短編 – 本当にやった復讐 修羅場編【103】
小学校の80%くらいがDQN
20数年前まで都営住宅住まいだったんだけど、今思い返すとその環境が衝撃的。
近所に身体障碍者の人沢山いて通学路で殴られたり体を触られたり。
道端で変な叫び声を上げている人もいたりした。
もちろん普通の人も沢山住んでたけど、宗教やってる人とか母子家庭とか多かったな。
頭おかしい夫婦が10人くらい子供つくってたりとか(死ぬほどうるさい)夜逃げした家から業者が家財を投げ捨てる(?)様子を見たりね。
知的にボーダーな子も多くいて、小学校2年生で自己紹介すらできず、いつも異臭を放ってたわ。
小学校はそんな都営住宅のすぐ近くにあって、80%くらいが団地っこ。
つまり、80%くらいが潜在的にかなりのDQN。
暴力・いじめ・リンチ・盗み・破壊で低学年から学級崩壊。
経済的に余裕のある家はどんどん転校していくのが面白かったなぁ。
不登校も多かったし、転入生は入ってきても、学期の途中でも転校していくくらいだったよ。
お育ちのよさそうな子がどんどん荒んでいく様子を何件も目撃したわ。
その学校は全員最寄りの中学へ持ち上がる感じだったから、やっぱり経済的に余裕のある家はみーんな受験させてたな。
今はいい環境でのんびりと子育て中ですが、やっぱり何回思い返しても、私の育った環境はひどいと思う。
思い出してきたから続きも書く。
中学校が一番衝撃的かも。
中学校では○○小出身!っていうとDQNのエリート!みたいな感じだった。
んで、一番目立ってる奴の兄が暴走族の頭をやってたんだけど、バイクで死んだとかでめちゃめちゃ精神的に不安的になってありとあらゆる人を攻撃するようになったら、男子が集団ヒステリーみたいになった。
ガラス窓に頭突きしたり、パンチでガラス窓割ったり、校舎内で火遊びしたり、掃除用具箱(すごく重い)を校庭に投げ落としたり、校舎の壁に人間が通れるくらいの穴を開けたり(木製部分)の異常行動。
リンチとかも普通にあったし、いろんなものが破壊されたし、精神的に病んでる子が多かったわ。
リンチ目撃したのとか未だにトラウマだもん。
だから高校行ったとき、荒れてないことにびっくりしてすっごく衝撃的だった。
えええええ!!暴力事件なし!恐喝事件なし!!
自傷行為(中学時代、学校での自傷行為すごい多かった)もなしなのね!?みたいなね…。
スクールカーストすらもないようなのんびり高校だったから、最初は何かの間違いなんじゃないかと3か月くらいはずーっとビビッてた。
9年間監獄みたいな気分だったから、天国にきたのかと思ったよ。
すっごい高校楽しかった。
でも、都営住宅もピンキリで、環境いいところもあるんだよね。
違う都営出身の友人から聞いた話と全然違ってそれも本当に衝撃的だったわ…。
–後日投稿–
私のところはなんか「突っ張ってる」って感じじゃなくて「病んでる」って印象だったな。
髪型もフツーだったしDQNとそうじゃない人の境目がなかった。
女子にも普通に暴力振るってたしなぁ。
女子も負けずにやり返す子じゃないと生きていけなかった。
いじめなんてなくて平和に暮らしている世界があるなんて、高校まで信じられなかったし、普通な都営住宅があるなんて前述の知人の話をきくまでは全然信じられなかったよ。
知人は一回も知的障害者に殴られたことなんてないんだって。家にヒビもカビもなかったって。
まぁ私も自分が殴られたのは3回だけだけど、長い間、遠くから叫び声を聞くだけで怖かったものだよ。
高校ではさ、同じ中学出身の子が一人だけいたんだけど、私と同じくらいに平和すぎる環境にびびり上がってて挙動不審なのw
慣れたらほんとに天国だった。
勉強頑張ってよかったよーほんと。
荒んでいった例で衝撃的だったのを一つ投下。
小学校2年生のときにお目目パッチリのお嬢様風の女子A子が転校してきて、字も綺麗でピアノもうまくて私は同性ながら密かに憧れていたの。
まぁすぐにえげつないかんじで苛められ、徐々に荒んでいきましたとさ。
5年のときの男子B君が転校してきたのよ。
A子の知り合いだったそう。
A子が「B君!久しぶり!」ってな声をかけたわけよ。
B君が恥ずかしがって無視した途端に般若顔、追いかけてランドセルを両手で掴んで引き倒してマウントゲット&タコ殴り。
「新入りの癖に無視してんじゃねーよ」
的なことを言って、ギャン泣きするB君放置で帰宅。
当時はA子がここの子になったなぁくらいだったけど今思い出すと怖いわ。
人生で1番最悪な誕生日
私の左手には傷がある。
3歳の頃に遊具に破損があり、気づかずに遊んでいた私は左手を失うくらいの勢いで手首を裂いた。
遊具の管理不良で治療費は自腹ではなかったが、錆びついた遊具で切ったので左手の切断も考えられていたほど。
母が看護師だったこともあり、こまめに家で消毒を繰り返してくれたお陰で、機能的に何の問題もきたさずに引っ付いた。
医者も驚くほどだった。
しかし左手首には大きな傷が残った。
私はケロイド体質というものだった。
私の手は一見焼けただれたようになっていた。
治療はしたが、治療内容は成長の阻害にならない程度のもとで、見た目が劇的に良くなることはなかった。
ある日母とレストランに行ったところ、隣の席に座った小さい男の子が私の左手をじっと見つめていた。
そしてこちらに近づき私の左腕をおもむろにつかむと
「気持ちわりい、なんだこれ、汚え」
と言われた。
男の子の母親は飛んできて男の子の頭をしばき、平謝りをしていた。
深く傷ついたものの、母は私の左手に傷を追わせたことを深く後悔していたので、気にしない素振りを見せた。
隣の席では男の子が母親と父親に
「なんであんな手になるん?」
と聞いていた。
それに対し父親が
「前世で悪いことをするとな、ああやって罰があたるんだ、手を焼かれてああなるんだ」
と答えた。
ギョッとして隣をみると、男の子は更に
「悪いことって何したん?」
と聞いた。
すると父親は
「人を殺したりとかかな」
と何でもないように答えた。
次の瞬間、母は私と自分の水を手に、相手の親子におもむろにぶっかけた。
あっけにとられ、まるでドラマのようだと呑気なことを思っていた。
母は肩を震わせて泣いていた。
怒鳴り散らす男の子の父親とそれを宥める母親を無視し、私の手を掴むと逃げるように店を後にした。
状況が理解できず、私は予約してたけど勝手にお店出てきてよかったのかな、オーダーしてないからいいのかな、とやはり呑気なことを考えていた。
家についた母は、何度もごめんねと繰り返した。
私の人生でいちばん最悪な思い出、最悪な誕生日。
誕生日を迎える度に思い出す。
母がもう左手のことで苦しんでいませんように。
家を建ててもらいたい
もう何年も前の話だけど、実家に弟夫婦が遊びに来てるからあんたもおいでーと母に呼ばれて行ったんだ。
母が料理作ってたらなんかの調味料が無かったみたいで、
「タバコ買いに行くついでに乗せてくよ。」
って事で弟運転の車で母が買い物に行ったため弟嫁ちゃんと私のふたりきりに。
義姉とふたりきりだと居辛いかな?と思い部屋に帰ろうとしたら
「お姉さんにお話あるのでいいですか?」
とニコッと言われ席に戻り、なになに?と聞くと理解不能だった。
正確な台詞は覚えてないから内容だけ箇条書きすると、
・お姉さんに家を建ててもらいたい。(弟夫婦のね。)
・もちろん名義は弟、支払いはお姉さんで。
・お姉さんからの結婚祝いが思ったよりも少なくて驚いたから、家を買うっていう事で補ってほしい。
・私達に子供が出来たら抱かせてあげるので不妊治療費を援助してほしい。
何一つとして理解出来ませんwww
弟夫婦に家を買ってやる理由は無いし、万が一買うにしても名義弟支払い私の意味がわからないし、祝儀は弟のためにと奮発して25万も包んだ。
不妊治療の事は申し出があれば多少援助する気があった、けど「抱かせてあげるから」なんて言い方されたら出したくもなくなるって話したらなんでかしくしく泣かれた。
家を買ってくれないならこの家(実家)を下さいよ…。
とか不妊治療を馬鹿にしてる…。
だとかわけのわかんないことを言ってる最中に弟達が帰宅。
俯いて泣いてる弟嫁と私の構図でいじめか!?と疑われたけど、弟嫁が弟に泣きついて私に言った内容を言ってたから無事に疑いは晴れたけど弟と母もなんだそれ?状態。
その日はお泊まり予定だったのを取りやめて弟夫婦帰っていったよ。
後日弟から改めての謝罪電話と、お姉さんはお金持ちだから家ぐらい買ってくれるものだと思ってた…。って話したと聞いた。
投資家=お金持ちではないんだぜってのを弟が懇々と説明してなんとか納得したそう。
けどいまだに弟嫁本人からは何も言われてない。
彼女に冷めた理由
フェイクあり。
俺は27歳で彼女は26歳。
同居はしてません。
俺の器では受け入れきることが出来なかった。
例1
・彼女が家の近くの焼き肉屋で俺の知らない友達と食べてきて、ホテル代わりに俺の家に来たいと言う。
・次の日早いと断ると「付き合ってるのに私と体目的で付き合ってるんだ!!」と騒ぎ出す。
・「来ても良いけど明日、俺早いからね」と念を押す。
・次の日、俺は5時起き、彼女は休日。
・彼女が訪問してきたのは夜中0時。ベロベロで絡んでくる。介抱しないと居間で酔いつぶれてる。
・2時まで介抱したけどニンニク臭い口でディープキスされて吐きそうになる。
・シングルベット隣でニンニク臭い息を吐きつつ爆睡されて吐きそうになる。
・寝っ屁をかけられて、もう無理状態。
・結局、室温10℃の中、居間で30分だけ今で仮眠。
冷2
・お互い仕事が忙しく日程が合わず、中々会えなかった時(2週間程度)、彼女が「私のこと嫌いになったんでしょ」と騒ぎ出す。
・彼女の家に日程の無理を押して泊まりに行く。
・彼女の家は生ゴミが腐った匂いで充満していてきつかった。原因は、彼女は排水口にストッキングみたいなのをかぶせて、そこに生ゴミを捨ててためてて、1ヶ月くらい交換してなくて匂いを発してた。
正直、彼女の家には泊りたくなかった。
枕を貸されるが変な茶色い染みがついてる。
枕に巻くタオルが酸っぱい。
彼女が布団を全部もってくので寒い。
寝相わるくて隅に追いやられる。
風呂に置いてある桶がカビている。
パンツがつけ置き洗いされているのが放置されてる。
もう、序盤から限界が近かった。
冷3
・ある日、彼女がとまりに来た際、彼女と友達が女子会で「俺くんの顔が整ってるって話題になった」と彼女から話題として振られる。
俺 「27歳になってかなりオッサンになっていることを自負してるけど、お世辞とか社交辞令だと思うけど嬉しいよ」
彼女「でも、化粧したら誰でも可愛くなるし、私だって化粧で変わるの分かっているし」
俺 「あー、そうなんだー。やっぱ変わるもんなんだねー。」
俺自身、顔で人を選べないというか、がんばれば一回で顔を覚えれるんだけど、顔を見分けることが出来ない軽い病気をもってて、それとあいまって性格を中心にしか人を選べない。
彼女は化粧下手で正直可愛くも美人でもない。
どちらかと言ったら韓国人人顔(整形前)。
でも、見た目で見てなかったので俺はそんなこと言わず可愛い可愛い言ってた。
今考えると、会話に脈絡もないし少しだけ腹が立つ。
俺の腹筋割れてるの見て
「私が痩せないのは将来の目標や仕事のストレスが多くて食べてしまうから、でも努力してるんだよ!!」
と突然怒り出したり、
「部屋が片付いてないけど、いつもはもう少し綺麗だから!!」
一切見てもいない触れてないのに・・・。
色々彼女のフォローして褒めて宥めるのに疲れた。
俺の家に仕事の打ち合わせで人が訪れることが結構あるので、居間を綺麗にしてるんだけど彼女が来ると汚れるので次の日は絶対に掃除しないといけない。
風呂あがりに体をきちんと拭かないから水浸し。
化粧水とかも木がむき出しのテーブルにたらしっぱなし。
一番きつかったのは、彼女の会社の愚痴。
慰めてもアドバイスしても「でもでもだって」でずーっと返されてそういったのが積み重なって我慢の限界というか、俺がストレスで体調を壊してきて、さようならさせて貰った。
別れた原因を聞かれると、俺の器が小さかったとしか答えられない。
整形疑惑を流した犯人
ふと思い出した、今でもモヤっとする高校生の頃の修羅場。
文章上手くないので結果から言うと、同級生が私の小学生時代の卒アルの写メを色んな人に見せ回った上に、根も葉もない噂を流してた。
その噂も私が整形してるとかいうくだらないことだけど。
確かに小中高の間に腫れぼったい奥二重→二重→幅広の二重にはなった。
でもそれは背が伸び顔の肉が取れたから。
あとは手入れせずにくるくるの癖っ毛だったのを手入れしてきちんとドライヤーとブラシで真っ直ぐにブローしただけ。
仲のいい友達はその経緯も知ってるし、高校生で整形なんて現実的じゃないので信じる人もあまりいなかった。
でも誰がそんな噂を流したのかわからずイライラしてた。
ある日、休み時間にクラスの女子数人でお喋りしていてA子が撮った1枚の写メを見ながら談笑してたんだ。
たわいもない話だったから内容は忘れた。
あ、携帯は休み時間はOKな規則だったからね。
で、その話題が終わりA子が携帯の「戻る」ボタンを押し、画像一覧になったのがふと目に入った。
画面に9枚くらいの写メがずらっと並んだかと思えば、その内の1枚が私の小学生の頃の卒アルだった。
ボサボサ髪で腫れぼったい奥二重で自分の中でも封印していてあまり見たくない卒アルの写真。
ご丁寧に私の顔写真だけを写メってた。
自分の写真だから見間違えるはずもない。
何より整形疑惑の噂が流れた直後だったし。
そしてA子が一瞬「マズい!」って顔になって急いで携帯を閉じたのは見逃さなかった。
その直後に私の顔をチラ見してきたのもわかった。
でも気が動転した私は、咄嗟に見てないふりをして普通に振る舞った。
そして誰にもその話はしていない。
言ったところで何にもならないし。
多分A子が噂話を流したんだと思う。
一緒の小学校出身だったし噂好きな子だったから。
面白がって人の噂話流した上に、卒アルの写真を撮ってるってのがただただ気持ち悪かった。
高校卒業して、社会人になって結婚出産して、ほとんどA子の存在忘れてた。
だけど最近、A子の母親と私の旦那の母(私の姑)が学生時代の同級生だと知り驚愕。
だからと言って関わりなんて無いんだけどね。
世間は狭いと痛感しつつ思い出しカキコ。
母に帰れと土下座した
母親に土下座したのが一番の修羅場かな、母親関連は全部修羅場だけど。
私が二十歳になったころ、父親と母親(糖質&宗教信者)が離婚。
母親はその頃別の男にアプローチかけられてて、その男が金持ちらしく、稼ぎがいい=宗教にもっとお布施出来る!で喜んで緑の紙に判を押した。
親権は父親になり、私と弟はこれで母親と離れられると大喜び。
・・・が、何故か数か月後に母親が引っ越した家の前に立っていた。
私には
「お父さんが家を教えてくれたのー」
と話したが、そうではなくその数か月の間に水面下で離婚は不当だと訴え→離婚調停→父親が住所の届け出→住所を知って押しかけてきた って流れ。
男はどうしたorz
宗教の人に吹き込まれ薬を飲んでない糖質患者の相手をしなければならなくなった。
しかも宗教の教祖様より父親の方が高次元の魂、という事になっており、宗教の教えはそのままに、父親に信仰心を持っている糖質。
どうしろと。
警察は民事不介入、家族なんでしょ?話し合えばわかるよ!状態。
で、そんな襲撃が十数回続いたある日、またも母襲来。
母親は自ら警察を呼び、警官のオッサンが
「話しだけしてあげて」
というので、とりあえず家(マンション)の前でまた押し問答。
もう疲れ果てて(警官のオッサンは見てるだけ)
「帰ってよ、お願いだから!」
と言った時、母が
「それが親への言い方か!」
と怒る。
思わず土下座し、
「帰ってくださいお願いします!」
と叫んだ。
周りの目(野次馬がいた)とかなによりも、顔をあげた時にすぐ傍に母の顔があって、抱きしめられそうになった時の嫌悪感が全ての感情に勝った。
とりあえず逃げようとしたら、警官が
「子供にここまで言わせたんだよ?」
と母親に優しい声で説教をはじめた。
その時は神に見えたけど、よくよく考えるとこのオッサンのせいで土下座したことになるな、±0か。
で、母親はなんとか帰っていったが、次を考えると気が気じゃなかった。
が、母親はそれから数年ウチには来てない。
なんでも警察相手に刃傷沙汰を起こし、檻付きの病院に叩き込まれたらしい。
未だに家には手紙が届くが、今は安心して手紙を肴に酒を飲んでる。
兄の新しい嫁は完璧
理不尽だとわかってるんだけどさ。
兄嫁が嫌いだ。
兄嫁って言ってもバツイチ再婚同士でお互い子持ち同志。
兄の子供たちは別れた元妻のところにいて成人しているしたぶん兄は何年も会っていない。
もともと兄と私は年が少し離れていてあまり仲良くもない。
離婚後兄が東京に転居してからはますます疎遠だったんだけど、数年前に再婚すると新嫁を連れて帰省してきた。
新嫁さんは私と同じ年なんだけど、離婚後ずっと仕事していたせいか、とても若々しい。
兄好みのちょっとぽっちゃりした小柄で可愛い感じの人。
服装もアクセサリーも靴もバックも海外ブランドとかじゃなくて、でもタグを見れば確かにブランド物。
化粧品も全部カウンセリング化粧品。
百均のものなんて一個もない。
手土産はいつも東京の有名店のお菓子。
うちの子たちには、兄嫁の娘とお揃いだという、田舎の中学生が絶対選ばないようなオシャレなブレスウォッチ。
高級品じゃないけどと言ってたし、ググったらたしかにそんなに高いものでもなかったけどさ。
子供たちも大喜びで友達に自慢している。
二度目からは子供さんたちも連れて来た。
子供たちにも両親にも、気の利いたプレゼント持参だし。
娘たちにはだいたい兄嫁娘がチョイスしたオシャレな小物や洋服とか。
田舎じゃ売ってないような。
娘さんはきれいでいかにも東京の女子高生でアイドルみたいだし、息子さんはいかにも東京育ちのイケメン大学生。
ピンクのマフラー?スカーフみたいのをさりげなく巻いていて、スマートで長身でモデルみたい。
私の娘たちの羨望の眼差しは見ていて痛い程だよ。
兄は全然イケメンじゃないけどね。
でも垢抜けた感じになったよ。
兄嫁さんは料理も上手くてさ。
内心関東風の味で恥かけとか思ったのに。
子供たちも夫も両親も、何かにつけて兄嫁さんと比べてくるし。
あの人さえいなかったら平和に暮らしていられたのに。
なんだかみじめで悲しいんだよ。
新しいタイプの彼
元彼(20)フリーター
私(24)社会人
元彼とは地方のイベントで出会い、元彼はその地方の人、私はみっつ隣の県に住んでいて中距離。
元々考えられない位人に興味がなくて、今日私が何処で誰と何してようがどうでもいいっていうスタンス。
新タイプすぎて付き合い始めは苦労した。
どれ位人に興味がないかっていうと、私が男と一緒にベッドで寝てても気にしない、
「どうせ何もしないでしょ」
って考えてる。
そんな事してないけど、そこは少しは気にして欲しかった…。
そんなだから連絡も週に1回くらい。
電話も出ない、してこない。
それでも、そういう人だからって思って受け入れてた。
物忘れも激しくて、クリスマスに遊ぼうねってすごい前から何回も約束してたのに、前日に
「明日行くからね」
って連絡したら、
「え?本当に…?」
って返って来た。
本当も何も、何回も言ってたしもう新幹線のチケットもプレゼントも買ったわばーか!
ってヤケになりながらも次の日向かった。
待ち合わせ場所に来た時、”友達と出かけてて、私の為に抜けてきた”的な事を不機嫌気味に話されて、当時の私は
「ごめんね」
って言いつつ(私のために抜けて来てくれたんだ)って考えてた。
帰る時に、
「プレゼントとかありがとね。でもいきなり来るのとかほんと無理。」
って言われた時は流石に、ずっと前から何回も行くって伝えて分かったって言ってたくせに、忘れてたのはそっちじゃん、って思ったけど、喧嘩とかしたくなかったからここでも謝った。
今でもむかつく。
張り倒したい。
ちなみにプレゼントは用意されてなかった。
結局その半年後から3ヶ月放置されて、1年前に貸した鞄返してって連絡してみたら、謝りもせずに返信してきて冷めた。
1年借りてるならまず謝るでしょうが。
しかも結局失くしてて、返ってこなかった。
それに見合った好きなもの買って郵送するからって言われたけど、全く信用してない。
年下だからってどんなわがまま言われたり理不尽に逆ギレされても受け入れてきたけど、反抗期のクソガキ相手にしてる母親みたいになってた。
2年も付き合ってないのに、カスな話が腐る程出てくる。
その時の私もクソだったなって凄く反省してる。
今の彼氏は優しくてすごく付き合いやすくて一緒にいて落ち着く。
周りの子は
「それが普通だから」
って笑って、目が覚めた私に喜んでくれた。
ちなみに元彼は最近結婚した共通の知り合いの結婚式で、ご祝儀の問題起こしてる。
尻拭いする義理はもう無い。
バーーーカ!!!!
警察がトラウマになった
数年前の修羅場。 当時高校3年生の秋。 いつもは高校まで親の送り迎えだったのだが、親の都合の悪い日があって、たまたま自転車で通学した。 授業を終え、帰ろうとすると自転車がない。 その学校は当時中学から短大・大学まであるマンモス校だったせいか、自転車
数年前の修羅場。
当時高校3年生の秋。
いつもは高校まで親の送り迎えだったのだが、親の都合の悪い日があって、たまたま自転車で通学した。
授業を終え、帰ろうとすると自転車がない。
その学校は当時中学から短大・大学まであるマンモス校だったせいか、自転車の盗難が多かったらしい。
その日は親に迎えに来てもらい、警察に盗難届を出した。
数日後、学内の自転車置き場に自分の自転車を発見。
鍵を差すときちんと開くことを確認して、自宅に持ち帰った。
更に数か月後、大学受験本番の冬2月。
皇太子さんが出身の大学を受けに行く日の朝、駅まで自転車で向かっているところを、警察に呼び止められた。
自転車の盗難が増えているということで、チェックをすると。
パソコンかなんか開いてチェックをしていた警察がこちらを睨むと、
「この自転車は盗難自転車だ。どこで盗んだ?署まで来てもらおうか」
となった。
そういえば、自分で盗難届を出してから、取り下げてないことに気付き、そのことを話したが無駄で、たまたま学生証もなかったため、御用となった。
パトカーの中で母親にメールしようとしたら、携帯も取り上げられた。
警察署に着くと、小さい部屋に入れられ、目盛のついた棒の横で番号札を持たされ、まさかの写真撮影。
さらには指10本と左右掌の指紋搾取。
刺青はないか?と聞かれ、危うく服を脱がされそうにまでなった。
そのあと少年課の取調室で、おっさんに散々どこで盗んだ?とか怒鳴られたがずっと泣いててあんまり記憶がない。
すごい怖かった。
何時間か経って、あまりに怖くて自分で盗んだことにした…。
すると母親が呼ばれ、待っている間は
「前科がつくから結婚できないぞ」
とか、
「就職に響くぞ」
とか散々罵られた。
母が到着し、涙の再会。
学生証を持ってきてくれたので、誤解は晴れたが、何故嘘を吐いたのかと散々怒られた上、写真や指紋は撮られたままだそうで、今後私が何か犯罪を犯したらすぐに捕まると脅された。
なんと解放されたのは夕方。
もちろん大学は受けらなかった。
唯一合格判定Aだった大学だっただけに浪人確定かと修羅場だった。
後日、奇跡的に第一志望が合格したので、よかったが、その頃から警察はトラウマ。
交番の前を歩くのも嫌だ。
今日郵便局に行ったら、学生さんが願書を出していたので思い出しカキコでした。
義兄嫁はロシア人
義理の兄の奥さんに衝撃だった話。
夫の兄は仕事で長いこと海外で暮らしている。
そこで同じくロシアから仕事で来てる奥さんと知り合って結婚することになった。
以下彼女を奥さんと記述します。
初めて会った時、ロシア人の奥さんは全く日本語が話せなかった。
義兄が通訳してくれたので話してみたら、とても明るくいい人だと思った。
相手の奥さんも会話を楽しんでくれたようだった。
会話の最後、奥さんは
「日本語を絶対に覚える。今度は日本語でお話しましょう」
と宣言していたと、義兄に通訳してもらった。
気があったのと、共通のマイナーな趣味があったので奥さんとはアドレスの交換をした。
最初の頃の文は英語オンリーで辞書を引きつつなんとか会話してたんだけど、数週間したら簡単な日本語が会話に混じるようになった。
本当に勉強しているんだなーとなんだか嬉しい気持ちになって、私も簡単な単語を時々日本語で書くようになった。
それから一ヶ月も経たないうちに、奥さんのメールは日本語のみになった。
この頃から漢字も使い始めてて、
「間違った所があったらおしえてね」
と言われたので、時々ある小さなミスを教えてた。
そのミスっていうのが「早いと速い」「温かいと暖かい」「てにをはの重複」みたいな日本人でも時々間違っちゃうようなものなんだけど、一度指摘したら絶対に間違うことはなかった。
奥さんの日本語はどんどん上手くなっていって、初めて会って半年でしゃれた季節のあいさつを使いこなしてしまうまでになった。
この時に聞いたんだけど、この奥さんカリフォルニア工科大出身らしい…
それから数ヶ月、全く日本語がわからない状況から一年足らずで奥さんは日本語検定の一級を合格しちゃったんだって。
念の為に言っておくと外国人向けの日本語能力検定ではないよ。
その話を聞いた時に、本当に頭のいい人っているんだ…と唖然としたよ。
この前の正月、初めて会った時から数年ぶりに奥さんに会うことになった。
この頃には奥さんはイントネーションまで日本人?ってくらいに日本語ペラペラになってた。
ずっと週二三通のメールを続けていたんだけど、「吝かではない」とか「宜なるかな」とか「汗顔の至り」とかこっちが辞書を引かなきゃいけないような単語も出てくるようになってたw
それで顔を合わせてお話をしてたんだけど、ふと
「外国語を習得するコツとかあるの?」
って聞いてみたんだよね。
そうしたら奥さんは
「簡単だよ。これを習得したらあれがしたい!これがしたい!って目先に欲をちらつかせればいいの」
と言った。
それからいたずらっぽく笑って
「○○ちゃん(私)ともっとお話したかったから私は日本語を覚えたのよ」
って言われた。
惚れるかと思ったわ。
コメント