短編 – 本当にやった復讐 修羅場編【89】
おじさんは妹の彼氏
社会人5年目、実家暮らし。
家には両親、弟(社会人1年目)がいる。
とある日仕事から帰ると借りている駐車場に見慣れない車。
親の知り合いでも着てるのかな?と思って家の前に停める。
家に入ると35才位のおじさんがいた。
ちょっと前に保険の話をしていたんで ああ、保険の人かな?とおもって会釈だけしておじさんと話している親に車停める場所ないんだけど・・・・っと話すと無視された。
住宅街で家の前でも路上駐車していると速攻取締りが来る地域なのでさっさと駐車場に停めたいので、再度車を停める場所が・・・・・・というと
「煩い!それどころじゃない!」
っとキリナリブチキレられた。
?????? な状態な時に弟が帰ってきた。
とりあえずそのおじさん誰よ?って事から妹の彼氏?だそうだ。
弟と2人で はぁ? っと言ってしまった。
しかも妹妊娠4ヶ月目だそうだ。(妹は家を出て働いていたはず)
突然きてその旨を伝えられたらしい、そりゃ俺の駐車場なんてどうでもいいわな親もきれますがな、んでおじさん結婚したいどうのこうの言ってくる。
その前に、名を名乗れと向こうは俺の名前を知っているらしく ○○君よろしくね とか言ってくる。
だから、名を名乗れと、そもそもそんな時期になって報告とか意味ワカンネ状態。
とりあえず、車どかせよと言うと、近所に停める場所がない云々・・・・・そりゃそうだ。
んで報告が遅れた言い訳をウダウダ・・・・・・ウダウダっプリに家族全員切れてた。
とりあえず駐車場確保のために車をどかした。
ジャッキであげてコロをかまして家の前まで弟と2人で押した。
んでようやく空いた自分のスペースに車を停めて家に入った。
弟が悪乗りして車にブロックかましていた・・・・・・がほっといた。
親と名前もしらないおじさんがまだウダウダやってたので一旦部屋にはいるとボロボロに泣いている妹がいたw
とりあえず話を聞くと、飲み会でしりあって、付き合って妊娠
なんでこんな時期になって報告?と聞いても訳のわからん言い訳(今でも不明)
とりあえず、あのおじさん 名前何よ?でようやく解った。
弟は どーでもいいわー といって部屋に入って酒を飲みだす。
その日はもう遅いので(明日も仕事だし)お引取り願う事にした。
その段階で弟が悪さをした件でさらにひと悶着・・・・・・
おっさんは近くのビジホで泊まる。
俺は物置と化した妹の部屋で雑魚寝。
次の日の仕事言っている間に両親と話がまとまったらしく結婚と言うことになったらしい。
まぁその後は普通に子供も生まれて、式もあげた。
妹旦那となったわけだが、その晩の日のひともんちゃくで弟が妹旦那にいろいろやらかしちゃったので妹旦那だけが家に来ない妹はちょくちょく着てる。
甥っ子はなんだかんだで可愛い。
こんなプチ修羅場でした。
ファミコンは一日一時間
小学生の頃だ。
うちでは「ファミコンは一日一時間」と決められていた。
それ以上になると、母が無理矢理ACアダプタを引っこ抜き、どこかに隠してしまう。
別にキチガイのよーにそればかりやるからということではなく、私の好きなことには必ず制限をつける母だった。
今にして振り返ると、かなりのモラハラ母だったように思う。
FF4をコツコツやっていた。
セーブポイントが少なくて、一時間超えそうになると、なんとか前のポイントまで戻るか泣く泣くそのまま終わるしかない。
次のポイントまでの時間を短縮すべく、翌日はひたすらレベル上げだ。
友達がすっかりクリアして、話題にも上がらなくなった頃、やっとラスダンに到着。
レベル上げしながら数日かけてぶらつく。
と、初めて見るモンスターに出会った。
たまたま来ていたY太君が、興奮した面持ちで「ピンクプリンセスだ!」と叫ぶ。
「こいつがしっぽ落としたら、最強の鎧と交換出来るんだ」
初見だったが、Y太君のアドバイスで何とか撃破、するとお宝欄にしっぽが。
二人で大興奮していると、フスマがガラッと開いて母登場、一気にACアダプタに迫る。
気づかなかったが、もう一時間たっていたのだ。
私はそれまでの人生で一番真剣に母に頼んだ。
「お願いだから、せめてセーブさせてください。明日FFやれなくてもいいから」
しかし無情にも母は、ACアダプタを引っこ抜き、あまつさえ振り返った拍子に本体を蹴飛ばして出て行ってしまった。
いつものように、薄ら笑いを浮かべたまま。
「なんなの?お前のかーちゃん…」
Y太君の呆然とした呟きに答えることも出来ず、私は唇をかみしめていた。
翌日、スーファミの電源を入れると、セーブデータが消えていた。
この半年近く、宿題だの家の手伝いだのやって、ようやく、しぶしぶといった感じで与えられる一時間の至福。
その積み重ねが電子の藻屑になっていた。
私は泣いた。泣いて、何とかやり返したいと思った。
母はパッチワーク・キルトが好きだった。
そういう会に所属し、仲間内で見せ合うためのバッグや壁掛けなどを作っていた。
私や父のために何かを作ってくれたことはなく、最低限の家事を済ませると、後はほとんどミシンに向かう時間だ。
ミシンに向かっているときの母はとても楽しそうでだった。
ふと思った。
母が何時間ぶっ通しでミシンで遊んでいても、誰にも怒られないのは理不尽だ、と。
私は母が出かけた隙に、使っていた大きな裁ち鋏を出すと、ミシンの電源コードを苦労して切り取ると、海まで走って行って沖に向かって思いっきりぶん投げた。
母が帰ってきて、いそいそとミシンの前に行く。端切れを貰ってきたらしい。
動かないミシン。電源を確かめる母。
すぐにバレた。誰がそれをやったのか、も。
珍しく早く帰ってきた父が、馬乗りになって私を殴りつける母を見つけたのだそうだ。
父母はそれが元で離婚し、私は父に引き取られた。
数年後にやって来た新しい母は、良い意味で放任主義の人で、でも実の母以上に「母の優しさ」を与えてくれたように思う。
私の子がWiiやってる姿を見ながら、何となく思い出した小さな復讐だ。
夫の帰りが遅い
かなり端折ってますが。
新婚の頃に帰りが遅い夫を浮気してると疑った。
でも夫を信じたいし、怖くて追求できなかった。
そんなある日、夫から大事な話があると、離婚を言い渡されると思って私は涙目。
でも実際は違った。
私の姉が浮気をしてる、何か知らないかって義兄から相談があった。
いろんな経緯があって、夫が義兄に協力することに。
それで浮気の証拠を掴んだので、姉と義兄は離婚するだろうと。
夫は私の姉を罠にはめるような事をしてすまないと私に謝罪。
状況がかなり悪質で野放しにできなかった、中々言い出せなかったと釈明。
斜め上のさらに斜め上展開で私はポカーン。これが私の修羅場。
その日は頭がパニックだったんだけど、翌日は冷静になっていた。
それで後日、姉夫婦、私夫婦、私両親、義兄弁護士で話し合いをした。
最初は義兄、夫VS姉、私両親の図式だったけど、証拠を出された途端に姉の味方がいなくなった。
姉の三股以上の不貞を聞いた父は涙を流して、母は姉を罵った。
姉は号泣で過呼吸気味。
義兄が泣いて話ができないから、代わりに夫と弁護士が話を進めていた。
事前に夫からある程度聞いていた私は終始傍観者、晩ご飯の献立を考えていたとおもう。
みんなは修羅場だったろうけど、姉に愛想が尽きたこの日の私はそんなに修羅場ではなかった。
劇場でアルバイト
ある劇場でアルバイトを初めて2週間の頃。
その日の仕事は客席案内。
私の働いていた劇場はロビーの飲食は可能だが、ホール内は飲食厳禁。
たまに座席で飲食をしているお客さんもいるが、注意をするとほとんどの人が「すいません」と言って、食べるのをやめるかロビーへ移動してくれる。
ある日、座席で飲食をしているおばさん3人組がいた。
「申し訳ございませんが、飲食は禁止となっておりますのでご遠慮いただけますか」
と声をかけたところ、
「はあ?なんで?知らない知らない」
と言って、食べるのをやめない。
私が「お手数ですが、ご飲食はロビーでお願いします」と言うと、おばさん達は大騒ぎ。
おばさん1「やだ、面倒くさい。もう始まっちゃうじゃない!(まだ開始まで15分ほどある)」
おばさん2「だめならだめって先に言ってよ!(ロビーで散々呼びかけたし、張り紙もしてある)」
そして極めつけにおばさん3が、「アナタ今、遠慮してって言ったね?じゃあ、遠慮しません!」と言った。
バイトを初めて日も浅かったので、何て対応すればいいんだろう…と混乱してしまい、「申し訳ございませんが…」と半泣きになりながら移動をお願いするも、完全無視。
すると、そのおばさん達の後列に座っていたダンディーなおじさまが、
「すいません。あなたたち、ちょっと常識無いですよ。」
とおばさん3人組に向かって一言。
おばさんたちはびっくりした顔をして、「!!!!す、すいません…」と言ってロビーへ退散していった。
おじさまに「ありがとうございます!お客様にご不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません」と言うと、
「いいんだよ。あんな客がいたら大変だね。」
と笑顔で言ってくださった。
休憩中、先輩にその出来事を話すと、
「え…ダンディーなおじさまって…もしかして、こんな方だった?」
と言って、数カ月後に公演予定のチラシを出してきた。
なんと、さっきのおじさまの写真が載っているではないか!!
この方です!!とびっくりしていると、
「この方はTVにはあまり出ないけど、舞台俳優として結構有名な方だよ。素敵な方なんだね…。」
とうっとりする先輩。
先輩はもぎりの時に見かけて、ずっと気になっていたらしい。
おばさんたちがびっくりしていたのも納得。
私は当時全くお芝居に興味がなかったので、全然気づかなかった。
しがないバイトを助けてくださった俳優のお客さんの武勇伝(なんでしょうか)。
今度裏方としてですが、その俳優さんとお仕事をすることになったので記念にカキコ。
チャイムがしつこく鳴った
新婚半年ぐらい経った頃のこと。
その日、旦那は出張中で晩御飯を作らなくても良かったのと、前日なんだったか忘れたけどすごく疲れる行事があったのでパジャマのまま、ベッドの上でゴロゴロして過ごしていた。
するとピンポォォォ~ン♪とチャイムが鳴った。
当時はシンプルなチャイムで、モニターみたいな豪華なもんはついてなかった。
居留守を決め込み音を立てないように無視していたら、またもやピンポォォォ~ン♪と鳴った。・・・でも無視。
数秒経ってからまたピンポォォォ~ン♪と鳴ったので、しつこいなーと思いながら、足音立てないように抜き足差し足で玄関に向かい、ドアスコープから何処のどいつか見てやろうと静かに近づいたら突然ガチャガチャガチャと鍵を回す音が!
いや音だけでなく、鍵がカチャっと回った。
何が起こったのか分からなかった。
頭が真っ白になって固まっていた。
勢いよくドアが外側に開かれ、ドアチェーンが突っ張ってガッチャン!!と大きな音がした。
それで我に返って悲鳴を上げた。
同時に階段を駆け下りていく音が聞こえた。
私は玄関にへたり込んでしまって、しばらく震えてた。
どれぐらいそのままだったのか覚えてない。
結構長いこと震えてたと思う。
気が付いたら泣いてもいた。
腰が抜けるってああいう状態を言うのかな。
とにかく立てなくて、這うようにしてリビングの電話の所に行って、夫の会社にすぐ自宅に電話するように伝言を頼んだ。
後で聞いたところによると、電話に出た事務員さんが私の声の様子でただ事ではないと察したようで、必死で旦那を探してくれたらしい。
当時は携帯があまり普及してなくて、旦那も持ってなかったし、かかってきた旦那の声を聞いたらワンワン泣いてしまった。
だって本当に怖かったから。
旦那はその後、私の実家に連絡して母に誰か寄越してくれるように頼んでくれたらしい。
姉が泊まりにきてくれた。
管理会社にも連絡してくれて、とにかくすぐに鍵を交換してくれるよう手配してくれた。
出張から帰ってきてから、旦那は管理会社に怒鳴り込んだ。
間違いなく鍵を使って開けたわけだから、管理会社がマスターキーみたいなものを持ってて侵入しようとしたのでなければ、鍵交換費を入居時に払わされたのに交換していないことになる。
どっちにしても管理会社の責任は大きい。
うちは法人契約だったので、その後のことは会社と話し合ったみたいだけど、それとは別にお見舞金みたいな名目の金品を持ってきた。
警察にも届けたけど、玄関ドア周辺をアルミ粉だらけにされて掃除が大変だった。
あれって、なかなか取れないのね。
結局捕まってみれば直前の住人が犯人だった。
まさかスペアキーが使えると思わなかったらしい。
もしもあの時、完全に熟睡中でドアチェーンも掛けてなかったらどうなっていたか。
想像しただけでちびりそうだった。
いや、少しちびった。
近所のキチママが酷い
私は直接被害を受けていないけど、近所のキチママが酷いことになってたので投下。
そのキチママ(仮にAとします)は同じマンションに住む元ママ友でした。
このAは事あるごとに他人を見下します。
例えば、あなたたち専業主婦は奴隷のようで可哀想(Aも専業主婦ですが)
私は家事をすべて旦那にやらせてる(旦那さんは主夫ではなくお仕事されています)
私は育児に専念できるので娘ちゃんに愛をいっぱい与えてあげられる、あなたたちにはそれが出来なくて可哀想(余計なお世話だ)
女はお洒落を諦めたら駄目(わざわざ公園に来るのにブランド品を身につけてくる)
あなたたちは女として終わっている。
親が娘に服を買って送ってくるがリサイクルに回してる。
こんな調子で見下してくるのでCOしました
CO後もAをちょくちょく近所で見かけました。
A一家は専業(?)のA、サラリーマン風の旦那さん、1~2歳の娘さんの三人家族なのです。
なのに平日の昼間に一人で外出しているのを度々目撃されていて、ママ友の間ではネグレクトがあるのではと噂になっていました。
そして昨日ついに事件が起きました。
ママ友Bから聞いた話ですが。
昨日の昼間にA部屋からものすごい怒号が聞こえたらしいです。
BとB旦那は何事かとA部屋の様子を見に行ったら、A部屋は物が散乱して酷い有り様になっていたそうです。
AとA旦那が夫婦喧嘩をしていたんです。
喧嘩の原因はA旦那がA娘のために用意したランチプレートを食べていた。
A旦那が娘の食事はどうするんだと聞いたら、昼間は毎日スナック菓子を食べさせていると反論して口論になったようです
そこでB夫婦はA夫婦の仲裁に入り、A娘は一時的に私とママ友Cで預かることになりました。
お腹が空いていたようで私たちは素麺を食べさせてあげたました。
しばらくするとA娘がウンチをしたので、オムツを取り替えようとしたんですが、A娘のお尻が酷いことになっていました。
おそらくは蒸れと擦れによるものだと思いますが、腰のあたりが膿んでしまっていて更に肛門周りが異常に赤くなっていました。
ちょっと不安になった私は再びA部屋に行って、Aに薬は塗らなくて平気なのかと聞きました。
するとAはそんなのオロナインでも付けとけば治る、もう二週間塗ってるからそろそろ治る病院には連れていかなかったようなんです。
A旦那は知らなかったらしくて逆上してAに暴力を振るいました。
(普段見る限りは優しそうな喋り方をする人だったのですが)
私たちはすぐさまA旦那を止めて、A娘を病院に連れて行くように促し、そこで私とCは解散という形になりました。
B夫婦はしばらくの間Aを問いただしていたようです。
A娘はA旦那と病院に行きました。
夜になってA旦那が謝罪にきました。
あの後、病院が休診で無理矢理診察してもらったようですが、大事には至らなかったようでした。
何も理解できずにニコニコしているA娘がなんだかすごい可哀想でした。
結局Aは部屋を追い出されたようです。
4人兄妹が引っ越してきた
昔話。
私が小学生の頃、近所に年が近い子がいないのもあって、放課後に友達と遊ぶということがほぼ皆無だった。(4年生まで学童には行ってましたが)
6年生になると一人遊びが板について、自転車で山や図書館に行って一人ライフを満喫してた。
実家の隣には祖父が大家をやってるアパートが建っていて、ある日そこに小学生4人兄妹が引っ越してきました。
当時長男6年・長女4年・次男3年・次女1年くらいだったと思う。
そこの家はシンママでいつも家にいなかった。
家が近い同級生というのが初めてで、最初はゲームや漫画の貸し借りなど交流してましたが、そのうち貸したものが失くしたといわれて帰ってこず。しかも悪びれる様子もなし。
やっと返ってきたと思ったらデータ消されてたり。
そして私が遊びに行こうとすると、長女次女がいつの間にかぬるっと現れてひっついて離れない。
「一緒に行く」の一点張りだが彼女らは自転車持ってないから行けるわけない。
結局「行く」「だめ」」の押し問答に玄関前で数時間経過するのがずーっと続いた。
一人で遊べなくなってうんざりしてきた頃、いつものように玄関先で粘られて、私は「これなら家の中でゲームでもしてたほうがマシだな」と思うようになっていた。
この頃には長女次女に加えて長男まで一緒になって粘りにきていたので、同級生づきあいも心底面倒になっていました。
それでもTVゲームでもしていればまだ有意義な時間の使い方ができると思い、家に上げてしまいました。
うちは両親が共働きで家に居なかったのですが、ごくたまに仲のいい女子を呼んでリビングで遊ぶことはあったので、リビングでゲームするだけなら大丈夫だと判断してしまったんです。
もちろん「一階でゲームするだけだからね」と先に言いましたが、人の都合も考えずに張り付いてくる兄妹にそんな遠慮あるはずもなく。
玄関で靴を脱いだと思ったら長男はスタタターっと二階へ駆け上がり子供部屋をバァーンと開けて私のベッドに寝っころがりました。
もう私は他人(しかも男)にプライベートスペースに遠慮もなく入られたことがショックでショックで。
一気に毛穴がぶわっと開いたような気持ちで、他の部屋から持ってきた箒で引っ叩きながらどうにか自室から追い出しました。
その間にも長女次女は運動会のごとく家の中を駆け回って各部屋を覗いて回ってましたが、両親の部屋だけはなんとか死守し、箒の柄で思いきり彼女らの背中を突っつきながら兄妹を外に掃き出しました。
怒鳴る気持ちも起きず、「何してんの。出て行け」くらいは言った気がしますが、殆ど無言無表情だったと思います。
箒で他人をぶっ叩くなんてそれまでしたことありませんでしたから、本当にいっぱいいっぱいでした。
それ以降は私の両親からおそらく注意が行って、凸を受ける回数は劇的に減りました。
けれどもう彼らの顔を見るのも本当に嫌になって、その後両親から私立中学を勧められて一も二もなく賛成しました。
近隣の一貫校を推薦受験するのに成績は十分足りてましたしね。
親しい友人と離れることより、気持ち悪い同級生と離れられることのほうがずっと嬉しかったです。
最近になってようやくその家が引っ越して空家になったので記念カキコ。
養女の娘
うちの現旦那と私の実兄は親友で、旦那の実妹と私は幼馴染み。
旦那の妹(以下義妹)は私の実兄と結婚したんだけど、義妹妊娠中に私実兄が事故で他界。
私や旦那(当時まだ婚約すらしていない)も手伝いつつ、義妹は一生懸命娘を育てていたんだけど、6年前にまだ一歳半の娘を残して病気で他界。
その後、義両親が娘を引き取り、さらに半年後、私と旦那が結婚→義実家同居(良トメは足が悪いので動き回る娘を見るのが大変)
それをきっかけに、娘を私達夫婦の養女にすることにした。
生まれた時から知っている子で、実娘のように思っていた子だったし、私とも旦那とも血の繋がりがあるというのもあり、周りも協力的で本当に助かった。
そんなこんなしているうちに、近距離別居の義弟夫婦出産して、生まれたばかりの姪を連れて遊びにきたので、一緒に夕飯を食べていたら義弟嫁が
「お腹を痛めて産んだ子はほんとかわいいですよ~あっ、ごめんなさい!私子さんにはわかんないですよねwなんかすみませんwでも、所詮よその子はよその子っていうかwww」
的なことを言いやがった。
腸が煮え繰り返りそうなのを押さえながら、怒りのあまり殴りかかりそうな旦那と義父を抑えていると娘が一言。
「よその子じゃないよ。私はママとパパとお母さん(実母)がいるけどママは私のこと、世界で一番大好きっていつもぎゅってしてくれるし、パパも一緒に寝たりたくさん遊んでくれるもん。赤ちゃんの頃の写真もあるし、これからもずっと家族なんだよ」
耐えられなくなって、泣きながら娘を抱えて家を飛び出した。
その後がかなり修羅場だったらしいけど、聞いてないし聞きたくもない。
娘を抱えながら、娘が生まれたとき、家族みんながどんなに嬉しかったか、どれだけあなたを愛してるかの話をした。
そしたら「しってるよ。わたしもみんな大好き。あ、でもママが一番好きかな。内緒だよ!」
って言われて、また泣いた。
そんな娘は、今年産まれた弟のお姉ちゃんを一生懸命してくれてます。
お腹痛めようがなんだろうが、どっちも私の大事な子ども達です。
つい最近義弟夫婦が離婚したので、厄落としカキコ。
長々と失礼しました。
自衛隊の船の見学で
何年か前に自衛隊のでっかい船が港に来ていて見学させてくれると言うので母と一緒に行った。
船の中を探索していたら、甲板の所で手旗信号の実演をしていたので見学。
簡単にやり方を説明した後「では実際にやってみます」と近くにいた子供に耳打ちで名前を聞き、その場で手旗信号を送り2,3メートル離れた相手がそれを読み取り
「○○くん×歳」と解読→正解→拍手と言う流れ。
「もう1回やってみますがどなたかメッセージ送りたい方いらっしゃいますか?」
と辺りを見回すと、私の隣にいた30代位の男性がすぐさま手を挙げ自衛官の元へ近づき事前に用意していたらしいメモを渡した。
最前列で見てたから会話が聞えてたんだけどメモを読んだ自衛官は「本当にこれでいいんですか?」と念を押している。
男性の方は笑顔で「お願いします」と言うのですぐさま手旗信号を始め、信号読み取った自衛官が戻ってきてマイクを持ち
「○○さん大好きです。これからもいっしょにいよう。僕と結婚してください」
と言った。
自分含め周囲は一瞬「は?」となったものの、男性は私の母の隣にいた女性に指輪の入った箱を差し出し、
「ああこれプロポーズだったのか」と漸く周囲も理解し、まばらに拍手が起こったが良く見ると女性の方は顔をしかめたまま指輪を受け取ろうとしない。
気まずい流れだと自衛官も前の方で見ていた見物人もすぐに悟り妙な空気に。
すると彼女の背後にいた仲間らしき男性が
「とりあえず受け取れ。じゃないと終わんないぞ」
と言って、漸く指輪を受け取り自衛官の人は「ではこれで終わります!」とそそくさと撤退。
見物人が解散しかけた辺りで女性がプロポーズしてきた男性に投げつけるように指輪を返し走って逃げて行った。
それも衝撃な光景だったんだけど、
「サプライズな演出狙ったんだろうけど見ず知らずの人に手旗信号で言われたって嬉しくないわよ。ちゃんと自分の口で言いなさいよ」
とフラれた男にアドバイスしていた母が衝撃的だった。
義兄が年の差結婚
旦那の一回り年上の長兄58歳がまさかの恋愛結婚した相手はこれまたまさかの28歳。
生涯独身を貫くのかと思ってた回りは腰をぬかさんばかりに驚いた。
義両親は、本当なら気に懸ってた独身長男がやっと結婚してくれたので本当なら万々歳なんだろうけど、さすがに何が目的なの?とビクビク。
長兄は真面目でギャンブルもタバコもやらない、お酒も飲まない人だから年齢を重ねてるぶん貯蓄だけはしっかりやってたから目的はそれか!なんて正直みんな思ってた。
が、長兄の話をよく聞くと、相手の女性は翻訳の仕事をしていていずれは通訳の仕事もしたいと思ってるらしく、とにかく忙しいので主夫をやってもらいたいというのが相手の女性の希望だったそうだ。
その条件を飲んでくれるなら結婚してもいいと言われたらしく、長兄は彼女のことが好きで好きで、それぐらいお安い御用だ!と会社を辞めて本当に結婚した。
そして彼女の身の回りのことを全部引き受けていた。
結婚は入籍だけ。
マンションを買って案外幸せに暮らしているようだった。
半年後、もっと本格的に翻訳の勉強がしたいと2人そろってイギリスに旅立った。
旦那と一緒に成田に見送りに行って、そこで初めてお嫁さんと対面した。
正直見た目は父と娘だったけど、義長兄がかいがいしくお世話してる様子が案外微笑ましく見えて、結構お似合いじゃんなんて思った。
お嫁さんはミムラ(さまぁ~ずじゃない方)に似た感じで純朴な感じだったし、よーし私だけでも応援してやるか!と思ってた。
2年後、帰国した長兄夫婦。
あっけなく離婚されて、一人暮らしには広すぎるマンションで老後を迎えた。
イギリスでの生活費も学費も何もかも全て義長兄が負担していたそうだ。
「まー短い結婚生活だったけど幸せだったからいいんだ~あははははは」と乾いた笑いを浮かべて義長兄。
そっか、幸せだったのか・・・。
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