短編 – 本当にやった復讐 修羅場編【22】
幼馴染ママに盗まれた
気づかない内に秘蔵の映画パンフレットを盗まれ、オークションで売られた。
犯人は近所に住む幼馴染ママだった。
私は年の離れた兄が映画好きだった影響もあって、独身時代まではかなり頻繁に映画館に通っていた。
パンフレットも必ず買うようにしていた。
購入したパンフレットの最終ページには
「○年○月○日 ○○(映画館の名前)」
ってシルバーとかゴールドのペンで書いていた。
結婚と同時に家を出る際、それらのパンフレットも持ち出したかったけど、新居の社宅は狭かったので泣く泣く実家に預けて嫁いだ。
除湿剤や虫除けも入れて封印し、帰郷するたびに中身を確認しては思い出に浸った。
いつか子どもが巣立って余裕ができて、自分の趣味の部屋を作ることができたらきっと持って行こうと思っていた。
そしたらまるっと盗まれた。
パンフレットを入れた箱は実家の一階に置いていたのだけど、それが忽然と消えた。
消える前年のお盆に帰郷した際に箱を確認しているので、それから一年の間に盗まれたとは思うけどとにかくそれ以外全く何もわからなかった(現金とかもっとわかりやすいものが盗られたのなら両親も気がついたかもしれないけど)
被害届けは出したけど、きっともう手元に戻ることはないだろうなぁと思うと悲しくて泣けてきた。
するとその様子を見ていた夫と娘が、オークションでパンフレットを3冊落札してプレゼントしてくれた。
特に思い入れのある3作品
(初めて夫とデートしたときに見た映画とか)のことは映画の話をするたびにしていたしDVDやビデオもあったしポスターも持っていたので、当たりがつけやすかったのだと思う。
パンフレットはきちんとビニール包装してあって、どれも美品だった。
感動して、泣きながら夫と娘に感謝を述べて包装を開けてページをめくっていたら、その内の一冊に見覚えのある筆跡が。
間違いなく盗まれたパンフレットだった。
その後は警察に通報、オークション運営サイドに盗品であることを連絡。
結果犯人が幼馴染であることがわかった。
全体の5%ぐらいはオークションで売られた後だったけど、残りは全部取り返すことができた。
幼馴染泥ママ(2児の母)が言うには、
「大切なものだと昔から言っていたので高値で取引されていると思って実家の窓から侵入して盗んだ。でも、実際に高価なものはほとんどなく、落札されたのも少数だった。騙されたと思った」
転売目的で盗んでおいて何が騙された、だ。
超人気俳優や監督の直筆サイン入りパンフレットとかならいい値段がつくかもしれないけど。
多分、「大切にしてるもの=高価なもの」としか認識してなかったんだろうな。
とりあえず、今日全てのカタがついたので記念に報告!
犯人は余罪(窃盗)もあり前科もつきました。
本人からの謝罪はなく、示談は絶対に受け入れたくなかったので突っぱねました。
今日、余罪の方で塀の向こうに収監されることが決まったと、警察から連絡が来たので報告させていただきました。
結婚を機に豹変した
私は5年前にエネ夫と離婚しています。
元エネ夫とは地元の中・高・大とクラスは違えど同じ所に通っていた。
私と元エネ夫の育った地域では、結婚後同居がデフォだったので、何も考えずそれが当たり前だという流れで私も同居したのだけれど、それまで会っていた「いいおじさん・おばさん」であった旦那の両親が結婚を機にガラリとマイナーチェンジ。
仕事を持っている事が気にくわない。
洋食が気にくわない。
でも和食作っても味が薄すぎるから食えないとゴミへぽい。
弁当を作っても、家に帰ってきてから
「あんなもん食えたもんじゃねぇと人前でどうどうと捨ててやったわ!」
と自慢げに報告される。
家にもっと金を落とせ。
誕生日記念日母父の日全てに金をよこせ。
でもお前は嫁だから祝い事はなし。
息子は跡継ぎだから有り。
だって長男君だもん。
風呂はお前が最後と言っておきながらお湯は無い、あっても水。
子供産めないのはお前の体が悪いせい。
石女乙、ワシが体を見てやろうとセクハラ。
元トメが買い忘れた物なのに何故か私が買い忘れていた事になり、怒鳴られ裸足で外に出され雪の降る中1時間かかるコンビニまで徒歩でいかさたりもした。
(途中で近所の人に拾われたけど)
結婚したばかりで結婚に夢見ていた事もあったけど、これはなんか流石に違うと思い、元旦那に相談したがすべて
「悪気はないんだよ」
「昔からここらではこれが当たり前なんだよ」
「そのうち慣れるから」
でスルーされた。
何度の話し合いも元旦那はスルー。
元旦那曰く「環境の変化で気が立ってるんだよ、すぐ収まるよ」と。
実家に相談するも、同居が当たり前の地域だったので「我慢しなさい」でスルー。
いずれは私の時代になる、姑と立場が逆になるときがくるから、と。
実際、そういう雰囲気というか風習みたいなものがあったはあった。
でも、その2年後元ウトメに「子供できない石女乙」と離婚を迫られた。
元旦那は「親と上手くいかないなら仕方が無い、別れろ」と言った。
話し合おうとしても
「無理」
「これから暮らすのに、親と会わないなんて無理」
と全く、私の話も聞こうともしてくれなかった。
とにかく基準が全て元ウトメだった。
で、座った私の周りを取り囲んでいかに私が不出来だったか、無能だったか、いらない嫁だったかを怒鳴りながら、早く判子を押せ、さっさと出て行けと急かす元ウトメと元旦那。
もうどうとでもなれと思い、判子を押した。
元トメが適当に衣服を詰めたカバンを投げつけられ、そのまま玄関の外に投げ出され、直も「無能」「石女」「乳だけ女」「バカ女」と道端で言われましたわ。
それから私は、県外に出た姉の所に行きました。
(実家は、我慢しなさいしか言わなかったので、帰りたくなかった。)
その後、仕事を見つけて一人暮らしを始めました。
(数年後今の旦那と結婚して子供もできて、今は幸せに暮らしています。)
そして先日。
久しぶりに同窓会があり親しい知人が幹事をするというので、旦那に子供を預けて久しぶりに友人達に会い、お酒を飲んだり話したりしていると、自分を呼ぶ声が・・・
そこに元旦那が何故かいる。
違うクラスの同窓会に何故いるのかと一瞬パニックになったのだが、どうも幹事の一人(男性)が、お節介を焼いた様子。
しかも、元旦那の都合のいい作り話を真に受けて。
その時の、元旦那の言い草がまた腹が立った。
「あの時は、俺も未熟だったから親に逆らえなかった、お前も辛かったろう?」
「親も反省してる、俺もお前がいなくなって寂しかった。お前も寂しかったろう?」
「また昔みたいに、ススキの見えるあの丘をドライブしたいね、お前も見たいだろう?」
「今度、俺んちに来て見ない?あの辺随分変わったんだよ、見たいだろ?」
「俺、まだ一人なんだよね、あれからずっと。お前も一人なんだろう?」
聞いていた、親しい友人達が一斉に鼻で笑った。
それを見た男性幹事が「あれ?」と眉を潜め、元旦那は目を見開いてた。
酒に酔った友人達が、全部暴露した。
元旦那と元ウトメの行動は狭い地域の事だったので知れ渡っていた。
と言うか、堂々と私を道端で罵倒したり、私を雪の中を裸足で歩いている所を見かけたりしていたので、近所ではもっぱらの「嫁イビリ一族」と話題になっていた。
挙句、元旦那の近所に住んでる元旦那の友人から
「見合いをするも二人逃げられてる。ここは鬼の住む場所と叫びながら逃げた子もいた。」
と更なる暴露をされていた、なんというか正直呆れた。
更に、元旦那に向かって友人が言うには、
「嫁イビリの姑とエロザル爺と、ママ大好きなマザコン息子と言われている。元旦那一家の所には女という女は近づけるなっていう戒厳令まででてる。」
なんというか、言葉も出なかった。
旦那も口をあけたまま言葉が出ないようだった。
離婚して5年も経つのに、何も変わっていないみたいだった。
男性幹事は、大学を出てから県外に勤めていたので、その事を知らずに元旦那の都合のいい話を聞き、悔い改めているやり直したいという言葉にそんなにいうならば機会があっても、と思ってしまったらしい。
後で、本当に申し訳なかったと申し訳ないくらいに謝ってました。
元旦那は、あちらこちらから聞こえてくるヒソヒソ話に肩を落としながら帰ってた。
間際に、「今は幸せ?」とか言っていたので、
「旦那も子供もいて、今はとても幸せです。」
と言っておいたら、
「出来るの?子供・・・」
といいながらまた目を見開いてた。
そして男性幹事に追い出された。
折角の同窓会なのに、こんな雰囲気にして申し訳ないと謝ったが、大変だったものねと同情すらしてもらって、少し泣いてしまった。
で、この週末実家に元旦那から電話があったらしい。
実家に住んでいる兄が対応したそうなのだが、どうやら私に子供がいる事をそれとなく確認する電話だったそうだ。
で、遠まわしに別れる予定はないのかと聞いてきたらしい。
詳しくは教えてくれなかったけれども。
兄が電話の内容と近所の話をまとめてみると、元ウトが倒れ要介護、元トメが過干渉で大変だから介護人と家政婦と防波堤がほしいんじゃね?と言う事だそうだ。
私が恋人として、元旦那と付き合っていた時の元ウトメとは全く違う人みたいだそうだ。
勿論、兄は元義実家からの電話には断固拒否する姿勢で対応してくれたそうですが、なんとも成長しない、変わらない、おバカな人だなと改めて思った次第です。
取り合えず、念のため元義実家の電話番号は着拒設定しておきましたが、何も起こらないのが一番ですよね。
知らない男3人に囲まれた
二十年前くらいの修羅場。
俺が当時小学四年生だったころ。
その時は日本海側の港町みたいなところに住んでいた。
父親は大工をしていて朝早く出てって夕方くらいに帰ってくるのが日常。
8月半ばで、その日はたまたま俺と小学一年と年中の弟2人の3人で歩いていた。
夕方から夜に変わるくらいの時間で、少し遊びすぎて門限を過ぎてしまっていた俺達は急いで帰ってた。
そしたら、港の近くで知らない男三人に囲まれた。
日本語を喋ってなくて、暫く俺達を囲んだまま何か話していた。
怖かったけど、俺は兄貴だし弟たちは怯えてるしで弟達を庇うように様子を見ていた。
そしたら話し合いが終わった男達が俺達に襲いかかってきた。
麻袋みたいなのを年中の弟に被せてきて、俺が「やめろ!」って言って麻袋を持ってる男を蹴ったら、もう1人に取り押さえられて肩に無理やり担がれて、男たちは走り出した。
小1の弟ももう1人の男に担がれてた。
そこからはパニック。
麻袋の中の弟は中で暴れて、くぐもった叫び声が聞こえるし、俺も小一の弟も「助けてー!」とか「誰かー!」とか叫んだんだけど、港の近くって夕方に人はいないもんだから、誰も助けてくんない。
このまま殺されるんだ……って絶望みたいな諦めが俺の中で生まれた頃に
「何しとるんだてめえええらああああ」
って怒鳴り声が聞こえて、見たら父親だった。
大工の仲間を5人くらいつれて、みんな角材とかを持ってこっちに突撃。
男たちは必死に走ってたけど、あえなく追いつかれ大工の人たちに角材で殴られてた。
安心と恐怖とで俺と弟達は超大泣き。
父親の大工仲間が「もう大丈夫だかんな」っていって抱きしめてくれた。
父親は「人の子供に何してくれてんだ!あぁ!?」って怒鳴りながら男達を蹴ってた。
父親と大工達がたまたま近くで工事してて、その中の1人が泣き声が聞こえるって言ったので様子を見にきてくれたらしい。
男達がそのあとどうなったかは分からない。
暫くその地域は夜間の外出は控えるようにって忠告と、子供だけで下校とかはさせないように、って教師達と一緒に集団下校した。
当時はただの誘拐だと思ってたけど、あれは拉致される寸前だったのかなと今になって思う。
その後大工仲間の人に送って貰って、事情を聞いた母親に泣きながら抱きしめられて、四人でワンワン泣いてた。
その後も弟2人はおねしょを再発。
俺は専用の部屋を与えられてたんだけど、窓から攫われるんじゃないかと怖くて家族5人で一年くらい一緒に寝てた。
壁には父親が護身用に木刀立てかけてた。
風呂も子供だけじゃ怖くて必ず母親か父親と一緒に入ってた。
恥ずかしい話だが俺は中学生までそうだったw
ロレックスを盗んだママ友
解決済みだけど厄払いで投下
月一回の間隔で、近所の同じくらいの年齢のママ友たちでお話会のようなものをしています。
場所は自宅を持ちまわりで提供するか、都合が悪かったらどこかお店で開催します。
今回は私の家の番だったので、5人ほど呼んでお話会をしました。
会自体は何事もなく終わったのでよかったのですが、夫が帰った後に書斎にある夫の腕時計コレクションから一つなくなっているのが見つかりました。
正直、安物のロレックスでしたし、数百万~数千万する腕時計が盗まれなかったので無視してもいいと夫がいったのですが、私としてはママ友の中で盗みを働く人がいると気分が悪くなったので、とりあえずテンプレメールを一斉送信することに。
全員から返信を貰いましたが、全員が私を心配する内容で誰が泥かどうかわかりませんでした。
泥されて最初の週末、Aママからメールがありました。
おおざっぱな内容は
「お宅の旦那さん、偽者の腕時計を持っているけれどそれってまずいんじゃないの?」
「せっかく立派な仕事をしているのにそんなことをしてはいけない。特に自営業は外聞が命だし」
「だからもしトラブルになりたくなかったなら、こちらとしては協力してもいい」
「しかし犯罪は犯罪なので本当は見逃せない、出来るだけ誠意を見せてほしい」
といった感じでした。
早速夫に見せたところ、これはなあなあで済ませられる問題ではないということになり、A宅へ電話して、A夫とAママが私宅で集まり話し合いをすることに
早速この問題について話を始めたのですが、A夫はどうやらAママから嘘を吹き込まれたらしく、Aママが「たまたま」書斎に入ってしまい、そこで偽者の腕時計がずらりと並んでいて、私の夫が偽時計のブローカーをしているという話になっていました。
そこで私たちは事の経緯を一から説明し、ロレックスが盗まれたことを話ました。
話を聞くとA夫がAママに「どういうことだ?」と聞くと、Aママはいきなりファビョりだしました。
曰く
「盗んだ腕時計を質で換金しようとしたところ、一万にもならなかった。ロレックスなのにそれはオカシイから偽者に違いない」と自爆してしまい
AママはA夫に殴られ、土下座されていました。
こちらとしても流石にやりすぎだと思いやめさせましたが、泣き喚くAママを自宅に戻し、A夫と私たちの三人で話し合って今後のことを話し合いました。
その結果
「Aママを今後二度とお話会に呼ばないし、私たちに関係を持たせない」
「後日改めて二人で家へ訪ね、謝罪する。」
「盗んだ時計は弁償する」
ということで解決しました
ちなみにロレックスは日本では高級時計というイメージですが。
スイスではごく普通の時計メーカー(日本で言うセイコーやカシオ)で、日本に輸出されているのは勘違い成金向けの最高ラインものだけのため、高級メーカーと勘違いされているみたいです。
夫が買ったのはスイス旅行に行ったときにお土産用に買った2万円のものでした。
なので質では安く査定されたのだと思います。
コンビニバイト
2004年、俺はとあるコンビニでバイトをしていた。
近くの高校のDQN数人がたまり場に使っており、駐車場は散らかすわ、原付はふかすわ、長時間座り読みするわもう辟易としてた。
店長が良く怒鳴りつけてたが、次の日になるとまた現れる。
その日の夕方、客は白い杖をついたおばさんと、付き添っている小学2年くらいの女の子、DQN2人。
不意に大きな揺れが起こり、地震だ!と店長が叫び、俺はとっさにレジ裏の菓子折が倒れてくるのを防ぐことしかできなかった。
ふと見ると、DQN2人がおばさんと女の子へ駆け寄り、ガラス戸から離れるよう肩を抱いて誘導していた。
揺れはすぐに収まり、幸いけが人は出なかった。
おばさんと女の子はDQNに何度もお礼を言い、帰って行った。
店長「おう、なんだ、お前らいいとこあるじゃねーか、ありがとな..」
というとDQNはなんか恥ずかしそうにモジモジしてた。
そのあと、二人は散乱た商品の片付けを手伝ってくれた。
店長は礼に、とパンとコーヒーをおごってた。
その後もやつらはうちの店をたまり場にしていたが、ゴミを散らかしたり、迷惑な立ち読み等はしなくなった。
それでも、駐車場にたまられては迷惑、とのことで店長は裏の自宅の駐車場を貸してたw
そのうち、引きこもりがちだった店長の一人息子(中学生)と仲良くなったみたいで、一緒にパワプロとかしてた。
店長は悪いことを教えられるんじゃないかと心配そうだったが、徐々に社交性を取り戻していく息子の姿を見てうれしそうだった。
たばこだけは絶対禁じてたけど。
やがて、DQNたちは高校を卒業し、それぞれの道を歩んだようだ。
一人は地元の大学に進学し、一時期うちのコンビニでバイトしていた。
店長の息子は、高校進学を決め、地元でも有名なヤンキーの先輩を持つ男として、一目おかれながら学校へ復帰したようだ。
それがいいことかどうかはわからないが、とにかく彼は自分の意志で部屋を出た。
その後大学に無事現役合格したと聞いた。
店は今も健在 もう年賀状でしかやりとりをしていないが、店長は元気みたい。
俺の大学時代のいい思い出です。
友達の結婚式に招待された
本人から笑い話にしてもいーよと言われてるので書きます。
先日、友達の女の子の結婚式に招待された時の話。
本人から聞いたのか、共通の友人から聞いたのかあやふやだけど、その子は物心つく前にお母さんが亡くなっていて、父親に育てられたみたいな話は耳にした事があった。
式後に聞いた話だけど、何かの映画か小説かであった、余命を知った母親がまだ小さい子供のためにビデオメッセージを残すみたいな事をその子の母親もやってたそうだ。
と言っても何百本もって訳じゃなく、絵本を読み聞かせるビデオや、小学校卒業ぐらいまでの毎年の誕生日メッセージぐらいだったらしい。
その中にひとつ、「娘が結婚したら一緒に見て」と父親が渡されていたビデオがあったそうだ。
思い出して辛いのか、友人の父親はあまりビデオを見たがらず、祝福してくれる皆とならって事で、結婚式でそのビデオが流れる事になった。
2人もそのビデオを見るのは初めてだったそうだ。
そんな説明を少し司会者がしてたものの、旧友との話に花が咲き、お酒も入って軽く聞き流してた所でビデオが流れ始めた。
自分と変わらないぐらいの年の綺麗な女性が映り、「○○ちゃんおめでとー!」ってクラッカーをパーン!と鳴らす。
「○○ちゃんは何歳で結婚したんだろう?きっとママに似た素敵な女性になってるんだろうねー。」
と、アットホームなホームビデオって感じで、ほのぼのVTRが流れる。
時折冗談を交えて、しんみりする雰囲気じゃなく、新婦も招待された人達も笑顔で見てた。
5分くらいメッセージが続き、ビデオの中の女性は言葉を探すようになり、そろそろ終わりかなと思った頃、「後・・・」と少し間が空いて、
「最後に、○○君(新婦の父親)、○○ちゃんを立派にお嫁に出してくれてありがとう。」
娘に宛てたメッセージとはまた違う、凄い優しい笑顔になって、メッセージは続く。
「○○君の事を愛してます。」
「きっと、お腹が出ちゃってる○○君を、もしかすると頭が寂しくなってるかもしれない○○君を、今でも愛してます。」
「いつかおじいちゃんになる○○君も、ずっと愛してます。」
少し俯いた後、照れくさそうな顔をして画面に手を伸ばす女性が映り、ビデオは終わった。
ほのぼの雰囲気だったのが一変、式場は静まり返って、みんなプルプルし始める。
そんな中、堪えきれなくなったんだろう、突然新婦の父がテーブルに突っ伏し、口を手で塞いで嗚咽を漏らしだす。
新婦も涙で顔をくしゃくしゃにして駆け寄り、突っ伏した父親を抱きしめて大号泣。
つられてほとんど全員と言っていいぐらいの女性客が泣き始め、男性客も涙こらえるのに必死。
妙な雰囲気に子供が大声で泣き出し、まるで葬式のクライマックスみたいなカオスな状況にw
そんな状況をまずいと思ったのか、司会者が
「本当に素敵なメッセージでしたー。引き続きお食事をお楽しみくださーい。」
と〆にかかる。
暫くお通夜状態だったものの、徐々に平穏を取り戻し、ようやく元の結婚式らしい雰囲気に戻った所で新婦父の挨拶に。
新婦の父は明るいガテン系って感じで、あまり人前で泣くようなキャラじゃないんだろう、失態を見せてしまったと思ったのか、妙にテンション高いスピーチを始める。
最後は「私も○○(新婦母)を愛してまーす!」と新日の棚橋パフォーマンス(知らない人ごめんなさい)で若干会場を引かせたものの、照れ隠しに無理してテンション高く振る舞ってるのを皆分かってて、何とも言えない良い雰囲気で式は終わった。
ずっと鳴り止まない拍手と、新婦より幸せそうな新婦父が印象的だった。
色々あってちょっと疲れたけど、この結婚式は一生忘れないと思う。
雑誌の付録泥
本屋の店長やってる旦那から聞いた話(少し前の話です)
ご存じの方も多いかと思われるが、雑誌の付録というものは販売時期終了時、出版社に返本する時外して、その後ゴミになる。
その為、パートやバイトたちで、欲しいものは持ち帰って良いことになっていた。
最初のうちは、みんなで仲良く分けたりしてたんだけど、小学生の子がいるパートのSさんが
「娘が好きだから」
と残った付録を根こそぎ持ち帰るようになった。
でもどうせゴミになるものだし、とみんな気にしてなかった。
その頃は、ちょうど女性誌の付録が豪華になってきた時期。
パートさんたちも豪華な付録がもらえるのを楽しみにしてたけど、あまり売れ残らなくなってきていた。
欲しかったら雑誌を買えばいいのに、Sさんは
「○○が売り切れちゃった、あの付録すごく良かったのに」
と文句をブツブツ。
みんなでたしなめても聞かない、タダでもらえるのに買うなんてとpgrする始末
そのうち、Sさんがなぜか売り切れたはずの雑誌を返本に出している姿がよく目撃されるようになった。
(人気ある付録の時は問い合わせも多いのでみんな売り切れたのを知っている)
「店内の別の所にあった」
とか言い訳してたけど、実は売れてしまわないように返本時期まで隠していたらしい。
そんなことが何度もあるので、みんなで店内をよく捜索するようになり、隠してあったら問答無用で棚に戻していた。
Sさんは睨んでいたけどさすがに文句は言えなかったようだった。
本が隠せなくなったSさんは目当ての付録が手に入らなくなり、とうとうまだ返本時期のきていない本を返本処理して付録を持ち帰ってしまった。
一回や二回なら間違いで済むけど、数が多くてすぐにバレた
(出版社から問い合わせがあったので)
「どうせゴミになるものなのに!」
「娘がいじめられたらどうしてくれる!」
等、寝言いってたらしいけど辞めていただいたそうです。
少女雑誌の付録は娘の友達に配って、他はオクに出していたとからしいです。
その後、付録の持ち帰りは全て禁止したそうです。
ゴミ出し大変だけど困った人が沸くよりいい、と旦那がこぼしています。
傘泥棒の話
吐き出してゆっくり寝たいので・・・
傘泥棒の話。
田舎町の本屋での話。
雨上がり直後、虹が出ていた。
注文した本を取りに行った。
受け取りだけなので入り口近くのレジ直行。
レジからは入り口がよく見える。
入れ違いに店を出た泥が実に自然に私の傘をスッと抜いて歩き出した。
旦那に買ってもらったバーバリーのお気に入り。
あわてて追いかけて声をかけた。
私「すみません!傘をお間違えですよ。」
泥「私のですけど・・・」
私「間違いなく私のですから。返してください」
泥「そちらがお間違えじゃないですか?私この傘もう何年も使っているんです。急いでいるので・・・」
しばらく同様のやり取りが続く。
店「私さん、どうかしたの?」
この人幼稚園のママ友
私「この人がわたしの傘を・・・」
店「あら、Aさんじゃないの?傘間違えたの?」
私と泥は面識ないが、店さんと泥Aは上の子が同学年との事。
泥「なんか私の傘を自分のだって言ってるのよ~。急いでるし困っちゃって。」
私「絶対に私のです!傘を開いて貰えませんか?一番奥にハートのシールが貼ってあります。確認してください!」
店「私さんがこうおっしゃってるし、開いてみてもらえます?」
泥「急いでるって言ってるでしょ!この店はお客を泥棒扱いするつもり!冗談じゃないわよ!」
泥棒扱い、とは・・・唖然
ココで私の手が驚くほどの速さで傘を奪い取り、バシッと傘を広げた。
内側てっぺん近くに貼られたハートのシール。
私「これが証拠です。私、傘があなたの手にある時から言ってましたよね。」
泥「何が証拠よ!これはウチの娘が貼ったシールよ!いい加減にしてよ!」
更に唖然・・・・
店「Aさん、ちょっと無理ありすぎよ。分かりました。今から入り口の防犯カメラのビデオを確認しますね。」
泥、完全にキョドる
私「ビデオあるんですか?ありがとうございます。確認してください!」
泥「ちょ、ちょっと、何で大げさな話になるのよ~・・もしかして私間違えたかも知れない」
店私「・・(ものすごく冷めた目)・・」
店「で、あなたの傘はどれなの?」
泥が傘たてを見るも、ビニール傘と折りたたみ傘が数本。
同じ色のものすら一本もない。
私「で、どの傘と間違えたの?」
泥「え、えっと、傘持ってきたのと勘違いしたのかな・・・雨上がったから持ってこなかったかも」
かも、じゃねーだろ!!
私「シールまで貼ってあるって言っておいて今更なに言ってるんですか!完全に居直った泥棒じゃないですか。せめて一言謝って下さい!」
泥「勘違いは誰にでもあるでしょ!大声出さないでよ」
結局謝罪無くダッシュで帰った泥。
数日は怒りが収まらず。
その後
かつてはお茶会だのランチだの積極的に参加していた泥は、誘われることも無く、自分から声をかけてもやんわり断られ一定の距離を置いた付き合いしかされていないらしい。
「あんたのせいで!」的攻撃はない。
園で何度か見かけたが目が合うのも避けている感じ。
少しは恥の概念があるらしい。
店さんはお店での出来事なので、言いふらすような真似はしないと言っていた。
私も思い出すだけで腹が立つし、狭い町なので噂話のネタになるのもイヤなので話はしていない。
田舎なので誰かが見ていたんだろうな。
しかし、泥のその場しのぎの発言に何発目玉が飛んだことか・・・
ああいう人は考えなしの発言で自爆するんだな、と感じた出来事でありました。
吐き出して少しスッキリ。
家を他人が支配していた
今のニュース聞くたびに、人事と思えない、自分の家の修羅場。
うちの家を、まったくの他人が支配してたことがあった。
その人は母の友人という触れ込みだったけど、母の10歳以上上の人。
自分は中学生ぐらいの反抗期真っ最中だったけど、当時は両親よりその人の方が好きな時期があった。
そして両親は、今思うとその人のせいで、本当に刃傷沙汰になりそうな夫婦喧嘩を毎回していた。
その人が家に来た経緯は、
「母の友だちが家が無くなったから住まわせる」
みたいな感じだと思う。
母は、友達が誰もいなくて寂しそうだったから、小学生の自分は賛成だった。
父は賛成したのかどうか分からないけど、その人は離れに住んだ。
そのうち、母が働きだして、両親のためにと、夕飯をつくってくれるようになった。
自分は誰よりも早く帰ってくるから、おやつもつくってくれていて、その人と話すようになって、仲良くなった。
「親よりも親らしい」
とか思ってた時期があった。
そのうち、母が離れに住みはじめた。
当時母は自分が手を離れたから、共働きをしだして、生活の時間が違う、とか何とかの理由だったとおもう。
父は忙しくて家に帰ってきてなかった。
自分が家に住んで、その人が家の家事をして、父は寝に帰るような感じだった。
宿題とかもその人が教えてくれて、母と会わない日も何日もあった。
母に会いたいなと思ったら、その人が
「おかあさんは、今仕事がいそがしいから」
と、離れにいくことを止めた。
そして休日になると、家族全員水いらずって感じで過ごす時間をつくってくれてた(その人が、わざわざ「私は席をはずす」と宣言していた)けど、両親はものすごくよそよそしかった。
子供心ながらに、その人が来たらいいのに、と、毎回思ってた。
うちの両親は仲が悪いんだと思ってた。
そして両親がののしりあいをするようになり、その人が仲裁って感じで家をとりしきるようになった。
家事を支配して、別々で暮らす両親の橋渡しをするようになった。
自分はその頃、とにかくその人になついていた。
両親は自分のことが嫌いで、離婚したいけど、どっちも引き取りたくない、みたいな話を聞かされていて怖かったから。
そしてある日そこにやってきたのが、父方の祖母。
休日に、本当にいきなりやってきて、自分をひっぱたいた。
そしてその人を、ものすごい勢いで追い出して、離れにあった母の荷物を家に勝手に戻した。
「金ならやるから出てけ!」
とお金をその人に投げ付けてたのを、すごく覚えてる。
その時は、祖母が鬼のように見えた。
祖母は何日も家にいて、父も母も自分も、何度もひっぱたかれて怒鳴りつけられて、
「家族やろ!」みたいな感じで言われて、しぶしぶ一緒に住むようになった。
その時は「何て人だ」と思ったけど、1カ月して、両親は仲が良くなった。
そしてだんだん、
「あれ、あの人の言ってたこと、嘘だったのか?」
ということが増えはじめた。
一番は「お前が一番大事」と両親が口々に言ってたこと。
あと、祖母を通して、自分が思い込んでいた母や父の嫌いなところや、自分を嫌っている根拠が、その人の嘘だったと分かった。
母も父もそんな感じだった。
極めつけは、買っていて逃げたと聞かされていた飼い犬が、「保健所でひきとられた犬」として、知り合いの家にいたこと。
一時期は「あれはヤバかったw」ぐらいの話になっていたけど、あの時のその人への依存具合を考えると、親を殺せと言われてたら殺していたかも、と思うぐらい、親を憎んでたのを思い出して、ぞっとした。
ちなみにその人から、いまだに年賀状と暑中見舞いが自分あてに来る。
もう何年も返していないけれど、子供に送るような文面にぞっとしている。
出会いの海岸
私が初めて泥ママと遭遇したケース。
近所の奥さんが、うちから使わなくなり始めてた通販限定のマニアックなベビーカーを泥したママと判明した時、夫がちょっと話してくると、相手方の旦那さんを近所の喫茶店に呼び出して話しに行ってきたかと思ったら、あっさりと賠償と泥ママ宅の他県引越しをもぎ取って来た。
それも、夫はこんな感じの言葉だけしか言わなかったらしい。
「ベビーカーはもう使わないからいりません。賠償もいいですから、消えて下さい」
それだけでなんで向こうが素直に引越していくのか、と夫を追求したら、意外な答えが帰ってきた。
私の実家の近くの海岸は関西でも有数の海水浴場近く。
その海水浴場からちょっと外れた所に男性同士の出会いの海岸がある。
季節と時間にもよるけど、ヌーディストビーチっぽくなる事もあるいわゆるハッテン場。
なんで私は行った事が無い。
近くに海釣り公園もあったりと、釣り場としても結構いいポイントみたいで、釣り人とは同居エリアとなってるけど、ある種の線引きがされてて大丈夫とうちの父と夫は近所ってのもあってそこへ釣りにいく。
そこで、夫がその泥ママの旦那さんと偶然遭遇したらしい。
こちらは釣り人、向こうは明らかに…。
お互いスルーしてたらしいが、お互いを認識してたらしい。
おそらく、あれって泥ママには内緒だったんじゃない、との事。
あっちの人でも子どもって出来るんだなとか関心してたけど、それってほとんど脅迫だよ夫。
結局、泥ママは逆ギレしてたけど、旦那さんに引きずられるように連れられて引越して行った。
その後の話は聞いていない。
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