『虐げられてた甥』本当にやった復讐 – 修羅場【長編】

『虐げられてた甥』本当にやった復讐 - 修羅場【長編】- 実際に行動した体験談

 

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虐げられてた甥

 

当時の年齢:弟=二十代半ば、私=二十代後半独身、弟嫁=三十代後半。

両親は五十代。

計画出来婚(二人で画策ではなく結婚する為に弟をハメた)で実家に責任とれと乗り込み、そのまま居座ってなし崩し的に同居してしまった。

産まれたのが男だったから跡取り産んでやった!とふんぞり返ってたけど、うちは由緒正しいサラリーマン家庭でしかも父は三男だし代々の墓は伯父の家が守ってるし。

家事はしないでまるっと母に投げる癖に文句だけは常に垂れ流す、育児は綺麗で楽しい所だけやって汚れ仕事や大変だったり嫌われる仕事は母任せ。

弟には何度も迷惑かけるな、ちゃんと自立しろって言うのにその度に嫁に鳩る馬鹿。

そして弟嫁から私に電話がくる。

「女として半人前なあなたと違って、私は跡取りを産んだ長男嫁様!」

「同居の大変さも分かってない!」

「あなたにもう実家はないんだから帰って来るな口出すな」

「いずれは二世帯にするための二馬力!」

とご高説を頂いた。

でも弟嫁、育児の為~とか言って散々高いものばっかり買って散財して貯金なんてしてないどころか両親に集ってるのを知っている。

生活費も入れてないのに跡取り様に貢げと高価なものばかり要求してる。

両親にも追い出すかもう家を買い取らせて引っ越せって言ったけど、父が苦労して建てた愛着ある家だから後者は却下、前者は追い出すと孫が一番不幸になるのが目に見えてるからムリだと。

当時は心配してる自分の気持ちを誰も分かってくれない!と私がキレてしまって、実家と縁を切ると決めて部屋のものを引下げに行ったら弟嫁の部屋になってたばかりか私の荷物は全部処分したんだと。

小中高の卒業アルバムも卒業証書も、部屋じゃなく物置に合ったはずの子供の頃の思い出の品も、家族のアルバムにある私の写真ですら、とにかく私の物だけ綺麗に実家からなくなってた。

発狂して暴れて弟嫁の物を片っ端から壊して窓から投げ捨てて、親にどうして止めてくれなかったんだと泣き叫んで絶縁だと言って連絡先も変えて引っ越した。

月日は流れて私も結婚し、いい旦那と可愛い子供、何より理解ある義実家に恵まれて、当時の自分の身勝手だった部分を反省した。

あの状況で放り出すと確かに子にしわ寄せが行くだろうし、私が独立時にきちんと部屋を整理していかなかったのを棚上げしていた。

子供の手がつきっきりって程掛からなくなった頃にようやく踏ん切りがついて旦那と一緒に両親に会いに行くと、弟一家は実家を出ていた。

孫を取られっぱなしの弟嫁の成金実家が家を建ててもらって出て行ったらしい。

少しずつ会って、孫の顔も見せてわだかまりも解けた頃、家を出てから一度も顔を見せていなかった弟嫁が何処からかかぎつけて跡取り様を連れて私一家がいる時に訪ねてきた。

後に自分から、小姑が家を乗っ取ろうとしてるから跡取りの母として守りに来たと言っていた。

私の子供は女の子の双子で、夫側に似て性格はおっとりした方でとても女の子女の子していて読書や手芸が好きな小学生。

跡取り様改め甥は母が躾の大部分を済ませてからの独立だったみたいで、謙虚で礼儀正しい男の子に育ってた。

ただ母親である弟嫁にはあんまり懐いてないようで、ニタニタと有名私立に受かっただのなんだの誇らしげな横では能面のような無表情で初めは怖かった。
けれど弟嫁の下品な金の自慢が始まると、甥がイライラしながら

「よせよみっともない」

と止める。

母が台所に立つと積極的に手伝いに行くし、父とは楽しそうに話す。

娘たちの相手も年頃なのに嫌がらずにしてくれて、何度か会ううちに引っ込み思案な娘たちが嘘みたいに懐いた。

それを面白く思わない弟嫁が

「あんなに小さいうちから男を誑し込めるだなんて、血って怖いわねぇ。母親に似ちゃったのね。パパは本当に血がつながってるの?」

となんと娘の前で言いやがった。

私は台所に立ってたから知らなかったんだけど、甥が後から教えて謝ってくれた。

自分の母親を引っぱたいて引きずって帰った後に、電話越しでの泣くのを押し殺し声の震えた謝罪だった。

娘たちは幸いというか、どういう意味か分からない上に甥に

「ごめんね、このおばさんちょっと病気で変な事言うんだ」

と言ってくれてたおかげか理解しないまま、病気って大変だねと言い合ってた。

その後は甥だけが遊びに来るようになり、その内圧迫されるのが嫌だったらしく頻繁に実家とうちに出入りするようになった。

でも転がり込むだけじゃなくて、本当にいい子だし娘たちも懐いてるし、手伝いもしてくれる。

うちに泊まる時は金にがめつい弟嫁から死守したであろうお年玉から手土産まで毎回持ってきて、娘たちには可愛いシュシュとかもプレゼントしてくれた。

夫に私側親族で迷惑をかけてる事を謝ると、おどけて息子が出来たーと喜んでくれて、誕生日にちょっといいものプレゼントしてやろうよ!と言い出す程。

娘二人がリサーチ係となり、資金は私達夫婦が出すことになった。

どうやら家ではゲーム漫画テレビの一切が禁止されてるようで、うちで見たCMを食い入るように見ていたらしい。

誕生日当日は流石に外して、翌日お祝いしようという事になった。

そして誕生日の翌日、実家に甥きた甥はとても暗い顔をしていた。

お祝いする気満々だった母も私も娘たちも心配するけど、全く浮上してくれず普段はこんなに落ち込んだことないのにとお祝いをしていいのか迷ってしまった。

そうこうしている内に父が帰宅し、夫も遅れて帰ってきたので元気づける意味でもと手作りのケーキと甥の好きなものだらけの夕飯を準備して部屋から呼び、全員でハッピーバースデーを歌ってちょっと強引に盛り上げた。

娘たちもこれ私が手伝ったんだよ、こっちは私だよ~と必死に声をかけるが、甥はぽかんとして動かなくなってしまった。

焦った夫が食べ終わってからの予定だったのにゲーム機を差し出し、しかも包装解くまで内緒にして驚かせる計画だったのに

「ほら!これゲーム機、欲しかったろ!」

とバラしてしまった。

娘たちも慌てたように隠していたらしいプレゼントを取り出して(私達も知らなかった、自分たちのお小遣い貯めて内緒で買ったらしいゲーム用のケース)、父がテンパって

「今日くらい飲め!」

と酒を渡そうとして母に怒られ、まさにカオス。

そうしたら甥が突如ぽかん顔のままポロポロと泣き出し、しまいにはわんわん大泣きに変化した。

娘たちもつられて泣き始め、私は取りあえず甥と娘二人を纏めて抱き締めてどうしたもんかと思案していると、夫が「俺に任せろ」と冷や汗流しながら甥を連れて縁側へ。

酒とコップを二つ渡そうとした父はまた母に叱られた。

娘たちを落ち着かせ、食事をラップで包んでじっと待つこと一時間ほどで二人が戻ってきて、甥が

「すみませんでした」

と深々頭を下げるのを止めてとりあえず食事をし、お風呂に促した。

酔っていて参加不可と判断した父に娘二人をリビングにて任せ、母と私夫婦で話し合い開始。

甥は誕生日を家で忘れられていた上に弟嫁の酷いヒステリーに一日付き合わされ、最後には寮付きの遠方の私立に転校させる手続きを済ませたから来週からそこへ行けと言われたらしい。

父である弟に訴えても、お前が母さんを怒らせるから悪いと取り合ってくれなかったと。

両親である弟夫婦からお前は姉夫婦にも実は嫌われてるし祖父母達も迷惑してる、迷惑かけてるのがわからないのか、寄生虫みたいにべったりへばりついて自分の事しか考えてないと散々だったと。
オイオイそれは鏡を見て言えよと母と私はブチ切れそうになったけど、夫は

「そんなことは置いといて」と。
何言ってるんだ!と怒ったら、

「このままだと望まない転校で甥くんは不幸になる、それを阻止するのが優先だ」と。

見た目はテンパりまくりで実際はもっと頼りない口調だけど、甥の気持ちを一番理解してるのは夫だった。

更に夫は、いざとなったら僕は本人と○○(私)と娘たちさえいいなら甥くんを本当にうちの子にしてもいいと思ってますとまで言い出した。

僕の両親は僕が説得しますと、母をじっと見つめて言った。

その時だけはしっかりはっきりとした口調だった。

そこで甥がお風呂から戻ったので一度打ち切り、甥が娘たちのプレゼントのゲームのケースを開けてメッセージカードを読んでまた涙ぐんだのを見守り(娘ガードで見せてもらえず)、私一家も泊まり込みというか徹夜の話し合いの覚悟で、甥と娘たちが寝てから話し合い再開。

まだ酔いが少し残っていた父は話を聞いて完全に酔いが覚めた上に血管ブチ切れそうになったけど、やっぱり最優先なのは甥の気持ちだと再確認。

色々な場合についてどうするかを話し合い、明け方に仮眠を取った。

翌日早起きな甥に

「甥君はどうしたい?私たちはみんな君の味方だ。迷惑だとか親に対する遠慮は全てなしで聞かせてくれ」

と夫主導で話した。

甥は腫れぼったい目でまた涙ぐみながら、

「自分は親にすら愛されてないダメ人間だと思ってた、でもお爺ちゃんお婆ちゃんも伯母さん伯母さんも双子ちゃんも自分を好きだと言ってくれる、今の家に移ってから一度も抱き締めてなんてもらってなかった、昨日は本当に嬉しかった、生きていてもいいんだと初めて思えた」

とつっかえつつ語ってくれた。

あれからも弟嫁は、甥を飾り立てて良い子で優秀な息子として連れ回して自慢することしかしてなかったみたい。

抱っこするのに重くなってからは殆ど触られたこともなく、風邪を引いたら治るまで近付けるなと母に押し付けてたらしい。

別居後も看病は疲れて帰ってきた弟に投げやりな看病を

「何で風邪なんか引くんだよ」

と愚痴られながらされてたと。

これは相当根が深いと分かってもう全員でもらい泣きしてしまい、私と母で固く甥を抱き締め、夫と父がそれを抱き締め、全員で甥が大好きだ愛してる可愛いと言いまくった。

両親は何度も甥に、自分たちが不甲斐ないせいだと謝った。

今まで本当に私たちに対して良い子にしてくれたことも、話が進むにつれ弟嫁の顔色を窺わないとご飯は貰えないし酷く当り散らされることが関係してるんじゃないかと思えた。

弟嫁実家も、孫可愛さに呼び寄せた筈が弟嫁と同じく「出来のいい孫」として自慢したいだけで、助けを求めても無駄だったみたい。

それどころか助けを求めた途端

「親をないがしろにする恥知らず」

と詰られるようになり、その結果私達への相談ももしも話したらまた…と怖くてできなかったと。

迷惑をかけることがネックになっているようで中々聞き出せなかったが、どうにか

「友達もたくさんできた、部活も楽しい、こっちの家に来れなくなるのはいや」

という甥の意思をしっかりと確認した。

そこからはもう家族全員死に物狂いで甥の為に戦った。

甥へのネグレクトの証拠を集め、弟を叱り飛ばして目を覚まさせようとし、弁護士も入れてどうにか一先ず転校だけは食い止めた。

食い止めたというよりは、書類上転校になってからも戦ったというのが正しいけれど、何とか元の学校にそのまま通えることになった。

弟がどうにか目を覚ました頃には、もう甥は受験問題に差し掛かってた。

弟嫁はやはり遠方の寮付きしか認めないと言ったが、父親である弟が味方についたので甥の希望通り元の私立の持ち上がりで高校へと進めることになった。

甥は誕生日の一件から徐々に無理をして良い子を演じなくなり、本音で私達とケンカも出来るくらいになっていった。

それでも驕ることなく、謙虚で礼儀正しい部分はそのままだった。

弟は甥への虐待を理由に弟嫁と離婚に踏み出し、親権で揉めに揉めた。

向こうの実家にとっても唯一の孫だからか、甥を攫おうとしたりして警察沙汰にまでなった。

結局は本人の強い希望と虐待の事実が認められ、警察沙汰が最後の一押しになって弟は親権を勝ち取った。
その間甥は実家から高校に通い、やっと離婚した頃にはもう大学受験の頃だった。

甥は奨学金のある大学を受験して合格し、弟と一緒に実家に正式に越してきてそこから通った。

就活とバイトの合間を縫って高校受験が始まった娘たちの家庭教師をしてくれた。

バイト代は頑として受け取ってくれず、物で贈ると倍の値段で帰って来るので、倍返し出来ない値段のものを贈るぞと言ったら本当にお小遣い程度なら受け取ってくれるようになった。

大学を卒業して就職した初めての給料は、私達をとてもいい店に連れて行ってくれた。

娘たちの大学合格祝いにはセンスも質もいい小物をプレゼントしてくれた。

娘たちは初めてのバイト代で真っ先に甥にネクタイを買ったため、父と夫がしょんぼりと晩酌するハメになったりした。

弟は弟嫁と離れ両親と私にギッチギチに再教育され、たまーにアメとして夫が飲みに誘ってガス抜きを繰り返すうちに反省し、弟嫁が使い込んでゼロだった貯金が多少復活してから実家を出た。

甥は就職してすぐに独立したけれど、結構な頻度で実家とうちに来ていた。

嫌われたくないという下心のある手土産じゃなくて、私達への感謝からくる心からの手土産を持ってきてくれる。

お返しにどっさりとおかずを持ち帰らせた。

そんな甥が先日、綺麗な女性を連れてきた。

可愛らしいとても感じのいいお嬢さんで、甥の事情を全て含めて理解した上で、甥くんを下さいとの男前な結婚の挨拶だった。

全員大賛成で、娘たちもお姉ちゃんが出来るみたい!と大はしゃぎだった。

でも、家に帰ってからは二人抱き合ってわんわん泣いた。

ちょっと好きだったって言ってたけど、本当は二人してずっと好きだったのを私も知っていたので一緒にちょっと泣いた。

我慢できたことを、偉いね、と褒めたら、

「だってあの女の人、ママに似でだがら~~」

と大号泣された。

夫に聞いてみたらニヤニヤしながら、

「似てた似てた、アレは尻に敷かれるなー」

と笑ってたので、寝てるところを尻で踏んでやった。

一家全員結婚式では号泣する自信があるけど、その日が今から待ち遠しい。

初めのところ、読み返してみると当時の~じゃなく当初の~と書くべきでしたかね。

メインはそれから十数年後だし。

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