃を履き、その上に新聞紙やタオルケットを敷いた。
台所の棚から持ってきたろうそくを何本か用意する。
倉の中には木の棒やクワなど武器になるものも保管されていた。
俺はさらに必要になるものがないか探っていると、頭部に衝撃が走った。
足元に一冊の分厚い本が落ちていた。
俺が手を伸ばした先に、数冊の本が並べられている棚があってそこから落下したらしい。
俺は手に取って見た。表紙には何も書かれていない。
めくってみると舞い上がった埃ごしに、不気味なイラストと魔法陣が書かれていた。
文字はかすれて読みにくかったが、祓うという文字を発見した。
俺は黒魔術的な何かだと思った。
ネットで呪いのやり方を調べているときに黒魔術も調べていたのだ。
魔法陣もその時に見たものと似ている。
呪いが本当に存在したのなら、黒魔術もしかりだと俺は直感した。
幸い、その本は全頁俺にもわかる言語で書かれていた。
魔法陣の書き方や準備のしかたが回りくどい文章で書きつづってある。
俺は、お札の他にも心強いアイテムが欲しかった。
だから本の手順を踏んで魔法陣を描こうと決めた。
材料は至極単純で、集めるのも簡単だった(手順はあえて省かせてもらう)
俺は赤いペンを持ってきて(本当は異なる)本に書かれている通りに円陣を描く。
これで、奴を祓うことができるのかわからないが、お札も扉に貼ってあり心強くはなった。
俺はもう一度読み返していると、飛ばしていた項があることに気付いた。
道具が一つ足りないことになる。
刃物だった。
俺は包丁を思いついたが、台所まで取りに行かなければならない。
腕時計をみると二十時を過ぎていた。
作業している間に結構時間がかかってしまったようだった。
持ってきたおにぎりも食べ終えている。
昨日ノックされたのは二十二時過ぎだ。
だからまだ大丈夫だろうと俺は取りに行くことに決めた。
扉に近づき、錠を開けようとしたその時だった。
小石が散らばる地面と靴底がすれ違う、僅かなジャリという音が聞こえた。
祖母ではない。
奴が来たんだと直感した。扉の前を行ったり来たりしているのがわかる。
包丁は諦めるしかないようだ。
お札も貼ってあるから、中に入ることはできないだろう。
俺はしばらくその何かをひきづるような音を聞いた。
ふと、静寂が降りてくる。
俺は昨日のこともあってすぐには警戒を解かない。
あの心臓を鷲掴みにするようなうめき声に備えるように耳を塞ぐ。
そうして長い時間が経った。
俺はさすがにつかれてきた手を耳から話した。
ドン!
俺は後ずさった。扉全体が揺れたのだ。
続いて、また扉が固いものにぶつかった音をたてて振動する。
体当たりしているのだ。
ノックといい体当たりといい、倉の外にいるモノが実体を持っているのは確かだ。
俺はすぐさまクワを持ってきた。
扉は尚も揺れている。俺はその前に立ってクワを構えた。
すると、鉄製であるにも関わらず、倉の内側に向かって扉の中央が盛り上がってきた。
俺は生唾を飲みこんで、一番奥まで退去する。
お札の一部が剥がれている。
ギシギシと音をたてながら盛り上がりはさらに増していく。
俺はその時お札の文字が蠢いているのを見た。
虫が這うように文字通しがぶつかりあい、恐怖と共に見入ると、最後には文字が寄り集まって、人間の顔を形作った。
それは何かを叫ぶように口を縦に開き、苦しみの表情を張り付けていた。
俺はすくみ上った。
扉の鍵の一部が今にも外れそうになっていた。
お札も半分がめくれて、風が吹くはずもないのに激しく揺らめいている。
札に現れた顔が叫んでいるような低い風の音が、俺の耳に渦巻いた。
俺の動悸は最大限にまで達した。
刹那、空気が振動した。
俺はその場にへたり込んだ。
恐る恐る扉を見る。俺は素っ頓狂な声を出した。
扉に異常はなかった。先ほどまで盛り上がっていたはずだったが何の変化もない。
ただ鍵は一部壊れていた。お札は完全に剥がれ落ち、焼けたあとのように黒く塗りつぶされている。
俺は肩で息をしながら立ち上がった。扉に手を触れる。
熱くもなく、柔らかくもないただの鋼鉄だった。
扉に耳をくっつける。
外からの音はない。やはりお札の効果だったのか、奴は立ち入れなかったようだった。
俺は確保していた寝床に行って横になった。
そして、恐怖で朦朧とする意識を越えて、微睡に落ちていった。
眼が覚めたのは朝の五時だった。
夏の早朝は幾分明るくなっているはずだ。
俺は扉に近づいて、耳をそばだてた。
何の音も気配もない。
俺は静かにカギを開けた。開いていくと、空虚な庭が目の前にあった。
大きく深呼吸して新鮮な空気を吸いこんだ。
俺はふと、刃物のことを思い出して、水を飲みにいくついでに包丁を取りにいくことにした。
あの魔法陣を途中まで完成させたのだから、最後までやり遂げたかった。
俺は台所にいって水を一杯飲んでから、何本かある包丁の一本を手にとって外に出る。
一先ず危機は乗り越えた。
昨夜の記憶は鮮明に蘇り、鳥肌となって俺を襲い続けた。
薄い光のもと、異世界から人間の世界に戻ってきたように感じていた俺は、安心して蔵へ戻る。
が、
「ううぅぅぅぅっぅぅぅぅぅぅぅ」
突如後ろの茂みから、うめき声をあげた黒くて細い物体が、地面を跳ねながらこちらに向かってきた。
「あぁああぁ、ああぁ!!」
俺は一目散に蔵へ逃げた。
腕がものすごく震えた。それでも何とか扉を閉めた。
人ではなかった。とにかく細長くて黒い何かだった。
頭部らしきものが出っ張っていた。人と思しき目があった。他には何もなかった。
下腿部分を屈伸させて跳ねてきたのだ。
そして、扉へ体当たり。
悪夢が舞い戻ってきた。俺は鍵を掴んで固定した。
振動が俺の体を吹っ飛ばそうとする。
俺はポケットを探った。お札を扉に貼りつけるためだ。
だが、いくらまさぐってもお札を掴むことができなかった。
「ない」
全てお札は使い切ってしまったらしい。
ノックされた夜に何枚も使ったのを悔やんだ。
だが、俺はもう一つの頼りを作っている。
準備しておいて本当によかったと思った。
俺は思い切って鍵から手を離し、包丁片手に魔法陣に近づく。
扉に当たる衝撃は増していき、鍵が破壊される前になんとしてでもこの儀式を完成させなければならない。
俺は包丁を手のひらにあてがって、すっと下に引いた。
線となった傷から血が溢れる。それを魔法陣に数滴落す。
包丁を魔法陣の中央に突き立てる。
ふと、この魔法陣は本当に利き目があるのかどうか疑問が湧いてきた。
だがすでに遅かった。
刹那、扉が破壊される轟音が響いた。俺は悲鳴をあげた。
すると閉じた瞼の中の暗闇が白い光に包まれた。
光が魔法陣から発生したらしい。
その光の威力から推測すると倉中に及んでいただろう。
そして、跳ねる音が後方より迫る中、俺は気を失った。
眼が覚めたのは夕方だった。俺ははっとして後ろを見る。
あの化け物の姿はなかった。
鉄製の扉は閉め切られたまま、鍵も破壊された形跡もなく元通りになっている。
俺は頭をかかえた。確かにあの後、鍵が壊され扉も突破されたはずだ。
そして、魔法陣から眩い光が――俺は誰かの気配を感じた。
あの化け物かと思い、俺は尻餅をつきながら後退した。
だが、そこにいたのは化け物ではなかった。
低い声がした。
「お前が」
スラリと背の高い、黒衣に身を包んだ男だった。
「お前が呼んだのか、私を」
と、気疲れをひそませた問いを、その怪しげな男は発した。
見知らぬ相手を前に、俺は硬直して何もいえなかった。
しばらくして俺はまず訊いた。
「あなたは一体、誰ですか」
「お前に呼び出されたものだ」
黒衣の男は魔法陣の上に立っている。
俺は成功したんだと直感した。
だが、男が出てくるなど予想もしていなかったので拍子抜けしていた。
目に見えない結界などが張られるとか、そういう考えだった。
俺は化け物を見た後だし、突如現れた男にもそれほど動揺せず、単刀直入にいった。
「俺を助けてください」
「それが願いか」俺は頷いた。
俺は箱を見せた。
「この中に髪の毛を入れると呪われるんです。それで間違って自分の髪の毛を入れてしまったかもしれないんです。
だからさっきの化け物に襲われて。とにかくこの箱を開けれさえすれば……」
男は細長い指で箱を掴むと、自分の眼間に持ってくる。
「これは開けられない」
「どうして」
「この箱は私も見たことがある。とても邪悪なものだ。誰からもらった」
「俺と同い年くらいの女の子に」
「ならば彼女でしか開けられない」
「そんな、森へいって何度も探したんです! でもいなくて……」
「森?」
俺は倉の外に出た。男もついてきて家の裏側に広がるB山を見上げた。
「なんと、道が開けているのか。それに同化している」
「道?」
男は答えずにいった。
すでにわかっていると思うがお前が出会った少女は人ではないぞ」
俺はすでにそう確信していた。もっと早くに気づいていればよかった。
「あの化け物も……当然」
「ふむ。この世のものではない」男は呟いた。
「それで、その箱を開ける方法はないんですか?」
俺は懇願するように問うた。男は冷静に告げる
「言った通り無理だ。当事者に頼む以外には」
「ならこの箱をくれた彼女に掛け合ってくれるんですね!」
「それは断る」
「!?」
俺は意味がわからなかった。
それほどあの少女が強力だというのだろうか。
「さっきの化け物だって退かせたじゃないですか」
「あれは小物にすぎん」
「あの少女は一体何なんです。それにあなたも。人ではないんでしょう? 別のところから来たんでしょう?」
「追及すればさらなる堕落が待つぞ。お前は呪いを解くことだけに専念すればいい」
確かにそれだけで俺は精一杯だった。
これ以上面倒事に巻き込まれるのはごめんだ。
「交渉がダメなら、他に箱を開けてもらえる方法はないんですか!?」
「交換条件しかない」
「交換?」ただの交渉では無理ということだったのだろうか。
「彼らは邪悪を好む。我らは代償を好む。それ以外の興味はない。より邪悪のものを彼女に渡せばいいのだ」
「邪悪、代償……」
「お前も払うのだぞ」
「じゅ、寿命……ですか」俺はぱっと思い浮かんだ単語をいった
「どれでもよい。しかし私は身体の一部を推奨する」
「何故です」
「好きだからだ」
俺は何も言えなかった。
最悪寿命でもいいと思った。あの生物に殺されるより百倍もマシだからだ。
すでに逢魔時だった。
俺はわたしが森にいる気がした。俺は男と共にB山へ足を踏み入れた。
するとそこへ、Uが怯えながら俺のところへ駆けてきた。
「俺昨日見ちまったんだ。窓の外で跳ねてる変なものを。お前もみたか!?」
俺はとりあえず否定した。Uには男が見えていないようで俺だけを見て話していた。
男が横でいった。
「そいつも連れて行け」
「え」
「いい材料になる」
俺は考え込んだあと、頷いて、
「実は俺もそいつのこと知ってるんだ。だから今、化け物から身を守るために森へ行く。Uくんも手伝ってほしい」といった。
こいつにお願いするなど屈辱だった。
「わ、わかった」とUは泣きべそをかきながらいった。
道中、Uは男が見えていないので、俺は二人との会話を同時にこなさなければならなかった。
だからすれ違いも起こった。
「なぁ、どうして俺に手伝えなんていったんだよ」
Uがいきなりいって、俺は驚いた。Uも引っ掛かりを覚えていたのだろう。
「そっちが……」
いいさして俺は口を噤んだ――そっちが今にも泣きそうになっていたし、男の命令だから、などいえるはずもなかった。
「それにお前、どうして平気な顔してんだよ。得たいの知れないモノがいるんだぜ?」
「俺だって怖いよ。でもそんなこと言ってちゃ解決なんてしないだろ」
「それは、そうだけどよ」
Uは黙り込んだ。
しばらくして「お前は俺を恨んでるか?」と唐突にUが訊いてきた。
「……訊かなくてもわかると思うけれど」俺は苛立ち混じりにいいのけた。
「そうだよな。いじめたんだもんな」
「まさか謝るつもりじゃないよな」
「……」Uは何もいわなかった。
「お前だってな生意気なところが悪いんだ。俺たちだって遊び半分だったし……
お前も俺たちを気にくわなかったんだろうけどよ、どこだよ。まぁ直すってわけじゃないけど」
「どこで彼女と出会った」
男が口を挟んだ。俺は前方に、当初呪いの準備をしていた大木を見つけた。
「アソコ」
「え?」
「あ、いや」
「俺たちのアソコが気に入らなかったのか?!」
「違う!」中学生特有の、何でも下ネタに関連付ける習性が発動した瞬間だった。
こんな状況で気楽なものだと今でさえ思う。
男が立ち止まった。俺も気づいて停止する。Uもそれに習った。
「いた」
俺は息を吐きながらいった。
彼女が立っていた。出会った時と同様に白いワンピースを着ている。
線の細い体を件の大木にもたれさせている。
すると、電池が切れたようにUが倒れた。
「!」
「心配するな。私がやった」
平然と男が呟いた。
「気絶させたんですか」男は頷いた。
「あら、いつのまにそんなものを呼び出したの?」
彼女は男のほうを見ていった。俺はポケットから箱を取り出した。
「俺はバカだった。この箱の中に自分の髪の毛を入れてしまったんだ」
彼女が可笑しそうな目を俺に移す。
「そう」
「呪いを解いてほしいんだよ。俺はこいつらに呪いがかかるようにしたいだけだったんだ」
「いったでしょ? 自分の一部は入れちゃだめだって。それを守らなかったのだから呪われて当然よ。そこに情けなんてこれっきしもないわ」
「でも俺は何も悪くない!」
「あなた最初呪いをかけようとしてたじゃない。じゃあ当然呪詛返しも覚悟してたのよね。
だったら今の呪われた状況を呪詛返しにあってると思えばいいんじゃない?」
「この人間と、その箱の中身を交換したい」
男が割り込んだ。
「……」
「お願いだ!」
「ダメ。だめったらダメよ聞かないわ」
「この少年にはお前の好く邪悪はもはや影をひそめ始めている」
「いじめられていたあなたならわかるでしょ。都合のいいことなんてないの。思い通りになることなんてないのよ」
「諦めて死ねっていうのか」
「呪うというのは、人を侮蔑するのと同等かそれ以上に穢れていて、とっても楽しいことなのよ」
「私はここだ」
彼女は男を見た。
「迷子は帰りなさいな」
「呼び出されたのだ。わかっているだろう。だから願いは聞き届けなければならない」
「そう」
直後、茂みが音を立てた。その茂みから立ち上がるようにして現れたのは、あの跳ねる化け物だった。
俺はその禍々しい姿に怖気づいて、悲鳴をあげた。
「ちょうど獲物が揃っているんですもの。ね、クロボウ」
彼女は嬉しそうだった。俺は足が動かなかった。
現れたクロボウ(名称がわからなかったので勝手に命名)が飛び跳ねてくる。
男が手を伸ばした。瞬間、俺の視界が真っ暗になった。
瞼を持ち上げるとさっきと別の場所だった。
「ここは……」
「場所を変えた」
俺は頭痛がしてこめかみを押さえる。
「交渉は決裂、か。こうなったら呪いから逃げ続けるしかない」
俺は呟いた。
「無駄だ。あれは影さえあればどこででも現れ、お前を殺すだろう。この世には必ず影がやってくるんだ。逃げ場はない」
「もし呪いが解けなかったら、寿命の件はなしですよね」
「目ではなかったのか」
「寿命です」
「まぁ、焦るな。方法は考える」
するとUが目を覚ました。
「俺、どうして……」
「もう、だめかもしれない」俺はそういった。
「どうしたんだ急に。何が?」
「俺たちは殺される」
「はぁ!? あ、あの化け物に?! そんなのごめんだ! どうにかするっていったじゃないか」
「俺にいわないでくれよ。文句ならこいつに」俺は男を指差した。
「どこ指差してたんだよ誰もいないじゃないか!」
Uには見えていないことを思い出し俺はだらりと腕を下げた。
「元はといえば俺が悪いんだよな」
と、俺はUたちに呪いをかけたこと、だからあの化け物が襲ってきて、TもNも殺された。
俺の不手際でその化け物に狙われることになったことを全て話した。
「なんだよそれテメェ! だから冷静にいられたんだな!」
Uはドスの利いた声をあげた。俺の頬に鈍痛が走った。
Uの拳はなおも飛んできた。俺は血の混じった唾を吐いた。
俺も口を開いた。
「でも俺が呪う理由をつくったのはお前たちだろ! これでおあいこだ! それに俺も呪われたんだ」
Uは舌打ちして、その場にへたり込んだ。
「俺はまだ死にたくない」
「俺だって」
「おいひらめいたぞ」
俺は首をもたげた。男は人差し指をたてていた。
「……本当に成功するんですよね」
「誤算はない」
「……一人事とか、やめろよな」俺はため息をついた。「……そうだな」
俺はしょんべんといって、男を連れ、Uの呑気だな、との嫌味を背中で受け止めながら、茂みの奥へいった。
「で、方法っていうのは?」
「お前たちだけで、あれから逃げるのだ」
「あの化け物から?!」
「その通りだ」
「そんなことしたって呪いが解かれないじゃないですか」
「解くことはできる、うまくことが運べばな」
「その間に何かしてくれるんですね」
俺は男の真意を汲み取った気がして少し音量が上がった。
「いや。私は少し休む」
「っ!?」
「迷っている時間はないぞ」
と、男の指差す先に、クロボウが迫っていた。
Uの叫び声が上がった。俺はUのところへ駆けより、共に走り出した。
「くそっどうしろってんだ」
俺とUは後ろを垣間見つつ逃走する。
Uが先頭を切り、一歩遅れて俺が続く。
後ろから恐怖の圧迫感に押され、俺は無我夢中だった。
クロボウは身体を曲げながら跳ねてくる。
飛躍力がだんだん上がっているように思われた。
Uが茂みに飛び込んだ。俺はその反対の茂みに飛び込んだ。
がくがくと震えながら顔を上げると、茂みを壁として見た葉っぱの隙間から、クロボウが跳ねていくのが垣間見えた。
Uの方にも俺の方にもこなかった。
ただまっすぐに進んでいっただけだった。
俺とUは立ち上がって、クロボウが跳ね去っていった方向を見据える。
「何とか撒けたのか」
Uが呟いた瞬間だった。
Uのずっと後方から瞬間移動したように、クロボウが猛スピードで跳ねてきた。
女々しい声をあげて、俺たちは茂みをかき分けながら走った。
俺は何度も転びそうになった。
突き出た枝や大きな石、捨てられたゴミなど足をとられるものはそこかしこにあった。
案の定、Uが何かに引っかかったらしく、横転した。
「うぬぬうぬぬぬんうぬんぬ」
と狂ったようなうめきをあげたクロボウは容赦なく迫ってくる。
俺は一度止まった足を再度動かそうとした。Uを見捨てようとしたのだ
今思えばよくUのために一度でも足を止められたものだと感心する。
その僅かな逡巡の最中、
俺の視界に黒衣の男の姿が見えた。
森林に立ち尽くす男はただならぬオーラを発していた。
俺は男の力を借りようと思った。
何故、Uを助けようと思ったのかはわからない。
ただ咄嗟に身体が動いたのだ。
クロボウとの距離はまだ開いている。俺は男に見えるようにUの前に進み出た。
「おい!」
Uが手を伸ばしてきた。
進行方向にUの手が現れて、気が動転する最中、
俺にとってそれは確実に邪魔なものだった。
俺はUの手を押しのけた。
その時、クロボウから腕のような触手が伸びた。
それはUの手のあった場所を滑空して、再び主の体躯へ戻る。
Uは俺が突き飛ばしたことで尻餅をつき、クロボウの手から逃れる形になった。
俺はただ男に助けてくれと合図しようと思っただけだった。しかしUはそれをクロボウから助けた行為だと捉えたらしい。
「すまん。助かった」
とUは息も絶え絶えにいった。
すると、クロボウの眼間に木が一本倒れ込んだ。
枯れた樹ではなくさっきまで地に根を張っていた頑丈な樹だ。
男の力だ、と思った。俺はUの手を掴んで走り出した。
そして俺たちは当てもなく突き進む。
しばらく全力で走り続けた。
ランダムに曲がり、獣道さえも通った。俺たちは岩陰になっているところで一旦止まった。
息を整える。
クロボウの姿はなかった。男が完全に追い祓ったとも思ったが油断はできない。
顔を真っ赤にした俺たちは岩の奥に隠れた。そうしなければ安心できなかった。
「もう追って来てないんだろ」
「わからない。また来るかもしれない」
「どうするんだよ、もう日が暮れる。早く森を出ないと」
「シッ!」
俺は枝の折れる音を聞いた。クロボウだ。
Uも口を噤む。岩の隙間から向こう側が見えた。
と、黒い影が重なった。距離があって全体像が見える。
頭部らしき箇所を身体ごとくねらせて、左右に巡らせている。
俺たちを探しているのだ。
俺が覗いていた隙間と頭部の前面が合わさったとき、動きが止まった。
「見つかった」俺は悟った。
刹那、クロボウが跳ねてくる。「出ろ!」
俺は叫んで、岩から飛び出した。Uも続く。
だが岩と岩の間は狭く、俺とUの体がぶつかりあって、とうとう俺は倒れ伏せてしまった。
この時の恐怖ったらない。今までで一番恐ろしい瞬間だった。
ちびっていても仕方なかっただろう。
クロボウからあの手が伸びてきた。
起き上がろうとしていた俺の足を掴みそうになった時、
「あぶねぇ!」とUが俺に体当たりして、俺は無事触手から逃れることができた。
□ □ □
クロボウはまた、そのまままっすぐに跳ねていく。
小回りが苦手らしい。
俺に覆いかぶさったUはその場に尻餅をついていった。
「早く帰りたい」
まったく同じ心境だ。
「ごめん、助かった」――俺は咄嗟に口を噤んだ。
だがすでに遅かった。
絶対にいうことがないと確信していたことを今口にした。
俺はこのときすぐには気づかなかった。
Uの表情は悲痛なものに変わり出していた。
見れば、Uの足先が痛々しいことになっていたのだ。夏ということもありUはサンダルだった。
Uの親指の爪の間に枝が突き刺さっていた。
枝の侵入によって爪が上に盛り上がっている。
血は溢れ出て他の指まで染めていた。見ている俺の足までじんじんしてきた。
Uが歯を食いしばりながら、悲痛な唸り声と共に枝を抜く。
すぐさまTシャツを破り、親指に巻きつけた。
血が浸みてとたんに赤くなった。
「うぬぬうぬぬぬぬうぬぬ」
クロボウだった。このときほどタイミングの悪さを呪ったことはない。
Uがクロボウの手につかまれた。
そのまま引きづられる。
俺はとっさにUの腕を掴んだ。
引き戻そうとするが、尋常ではない力がUを持っていく。
このままではUの手足が千切れるとさえ感じたほどだ。
Uが涙ごえで叫んだときだった。
上空から唐突に岩が落下してきた。
見事に下敷きになったクロボウの手が緩み、Uが解放される。
男の力だろう。
そんな芸当ができるのにいつもギリギリで助けることに俺は苛立ちが募った。
Uを起こそうと思ったが、動けない様子だった。
「やばい腰が抜けて、動かない。それに足も痛い」俺は逡巡した。
Uは歯を食いしばっていた。
「お願いだ。蹴り飛ばしてくれ。そうすれば勢いづくかもしれない」
俺は、前方のわめくクロボウの姿を一瞥して、息を飲むと、Uのいう通りにした。
そして何とか走り出したUと共に逃げ出した。
しばらくして見つけた穴倉に、俺たちは逃げ込んだ。
熊のものだろうか、広さは十分で深さも申し分ない。
俺たちは息を殺して体力回復に努めていると、ふいにUがいった。
「蹴り飛ばされるって結構痛いんだな」
俺はびっくりしたが「だろ」と返した。
「尻、腫れてるかも」
「擦り傷もいっぱいだ」
俺は自分の腕を見た。沈黙が続いたあと、Uが頬をかきながらいった。
「呪われて当然、だな」
俺は何もいわない。
「今更許してくれなんていわない。
でも本気でお前を嫌っていたわけじゃなかったんだ。遊び半分だった。
それに、お前が化け物を呼んだから冷静でいられたことはわかったけど
、だけど、お前も呪われていて、あの化け物に追われてる状況なのに、
堂々としてて俺を助けてくれた。こんなに勇気のある奴だって思わなかった。スゲェよ」
震えあがっていたUからは俺の姿がそう見えていたらしい。
事実冷静に捉えていたところもあったが、やはり恐怖に包まれて吐きそうな程だったのだが、
「……そうか」
と俺は呟いた。
俺の中の憎しみは完全に消えたわけではなかった。
だが、これまで協力して逃げてきた経緯と、呪いを犯した罪悪感とが積み重なって、
Uへの怒りは弱まっていた。
穴倉の外は、さっきまでクロボウに追われていた時の木々の騒々しさとはうって変わり、
闇に溶け込んむ静寂が満ちていた。
俺は続けた。
「呪いなんてするもんじゃないな。お前たちも人間だから、内心で俺が気にくわないこともいっぱいあったんだろう。
こんなことに巻き込んだのは俺のせいだ。でもそれが俺を虐めた報いだと思ってほしい……
死んだ奴には頭も上がらないけれど。ただ一生その罪は背負うと思う」
「あぁ、俺も身に染みたよ。怖さも痛みも――」
俺たちはそのあと特に言葉を交わさなかった。お互い疲れ果て、穴倉の外に気を配るのに精一杯だった。
クロボウが跳ねてくる音を聞き取ろうとして数分後、俺たちは照明が切れたように眠りに落ちていた。
眼が覚めると、生暖かい空気が満ちていた。
俺は面前に箱が落ちているのが見えた。
そして、驚いたことに蓋が空いていた。
もう夜明けらしく、微かな太陽の光が木々の間隙をぬって、俺の目にあたった。
穴倉の外に、男が立っていた。
「呪いは解けた」
「え?」
俺は意味が飲みこめなかった。
「特別に真実を教えてやろう」
そういって男は一方的に説明を始めた。
「呪いを止める方法は、相手に対しての怨念を消すことだ。お前の怨念は髪の毛を通して、箱に力を与え、呪いを発生させた。
故にお前の怨念が消えれば、髪の毛から箱に流れる怨念も止まり、呪いが消滅する。私はお前たちの確執を拭いさる状況をつくっていたのだ。
だからあれを完全に消さずにお前たちを追わせた」
「じゃあ……」
俺ははっとして周囲を見回そうとした。
「奴はもういない。この次元にはな」
突如透き通るような声が降ってきた。
「どこにいっても、完全なものなんてないのね」
わたしが男の隣に立っていた。
そして穴倉に歩み寄ってしゃがむと、箱を掴んだ。
「渡したこの箱、わたし呪いは返してもらうわ。あげたつもりはないからね」
わたしは端正な顔で微笑んだ。
「もらったつもりもないよ。それにもういらない」
そのとき見えた彼女の腕に傷はなかった。
Uはまだ眠っていた。
彼女はいった。
「これで最後になっちゃったのは残念だけど、あなた的に考えると命拾いしたのは運がよかったね。
あぁ、でも代償で寿命削れちゃうんだっけ」
「いいんだ。それが人を呪った代償だから」
「私に対してもな」男が抜かりなくいった。
「そうですね、助かりました」
すると、いつのまにか、わたしは消えていた。
俺はもう追われなくていい安心感に脱力して、大きく息を吐き吸い込んだ。
そのとき、焦げ臭いにおいが混じっていることに俺は目を見開いた。
慌てて穴倉から出ると、眼前に広がる木々が炎に包まれていた。
ついさっきまで何の異変もなかったはずだ。
なのに――ぱちぱちと音を立て、見慣れた植物が無残に焼かれていく。
男は燃え上がる様を見やりながらいった。
「ヘルハウンドか、そういえば奴も来ていたんだったな。どうやらここにある道を絶つつもりらしい。お前もさっさと退け。奴の粛正に巻き込まれたくなければな。といってもお前は、時がくれば再びその姿を目にするだろうが。では私も、帰還しよう」
男は俺の額に指を突いた。
次の瞬間、俺の身体から何かが抜き取られる感覚が走った。
やや間をおいて、俺が目をあけると男は忽然と消えていた。
何だかやるせなかったが、俺はUを抱えて森の外へ脱出した。
煙を避けながらで多少時間はかかったが、遠くで祖母の姿が見えて俺はほっと息をついた。
結局、黒衣の男の正体もわたしの素性も何もわからなかった。
ただ、俺が幼い頃から共にしてきたこの森には、確かにここではないどこか別の世界へ通じる道があったのだろう。
元気になった様子の祖母がこっちじゃ! と叫んでいるのが見えた。
森の前では消防車を呼ぶ声と群衆ができていた。
俺が祖母のところまで到着し、Uを横にさせる。
そして、これほど騒ぎになっているのにいびきをかいて眠りこけているUと、事情を問いつめずに俺の身を
心配してくれた祖母と共に、燃える山を見つめた。
「えらいことになった」と祖母。
「ごめん」
「会ったのじゃな、鬼に」
「たぶんそうだけど、全然想像してたのと違ったよ」
「鬼といっても伝説通りではない。B山に潜む鬼は別の世界から来た者じゃ」
「ばあちゃん、もしかして知っているの?」
俺は思わず声を荒げた。
「んや、詳しいことはわからぬ。だがそう確信できる。若かりし頃ワシは願ったのだ。だからアレが来た」
俺にはよく理解できなかった。
「でも、おかげで俺は少し頭が覚めたと思う」
祖母はうん、うんと頷いていた。
「……あの魔法陣じゃが」
「あ、ごめん、勝手に」
倉に描いた魔法陣をそのままにしてあったことを俺は思いだした。
「いいんじゃ、あれは役にたったか?」
俺はしばし考え、あごをひいた。
「でもあの本……って」
「あぁ確か、西洋を旅するのが好きじゃった父親からの土産物だったかの。ワシも恥ずかしながら、借りて読んでおったわ。
少し頼りない土産だと思ったが意外に役にたつ。だが、お前がこんなことになるのなら、もっと早くに教えておけばよかったなぁ、すまん」
俺は今でもこの祖母の言葉を覚えている。
もしかしたら祖母は、あの黒衣の男が何者であるのかも含め、全て知っているのではないかと思ったが、聞かないようにした。
(その後事情があって、男の正体や道、化け物とわたしについての見当はついたが、
祖母が亡くなったあとだったこともあり、真相はわからない。そして祖母のいった、こんなことになるのならの意味が
代償についてだったのだとしたら、人を呪った俺にとっては適切な報いだと思っている)
俺はもう一度、真っ赤に染まるB山を見やった。
ふと、入り口に黒い犬が鎮座していることに気が付いた。
祖母や他の住民には犬が見えていないようで、もくもくと上がる分厚い煙を眺めていた。
犬は変わらずこちらを見据えている。
直後、俺は声を聴いた。
頭の中になだれ込んでくるような感覚だった。
俺は直感的にあの犬の声だと思った。確かなことは、俺だけに対して発していたことだった。
そう、奴は、こういったんだ。
「 また 迎えに こよう 」
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