『親戚だと思ったら他人だった』など 短編10話【72】修羅場 – 本当にやった復讐の体験談

『親戚だと思ったら他人だった』など 短編10話【72】修羅場 - 本当にやった復讐の体験談

 

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短編 – 本当にやった復讐 修羅場編【72】

 

親戚だと思ったら他人だった

今まで生きて来た中で、俺的に衝撃的だったこと投下させてもらいまつ。

ややこしくて長いんだけど、すいません。

うちは、とうちゃんが幼稚園の頃に病気で他界。

とうちゃんは他の兄弟も亡くなってて、結果的に1人っ子で、とうちゃんの親(俺からは祖父母)もすでに亡く、
祖父母がとうちゃんに残した田舎の広い家をもて余したかあちゃんは、働きにでなければいけないこともあって、家と田圃を処分し俺を連れて、同じ地域だけど交通の便がいいとこに引っ越した。

田舎だから、他所の家の離れみたいなちっこい家でかぁちゃんと二人で住んでた。

最初はすごく寂しい暮らしだったけど、近所に何かと気にかけてくれる家があって、野菜とか米をただ同然で分けてくれたり、鍵っ子の俺を不憫がって可愛がってくれて、次第に自分の家みたいに自然に出入りできる位になって行った。

かぁちゃんもすぐに打ち解けて、困ったことがあれば相談してたし、
そこの家の親戚が来てる時も、俺のことを遠縁に当たる何とかの何とかって話をその家のおじさんおばさんでしてたから、子供心にやっぱり親戚なんだ、だからこんなに良くしてくれるんだなぁー、と納得し、又親戚であることが嬉しくて益々なついてた。

そこの家のお兄ちゃんお姉ちゃんも、歳が離れた俺をめっちゃ可愛がってくれて兄弟同然の扱いで、御飯もしょっちゅうご馳走になってて、おじちゃんの

「喰え喰え、喰わねば大きいなれんぞ!」

の掛け声のもと、常時三杯は遠慮なくかっくらってますた。

そんな暮らしをごく当たり前に過ごすうちに、俺も高校生になり部活だ、友達だと外で過ごす時間が増えていき、遊びにいくのも2~3ヶ月にいっぺん位になっていた。

でも、かあちゃんは相変わらず親しくしてたし、俺的にはいつでも行ける親戚の家である訳で、行かないことも気に止めてなかったし、むこうもそうだったと思う。

そんなある日、就職して都会に出てた兄ちゃんと姉ちゃんが帰って来てるから、庭でバーベキューするからあんたもきんさい、とおばさんから電話がありその頃仲が良かった坂本君(仮名)と行って、たらふく肉をご馳になって帰って来た。

家に帰ってから、

盆や正月でもないのに、なんで兄ちゃんや姉ちゃん帰って来てたん?

と不思議に思い、かあちゃ聞いたところ、

「ああ、砂糖さん(仮名)ちの本家の法要らしいよ、五十会期の人がおるからお位牌まとめるんよ」

俺「ふーん、うちは行かんでええの?」

かぁちゃん「いくら親しいしてもらってても、他人の本家の法要には行けんわね、お供えとご香料は送ったけどね」

俺「へ?他人?…まじ?(;゜Д゜)ええぇぇー?」

かぁちゃんも「(;゜Д゜)え?……あんた、私ら他人じゃよ。名字おんなじだけど…」

俺は、親戚だと信じてたからこそ甘えきってたし、御飯も丼飯三杯も食った。

小学生の時にいじめにあって不登校の時も家に入り浸り、昼寝をしおじさんの鶴の一声で転校し、安心し今に至ってるのに、他人てどゆこと?…

俺は恥ずかしさのあまりにパニックになり、かあちゃんを罵り、かあちゃんの図々しさを責め立て号泣させた。

その後数ヵ月、家の中は暗かった。

おじさんの家も前を通るのさえ恥ずかしく、遠回りして避けていた。

その間も、全然顔を見せない俺やかあちゃんを心配し、おばさんからしょっちゅう

「顔見せんね? 米ももうなかろう?」

と電話が入ってたりしてて、電話はかあちゃんが出て、お礼言ったり、忙しいけんすんません…と言ったりして砂糖家には顔を出さず過ごしていた。

ある日、ちっとも顔を見せないのを心配したおじさんおばさんが家に凸してきた。

「米持ってきたどー、どないしたんや?」

と言われ、家に上がって貰い事情を話すかあちゃん。

俺もかあちゃんも涙目。

かあちゃん

「息子に言われて気が付いた。今まで好意に甘えっぱなしで…(T-T)赤の他人にほんまにようしてもろうて、図々し過ぎました……本当にすみません」

かあちゃんと俺、号泣。

おじさん

「はぁ?何? あんたんとことうちは、遠縁じゃゆういても親戚じゃろが!」

俺&かあちゃん
「ええぇー?(;゜Д゜)」

おじさん

「バッカじゃなかろか!(ほんとにこう言った) だいたいなぁ、ここら一帯の砂糖姓はみんなどっかで血が繋がっとるんだわ!」

これは、俺とかあちゃんのために言ってくれてるんだと、俺とかあちゃんは思った。

おじさん、ありがとう……(´Д`)

そしたら、それを察知したおばさんが

「いやぁ、ほんまに親戚なんよ。なぁ?」

とおじさんを見ながら

「うちの何代か前のご先祖さん(明治らしい)の次男だか三男さんが、新開拓地(実感もちの資本で開拓)に分家して、そこから又分家でナンタラかんたら」

「でそっから又養子がナンタラかんたらで、分家の分家とはいえ云々ー」

「お寺さんの話じゃから間違いないし、山添町(仮名)の川沿の砂糖さんは、まぁ、そういう訳で親戚じゃわね」

俺 (やっぱ親戚だったんだ!) 嬉しかった……。

したら、かぁちゃんがプルプル震えてて、口ごもりながら

「あの……うちの亡くなった主人の実家は山添町の……川沿い砂糖さんでなくて川向こうの砂糖です……」

おじさんとおばさん

「(;゜Д゜)ええぇぇぇー?」

家の中、し…ーーん。

おじさんがおもむろにキレキレモードに突入し

「まぁ、そんなややこしいとはどうでもええけん!今まで顔見せとったもんが来ずば心配するやろ!今まで通りでええんじゃが!他人でも親戚でもどっちでもええ!」

と怒声をあげた。

おばさんもオロオロしながら

「他人じゃろうと親戚じゃろうと、俺君やかあちゃんさんのことみんな大事に思ってるんよ。」

と言ってくれて、俺とかあちゃん号泣。

おじさんもおばさんも釣られて号泣。

ひとしきり泣いて、鼻水ずびずびになって恥ずかしくなった俺は、近くにあったネピアで鼻をかみ、それを合図に皆泣き止んだ。

なんかすごいスッキリして、それからは以前の付き合いに自然に戻れますた。

俺は、大学生になりますた。他県に出て1人で暮らしています。

おじさんおばさんは米や野菜を、1人でどうせいゆうねん量を送ってくれます。

余った分は仲間に分けてます。

かぁちゃんも元気です。

とうちゃんは死んでしまっていないけど、いろんな誤解があったみたいでも俺とかあちゃんに親切にしてくれる人に巡りあわせてくれたんだと思ってます。

とうちゃん、かあちゃんは勿論だけども、おじさんおばさんに恥ずかしくない人間になるのが恩返しだと思います。

これが今まで生きて来た中での衝撃的な話でした。

長くてすいませんでした。読んでくれた人ありがとうございました。

 

披露宴中に服かして

以前、披露宴に出ている最中に呼び出されたことがある。

ホールに行ってみると挨拶程度しかしない知り合いが。

いきなり

「あ~、良かった!○○(私)さん、そのスーツ貸してよ。」

「?????????」

となるもなんとか聞き取ろうと努力。

セコケチは今日(披露宴の当日)パーティーらしい。

着ていくものがない、そうだ以前見た○○のスーツ借りちゃえ

家に凸、母に私は披露宴に出席していると聞く

母に会場を聞いて私に凸←その時ここ

「ななな、何言ってるの!まだ宴の途中だしその後二次会も・・・」

セコ

「宴は何時まで?それまで待ってるよ、○○は二次会には平服で出ればいいんだからさ。」

って、それってなんじゃ~いぃ!

もちろん、即刻お帰りいただきました。

会場の係り員も巻き込んでごねまくっていましたけど。

最後の捨て台詞。

「今日のパーティーでいい男捕まえられなかったらあんたのせいだ!ゴラアァァ!」

えっ?出会いパーティー?

って、おい、おまえさんよ、既婚子持ちって事、自覚してるの?

暫くの間、肝心なところだけ省いて

「○○は私に嫉妬している。だからスーツを貸してもらえなかった」

と陰口を流されました。

もう最近はFO気味で過ごしてます。

母には謝られました。

目出度い日に嫌な思いさせてごめん、と。

一回だけ私がいない間に母に凸撃があったそうです。

玄関に乗り込んできて、

「あんたの娘は人となりがなってない」

とか

「娘にどんな躾をしてるんだ」

とか言われたそうです。

スルー力は結構ポイント高い人なのでダメージは余りないようですが。

時代錯誤の同級生

一昔以上前の話だけど、自分的に衝撃過ぎた体験。

当時20歳だった私のもとに、小学生時代に仲が良かった友人(以下A)から

『子供が産まれました。良かったら遊びにきてね』

ハガキが届いた。。

高2の時に送った年賀状を最後に、何年も音沙汰無かったのに突然だったのでビックリしたけど、まあおめでたいし、今Aが住んでるところがそれほど遠くないとわかり会いに行くことに。

(ちなみに私は小学卒業とともに、同じ県内だけど片道70キロほど離れた場所に引っ越したので、その間に2回(2回目は高1の時)くらいしか会えなかった)

久しぶりに会ったAは昔の面影がありつつ母親って感じで、ダンナさんも優しそうで幸せそうだった。

それから一年後、再びAから連絡(電話)があったんだけど、

「不倫の手伝いしてー。」

「…は?何て?」

「不倫の手伝い。ダンナムカツク。ダンナよりイイ男見つけたんだ。だからカモフラージュで付き合って」

わけがわからずまた目を覚まさずために、その当日(夜)呼ばれた場所に行くと、明らかに今でいうDQN2人組の男が…

Aも金髪になってる。

コソッと

「子供は?」

と聞くと

「あぁーダンナが寝かしつけてるわ。」

とあっけらかん。

この時点で帰れば良かったんだけど、あれよあれよと車に押し込まれ、地獄のドライブ開始。

なんやかんやあり、海岸で知らぬ間に消えたAと男に焦り、もう一人の男に襲われそうになったけど全力で拒否。

向こうがヒく程度の頭足りないふりして難を逃れた。

Aたちが戻って来たところで悪夢の時間は終わり。

その日からAからの連絡は拒否し、絶対会わないようにした

(向こうは私の家を知らない。住所は知ってるけど探してまで会うほどの用事はなかったと思う)。

それからまた一年後のある日、偶然、私が働いている店にAが買い物に来た。

しかも母親(疲れてた)と。

「あ、○○!母さん○○よ」

と説明してたので、

「あ…お久しぶりです」

と挨拶したんだけど

「ああ…○○さん?こんにちは…」

とだけ言い、娘を見られたのが恥ずかしい感じで顔を伏せられた。

「離婚したんだー。子供は私が引き取ったんだ」

と、またいつぞやのようにあっけらかんと言ってたんだけど、当時2002年、巷ではアムロや浜崎などが全盛期だった時代に、

Aは、赤に白の水玉のミニスカートにフリフリのシャツ、頭には丸い飾りが2個付いた少女用の色付きゴムで髪を柔ちゃん結びして、
耳にはデカイ星のイヤリングという、80年代まで時が遡ったような服装をしてた。本当に衝撃的だった。

勿論それからも連絡は取っていない。

ミクシーの同級生検索で、久しぶりに名前見て思い出したので記念?カキコ。

 

母親が不倫していた

母親が不倫していた。

当方女子大生、母と社会人の兄との三人暮らし。

父と母は何年も前に離婚していたので父を裏切った、とかいう気持ちはなかったけれど、相手の男が妻子持ちだった。

再婚云々は別にしても彼氏ができることに反対はしていなかったので、少し前から

(やたら携帯をいじることが多いなー、彼氏でもできたかなー)

何て暢気に思っていたが、相手が妻子持ちなら話は全く別。

しかも母と不倫相手は同業者で、不倫、しかも同業者同士でなんてバレたら大変な職種。

発覚したきっかけは、まず最初にスマホのロック中の画面に

「○○のことで頭がいっぱい」

というメールが表示されているのを偶然目にし、

(あぁ、彼氏がいるんだな)

と確信。

相手も何となく想像がつき、その時点で相手に妻子がいる可能性は高いと踏んだが、まさか一線は越えていないだろうと信じ、母も仕事が忙しいし仕事の愚痴を聞いてくれる存在はほしいだろうと放置。

次に自分のPCではプリンタが使えないため、以前から印刷するためなら使ってもいいと言われていた母のPCから学校の課題を印刷をしようとすると、ラ○ホのクーポンが出てきた。

めちゃくちゃショックだった。

これで相手に妻子がいるのが本当なら完全にアウトだと、罪悪感はあったが母が寝ているうちにメールを見てしまった。

そしたら真っ黒。

毎日愛を囁き合っていたこと、クーポンはその相手とのデートで使うものだったこと、今まで何度か肉体関係があったこと、相手の奥さんが帰省しているうちに泊まりでの旅行を計画していること。

兄に相談して、次の日の夜に母を問い詰めたがはぐらかして頑なに認めようとしない母に失望した。

知ってるんだよ、朝兄に今晩話があるからと言われたあと

「上の子が感づいたみたい。シラを切り通すしかないけれど」

と不倫相手にメールしてたことは。

現在、母は恐らく観念して、相手と完全に切れたかはわからないけれどとりあえず連休の前半、約束していた泊まりには行かなかった模様。

昨日の深夜に恐らく不倫相手から何度も電話があり(母と私は寝室が同じ)母は電話は取らなかったけれどめちゃくちゃイライラした。

兄は

「母の居場所がなくなるから」

とギクシャクしながらも以前のように母と接しているけれど、私は兄のように大人になれずかれこれ数日間母を無視している。

尊敬していた母だし、育ててもらった恩もあるし、実際今現在母がいないと私も生活できない。

でも母が不倫していた事実、母の職業、兄や私が泣いて問い詰めた際にも保身しか考えずに言い逃れようとしたことが許せない。

母が汚いものに思えて仕方がない。

私たち子どもと父の関係は良好だけど、かなり相談しにくい。

でももし家を出るんだったら父にも相談しないとなー、と兄と話してる。

兄以外に誰にも打ち明けられず最近すごくイライラして情緒不安定になってる。

心配してくれる彼氏にも何も言えないのが辛い。

ちなみに彼の家庭も父親の不倫で離婚していて、彼は父親やそのパートナーのことを認めているようなので余計相談しにくい・・・。

これからどうなるんだろうか。他人事みたいです。

 

飲んで暴れた私

大学時代の頃中学時代の旧友と久しぶりにみなであつまった。

友達のうち一人の紹介でこじんまりとした個人の小料理屋の2Fの座敷を予約した。

途中から友人の男友達も混ざりプチ合コンへ。

みな気があい、お酒も入り私はがんがんによっぱらった。

そこで記憶はとぎれているのですが、私はなんと、ものすごくよっぱらい、その小料理屋の1Fのカウンター客にからみ、大喧嘩したもよう(全く覚えていない)

「何ブサイクな女つれてんの?ばっかじゃない?」

みたいな事を見も知らない客にいいまくった。(うわあああああ)

その客も怒り、もちろん、小料理屋の店長(友達の知り合いで安く飲ませて貰ってる)も困って私を抑制しようとしたがとまらず(覚えてません)私はその客に外へなげだされ頬をなぐられたようなのですが、それでも悪態は止まらず。

「こんなまずい店で何女くどいてんねん!」とか言い出したそうな・・・・・(うわああああああ)

で、収集がつかなくなり、店を出たら外に歩いている普通の人のバッグをひったくり中をあけて

「何もってんのー?お金ないんー_?」

とかいいだしたそうです(うわあああああああ)

もう、恥ずかしいっていうか、次の日全く覚えて無くて友達に利いてびっくり。

折り菓子持ってみんなに平謝り。

その居酒屋にも1万相当の品を持って謝りにいきましたが冷たい視線はかわらず。

恥ずかしい思いというか激しい自己嫌悪でしかも全く何も覚えてないというのが辛い。

でも覚えて無くても友達に聞いたら何となくそういう記憶があるんです。

最後はアスファルトで大股開きでねっころがってる私を、その友達の男の人が車でおくってくれたらしいです。

そこでも失礼な暴言をたくさん履いたみたいですが。。

あーーーほんとごめんなさい!!!

私はあれからお酒を一滴も飲んでいません。

あのとき迷惑を書けたひとたちほんとうにごめんなさい!!!

 

ロンドンと同級生

イギリスのロンドンから電車とバスで3時間半の所に住んでいた時の事。

「お久しぶり~。A子ですー!

来週から一週間ロンドンに行くので案内してほしいな!!

飛行機のチケットは取れたけどホテルが見つからないんで探してもらえる?

お金ないんで一泊7000円くらいで奇麗な所がいいな。

××とか××とかのお店に行きたいのでよろしく」

と、3年会ってなかった高校の時のクラスメイトからメールが来た。

学校休んでロンドンまで来いと?

格安で奇麗なホテルなんて存在しないものを探せと?

××(高級ブランド)で買物は出来るのに金がないっておかしいだろ?

とりあえず無視していたら国際電話が来たんだけど、無理だと断わったらものすごい責められた。

怒鳴られて泣かれた。

一人では行けないのに、どうしてくれるんだ!って号泣。

挙げ句、高校の時の担任からも連絡が来て

「人と人は助け合ってこそ・・・」

みたいな事を語られた。

それでも断わったけど、後日どういう訳か私が悪者になっていた。

別の友人が同窓会で激怒してくれて、誤解は解けたけど

(私が誘ったのにドタキャンしたみたいな話になってたらしい)

A子は今でも私を怨んでいるそうです。

–後日投稿–

元担任にはざっとこちらからもA子が非常識では?と説明したのですが、

「例えA子が悪くっても、人と人の繋がりっいうのは・・・」

「そうやって頼ってもらえるってことは・・・」

みたいな道徳めいた話をされてしまいました。

担任と言っても対して世話になってない

(むしろ在学中は提出した書類を無くされたりして迷惑だった)

30代後半の独身男の発言ですから、そのままスルーしたけど。

父が行方不明になった

最近っちゃ最近なんだけど、私の中で人生最大の修羅場。

前置きが長くなるけど、父と母は私が小学生に上がるくらいに離婚。

離婚の原因などは小さかったからか詳しくは知らされず、私も妹も母に引き取られた。

引き取られたと言っても住んでいるところは割りと近く、週に一度は遊びにつれて行ってもらったりと寂しくはなかった。

ただ高校生に上がる頃からは特有の父親拒否?みたいなのを発症し、軽く疎遠に。

妹は相変わらず父と仲が良くて二人でご飯に行ったりしていた。

で、ここからが修羅場。

父が行方不明になった。

元々大の釣り好きだった父。

この日もいつものように車に乗って一人で釣りに出かけたまま帰ってこない。

身内だけで一度捜しに出たけど、車と釣り道具はあるのに本人がいない。

その時点で丸一日経っていたので通報。

次の日から行政介入で捜索したが手がかりすら見つからない。

私も妹ももちろん捜索に参加。

海に落ちた可能性が高いってことで海に潜ったりもしたけど、なーんも出てこない。

ただただ呆然と現場周辺を妹と歩き回ったのが第一の修羅場。

行方不明から二ヶ月ほど経って、父の部屋を掃除してくれないかと祖母に頼まれた。

必要なもの(通帳や印鑑や車のスペアキー)はもう見つけていたので、あとはもう捨てるものだけだと思っていたから承諾。

妹と二人で、出てくる写真を見ながらわいわい片付けてた。

結構厚い茶封筒を見つけてなんだろう?と妹と二人で見てみた。

そこには父と母が離婚時に取り交わした念書や誓約書などが入っていた。

見てはいけない!

と咄嗟に思ったが、

私たちの両親のことだし知りたい!

と言う気持ちの方が勝ってしまった。

念書や誓約書は会う頻度や子どもの気持ちを尊重、など大した内容ではなかった。

が、もう一枚の書類に書かれていた内容が

『(母の名前)と不倫関係にあった(相手の名前)への慰謝料云々』。

えっ??????

不倫?

慰謝料?

誰が誰と??

もう訳がわからなかった。

母に彼氏がいるのは知っていた。

でもそれ原因で離婚していたなんて思ってもみなかった。

しかも相手の名前はよく知っている人と言うダブルパンチ。

私も妹も訳が分からず、二人で脳内修羅場ってたと思う。

父がいなくなってもう半年以上経つけど、未だに実感は湧かない。

事実を知ってしまってからは、母とどう接したらいいのかわからなくて家に帰れなかったり

父ちゃん悔しかったろうな、

一人で寂しかったろうな、

もっと他に接し方あったんじゃないかな、

とかいろいろ一人で抱え込んでた。

妹は父と仲が良かったから余計考え込んでたと思う。

ただ父は、私たちの前ではいつも笑っていた。

こんなことになってやっと父の強さに気付けた。

そんな父がもう一度私たちの前に帰ってきてくれるのを信じてる。

 

おっさんの雄叫び

東京駅で新幹線に送れそうになって全力疾走していた時横で893らしきおっさんも、右手に財布を持って全力疾走していた。

俺の方が走るのが早かったので右後ろから追い抜く形になったが、その時におっさんの財布と俺の腹が当たって、おっさんの財布を吹き飛ばしてしまった。

財布の中のカードが飛び散るのを見て、これは怒られても仕方がない、謝ってカードを拾おう、と減速した。

「お前何やってんだゴラァー」

とか

「ぶっ殺すぞ~」

などと怒鳴ってくるかと覚悟してたのだがおっさんは変なポーズで腕を振り上げ

がウ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ー

ごう゛お゛っ あ゛あ゛ーーーーーーーー

と訳のわからない雄叫びをあげ始めた。

この反応は予想外すぎた。

恥ずべきことではあるが、俺は恐れをなして逃げてしまった。

スンません!ごめんなさいっ!!

とか喚きながら。

その後新幹線に乗り込んで、荒い呼吸を整えていたらそのおっさんも真っ赤な顔をして同じ車両に乗り込んできて、俺のすぐ近くの空席に座った。

必死でコートを隠して服の印象を変え、メガネをはずして寝たふりをしたが新大阪までホント生きた心地がしなかった。

この場を借りてお詫びします。

おっさん、ごめんなさい。

でも、あの雄叫び本当に怖かったの。

ドラクエの敵が使う「おたけび」って本当に効果があるんだと初めて知りました。

 

フィリピンパブにはまった時の修羅場

父がフィリピンパブにはまったときの修羅場。

前提として、父は自己愛性人格障害っぽい。

そしてパチンカス。

当時自分は高校3年。

受験を控えた夏だった。

それはある日突然、父が家の中で英語交じりの会話をするようになった。

そして口を押さえて、

「おっと、国際的な俺が思わず英語出てしまったぁマイッタマイッタ」

ウザいことこの上ない。

「いやぁ、昨日はカトリーヌ(仮)と話をしたんだけど、」

とか夕飯時に喋ってくる。

黙れ。

当然、自分以上にイラついていたのが母。

嫌悪感を隠そうともせず、汚物を見る目を投げかける。

急速に悪くなる父と母の関係。

修羅場は、両親と3人でカラオケに行ったときのこと。

3時間で入って、父が1時間ほどでフィリピンパブに行くために抜け出しやがった。

母がそれを追いかけて出て行く。

自分は一人置いてけぼり。

結局2時間ほど一人カラオケ。

父、母の順に帰ってきて会計をすませる。

その後、なぜか父が激昂。

「お前どこ行ってたんだ!!浮気か!!」

意味不明。

浮気は貴様だろ、氏ね。

母は泣く。

自分は

「ふざけんな!!」

と父の胸倉を掴む。

「それでも父親か!!!!」

手を出さなかった自分をほめてあげたい。

「なんだと!」

怒りで顔を紅潮させ、家を飛び出した。

人生であれほど殺意が沸いた瞬間はない。

その後も父と母の関係は改善せず。

自分は冷戦状態。

当然パブ通いは継続。

半年ほどして、自分は大学に通うため一人暮らしをすることになり修羅場から開放された。

今にして思えば、そんなたいした修羅場じゃないのだけど、そのときの自分は精神的にキて成績は下がるし(数学80→15点w)母の実家からは今の高校通うの難しいから、担任に

「転校するかも・・・」

と相談して、

「なに馬鹿なこといってるんだ」

とあきれられるし離婚したら母親についていくつもりだったから、母の旧姓と自分の名前を当てはめて姓名判断とかして一人で盛り上がってた。

 

私の車なんですけど

買い物済ませて車に戻ったら、4才くらいの洟垂れ男児を連れた知らないオバサンがへばりつくように窓に顔をくっつけ、必死でドアをガチャガチャしてた。

一瞬目の前の光景にぽかんとして、

「どうしたんですか?」

と声を掛けた。

オバサンはドアをガチャガチャさせながら、

「いえね、鍵を中に入れたまま鍵閉めちゃったのよ~。くぅー、開かないわねぇ」

こちらを向かないまま取手が取れそうなくらいガチャガチャ言わせているオバサン。

でもオバサンがへばりついてる車はどう見ても自分の車なんだよ。

で、ぽつりと

「…車、間違えてませんか?」

と我ながら間抜けなセリフ。

そこで初めてオバサンが

「え?」

と顔を上げる。

「いや…これ、私の車なんですけど………え?」

と、突如オバサンが目の色変えて私に掴みかかってきた。

「鍵ッ!!!鍵寄越せ!!!!!」

咄嗟のことで反応できない私。

爪が頬に当たって痛かった。

と、そこで警備員(どうやら近くに車停めてた人たちが不穏な空気に気付いて呼んでくれてたらしい)がオバサンを止めてくれて、何とか事なきを得た。

因みに動機は、私の車に乗ってた折り畳み自転車盗りたかったんだって。

曰く、

「車があるなら自転車いらないじゃない!だから貰ってあげようと思っただけ」

うちの近所は自転車の盗難が頻発していて高層マンションの自室まで自転車を持って上がっている人が多いけど、重かったから車に乗せてただけだい(ノд;)

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