『真夜中の訪問者』など 全5話|洒落にならない怖い話【短編・オカルト】

『真夜中の訪問者』など 全5話|洒落にならない怖い話【短編・オカルト】 厳選

 

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真夜中の訪問者

私は父親が生まれた時からいなくて、ずっと母親と二人暮しでした。
(現在結婚して家は出ていますが)私がまだ母と暮らしていた17歳の頃の事です。

夜中の3時ぐらいに「ピーー」と玄関のチャイムが鳴りました。丁度その日は母と夜中までおしゃべりをしていて二人とも起きていました。「こんな遅くに誰だろね」なんて話しつつ、私が「はい」とインターフォンをとりました。そうすると女性の声で

「あの…あの…突然すみません…。今晩、あの…泊めて頂けませんか」と。声の感じでは40代ぐらい。その妙におどおどしていた感じが気になって「え?泊めてくださいって母の知り合いの方ですか?」と聞き返しました。

すると相手は
「いえ…全然違うんです…あの…私近所のマンションに住んでましてあの…私会社をクビになって…あの…もう住む所がなくて…だから泊めて頂きたいと…」

話がよく理解できなかった私は 「母の知り合いではないんですね?でも泊めるのは…」とおろおろしてしまいました。

そこで見かねた母が「私が変わるから」といって、インターフォンで話はじめました。私は一体なんなんなんだろ?と思って、玄関の窓越しに相手を見に行きました。

私が玄関の窓越しにみたその女性は、明らかに変な人でした。まず、顔はもうどうみても50代なのに金髪の長髪。

白い帽子をかぶっていて、明るい緑のブラウスに赤地に白の水玉のふわっとしたスカート。右手にはたくさんの物が入った紙袋を持っていました。

その様子をみて、「これは変な人だ!!」と察知した私はまだインターフォンで話している母に「ちょっとママ!玄関に来てる人、絶対変!怖いからもうやめよう!相手にしないで『駄目です』っていって断ろう!」とまくし立てました。

そしたら母は「ははははは」と笑って「なんかこの雨の中、傘もなく歩いてきたんだって。怖いなら傘だけでも貸して帰ってもらおう」と言うじゃありませんか。

その日は確かに雨がざんざん振りでした。私はもうその人の外見をみてるので泣きたくなって、こういう事にだけは度胸がある母をうらみました。

私は怖くなったので、玄関から離れた奥のリビングで玄関の様子を伺っていました。母が玄関を開けて話している声が聞こえてきてしばらくすると「家には入れられません!帰ってください!」と母の怒鳴り声が聞こえました。

私は普段、母の怒鳴り声なんか聞いたこともなかったので、それだけでかなりビビッてしまい、その時点で涙目になっていました。

玄関ではガチャガチャガチャガチャ!!とチェーンの付いた扉を無理やり開けようとする女性と、閉めようとする母が出す音が大きく響き渡り、17歳の私を泣かせるだけの迫力がありました。

でも、その押し問答の最中も聞こえてくるのは母の声だけ。相手の声はしません。やっとバタン!と玄関が閉まる音がして、母がふぅふぅ言いながら部屋に帰ってきました。

「あの人、やっぱり○○(私の事)の言うとおりだね。頭おかしいみたい。怖かったでしょう、ごめんね。」と母が言うので、「なんかされたの?大丈夫??」と聞き返しました。すると母はまた笑って「いやいや、全然大丈夫。今日はもう寝なさい」と。

しかし、この話をしている最中にまた玄関のチャイムが「ピーーピーーピーーピーーー」と物凄い勢いで鳴り始め、今度は玄関のドアがドンドンドンドン!!と叩かれました。私のビビり具合はMAXに達して、「警察に電話しようよ!」と泣き始めました。

母は「あとしばらく続くようなら警察を呼ぼう。あなたはもう寝なさいって。大丈夫だから。」と言い、寝る準備を始めました。

私は怖くてなかなか寝付けず、しばらく玄関の音に耳をすませていました。玄関の音は30分ぐらいで止みましたが、それ以来しばらくは夜中のお客さんは怖くて怖くて仕方ありませんでした。

その夜の出来事から5年後、私は一人暮らしを始める事になりました。明日から新しい部屋で暮らす事になった晩に母と話をしていて

「そういえば、あんな事があったね~私怖くて怖くてめっちゃ泣いた記憶がある(笑」と話したら、母が

「う~ん、あれだけで怖がってるようじゃ大丈夫かしらね、一人暮らし。」というので、「あれだけで?」と聞いたら母が言うには。

私ね、あの時あなたが物凄い怖がってたから、言わなかったけど、まずあの人ね、雨が降ってる中歩いてきたっていったのに、全然雨にぬれてなかったのよ。で、左手にバットを持ってたの。しかも、あの人、男の人だったよ。

私が腰を抜かしたのは言うまでもありません。警察呼んでよママ…。「なんで警察呼ばないの~!!!」と言ったら「なんだか逆恨みされそうじゃない、家はもう知られてるし」と。

その次の日から一人暮らしをする事になった私ですが、怖くてしばらくは実家に帰っていました。

以上です。長々とすみませんでした。
みなさんも夜中の来客にはお気をつけください。

 

好きだった叔父さん

小学生の頃、家に叔父さんが居候してた。

叔父さんは工場の仕事をクビになり、家賃も払えなくなってアパートを追い出され、やることもなく、毎日俺んちでゴロゴロしていた。

収入もなく、毎日安酒を飲んで寝てるだけの叔父さんだったけど、甥っ子の俺のことは可愛がってくれ、時々アイス買ってくれたり、釣りやクワガタ採りに連れてってくれたりして、俺はこの叔父さんのことを好きだった。

叔父さんが居候しだして半年が過ぎた頃、ある土曜日の雨の深夜、親父と伯父さんが階下で言い争いをしてる声が聞こえた。

かなり激しい怒鳴りあいだったので、聞いてたラジオを消し息を殺して聞いていると、バタンとドアが閉まる音がして、叔父さんがドカドカと階段を上がってきた。

げっ、俺の部屋にくんの?とビビってると、隣の仏間の障子がピシャっと閉まる音がした。俺はそっと布団に潜り込み、暫くドキドキしてたが、いつの間にか寝入ってしまった。

翌日の日曜、俺の両親は店へ行き、家には俺と叔父さんの2人きりになった。俺は昨日のことは知らないふりで、日曜の昼のテレビを見ながら、母ちゃんが用意してくれてた唐揚げで昼飯を食っていた。

叔父さんが仏間から出てくる音がして、階段を下りる音が続いた。俺はちょっと緊張しながら、「おじさん、おはよ~」と言うと、叔父さんも、「おう、なんや、美味そうやな」と一緒にご飯を食べだした。

「ツトム(仮名)、飯食ったら釣り行くか?」と誘われたので、俺も子供心に叔父さんを慰めてやろうと、「うん」と同意した。

釣竿を2本持ち、仕掛けの詰まった箱をバケツに入れて、俺と叔父さんは、いつも釣りに行く近所の滝つぼへ向かった。

滝つぼは前日の雨で水位が増し、コーヒー牛乳色の濁流が厚い渦を巻いていた。

「あんまり釣れそうやないね」と俺が言うと、

叔父さんも「どうやろか、ちょっとやってみようか」と応えた。

「こう言う時の方が帰って釣れるもんやけん。ウナギとか釣れるとぞ」と言い、叔父さんは滝壺の方まで進んだ。

俺は、こんな奥やら行かんでいいのにな~と思いながらも、言葉すくなにに早足で進む叔父さんの後をついて行った。

「ここでいいか」

叔父さんは、滝壺手前の高い大岩の前で止まった。

「ツトム、この上から釣ろうか。ちょっと上ってみ」と俺を持ち上げた。

俺が脇を抱えられ岩の上に這い上がると、
「どうや?水の具合は。釣れそうか?」と叔父さんが聞いてきた。

俺は濁流が渦巻く水面を覗き込み、「魚やらいっちょん見えんよ」と魚影を探した。暫く水面を見てた俺は、叔父さんの返事の無いことに気付き、「伯父さん?」と振り返った。

岩の下にいたはずの叔父さんは、俺の直ぐ背後に立ち、俺を突き落とそうとするような格好で、両手を自分の胸の前に上げていた。

振り向きざまに叔父さんの姿を見た俺は固まった。叔父さんは無表情で、力の無い目をしていた。

せみの鳴き声をバックに時が止まった。俺は何も言えずに、叔父さんの目をただ見つめ返すことしか出来なかった。

汗が頬を伝い、身動きの出来ない体の中で、ただ心臓の鼓動だけが高鳴った。伯父さんも手を下ろそうとせずに、ただ無気力な目で俺を見つめていた。

どれくらい見詰め合っただろう。

不意に叔父さんの背後の藪がガサガサと鳴った。両者ともはっと我に返り、藪に目をやった。

見ると、近所の農家のおっさんらしき人が、こちらに気付く様子もなく横切って行った。俺は叔父さんの横を通り過ぎて

「今日は釣れそうにないけん、俺先帰っとくね」とだけ言って歩き出した。

滝から少し離れると、俺は弾かれたように全速ダッシュで逃げた。振り返るとあの目をした叔父さんがすぐ後にいるような気がして、俺は前のめりになって全力で走った。

大分走ったころ、自分がボロボロ泣いていることに気付いた。

俺は家に帰らず、両親のいる店へと向かった。当時定食屋をやってた両親の店で、俺は両親が店を終わるまで過ごした。

伯父はその日帰ってこなかった。

翌日の夜に親父が警察へ届け、数日後に水死体で見付かった。俺は滝壺であったことを一切語らず、伯父は一人で釣り中の事故で片付いた。

俺が持ち帰った仕掛け箱に、叔父さんの字で書かれたメモがあった。それには、『ツトムを連れて行く』とだけ書いてあった。

私の部屋に見知らぬ人が潜んでた

未だにトラウマで一人暮し出来ない。

昔一人暮ししてた頃、私の部屋に数日間見知らぬ人が潜んでた事があった。

ある日を境に、帰宅する度に部屋の様子に違和感を感じ始めた。私は記憶力には自信があって、少しだけれど明らかに位置がずれてるごみ箱とか見ておかしいと確信したものの、どういう事か状況を理解出来ないから、首を傾げてばかりだった。

そんな中のある夜、いつもの如く風呂上がりにリビングのベッドにもたれながら、机の上に置いた大きめの鏡を見ながら、化粧水とか付けてた。

そして、ふとしたひょうしに肘か何かに鏡が当たって、机の上から落下した。

その鏡にはケースがついていて、落とした衝撃で中に入れてたアクセサリーまで散らばっちゃって、「最悪!」って一人怒りながら拾い集めてる最中に、ふと落下した鏡を見ると、ベッドの下が写ってたんだけど、そこに見覚えのない明らかに生身の人間(女)が寝ていて、しかも鏡越しに目が合った。

びっくりしすぎて頭真っ白で、心臓発作かと思うぐらいの勢いで「ひっ!」って成って、息が出来なくなったんだけれど、危険だという事はすぐわかったから、急いで部屋を飛び出して、アパート近くの知り合いの家へ駆け込み通報した。

パトカー3台ぐらい来て大変な事になったんだけれど、時既に遅し、もう女はいなかったみたいで、走り書きみたいな下手くそな字で、折り込みチラシの裏に『ごめんね』って書かれたメモと、10円玉が机の上に置いてあったらしい。

ちょっと気の毒だと思ったけれど、こっちは本当に死ぬかと思ったよorz

 

雪山とビデオテープ

テレビ番組の制作会社でバイトしてた時に聞いた話。

俺がその会社に入る前に仕事中に死んだ人がいるって噂を聞いたんだけど、普段はタブーで絶対誰も教えてくれなかった。

で、結局俺が会社やめる事になって送別会開いてくれた時、ようやく話してくれたんだ。

当時もその会社、たいした仕事が取れなくてぱっとしなかったんだけど、その事件があった年は、社長が投資でハマッて会社の金とかも使い込んだらしく、会社が潰れるかもしれないって状況だったらしい。

2ヶ月くらいまともな仕事取れてない。

そんな中、営業の人がやっと取ってこれたのが『雪山の観測ビデオ』の仕事。普段だったら、そういうのは予算もかかるし、ギャラ払って専門のチーム呼ばなきゃいけないから当然断る。

ノウハウとかないしね。でも、その時はどうしても現金が欲しかったのもあって、受けちゃったんだって。

みんな会社が潰れるかもって必死だったから、学生時代に山岳部だったY田さんとM岡さんが、

「大丈夫ですよ。冬のアルプスにだって登ったことあるんですから」って社長にOK出させて、ろくに準備もせずに現地に入った。

でも、山に入った予定の日から現地の天気は最悪で連絡も取れない、帰って来る予定の日になっても連絡は途絶えたまま。

当然大騒ぎになって、警察に連絡したり現地まで行って捜索隊に依頼したりしてたとき、急に東京のオフィスにM岡さんだけが帰ってきたんだって。

当然「Y田は?」って聞いたらしいんだけど、M岡さんは全然要領を得ない。っていうか何か様子がおかしくて、病院に連れてったらしい。

その時いた先輩が、M岡さんを病院に連れて行って帰ってきた時、上着とか色々預かってたものの中に撮影済みのビデオテープを見つけて、数人で会社のモニターで見たんだって。

それにはこんな内容が映ってたらしい。

「今、××山脈のどこかの山小屋にいます。もう4日もここにいることになります。私は×××制作のM岡と言います。バディのY田は、ここに着くまでの怪我で昨日死にました。おかしな事がおこっています。

私は昨日、Y田をこの小屋の外に埋葬しました。ところが今朝浅い眠りから眼が覚めると、隣にY田の死体がありました。何を言っているのかお分かりでしょうか?私にもよく分かっていません。さっき、私はまたY田を埋めてきました。何かおかしな事がおこっています」

そして、M岡さんはそう言ったあと、カメラをいじって小屋の隅でうずくまってしまったそうだ。

カメラはよく植物の成長を撮る時に使うコマ送り録画にされたみたいで、淡々と1分置の映像が映されてたらしい。

そのままずっと映像が変わらなかったんで、みんなは早送りして見てたらしいんだけど、M岡さんが完全に寝きってから2時間たったころ、そこに映ってたのは、Y田さんの死体を掘り起こしてたM岡さんだった。

その映像を警察に届けて、Y田さんの死体は発見されたんだけど、死後かなりの損傷があったみたいで、一緒に小屋で発見されたノートには、

『何度もよみがえって俺を呪い殺そうとしてる。今度こそ絶対戻ってくれなくしてやる。』って書いてあったらしい。

M岡さんは心身喪失で逮捕はされず、今も入院している。

ポア

もうこれだけ時が経ったから話しても良いかな‥

サリン事件の時、そのことを知らなかった。

その日、私はオウムに拉致監禁されて第7サティアン横の独房に入れられていたから。

信者でもないのに拉致監禁された私は、当然いたぶられた。他の人が見せしめに逆さ釣りにされて竹刀で叩かれながら死んで行く姿を見せられたりもした。

私もいたぶられて仮死状態になり、死体部屋に入れられたこともあった。死体部屋で息を吹き返した後、狭い独房に入れられた。

ポア=惨殺 ということも知らなかった。周りが1人、また1人、「ポアの儀式」に呼び出されて、二度と帰って来なかった。

ポア=破門と聞かされてたから、=監禁から解放されて家に帰れるものとばかり思っていた。

ちょうどサリン事件の日、私にもやっとポアの儀式の順番が回って来た。

独房のドアの向こうから、

「今からポアの儀式だから!10分で私物まとめといて、すぐ出られるようにして!」

と言われて起きて、ソッコー荷物をまとめたんだけど、顔は寝腫れしてるし、髪の毛はまとまってない。

「10分じゃ無理!なんで急に言ってくんだよ!」と怒鳴り返したら、

「じゃあいい。あなたはまた今度。はい、じゃあ○○さん、10分で荷物まとめて!」

と、クビ。代わりに隣の独房の男の子が呼ばれて、出てった。

その2日後、強制捜査が入って、私達のような信者でない被害者達が救出された。信者は娑婆に出るのを怖がり自ら居残った。

あの時、素直に10分で支度して従ってたら、私はどんなポアをされたんだろうか。

救出の日、第7サティアンで拾った腕時計を今も持ってる。格闘の跡なんだか、枠や表面のガラスがガジガジに傷だらけになってた。

今はまだ、PTSDを克服出来ずに、遠くに富士山を見るだけで頭痛と目眩、動悸、吐き気で瀕死になる。

いつか、PTSDから解放されたら、あの日拾った腕時計を供養したい。カウンセラーは、忘れなさいと言うけれど、忘れることなんて出来ない。

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