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戦争にまつわる不思議な話・怖い話【短編 – 全13話】『ジャングルで部隊が見たもの』など

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戦争にまつわる不思議な話・怖い話【短編 - 全13話】『ジャングルで部隊が見たもの』など 戦争系
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戦争にまつわる不思議な話・怖い話

 

戦争から生還した二人の奇妙な因縁

祖父から聞いた話です。
うちの祖父は、戦争中に所属していた部隊が壊滅して、生き残ったのは祖父と、もう一人二宮軍曹(仮名)だけだったそうだ。

しかし、祖父は負傷していて、足手惑いになるから置いていってくれと頼んでも、その軍曹は頑として聞かず、祖父を見捨てずに本隊まで連れて帰ってくれたそうだ。(祖父の方が階級は下)

その軍曹は普段から特に親しかったわけでもないのにと、祖父は感謝していたそうです。

戦争が終わって暫くしてから、祖父はその恩人を訪ねてみたそうです。

それから二人の交友が深くなり、よく会うようになったんだそうです。

軍曹は、初めから助けるつもりなど毛頭なく、見捨てようとしていたのだが、なぜか見捨てることができなかった……

と語ったそうです。

そしてたまたま家系の話になった時、驚くべきことがわかったそうです。

我が家の先祖は、戦国時代にあえなく没落してしまった小大名なんですが、その軍曹は、我が家の先祖に仕えていた家臣の子孫だったのです。

軍曹の先祖は、没落した我が家の先祖に、毎年米を送って援助していたんだそうです。

いつからか縁は切れてしまっていたのですが、何百年も経ってから、家臣の子孫が、主家の子孫を助けるという……

単なる偶然かも知れませんが、なんとも不思議な話です。

 

もう戦争は終わったの?

私の卒業した小学校付近は、戦争当時空襲がひどかったらしい。

だから今でも防空壕の跡地や数年前も不発弾などが見つかったり、慰霊碑などが多く建てられている。

小学生の頃、部活が終わり、さぁ帰ろうとしている時に仲良しのAが

『あ!給食着がない…もしかしたら教室かも…』

と言った。

あいにく明日は休み。

週末は給食着を持ち帰り洗濯をして次の当番へ回さないといけないため、どうしても取りに行かないといけない。

Aと仲良しのBと私の三人で恐る恐る教室へ探しに行くことにした。

教室へ行くには階段を登り、二階の踊り場を通り過ぎなければならない。

その踊り場のカガミはこの学校の七不思議の一つであり、夕方、このカガミを見るとこの世のものではないものがうつると言われていた。

ただの迷信と言い聞かせていたが、やはり夕闇に照らされてるこの踊り場は不気味というしかなかった。

目をつむりながら踊り場を通り過ぎ、急いで階段を登りやっとの思いで教室へたどり着いた。

『あ!あった!』
と給食着を持ちAの安堵する表情とは裏腹に、またあの踊り場を通り過ぎなければいけないのかと苦痛に思った。

すると、突然Bが、『ねぇ、あの踊り場のカガミってさ…本当に何かがうつるのかな?』

と言い出した。

…おいおい、やめてくれ。とは思ったが、どっちにしろ帰るにはあの踊り場を通り過ぎなければならない。

辺りは一層暗くなるばかり。それならば早く進むしかないと意を決して教室を出て階段を降り始めた。

一段、二段と降り続け、とうとう踊り場へ。
早く通り過ぎようとするAと私とは違い、Bは興味深くまじまじとカガミを見つめていた。

すると……

『あ…』

とBがつぶやき、私とAも不意にカガミを見つめてしまった。

そこには、いつもと何ら変わらない情景、そして私達の強張った表情、そして、その横に、防空頭巾をかぶったモンペ姿の女の子…

私達は、その場から動けなくなってしまった。

その女の子は、泣きそうな表情を浮かべながら私達の方へ必死に手を伸ばし、

『…もう戦争は終わったの?』
とつぶやいた。

私達は、恐る恐るうなずいた。

すると、見る見るうちに女の子は笑顔になり

『…よかった。』

と一言つぶやき、そのまま消えていった。

私達は歩き出し、気がつくと通学路を歩いていた。

誰も一言も話さなかった。恐怖というより切ない虚しさがこみあげていた。

戦争でたくさんの方が亡くなった。

あの女の子も恐らく犠牲者で、恐怖で何十年も隠れていたのだろう。…カガミの中に。

ふと、見上げると、慰霊碑があった。

いつもは何とも思わず通り過ぎていて気づかなかったただの慰霊碑。

私達は誰からとも言わず、手を合わせていた。

僧侶の予言

昭和三年生まれの父は、昭和十八年頃、帯広の近くのにある農家に働きに出ていたのですが、その近辺に広がったという噂話です。
その町には酒屋が一軒あった。

ある晩のこと、もう店を閉めてしまった時間にドンドンと戸を叩く音がする。

こんな誰だろうと思った店主が出てみるとそこに僧侶が立っており、

「これに一杯、酒が欲しいのですが」

と言って手にしていたザルを差し出した。

こんなものに酒など入れられる筈が無いと何度も僧侶に言ったのだが、あまりにしつこく頼んでくるので段々怖くなってきた店主は、仕方なくいつも使っている秤売りの升でそのザルに酒を注いでやった。

すると酒はこぼれ落ちることなくそのザルを満たしてしまった。

僧侶は礼を言い、何処そこで探し物が見つかるだの、近々誰某の家で葬式が出るなどという、いつくかの予言めいた事を店主に告げた。

そして最後に、この戦争(太平洋戦争)は近々日本の敗戦で終結すると言い残して何処へともなく去って行った。

当時、日本が戦争に負けるなどと口にすることは絶対にできず、公の場では話題にのぼることなく噂話としてその町に広がっていたものだそうです。

終戦後、幾つかの場所(北海道内)を移り住んだ父は、そこで何人かから同じような話を聞いたそうで、各地にそんな噂が立っていたようだとのことでした。

 

東京大空襲で月光が遭遇した怪物

これは祖父が太平洋戦争時に体験した東京湾近郊の空でのお話です。

現在祖父は九十五歳で介護老人ホームに入所してます。

この話を聞いたときにはすでに少しボケはじめていたのを了承ください。

祖父は当時、おそらく海軍の航空隊に所属しており夜間攻撃機の操縦士を勤めていた。

はっきりは聞かなかったが、おそらく「月光」という夜間戦闘機らしい。

夜間に飛来するB29爆撃機を迎撃するのが主任務だったそうです。

たしか横須賀に所属した……みたいな話をしてました。

東京大空襲
昭和十九年のおわりくらいから首都圏も爆撃が盛んになってきて、あけた終戦の年の昭和二十年三月十日のことでした。

前日の夜二十三時ころに空襲警報が発令されたが、なぜか解除され呆けてると、日付も変わり午前時半ばころ再び空襲警報と出撃命令が発令された。

祖父とレーダー操作担当する電探士ともう一人(任務不明)の三人で出撃。

高度を上げ東京方面に機首を向けると、すでに東京は火の海だったそうです。

空は火災の炎で真っ赤に染まり、煙は高度何千メートルにもおよび、上昇気流が凄まじく首都圏上空は飛行困難でした。

祖父は必死で操縦と目視による索敵(さくてき)をはじめ、機首を西に向けたときです。

電探士がレーダーに感ありを祖父に告げました。

電探士の誘導にて操縦すると首都圏からはなれ、東京湾上空にでました。

しばらくすると、かなりの抵高度で機関銃の曳光弾(えいこうだん)を吐き出す機影を発見しました。

どうやら戦闘中らしいが、機影はその機体以外確認できない。

祖父は敵味方識別のため接近をこころみた。

あまり近づきすぎるとこちらが攻撃される可能性があるので少し間を置く。

しかし、妙な事に気がついた。

間違いなく敵機B29であるのは確かであった。

四発あるエンジンのうち三発から煙を吐いている満身創痍のようだ。

それよりおかしいのは機体中央部から機関銃を上空に向けて撃っている。

そもそも敵機の上空には機影はない。

それ以前に、B29の機体中央部には機関銃の砲塔は存在しない。

さらに接近を試みた。

そして祖父は見た、見てしまったと話していました。
B29は機体中央部を激しく損傷しており、天井装甲が剥離しており中はまる見えであった。

おそらく旋回砲塔から取り外した機関銃を機内から米兵がなにかに向けて撃っている。

銃口の先にはありえないものがいた。

体は人間に似ているが痩せこけて体毛は確認できない。

肌は浅黒く顔はひととも獣ともつかない。

耳はとがりまるで悪魔的な……背中には翼をはやし、まるでコウモリのようだ。

それより驚いたのはその大きさだった。

目算で身長は約5m以上で翼を広げた幅は20mはあろうか……

こいつは片手に首のない米兵の死体をぶらさげ片手で機体にとりつき、機内の米兵をねらっているようだった。

祖父は電探士に意見を仰ぐも信じられないの一辺倒。

もう一人の搭乗者はその位置からは確認できず、祖父は攻撃しようと考えたが、月光の機関砲は機体真上の前斜めに設置されており、攻撃は背面飛行でもしないかぎり不可能である。

祖父はこれ以上関わるのは危険と判断し離脱を決心した。
というより逃げ出したそうです。

遠くに見えるB29はどんどん高度が下がる。

しかし、米兵は戦闘をあきらめることはないようで曳光弾の軌跡が上空に吐き出される……

最後まで見届けることはできなかったそうです。

事後は都心部にむかい、迎撃任務にもどるがこころここにあらず、早朝に基地に帰投したそうです。

早朝帰投し報告を終える「戦果なし」例の件は報告できなかった。

同乗者には口止めをした。

話したところで信用されないし、もの狂いと思われるのが関の山。

祖父は墓場までこの話を持っていこうと思っていたそうです。

おれが小学生の夏休み宿題のため、祖父の戦時中の話を作文にするためたまたま聞けたお話です。

これは自分の家族や親戚にも話したことはありません。

それは何のために日本上空で米軍機を襲っていたのか……?

怖いというより疑問がのこります。

 

その井戸に決して近づいてはいけない

昭和初期の話。
ある地方の山村に一人の少年が住んでいた。歳は十一才。

お父さんは戦争に狩り出され、お母さんと二人暮らし。

もともと内気で人見知りしがちだった少年は友達がいない。

山の中、一人で遊ぶのが日課だった。

勝手知ったる山の中。たとえ暗くても怖くなんかない。

けど、一ヶ所だけ近寄れない場所がある。山の林道から少しはなれた位置にある社。鳥居も社殿もボロボロに朽ち果てて、お参りに来る人もいない。

その社の裏手に、少年の恐れているものがある。

井戸。

なんでそんなところに井戸があるのか少年は知らない。

知っているのはとても怖い井戸だということだけ。戦争に行ったお父さんがよく話していたから。

「あの井戸は、落ちたら二度と上がってはこれない。地獄に通じているんだ。だから絶対にあの井戸に近付いちゃいけないよ。中を覗くなんてもってのほかだ」

小さい頃から何度も聞かされてきた。その話が、子供を危険な場所に近付けさせないための方便なのだと、少年はもう感付いてはいる。

けれど、実際に社の周囲はとてもおどろおどろしくて、本当に地獄の入り口なのかもしれないという気がする。

どちらにせよ、子供が一人で近付くにはとても勇気のいる場所。少年はお父さんの教えを忠実に守り、その社にだけは近付かない。

でも、その年の夏が終わろうとする頃、事件が起きた。
暑い夏が始まろうとする頃、少年に友達が出来た。

少年の家の近所に引っ越してきた男の子。年は少年よりも二つ下。学校には通っていない。

お母さんのお使いでその家をたずねた時、初めて顔を合わせた。

喘息という病気にかかっていて、その病気を良くするために、親戚であったその家に預けられたらしい。少年は家に帰ってからお母さんにそう教えられた。

「町の方に住んでた子だから、この村にはあまりなじめないんじゃないかしら。あなた、仲良くしてあげなきゃダメよ」

お母さんにそう言われたけれど、内気な少年は自分からその家にたずねていくなんて出来ない。

それに気付いていたのか、何かにつけてお母さんは、その男の子のいる家に少年をお使いに行かせる様になった。

人見知りがちな少年も、二度三度とその家をたずねるうちに、徐々に男の子と打ち解けていく。やがて、二人は大の仲良しになっていた。

二人が遊ぶ時はいつも部屋の中。喘息を患っている男の子は、激しい運動が出来ず、せいぜい家の近所を散歩できるぐらい。

「山の奥の方って何があるの?」

ある時、男の子がふいにたずねてきた。

ろくに外出も出来ず、いつも窓から外を眺めているだけの男の子には、鬱蒼と生い茂る山林が神秘的な場所に思えたのかもしれない。

「あの山の中には…近付いちゃいけない場所があるんだ」

少年がそう言ってあの井戸の事を男の子に話したのは、軽い気持ちから。ちょっと男の子をおどかしてやろうと思ったから。

「本当に?そんな井戸があるの?」

男の子は少し怖そうに、けど目を輝かせて少年の話に耳を傾ける。

「本当だよ。とっても深い井戸なんだ。石を落としても、音が全然聞こえないんだ」

少年は得意気に、少しだけ脚色を加えてお父さんから聞いた話を男の子に話してきかせた。
本当は石を落とすどころか、井戸の中を覗いた事すらない。

「怖そう。けどちょっと見てみたいなぁ」

男の子は窓の外を眺めながら、興奮した調子で言う。

「無理だよ。お前が歩いて行ける様なところじゃないし。それに本当に怖いところなんだ」

少年は兄貴風を吹かせてたしなめるけど、男の子は少し不服そう。

それから数日がたったある日。そろそろ夏も終わろうとしている。少年は自宅に一人でいた。

本当は男の子の家に遊びに行きたかったのだけど、今日はお母さんが外出中。留守番をしている様に言われたから。

村の大人達が集会所に集まって、何か大事な話をしてるらしい。少年は狭い家の中でただ一人、お母さんが帰ってくるのを待っている。

ふいに玄関の戸を開く音がした。少年は立ち上がり、玄関へお母さんを出迎えに行く。けどそこに立っていたのは、お母さんではなくあの男の子。

「どうしたんだ!?」

少年は少し驚いて男の子にたずねた。男の子の方が少年の家に遊びに来るのはめずらしい事だったから。
狭い村。近所とはいえ、喘息の男の子が歩いてくるには少し危ない。

「ちょっと退屈してて」

男の子は照れ臭そうにつぶやく。

「大丈夫なのか?」

「うん。大丈夫だよ。ここに引っ越してきてから、前みたいに具合が悪くなる様な事もないし」

「とにかく上がりなよ」

「お母さんは?いないの?」

「うん。大人同士の話し合いがあるから出掛けてる」

「僕ん家もだ。叔父さん達、そろって出掛けてっちゃった」

やっぱり、と少年は思う。男の子が一人でここまで来るのを、叔父さん達が許すはずがない。

「黙って出てきたのか?怒られるぞ」

「平気だよ。叔父さん達、帰りが遅くなるかもしれないって言ってたから。それまでに帰れば」

「でもやっぱり家に帰ったほうがいい。僕も一緒について行くから」

少年の頭に浮かんでいたのは、男の子の叔父さんの顔。口数が少なく、村の子供達から怖がられている叔父さんの顔。

「なぁ、あいつは病気だから運動はしちゃいけない。だから絶対に外に連れ出したりはしないでくれよ」

いつだったか遊びに行った時、少年を呼び止めて、そう釘をさした叔父さんの顔はとても厳しかった。

「ねぇ。ちょっと山の方に行ってみない?」

意を決した様に男の子がつぶやいた。
日が傾きかけた頃。木々に覆われ、昼間でも薄暗いあの社の辺りはもう夜のよう。少年はただ井戸の前に立ちつくして震える事しか出来ない。

ついさっきまで少年としゃべっていた男の子はもういない。少年は必死で震えを抑えつつ、井戸の中を覗き込む。

真っ暗で何も見えない井戸の中。本当に地獄まで通じてる様な気さえしてくる真っ暗な井戸の中。

けどその中に、あの男の子はいる。社をちょっと眺めたらすぐに帰るつもりだった。

少年が一番恨めしく思うのは、自分の中のいたずら心。男の子がどうしても井戸の中を覗いてみたいと言った時、とっさに沸き上がってきたいたずら心。

ちょっとおどかしてやるだけのつもりだったのに、軽く背中に触れただけなのに、男の子は小さな悲鳴を上げて、そのまま井戸の中に吸い込まれる様に落ちていった。

そして今、何度呼び掛けても井戸の中から返事はない。

日が沈む頃、少年は帰宅した。どうやって帰ったのか覚えていない。お母さんはまだ帰ってきていなかった。

震えが止まらず、拭っても拭っても嫌な汗が出てくる。

少年の心にあったのは恐怖。友達を殺してしまった恐怖ではなく、これから先の事に対する恐怖。

帰宅したお母さんの顔を見た時、少年は何もしゃべる事が出来ず、そのまま気を失った。
気がつくと、少年は布団の中。額には濡らした手ぬぐいがのせてある。

「目、覚めた?」

枕元からお母さんの声がして、体を起こそうとするけど、お母さんがそれを止める。
「ダメよ、寝てなさい。すごい熱だったんだから」

確かに頭の中がひどく揺れている。

「ごめんね。あんたの具合が悪いのに気付かないで留守番なんかさせちゃって」

少年のおぼろ気な意識の中に浮かんだのは、あの男の子の事。決して思いだしたくないあの出来事。

「お母さん…」

少年が言いかけた時、玄関の戸を叩く音がして、お母さんは立ち上がった。

玄関の方から聞こえてくるのは、お母さんと男の人の話し声。その声が村の駐在さんの声だと気付いた時、少年は身震いした。いよいよ自分を捕まえに来たんだと思った。

けど二人の会話はそうではない。

「いま消防団の連中で山狩りしてるけど、なにせ年寄りしか残ってないからなぁ。もう少し明るくなったら、あんた達女も手伝ってくれ」

「わかりました」

会話の様子から、村の人間総出であの男の子の捜索をしているようだという事が分かる。
少年は駐在さんが自分を捕まえに来たのではないようだと知り、少しほっとしたけど、その次の言葉を聞いて心臓が止まるかと思った。

「とりあえず、おれ達は朝一番であの社の辺りを探してみるつもりだ。あそこはほら古井戸があるだろ。ひょっとしてって事もあるからな」

次の日。少年は一人、布団の中でお母さんの帰りを待っている。お母さんは山狩りの手伝いに行ったまままだ戻らない。

お昼頃、近所のおばあさんがおかゆを作って持ってきてくれた。お母さんに頼まれたのだろう。

「みんなであっちこっち探してるんだけど、見つからないみたいだねぇ」

少年の額の手ぬぐいを取り替えながらおばあさんが悲しそうにつぶやく。

「あの社の方は?」

しばらくの沈黙の後、少年は意を決してたずねてみた。
「あの井戸のある?駐在さん達が朝一番で探してみたけど見つからなかったそうだよ。あの井戸の中に落ちちゃったんじゃないかってみんな思ってたんだけどねぇ」

少年の頭の中は真っ白になる。

井戸の中から何も見つからないなんてあるわけない。あの男の子は確かにあの中にいるのだから。

おばあさんが帰ってしばらくした後、お母さんが戻ってきた。さりげなく、さっきと同じ事をたずねてみたけれど、お母さんの答えもおばあさんと一緒だった。

井戸の中からは何も見つからなかったらしい。

「とにかく、今は早く良くなる様に寝てなさい」

ひどく疲れた様子のお母さんは、それでも優しく少年にそう言い聞かせてまた出掛けていってしまった。

また一人になって、少年は一生懸命に考えたけど、分からない。おばあさんもお母さんも、みんなで嘘をついてるのだろうか。本当は駐在さんがもう僕を捕まえに来るんじゃないだろうか。

そうこうしていると、また熱が上がってきたのか、頭の中が揺れ始める。押し潰されそうになる不安と高熱で、少年はほとんど眠る事が出来なかった。

山が秋の色に染まる頃、男の子の捜索は打ち切られた。

「神隠しに違いない」

村の老人の中にはそう囁く人もいたけど、まじめに取り合う人はいない。

遺体がないまま、男の子のお葬式が行われたのは、その年の十一月。少年はお葬式には行かなかった。

「行ってちゃんと手を合わせてあげなさい」

お母さんはそう少年をさとしたけど、少年は頑としてそれを拒む。

男の子の叔父さんや、町の方から来てるという男の子のお父さんお母さんの顔を見る勇気がなかったから。お母さんは少し悲しそうな顔で少年を見つめたけど、それ以上は何も言わない。

一人でお葬式に行くお母さんの後ろ姿を、少年は玄関から見送った。
村の大人達の目に、少年はどう映っていたのだろう。たった一人の友達を失い、ふさぎ込む可哀想な子。きっとそう映っていたに違いない。

だからお葬式に少年の姿が見当たらなくても、特に不自然に思う大人はいなかった。

そうしてお葬式が終わって、男の子の話が大人達の口にのぼる事もめっきり少なくなった後も、少年は考え続けた。

なぜ男の子が見つからないのか。少年には、あれが夢だったんじゃないかという気さえしてくる。けど夢じゃない。

少年の手には、男の子の背中を押した時の温かい感触が今もはっきりと残っているのだから。

本当にあの井戸は地獄に通じていたのかもしれない。時々そんなことを考える。

井戸に落ちた男の子は、そのまま地獄に行ってしまい、今も泣き叫んでいるのではないだろうか。馬鹿げているとは分かっていても、そんな想像を止めることは出来ない。

年が明けて、少年が山に入って遊ぶ事はもうなくなった。

真っ暗な山の中を青年は歩いている。明かりも持たず、肩に大きな荷物を背負いながら。
もし、村の人がその青年の顔を見たなら、きっとすぐに思い出すことができたに違いない。かつてこの村に住んでいた、内気で人見知りがちな、友達のいなかったあの少年だ、と。

もう何年も山道なんて歩いていない青年は、全身で息をしながら、それでも背負った荷物は落とさない様にゆっくりと歩き続ける。

馬鹿げていると自分でも分かっている。けれど、青年はもう藁にもすがる気持ちで一杯だった。

あの日、男の子を井戸に落としてしまった忌まわしいあの日。
あの日から一年程が過ぎた夏の昼下がり。お父さんが戦死したという知らせが少年の家に届いた。お母さんは、ただただ泣いていた。

夏が終わる頃、少年はお母さんと二人、村を出ていった。

親戚の世話になりながら、お母さんは必死に働いて少年を育ててくれた。泣き言も愚痴もいっさい言わず、少年の成長だけを願って。

そのお母さんが、今は毛布にくるまれて青年に背負われている。優しかったお母さんを、自分の唯一の味方だったお母さんを、青年は殺してしまった。

苦労して育てた息子が、町でも一番大きな銀行で働いているということがお母さんの自慢であり、誇りであった。

だからこそ、その息子がかけごとの味を覚え、ついには銀行のお金にまで手をつけてしまった事を知ってしまった時、お母さんの驚きと悲しみはとても大きかったに違いない。

「お金は私もなんとかするから。お願いだから銀行の人達に正直に謝ろう」

そう言いながら泣きすがるお母さんを、青年は初めて邪魔な存在だと感じた。

何度突っぱねても引き下がろうとしないお母さんの首を、青年はほとんど無意識のうちに絞め上げていた。

その井戸はまだそこにあった。あの忌まわしい井戸。もう二度とおとずれる事はないだろうと思っていた井戸。その井戸の前に青年は立ちつくしている。

全身を濡らす汗は、決して山道を登ってきたせいばかりでもない。闇に慣れた青年の目に、うっすらと映るその井戸は、本当に地獄への入り口に見える。

「ここに落とせばいいんだ…そうすればきっと見つかる事はない…」

追い詰められた青年には、子供の頃の馬鹿げた空想ですら現実的なものとしてとらえられている。
地面に寝かせてあったお母さんを、ゆっくりと持ち上げる。井戸の闇に向かって両手を離す時、さすがにためらいが生まれた。

だが次の瞬間には、お母さんは闇に吸い込まれ、井戸の中へと消えて行く。どさっ、という音が聞こえるまで一秒もかからなかったかもしれない。

青年はあわてて井戸の中を覗き込む。誰かに発見されることを恐れ、使わずにいた懐中電灯をポケットから取り出し、井戸の中を照らす。

小さな光の円の中に浮かび上がったのは毛布にくるまれたお母さんの姿。めくれた部分から顔が覗き、まるで訴えかけるかの様にこちらを見ている。

深い、深いと思っていた井戸の深さは五メートルぐらい。地獄に通じるどころか、すぐそこにお母さんはいる。

あの時、あの男の子を突き落としてしまった時は、本当に深く深く感じたのに。

「大丈夫…死体は消える…必ず消える…」

あの時だって消えたじゃないか。

その期待とは裏腹に、ライトを向けた先にはさっきまでと変わらずお母さんの顔が浮かび上がる。

「お願いだ!消えてくれ!消えてくれ!消えてくれ…」

青年はまるで子供の様にその場にうずくまり、泣きじゃくりながら願う事しか出来ない。
あの夏の日、息子が男の子を井戸に突き落とすのを偶然に目撃してしまったお母さん。大切な息子を守るため、人知れず男の子の死体を引き上げ、誰にもばれない様に処分してくれたお母さん。

そのお母さんは、もうこの世にいないというのに。

 

彼岸からの生還

俺の死んだ爺ちゃんが戦争中に体験した話。
爺ちゃんは南の方で米英軍と交戦していたそうだ。

運悪く敵が多めのとこに配置されてしまい、ジリジリと後退しながら戦う毎日だったそうだ。

作戦で米英軍が進んでくるところをちょいちょい襲撃して進撃を遅らせながら、こちらの被害は抑えて後退しながら戦っていたという。

話を聞いていた当時中学生の俺には、日本軍なんて「突撃!」とか「玉砕!」とかやっているイメージしかなかったから、意外だった記憶がある。

そうやってジリジリ後退していた爺さん達だが、ある日、とうとう敵に部隊の位置を捕捉されてしまい、爆弾やら砲弾やらがガンガン打ち込まれる事態になったそうだ。

必死で友軍陣地を目指して逃げたので、仲間も一人二人と生死もわからないままはぐれて行ってしまった。

爺ちゃんも死を覚悟しながら移動したが、あと一日も移動すれば安全圏というところで、近くに爆弾がさく裂して吹っ飛ばされたそうだ。

気がつくと友軍陣地なのか兵士が大勢いるところだったそうで、「助かったのか?」って思ったそうだ。

そこは川に近い広場の様なところで、見覚えはなかったが、大勢の兵士が寝転がったり雑談したりと、だいぶ前線からは離れた様な和やかな雰囲気だった。

爺ちゃんは衛生兵に自分の隊はどうなっているのか聞いてみたら、川岸にたむろしているのがそうじゃないかって言われたのでさっそく行ってみた。

川岸に行くと隊長の姿は見えなかったが、退却中に別れ別れになった仲間がいて、爺ちゃんは結構助かった仲間が多い事に嬉しくなった反面、三分の一ぐらいは姿が見えない事に悲しくなった。

そして、特に親しくしていた仲間と雑談しながらくつろいでいると、川の向こうに見覚えのある兵士が大声で叫んでいるのに気がついた。

その兵士は大声で爺ちゃんの名字を呼んでいるので目をこらしてみたら、どうやら同じ隊の水島という人のようだ。

爺ちゃんは水島が川の向こうにいる事を仲間に教えた。
最初はみんなきょとんとして川の向こうに人影を探している様子だったが、あんなにハッキリと水島が見えているのに見つけられないようだった。

そのうち誰かが「あ~そういう事か~」と言って、みんなで爺ちゃんをかつぎ上げて、

「お前はあいつのところまで行ってこい!」とか、

「しっかり泳げよ!」

と言いながら慌てる爺ちゃんを川に放り投げたそうだ。

爺ちゃんはケガ人にひどい事をするもんだと思ったが、あの退却で水島も助かったんだと思うと嬉しいので痛みをこらえて川を泳いでいった。

向かいの川岸では水島が自分の名前を呼び続けているので、声を頼りに近づいていくと急に激痛がはしり、しまったワニか?と思ったらしい。

激痛で意識が飛びそうだと思ったとき、今度はベッドの上で気がついた。さっきまでいた所ともまた違うどこかの友軍の陣地。

爺ちゃんは激痛をこらえながら衛生兵に聞いてみると、自分の目指していた陣地よりもさらに先の場所だった。

衛生兵に

「君の隊は大変だったな、背負ってくれた仲間に感謝しろよ」

と言われて、爺ちゃんは色々聞こうとしたが、今は寝ていた方が良いと取り合ってはくれなかった。

次の日、爺ちゃんは痛みと疲れでぼんやりとしているところに水島が訪ねてきた。
水島は開口一番

「お前は隠れて何か喰ってたのか?重かったぞ」

と笑いながら嫌味を言ってきたそうだ。

爺ちゃんは水島が運んでくれたんだと思いながら、これでも痩せたんだと言い訳をした。

言い訳をしながらも心に引っかかる言葉が言い出せずにいると、水島の方から「ウチの隊は今の所七名だ」と言った。

爺ちゃんはあの川岸で会った何名かの名前を口にしたが、水島は上げた名前の人は誰も来ていないと言った。

そして今この陣地にいるのは、水島に聞いたところ、あの川岸にいなかった人たちだったそうだ。

爺ちゃんはこの話をしたときに最後にこんな事を言っていた。

「戦場に行けば死に花咲かせなきゃいかんとか話にはなるけど、やっぱ戦友には生き残って欲しいものだよ。みんな同じ気持ちだよ」

爺ちゃんは八年前に亡くなってしまったが、あっちでは川岸の戦友さんと仲良くやってんのかな?

 

夜間の警備

これは私が社会人になって六年目、去年の話。

場所は特定されちゃうとそこの人達やそのことを知らない近隣の人達に迷惑をかけるのでぼかして書きます。

舞台は私が就職して初めて赴任した職場でのこと。

元々その敷地は旧陸軍の士官学校の土地で、戦後に売却されうちの職場が一部(東京ドーム四個分)を買い取り、その敷地に宿泊施設兼会社の研修所を建てました。

なんでも大東亜戦争終戦の詔書の音読放送がされた日、士官候補生二十数名が飼育していた軍馬の首を切り落とし、自分たちも切腹自殺をした場所だということを、OBの方から聞かされました。

研修所を建てた当初、敷地には四七都道府県の県木、そして自殺を図った場所には沢山の桜を植樹し、慰霊碑も建て、一般開放していたようです。

その後業務拡大で更に研修所を広げるため、慰霊碑は移設ではなくそのまま取り壊され、新しい宿泊施設が建てられ、一般開放も止めました。

私が赴任してからも、慰霊碑はなくてもいいのでと、定期的にお花とお供え物を持ったご高齢の方が手をあわせに来ていました。

特にそんな場所だということを他の社員には話しをしませんでしたが、どこからともなくその宿泊所は兵士の幽霊が出るぞと、会社では噂をされていました。

近くに自衛隊の施設があったからでしょうか、よくわかりません。

特にわたしは今まで霊障というのを体験したことがなく、その職場でも六年間勤務していて特になにも起こりませんでした。

私は総務・人事担当部門の主任で若手職員。上司は五つ上の係長。

前年からうちの職場は業績悪化によるコスト削減のため、警備員二人を解雇し、私と係長が通常の勤務後にサービス残業という形で、

土日を含む一週間を私と係長、警備員一人で宿直体制をとり、夜間警備に当たるということになりました。

本題は次から。

去年の一月のいつだったか忘れてしまいましたが、記録的な大雪になった日です。
その日は早朝から、幹部の車が出入りできるようにしこしこ雪かきをしていました。

粗方終わったところで、敷地内の森というか林というかそんな場所を巡回警備していたところ、

幹周り二メートル以上、高さ十メートルはある大木が二本、他の小さい木々を巻き込んで倒れていました。

一本は落雷に当たったかのように割れ、一本は根本から折れて隣接する建物の窓を突き破っていました。

こりゃ大惨事になっちまったなぁ……と呆然と立ち尽くすしかありませんでした。

とりあえず苦情が出る前に造園業者を呼び、その場で見積もりを出してもらったところ、撤去には二百万かかりますとのこと。

そんな金ねーよと財務担当の課長に怒鳴られ、その日は撤去を諦めました。

どーもその大木が倒れた場所が例の慰霊碑があった場所のようで、その日の夜から奇妙な体験をするようになりました。

サービス残業で夜間警備をするようになったと前書きで書きましたが、業務内容は単純。

定時になったら国旗と社旗を下ろして、正門を施錠。二時間置きに巡回して、二十三時に宿泊施設の電気を消灯。

それ以後は仮眠を挟みながら研修棟、管理棟、宿泊棟、屋外敷地を巡回警備するというものです。

ただまぁ真っ暗な廊下を小さいライトを片手に一部屋一部屋入るのは、さすがに気味悪いですよ。

ラップ音でしたっけ?窓がギシアンいったり壁ドンされるやつ。

あれは前からちょくちょくありましたが、私個人としてはそれを霊障とは思ってないので、なんのことはなかったのですが……

二十四時。宿泊施設の消灯を終え、各棟見て回ることにしました。
研修棟に入った時、空気が変わりました。妙に空気が重いんです。

えっ?なに?この空気。換気してないからか?

その空気の影響か、寒さからか、夜食に食べた吉野家の牛丼の影響か分かりませんが、

急にお腹がぎゅるぎゅる言い出して無性にトイレに行きたくなり、トイレに駆け込みました。

勿論消灯済みなのでトイレの中は照明がつきません。

トイレは怖かったですがぼっとん便所でなんとか用を足し、巡回に戻ると、ふと視線の先に変な人を見つけました。

自分がいる廊下の反対側に非常階段があり、そこからじっとこっちを見ている十代後半くらいの男の人がいたんです。

おいおい、宿泊者が酔っ払って迷子になったのか、それとも浮浪者か?

面倒だなぁと思いつつ、

「ちょっとお兄ちゃんもう消灯時間だし、この時間ここは立ち入り禁止区域だよー」と

言いながら歩いて、そちらに向かいました。

でもその人は全く動こうとしません。しかも何かがおかしい。

その廊下は優に100メートルはあるのですが、

普通端から端にいてこの暗闇の中、そこに人がいるのかなんて分かりませんよね。

なぜか腰から上が白いモヤというかうまく説明できないんですが、とにかく明るくて顔がはっきりわかるんです。

すごく哀しそうな顔をしてじっとこちらを見続けているんです。

段々私も気持ち悪くなってきて、さっさと追い払おうと思い、「おい聞いてるのか?ここは立ち入り禁止だから!」と声をかけ続けながら歩きました。

だいぶ近寄ったところですっとその人が死角に入り、多分階段を下りたのかとその時は思ったんですが、その場所からはいなくなっていました。

まぁよくわからないがいいかぁーと思いそのまま巡回を続行。

その後は特に何もなく巡回を終えて、係長と警備を交代し私は仮眠室に入りました。
夜中の二時過ぎ、部屋の気温は五度くらいなのに無性に寝苦しく、汗だくで起きました。

枕元にペットボトルの水を置いておいたのですが、それが無くなってる。

正確に言うと、ペットボトルの中身がからっぽ。え?なんで?と戸惑いました。

寝ぼけてるうちに飲んでたのか?とか思いながらも水道で水を入れて、水を飲み終えた後、また布団の中に入り目をつむりました。

が、なかなか寝付けません。ずっとどこかからか視線を送られている感じがするんです。
気持ちが悪い……眠れん!

むくっと起き上がり水を飲もうとしたところ、背後からの視線を感じ取り、振り向くと、カーテンの隙間からさっきの男がこちらを見ていました。

「うわっ!?気持ち悪い……てめぇふざけんなや!」

怒りがこみ上げカーテンを開けたんですが、当然外に人はいません。

その仮眠室は二階ですから……

「なんなんだよこれ……」

カーテンをしっかり閉め布団に入ったんですが、寝付けず目を開けると、

なぜかまたカーテンが少し開いていて隙間ができており、そいつがこっちを見てるんです。

んで窓を開けたらそいつはいない、の繰り返し。

終いには壁ドンをしてくる始末。

その日から夜間警備に入る度に、そいつがずっとこちらを見ては俺が切れてその場所に行くといなくなっている、というのが続きました。

もう軽いノイローゼ状態になりかけたくらいです。

幽霊とか信じてませんでしたが、やっぱりあの木の影響かな?と思うようになりました。

ものすごく哀しそうな目で何かを訴えてるような感じだったし。

木が倒れてから一ヶ月、ようやく予算執行の許可が下りたので、その木を撤去した後新しい木を植樹しました。
田舎から送ってくれた越乃寒梅と、魚沼産コシヒカリで作ったおにぎりをその木の場所にお供えをしたら、その男は現れなくなりました。

慰霊碑も撤去されて、人々から忘れ去られ、木が倒れても放置されたことに怒っていたのか、哀しかったのか、理由はわかりません。

とにかく彼が現れなくなってからも、その職場から転勤するまで毎日欠かさずお酒とご飯をお供えしました。

幸い研修所なので、全国から集まった研修員が地酒や食べ物を持ち寄って、それを置いていったりするんですよ。

今年の四月に異動が決まり、そこを離れる当日の朝、いつものように木のところで手をあわせていると、どこからかか細いかすれた声でしたが、「ありがとう」と一声聞こえました。

今までそーいった体験をしたことなかったので、私としては洒落にならない怖さを感じた体験でした。

鬼門の部屋

幽霊屋敷としか思えない家
私の母の実家は祖父母が亡くなって空家になっていますが、幽霊屋敷としか思えない家でした。

祖父が亡くなる前に、トイレで子供のような白い影を見て、「誰だ!!」と叫んだ話は語り草になっていたし、空家になってから伯父が泊まったら、やはり子供の声がしたとか。

私も金縛りにあい、男の声で「おんな……」と呼びかけられゾッとした事があります。

また、深夜の四時きっかりに、鬼門にある四畳半の部屋からミシッミシッと足音がするので、その部屋で寝ていた親が起きてきたのかと襖を開けて確認してみたけど、誰もいなかった……

そんな事が二日も続き、さすがに三日目は恐ろしくて早めに寝ました。

ちなみに、この家に母が知人を招いたところ、何も知らないのに、

「ここの家には何か住んでいる。人を殺さないけれど気を狂わせるから、絶対に一人でいてはいけない」

と言われたそうで、その後、母は近所だというのにこの実家に寄りつきません。

そんな事気にせず一人で泊まったりしていた私は、なんと鬱病になってしまいました。

母は「私の妹もこの家に引越してから錯乱した」と言って非常に怖がっていました。

信心深い伯母は自分が居ても何も起きないので半信半疑だったようですが、私がいると異常に大きいラップ音が起こるので、さすがにビックリしていました。

このままでは大変な事になると思いましたが、霊能者を呼ぶお金のゆとりもなく、自分でお祓いをする事を決意。

とりあえず仏壇の掃除から始めたら出るわ出るわ……

戦争前後の貧しい時代に亡くなった水子の戒名の羅列。

ゾッとしながらも必死で供養しました。

結局、その後は空家に近づかないようにしていたら何とか落ち着きましたが、「水子は絶対に作らない」という約束をしたので、それを今でも守っています。

しかし、私も従兄弟も四〇代手前だというのに結婚せず、子孫は私達の代で確実に絶えそうです。

あの家は家相も最悪で(特に鬼門にある部屋は最悪)、早く更地にすべきだと思うのですが、そんな気持ちとは裏腹に残り続けています。

私達子孫が滅びてから、この家は初めて解体されるのでしょう。

精神病が遺伝するというより、考え方が似通ってくるので精神病になりやすい、というのはあると思います。

私もこの幽霊屋敷がすべて原因と思ってるのではないのです。

ただ、まったく何も知らない母の知人に、「ここには何か住んでいる……」と言われたのは今でも不思議です。

 

ジャングルで遭難した部隊が見たもの

太平洋戦争中、曽祖父は兵役で東南アジアに出征していたそうです。

と言っても戦闘要員ではなく、現地に補給用の鉄道のレールを敷く工兵部隊の、小隊長を命ぜられていました。

小隊長といってもふんぞり返っていられるわけではなく、自分自身も一緒に作業していたそうです。

ある日、いつものようにレール敷きの作業をしていた祖父は、探していた工具がトロッコの下にあるのを見つけて、取ろうと思いトロッコの下にもぐり込みました。

すると向こうの空から、聞きなれないプロペラ音が聞こえてきました。

その時曽祖父はトロッコの下にもぐり込んだまま、心臓が止まるかと思ったそうです。

それは敵の戦闘機のプロペラ音だったのです。

「敵機ぃーーーッ!!」

隊員の誰かが言うが早いか、機銃掃射が始まりました。

運良くトロッコの陰にいる形になった曽祖父は、戦闘機の照準にはなりませんでした。

そしてトロッコの下から、「みんな逃げろ!逃げろ!それか隠れろ!」とわめいたそうですが、逃げ遅れたり隠れられなかったものは、次々と弾丸に倒れて行ったそうです。

何人もを殺した後、戦闘機は気が済んだのか、はるか遠くの空へ消えて行きました。

プロペラ音が聞こえなくなると、生き残りが周囲の物陰からわらわらと這い出してきました。

うろ覚えですが、たしか生き残りは20人くらいだったと憶えています。

曽祖父は小隊長として、本部にこの事を報告せねばならなかったならなかったのですが、運の悪いことに先ほどの襲撃で通信機が破壊されてしまい、仕方なく全員を連れて徒歩で熱帯雨林のジャングルを突っ切って、本部に向かう事になりました。

地図を元に座標や方角を確認した後、ぞろぞろと行軍を始めましたが、ジャングルと言えば何しろ悪路も悪路。

歩けども歩けども本部には到着しません。

空が暗くなってきて月が昇った頃、ようやく全員気付きました。
「…我々は迷った……!」

すでにその時は、地図を見ても一体今自分たちが何処にいるのかさえわからない状態。

疲労の色が濃い隊員を前に、小隊長として責任を感じていた祖父はひどく焦ったそうです。

通信機が無い今、こんな広いジャングルで迷ったら誰も助けに来られない。

はっきり言ってシリアスな状況です。

しかし曽祖父は気丈を装って言いました。

「こうなったらじたばたしても仕方ない。とりあえず今日はここで野営して、また明日本部を目指そう。なあに、朝になって太陽が出れば方角が分かるわ」

曽祖父の空元気溢れる発言を受けた隊員たちでしたが、バレバレの空元気では勇気付けられるはずも無く、その場に腰を下ろして、口数も少なく、持っていた食料をポリポリかじっていたそうです。

曽祖父も同じように食料を口にしていた時、隊員のひとりが、

「たっ、たっ、隊長っ……」

と密林の向こうを指差しながら、大慌てで曽祖父の方に駆けよって来ました。

指差す方を見ると、何やら暗がりの中で黄色の明かりがユラーリユラーリと揺れている。

夜目の遠目ではっきりとはわからないが、目測では大きさ30センチくらいか。

「…敵……!?」

隊員達に緊張感が漂いました。

もしあれが敵部隊のライトだったら……こんな状態で戦闘になったら……

そう思うと心臓は駿馬のひづめの様に拍を打ち、冷や汗は滝のようにいくらでも出てきます。

全員ノドをカラカラにしながら、しばらくその明かりを観察していましたが、皆じょじょに怪訝な顔をしはじめた。

どうやらその黄色の明かり、様子がおかしい。
普通ライトを手に持っていれば、その明かりはこっちに近づくなり遠ざかるなりするものです。

しかし、その明かりは近づかず離れず、誘うように同じ位置でずっとユラリとゆれているのです。

そのゆれ方は、8の字を横に倒した無限大『∞』のカタチをなぞるような動きだったそうです。

そして、もっとも驚くべき事がおこりました。

皆がその明かりをまじまじと見つめていると、なんとその明かりが『ちょうちん』になったのです。

そうです。時代劇やなんかに良く出てくるあの提灯です。

現代では全くみかけませんが、当時まだ夜歩きの照明として使われていたそうです。

しかし、ここは日本から遠く離れた戦地。なぜこんなところに?

ありえない、ありえないと、曽祖父は頭を振りました。

しかもそのちょうちんには、何やら文字と家紋が書かれている。

目の前で繰り広げられる不思議な映像に呆気にとられながらも、皆そのちょうちんに目を凝らして、文字を読もうとしました。

そして曽祖父はここでまた、心臓が口から飛び出すほどおどろくことになりました。

「………な、なぁ!?」

なんとそのちょうちんには、曽祖父の苗字が書かれていたそうです。

しかも家紋は、見まごう事無き我が家の家紋!

隊員達も同じものを目撃し、全員頭の上に巨大なマークを何個も浮かばせて、曽祖父の顔を見ておりました。

曽祖父は混乱する頭を必死に整理しながら、実家の家族の事を思い出していました。

……そう言えば帰りが遅くなった時、いつも家族がちょうちんを持って迎えに来てくれたっけ。

そうそう。丁度ああ言う風にちょうちんを揺らして、おれが見つけ易いようにって……

あれは……あれは、ひょっとしたら、神の助けかもしれない!
何故かそう思った曽祖父は、隊員達にあれは確かに我が家のちょうちんだと告げ

「あのちょうちんについていくぞ!」

と言いました。

まともな判断だとはおもえません。

しかし、隊員達も不思議現象を目の当たりにした直後でしたので、かなりパニくっておりまして、口々に

「あれは狐火じゃ」

「いやきっと狸じゃ」

「化かしてワシ達を食おうとしとんるじゃー」

と、およそ論理的でない反論をしていたそうです。

結局、何だか知らないが、強烈な確信のある曽祖父の猛烈な説得により、隊員達はしぶしぶ曽祖父に従うことになりました。

曽祖父はちょうちんに向かってずんずん進んで行きます。

その方角は、曽祖父たちが思っていた方角とは全く別の方向でした。

ちょうちんは前と同じようにゆらゆら揺れながら、常に一定の距離を保って離れていきます。

曽祖父たちは足の痛みも忘れて、そのままちょうちんを追いかけ続けました。

何時間歩いたでしょうか、東の空が白み始めた頃、曽祖父率いる小隊は突然にジャングルを抜け出し、本部にたどりつきました。

いわく、一心不乱にちょうちんを追いかけ続け、急に眼前が開けたかと思うと本部に辿りついていたらしいです。

その時、さっきまではっきり見えていたちょうちんは、どこを見回しても影も形もなかったそうです。

日本に帰ってきた曽祖父は、両親にそのことを報告しました。

すると両親から、驚くべきことをきかされました。

なんと曽祖父が出生した後、曽祖父の父は息子の生還を願って、毎晩近所の山中にある稲荷神社に出向き、行水をしていたのでした。

それは雨の日も風の日も、一日とて休まず続けられたそうです。

曽祖父が遭難しかけた前後は、何故かこれまでに無いほどのイヤな胸騒ぎが猛烈にしたらしく、風邪の身を押して稲荷神社にでかけ、普段より気合をいれて行水をしていたのだそうです。

「お稲荷さんが不憫におもって、お使い狐を東南アジアにまで飛ばしてくれたんかねぇ……あのちょうちんはきっと、狐火が化けてくれたんじゃわ……」

とは、私にこの話を教えてくれた祖母の言葉です。

森の中から聴こえる声

私が東南アジアのとある国に仕事で行っていた時の事。

付近の村の現地住民から、

「夜中になると、森の中から変な声が聞こえてくるんだ。それが、日本語みたいな気がする」

という話を聞いた。

何て声が聞こえるのか聞いたら、

「オカアサン」

「イタイ」

「トツゲキ」

「バンザイ」

と聞こえ、男の人の泣き叫ぶ声も響き渡り、怖くてトイレにも行けないという。

実際に確認しに行ってみたら「オカアサーン」って聞こえ驚いた。

その土地の事を調べてみたら、太平洋戦争時、米軍に追い詰められた日本軍部隊が、万歳突撃を敢行し全員玉砕した所だった。

帰国する前、その森を同僚達と訪ね、煙草と線香をお供えしたが、未だに成仏できない英霊が沢山いらっしゃると思うと、何だかせつなくなった。

後日、この話を社長に聞いてもらった所、会社の計らいで日本の僧侶に行ってもらい、慰霊をしてもらった。

その後、森からの声は全く聞こえなくなったそうだ。

数十万人の日本兵が戦病死したニューギニア島では、今でも、「シカリシロ」「ガンバレ」ってゆう励ましあう声が、夜な夜なジャングルの中から聞こえてくるらしいよ。

原住民達は日本語が分からないから、森の精霊達の声だと思ってるらしいが。

 

硫黄島の戦い

先日、現役のアメリカ海兵隊士官さんから聞いた話。

新兵を訓練する際に何度も出る話だそうですが、いわゆる先頭慣れした頃におちいる自信過剰って奴の一つで、敵方が逃げ出し始めた時に、戦線を崩して追いかけ始めてしまう奴が出るんだそうです。

戦線と言うより戦列と言うべきなんですが、銃を構えた兵士が横一列に並ぶのは味方同士が打ち合わないために、非常に重要な事なんだそうです。

そりゃ、だれだって味方に打たれて戦死なんていやですからね。パープルハート勲章ももらえないし。

時は1945年。小笠原諸島の南に浮かぶ絶海の孤島。硫黄島。
この島を巡って血で血を洗う激戦が行われたのは皆さんもよく知る所でしょうが、私が話をした士官さんはおじいさんが従軍されたそうで、その時のエピソードをよく聞いたそうです。

いわく『どんなに不利だと思っても日本兵は投降しない』

とか、あるいは『日本兵は最後の一人まで勇敢だった』とか。

その中に出てくる話で、摺鉢山(すりばちやま)攻防戦というのがあるんだそうですけど、あれです、映画、父親達の星条旗のあのシーンの山です。

最後の数名が頑強に抵抗する摺鉢山を包囲して、慎重にすり潰しながら前進し、最後の一兵が手榴弾で応戦している中、十字砲火を浴びせたそうですけど、その後に星条旗を立てて占領をアピールしたんだそうです。

ところが、翌朝になるとその星条旗が倒れてる。

だからもう一回立てる。

ついでに、星条旗を立てるシーンを写真に撮ったり記録映画撮ったりしながら。

でも、翌朝になるとまた倒れている。

しかも、旗ざおが折れている。鉄製なのに。

で、事件はおこります。
ある晩、業を煮やした若手士官が小銃を持って星条旗のすぐ近くで見張りに立ったんだそうです。

何度も何度も星条旗を倒されては海兵隊の名折れ。

責任もって犯人を射殺しろって命じられてたんだとか。

その晩、見張りにたった士官は真夜中に足音を聞いたんだとか。

複数名の足音が、慎重に距離をとって接近して来るんだそうです。

正直「来たな!」と思って、小銃の安全装置を解除し、近くに着たら射撃してやる!と銃を構えたんだとか。

ところが、接近した所で足音が止まってしまい、士官は「気付かれた!」とあわてたとか。

息を殺してジッと待っていると、何事かの会話が日本語でなされ、バタバタと斜面を駆け下りる足音が聞こえたそうです。

士官はその足音の方向へ数発射撃し、自分も身をさらして足音を追いかけたんだとか。

追撃戦って非常に危ないんですが、逃がすのも癪だと思ったんだそうですよ。

一緒に見張りに立っていた海兵隊の兵士も走ったそうです。
走って走って射撃しながらまた走って、弾を撃ちつくして次の五発を押し込んでまた撃って走って。

で、前方で『ギャー!』と悲鳴が聞こえて、しめた!当たった!と思いつつ、日本語で『トマレ!』と叫んだんだそうです。

余談ですが、大戦中の米軍士官は

「トマレ」「ジュウヲステロ」「トウコウシロ」

など、簡単な日本語指示を学んでいたんだそうです。

ところが、今度はその敵側から凄い勢いでバンバンと撃たれ始めたんだとか。

士官の左右をシュンシュンと音を立てて銃弾が通過したんだそうです。

コリャヤバイ!と振り返り、斜面を走りながら逃げたらしいんですが、途中で何かにつまずいて倒れたら、そこが日本軍守備隊の掘った塹壕だったそうで、頭から落ちて側頭部を痛打。

昏倒状態になっていたら、下からバリバリと射撃しながら海兵隊が斜面を登ってきたそうです。

で、一緒に追跡していたはずの海兵隊兵士と同士討ち。

翌朝、明るくなってから調べたら三十人近く死んでたとか。

その日から星条旗は夜間になると取りはずされ、ふもとの前線本部で管理される事になったらしい。

ですが、朝になって山頂部へ星条旗をあげにいくと、かならず足跡が残っていたんだそうです。それも、登ってくる足跡だけ。

硫黄島では1945年9月に最後の日本兵を収容したそうですが、終戦後まで散発的抵抗は続いていたんだそうです。

死霊とか幽霊とかそう言う話も恐ろしいですが、生きてる人間の執念とかも充分恐ろしいなぁと。そんな話でした。

 

第二砲塔

祖父は若い頃、海軍士官で某大型艦の砲術士をしておりました。

生還を期さない殴り込み作戦にも参加したことがあるそうです。

戦後、自宅の床の間には祖父が勤務していた、艦の大きな金属製の精密模型が飾られていました。

そんな祖父も数年前に他界しました。

亡くなる前は脳障害を起こし、ひどい状態でした。

そして亡くなる直前に事は起こりました。
「高め二、右寄せ二……」

「近、遠」

それまではあまりはっきりしない錯乱、うわごとを言っているような状態だったのですが、

突然、目を見開いて、若いときに戻ったかのように大きな声で叫びました。

「早く!早く!来ないでくれ!頼むから来ないでくれ!あっちに行ってくれ!もうダメだ、注水!」

そして叫んで力尽きたかのように、すぐ後に亡くなりました。

その後、祖父の遺品を整理していたときに件の模型に異変が起きているのを発見しました。
第二砲塔が引きちぎれて、砲塔周辺が焼け焦げていたのです。

床の間周辺や、そうじ機パックの中などを必至に探し回ったのですが、

結局第二砲塔は見あたりませんでした。

後に調べてみると、祖父の乗っていた艦は戦闘中に第二砲塔が吹き飛ばされ、祖父は艦橋でその光景を間近で見ていたそうです。

祖父は亡くなる瞬間、どこにいたのでしょうか。

ひょっとしたらあの地獄のような闘いを再び目にしていたのかも知れません。

祖父が向こうで戦友達と安らかに休んでいることを祈るばかりです。

 

グラウンドの子どもたち

21世紀最初の夏休み。母と、1つ上の姉と共に母方の実家に遊びに行っていた。
そこは集落から少し離れた山のふもとにあり、隣の家まで行くのに5分は歩くような場所だった。

当時、私たち姉弟の間で『学校の怪談』がはやっていたので、姉と密かに母の小学校の母校を探検しに行く計画を立てていた。

以前、婆ちゃんと姉と山にゼンマイを取りに行ったときに小学校の近くまで行ったので、今回もその山道を通る事にした。道路を通って行くことも出来るが、山道を利用すると往復しても1時間程度しかかからない。

当時から過疎化、高齢化が進んでいる地域で山は荒れ、草木はのび放題、墓らしき岩や古い鳥居に小さな社のようなものもあったが、誰も掃除してないのか荒れ放題だった。

山道を無事抜けると山の中腹に目的の小学校があった。

その小学校は道路に背を向けた形で1階建ての校舎が建っており、校舎の目の前に小さなグラウンドがあった。

グラウンドの先はなだらかな山の斜面になっており、その下には集落と田んぼが広がっていた。

この集落の子どもがこの学校に通い、その中には母の同級生もいたんだなー、とか姉と話しながら山道から道路に出た。

そこで少しの違和感に気づく。

小学校に隣接するように舗装された道路があるはずなのだが、以前の記憶と違い舗装が施されていなかった。

私は妙な感覚に襲われ怖くなり、姉に

「お姉ちゃん、何か変じゃない?」

と聞いたが、姉は

「勘違いでしょ」

と適当に流して気にもとめていないようだった。

私と姉は校門を抜けて小学校の敷地内に足を踏み入れた。
グラウンドは思ったよりも綺麗に整備されてるようだったので、とりあえず大きく1周して全体を見ることにした。

グラウンドを4分の1周くらい回った頃か、校舎の窓ガラスから中の様子が見えた。

すると、中で子供たちがイスに座り授業を受けているようだった。

女の子はみんなおかっぱ、男の子はみんな坊主頭だった。

私は妙な感覚に襲われ怖くなり、姉に

「お姉ちゃん、そろそろ帰ろうよ」

と言ったが、姉は

「どうせ村の行事でしょ、行けばお菓子くらいもらえるかもよ♪」

と全然気にしていないようだった。

グラウンドを1周した後に目的の校舎の中を探検しようという事になったのだが、私はさすがにこれはヤバいと思い必死に姉に帰るように説得した。

姉も少しの違和感を感じていたのか渋々ではあったが了解して帰路についた。実家を出てほんの2時間ぐらいの出来事のように感じたが家に着いたときはわずか30分しかたっていなかった。

母の実家に帰った後、母に直接聞いてみた。
小学校の道路は舗装されているか。村の行事に小学校は利用されているか。

すると母も何か変に思ったのか、見たものを詳しく話すように言ってきた。

私は母の母校を見に、山道を通って見に行ったこと。道路が舗装されてなくて違和感を感じたこと。

小学校の下に集落、田んぼが広がっていたこと。校舎内に子供たちが大勢いたこと。

みんな昔の髪型だった事。

一方、姉は叔父が置いていったゲッターロボを読んでいた。

母の回答は、思ったよりもショックなものだった。

母が子供の頃から道路は舗装されていたこと。

小学校の下に集落はなく、野原だったこと。村の行事には利用されていないこと。

坊主の男の子は多少いたが、おかっぱ頭はほとんどいなかったこと。

校舎は2階建てだったこと。

私も母もふに落ちなかったので爺ちゃんに話してみることにした。

すると爺ちゃんは立ち上がり、古いアルバムを持ってきた。

「これか?」と爺ちゃんの指先にあった白黒の古い写真にはさきほど見た校舎が写っていた。

それから爺ちゃんは爺ちゃんが若かった頃の話をしてくれた。

昔はあの周りは集落になっていて爺ちゃんも小学校の下から通っていた。

あの頃は集落の友達と山や川で遊び、それはそれは楽しかった。

第二次世界大戦が起こり、爺ちゃんや友達も参加しなければならなかった。

戦争の影響で小学校や集落が焼けてしまい、戦争で友達はほとんど死んでしまった。

それでも無事に帰れたおかげで母が生まれた。

あれから何十年もたって、今では当時の友達はみんな逝ってしまった、と。

話しているうちに爺ちゃんは涙を浮かべていた。そして私に笑顔でこう言った。

「お前が見た子供の中にな、俺の友達がおったのかもしれん。あぁ俺も会いたかったなぁ」

結局、爺ちゃんは昨日逝った。

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