悪夢
「どこだ、ここ」
どこかで見た場所に俺は立っている。
芒がさらさらと音を立てる。
時間は夜だ。
場所は、空き地?
駐車場代わりに使われているのか、轍が走る一角がある。
そこは黄土が見えているが、他は雑草と銀色の芒に覆われている。
向こうに廃墟が見える。
ここは・・・・・・
「よう、来たか」
草の生えていない一角に、ドラム缶が置いてある。
その中の何かに火が点いて、そばに座っている人の顔を照らす。
「先輩」
火を点けたのは先輩のようだった。
手には百円ライターを握っている。
「座れよ、お前も」
先輩が腰掛けているのはベンチだった。
こんな場所になんで?とは思ったが、素直に隣に座る。
「なあ、ここに幽霊が出たら怖くないか」
唐突に言う。
それは場所を選ばず怖いと思うのだが、この人の場合普通に出てきても怖くないのだろう。
「なんでです。何か曰くがあるとか?」
風も無いのに炎が揺れる。
先輩は喋らない。
「何でですか?」
重ねて聞くと、先輩がゆっくり口を開く。
「例えば」
例えば。
頭の中で復唱する。
「幽霊だとかお化けだとか、そういうモノが怖いって奴がいたとする。そいつは見たことが無いから怖いのか、それとも見た上で恐れているのか」
先輩は、見た上で怖くないと判じているのだろうか。
「大半の人間はそれを恐れる。それは何故か。見たことも無いのに。それは何故か。答えは簡単だ。干渉できないからだ」
「相手から干渉される事を恐れている。こちらからはどうやっても干渉できないのに、相手が害意を持っていたら。それは怖い」
なるほどそうだ。
対応できない敵意ほど恐ろしい物も無いように思える。
「じゃあ、見えるし干渉も出来る上、その正体が人間と変わらないと知っている人間がソレを怖がるってことは、どういうことだ?」
今度は俺が黙る。
どういうことだ、とはどういうことだろう。
恐らく先輩の事なのだろうが、先輩の世界は皆目検討もつかない。
「人間と変わらない物が怖いってことは、即ち人間が怖いって事に他ならない。そいつは人間を恐れている。自分も人間なのに」
炎が勢いを増した。
「その中でも特に怖いのは、そいつが好意を持っている人間だ。嫌いな人間に何をされようがかまわない。それなりの対処をすることが出来るからだ」
では。
「好きな人間に殺されかけた時、その相手を殺して自らの命を守る事が出来るだろうか。そういう選択を迫られる。それは、嫌いな人間より遥かにやっかいだと言える」
急に鼻につく匂いが漂ってくる。
ドラム缶の中身が気になり始める。
「けど、そんな事を思う人間はそいつ以外いなかった。そいつは探した。同じモノを見える人間を。理解してくれる人間を。見つかりそうになった時、それが起こった」
それとはなんだろう。
わからない。
□ □ □
隣にいるのは本当に先輩だろうか。
「それを解決する方法は一つしかないし、それが出来るのはそいつしかいなかった。そして、その被害者が、友達に成り得る存在だった」
ドラム缶の中でじゅうじゅうと音がした。
肉を焼く時の、油が爆ぜる音。
「そう、友達だ。ずっと欲しかった友達。そいつは決心する。自己犠牲。そして、二度と会う事は無い」
先輩は一旦話すのをやめた。
芒が揺れて囁き声に似た音を立てた。
□ □ □
「それが、俺の人生だった。運悪く、生きている世界がずれていた為に、最後まで友達は出来なかった」
先輩はにやけていたが、何故かひどく悲しそうだった。
俺は言葉を探す。
先輩を慰めるような、先輩を肯定するような言葉を。
何も見つからないでいると、先輩の顔がいつもの楽しそうな笑みに変わる。
「さっきの話な。好意を持っている人間に命を脅かされそうになった時、っていう話」
もうわかっている。
ドラム缶の中身も、この人が望んでいる事も。
「もしそれが自分じゃなく、自分の愛している人間を脅かしていたとしたら、お前はどうする。俺が、お前の恋人を殺そうとしていた場合」
ドラム缶の中身はわかっている。
肉だ。それも、俺のよく知っている人の。
先輩はポケットからペンダントを取り出した。
それは俺が恋人に送った物で、彼女の誕生石が付いてる。
同じ物も売っているが、多分彼女の物なんだろうなと思った。
ドラム缶はじゅうじゅうと音をたてている。
肉のこげる匂いがする。
俺は笑って・・・・・・
携帯のバイブ音。
体を起こして、枕元の携帯を見る。
彼女からのメールだった。
『遅いです』
液晶の端の時計は10:26と表示されている。
待ち合わせは十時。完全な遅刻だった。
□ □ □
「・・・・・・夢の中でまで語りに来ないでくれないかな」
その年、俺は大学に入学していた。
先輩がいなくなってから、三ヶ月が経っている。
「心配しなくても、あんたより今の彼女の方が大事なんで。もしそんなことになったら・・・・・・」
先輩でも殺せますよ、という言葉は飲み込んで、彼女への言い訳を考える。
上手く言えそうになかったので、とにかく電話してみる事にした。
発信履歴の一番上を選択、コールする。
一回目のコールで彼女は電話を取った。
「あ、すみません。・・・・・・はい。以後気をつけます」
語り口は静かだがかなり怒っているようだった。
俺は少し萎縮しながら出かける準備をする。
話している内に、彼女の口調から棘が抜けていく。
どうやら許してもらえるらしい。
「はい、はい。ええ、変な夢見ちゃって。あ、ヨーコさんも出てきましたよ。え?あ、いや、覚えてないです」
うっかりした事を言わないよう気を付けていたら、電話の向こうから信じられない言葉が飛んできた。
『遅刻もそうだけど、夢だからって殺すのもやめてください。あと、あの人と比べるのも』
背中に寒気が走った。
苦笑しか出ない。
俺は靴をつっかけて、玄関を開ける。
やっぱあの人たちには敵わないな、と思いながら、俺は待ち合わせ場所に急いだ。
街には今日も、人と幽霊が溢れていた。
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