『夫が事故で死んだ』本当にやった復讐 – 修羅場【長編】

『夫が事故で死んだ』本当にやった復讐 - 修羅場【長編】- 実際に行動した体験談

 

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夫が事故で死んだ

 

夫が事故で死んだ。

勤務中に交通事故の被害者になった。

都内、家賃補助無しで賃貸、保育園激戦区で入れない上夫激務の為妻専業、私立幼稚園しかないから私立一択。

そんな環境下で年収4XX万円台の四人暮らしは厳しかったが、夫婦仲も良く、子供達はパパ大好きで幸せって言える家庭だった。

お互いの親とも付かず離れず、上手く付き合えていた。

それが夫の突然の死により一変。

幼児と専業の妻あり、二十代の大黒柱、という事で賠償金その他は高額の請求。

勤務中と言うことで労災認定、そして未成年の子供らが居るから遺族年金も支給。

それらとは別に生命保険、個人年金、学資保険もあった。

夫の母がやんわりと相続や私達母子のこれからについて口を挟んできたが、折々の契約時やライフプランの話し合いで意思確認をしあってきたのでそれに沿う予定で。

遺言とまではいかないが、お互いに自分の身体の自由がきかなくなったり死去した後、どうしてほしいかのような希望を書いた物を作っていたのでそれを義父母に見せた上、夫の遺骨の管理や子供達の養育と相続も法定通り、事故の慰謝料に関しては基準額にそって義父母に渡す方針だと説明したら義母が暴走した。

その話をして数日後、納得がいかないと義母が自宅にやって来た。

子供(義母から見た孫)も金も全て寄越せ、まだ二十代で若いんだからもう一度結婚でも出産でも出来る。

夫と子供との数年間の生活はもとからなかった事にして、全てを義父母に渡せ、子を亡くした親の悲しみが一番深い、それを癒すのを最優先すべき。

若い女が金を持ったら録な事にならない、死と引き換えられた金をそんな風にされたら死んでも死にきれない。

みたいな事を主張された。

更に事故にあったのも死んだのも、私が夫だけ齷齪働かせて家でグータラ専業主婦なんてしてたからだ、人殺し殺人鬼、金目当ての保険金殺人だ次はこの子らを殺す気だろうと罵った。

私の制止もきかず子供達の前で半狂乱で心境を吐露し、怯えて私にしがみつき嫌だと泣き叫ぶ子供達を無理矢理連れ帰ろうと実力行使に出た義母。

中年女性といえど高度肥満の義母を子供達を護りつつ追い出すのは大変だった。

殴る蹴る引っ掻かれる、突き飛ばされる引っ倒される、物を投げつけられる物で撲られる。

とにかく子供達に怪我をさせない様にとにかく子供達を奪われない様にと防戦一方。

そんな中子供達だけをどうにか他の部屋に入れて隔離し、暴れる義母を文字通り引きずって追い出した。

悲しくて寂しくて、先々へのプレッシャーや不安を覚えつつ、子供の心境をおもい気を張りに張ってた時期だったので、義母を閉め出した後、子供達を抱き締めながら号泣した。

声ががらがらになって、気が遠くなるような眠気に襲われた辺りで警察が来た(子供達は泣きつかれたまま私にしがみついて寝てしました)

義母が玄関先でドアを叩いて喚き散らし室内からは女子供の泣き叫ぶ声、その前には怒声と凄まじい騒音。

そりゃ通報されるのも当然。

玄関を開けて話し合うようドア越しに説得してきた警察達。

義母も取り繕うような猫なで声をだす。

説得に応じず、義母をその場から移動させる様に求めて数十分。

らちが明かない為、面倒そうに警官が義母を丸め込んで移動させた。

残りの警官を室内に入れて、惨状を見せた。

ドアを開けた瞬間の警官の顔が忘れられない、ただの家庭内トラブル、そう決め付けてたらそんな顔にもなる。
はちゃめちゃな室内、明らかに暴行を受け流血までしてるぼろぼろな女が必死の立て籠り、唯一無事なのは子供と子供がいる部屋のみ。

救急車と応援要請、形式的な簡素な状況確認の後、私と子供達は病院へ。

義母はそのまま連行された。

義母は一時拘留されたが逮捕された訳ではなく、直系の親族間はデリケートな問題だからよく考えてと記録のみで保留、しばらく時間を頂いた。

哀しみや思い出を共有したり励ましあったり、これからも先々それなりに交流してく遺族同士だと思っていたので義母の言い種には驚嘆したし。

そして自身の哀しみ以外には目を向けないという主張に怒りを覚えていた。

それ以上に父親を亡くして幼いながらに死を理解して悲しんでる子供達に追い討ちをかけた義母を許せなかったし遠ざけたかった。

だから法に則った対処も考えていた。

現在の子供達の安全を守る事、将来子供達が抱える事になるかもしれない祖母が犯罪者というハンデ、私の感情、悩みに悩んで専門家にも幾度となく相談をしても結論は出なかった。

義母の肩を持つ義父、義兄、義母の兄弟から痛烈な批判を受けたがどうでもよかった。

義母を訴えるか否か、子供達の事、夫の遺産絡みの事、全ては私に決定権があって外野には手を出せない事だったから彼らを黙殺出来た。

私にしか決められない事、だから余計に悩んでた。

悩んでる間にも日々の生活はあるし子供達へのケアもあるし夫の裁判や交渉もある、なのに義母や義理の親族から嫌がらせじみた行動まで始まった。

義母の兄弟からは被害届出すなと昼夜問わない泣き落としの電話や手紙や宅配便と義母に付き添ってたまに来訪、義兄は休日祝日に義母とやってきては恫喝、義母はほぼ毎日電話、手紙、来訪。

義父は口頭では迷惑行為を謝罪するものの、息子を亡くした義母の精神状態も理解してやれと言わんばかり。

これらは自宅にも実家にもされた。

(この時点では実家の母は私の被害を見ても、息子を亡くしたばかりという事で義母にわりと同情的だった)

警察や弁護士に忠告してもらったが収まらず。

多分2週間ほど耐えたがまともな日常生活が送れないので幼稚園を休ませ、以前家族で行ったり私と夫が結婚前に行った色々な場所を巡り、子供達と私で遊び狂った。

新幹線も飛行機も使い思い出の場所を辿って、子供達と私でパパの思い出話をたくさんして、いつかパパにも見せるんだって写真をたくさん撮った。

子供達が寝た後は弁護士との今後の打ち合わせをしたり、転居先を探したり求人情報を調べたり。

しばらくそんな日々を送っていくうちに子供達も安定してきたので自宅近辺に戻り、実家の家族全員の理解を得られたので当面の方針を固めた。

義母の事は今後のあちら側の出方によるので結論は出なかったが、嫌がらせ行為は弁護士の助言で役所や警察に相談したところ届けを出さず転居を勧められ、実行に移そうとした時に義母が倒れたと弁護士を通して連絡が入った。

脳梗塞で倒れるも発見が遅れ、日常生活もままならない状態でリハビリしても予後はよくない上、糖尿病とその合併症もあるため長期入院との報告。

事実確認をしてもらったらリハビリ後は現段階で判別つかないものの大まかにはその通りだったそう。

正直、好都合だった?逮捕とせずとも義母が自分の意思で動けない状況になってくれたから義母の予後にもよるのはわかっていたけど、妙な安堵感があった。

義母の入院を期に一時沈静化してた嫌がらせが悪化しだした(実家と不在の自宅)

なので、弁護士同伴での義母兄弟の家を回った。

義母の件とは別に義母の兄弟それぞれへ訴訟や告訴の準備がある事、義母が逮捕されるのを阻止しようとして本人が逮捕や訴訟となったらそれぞれの子供や孫に累が及ぶ事を理解させやめさせた。

義兄は平日日中まで行動に出てきたので会社経由で忠告し、さらに会社に直接出向いたらあからさまな嫌がらせはしなくなった。

義父には今後のこちらの方針や従わない場合の対処を伝えプレッシャーをかけた。

義母の入院先に同行し、医師からの説明にも同席し、義母の今後の予想を色々と聞いた。

搬送されるまでの状況が悪すぎて回復は難しい可能性が高く、家庭での付きっきりの介護が困難な場合を想定して長期入院のローテーションや施設入所をケアワーカーと相談すべきとの話だった。

義父はうちひしがれた様だったが、私には朗報だった。

その後、条件をつけて各々と示談とした。
相変わらず状態のよくない義母に一目でいいから子供達を会わせてやってくれと各人が示談の場で同音異句に懇願してきたが拒否した。

義母に似た背格好の人を見掛けると不安がる。
写真などで義母が写っているものや義母が同席してた記憶があるものを見ると怯える。
義母が暴れた時にかかっていたアニメ番組が始まるとテレビを消して私の側から離れない。
インターホンが鳴ったり玄関先に気配があると私にしがみついてくる。

そんな状態の子供達に元凶の義母を励ませと?責任の一端がある人間がする要求か?と毎回返した。

同席してた各人の子や配偶者は過剰なまでの謝罪をくれたが本人達は最後までこちらの心境をはかろうとはしなかった。

義父義兄に最後に会った日の別れ際、私のせいで夫(二人にとっての息子、弟)は草葉の陰から泣いているとまで言われたので。

貴方方や義母の醜態に嘆いてる筈ですよ、子供達や私を守ろうとして義母をああしたと考えた方が自然です、と返した。

後日、改めて謝罪をしたいと二人からの申し出が弁護士経由であったが断った。

それ以後連絡がないので義母はまだ死んではないと思われる。

一連の出来事の間、自身が鬼のように思えて自己嫌悪ばかりして、気分の浮き沈みを子供達に見せないよう、誤魔化すのに必死な日々だった。

忘れ形見の子供達と夫方親族がこのような関係になった事を夫に対して申し訳なく思う気持ちと同時にこんな状況を招いた夫の死に憤りを覚えて

なんで死んだの、なんでいないの、なんであなたの親はこんなにも私や子供達を苦しめるのと亡き夫を責めたくなる時もあった。

亡くした喪失感や哀しみよりも子供達への責任感が強く、こんな薄情な妻じゃ夫も浮かばれないのではないか、と自責の念にかられた。

ただだたきつかったし苦しかった。

こんな経験、二度としたくないし誰にもしてほしくない。

今現在も割り切れてはいないですが、以上が私の修羅場です。

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