『天使』|【名作長編 祟られ屋シリーズ】

『天使』|【名作長編 祟られ屋シリーズ】洒落怖・怖い話・都市伝説 祟られ屋シリーズ
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『天使』

258 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:18:36 ID:???0

 

アパートの部屋に戻って一服していると、ドアをノックする音がする。
・・・もう、こんな時間か。
ドアを開けると大家のオバサンが若い女を伴って立っていた。
「金子さん、悪いけど、また、なっちゃんをお風呂に連れて行ってくれる?」
「いいっすよ。それじゃあ、なっちゃん、俺と一緒に風呂に行こうか?」
築40年以上のそのアパートには風呂がなかった。
最寄の銭湯まで歩いて10分ほど。
鼻歌を歌いながら歩いていた奈津子が俺の手を握ってくる。
手を握り返して顔を向けると、奈津子は童女のような笑顔を見せて握った手を振る。
半田 奈津子・・・彼女が今回の俺の仕事のターゲットだった。

『仕事』とは、要するに奈津子の拉致だった。
乗り気のしない俺は、一度はこの仕事をキャンセルした。
しかし、結局、シンさんの強い要請でこの仕事を請けることになったのだ。

半田 奈津子は20代女性。
家族構成は母親の半田 千津子と母一人、子一人。
彼女の戸籍に父親の名はない。
半田親子は奈津子の幼少の頃から、生活保護を受けながら、このボロアパートに住んでいた。
顔写真の奈津子は愛らしい顔立ちをしていたが、何処となく違和感を感じさせた。
資料によれば、奈津子は知能に少々問題があり、療育手帳も受けていた。
母親の千津子は日常生活に問題はないと言う話だったが、読み書きが殆ど出来ないと言う事だった。
病弱で寝たり起きたりの母親と知能障害を抱えた娘の世話をしていたのは、アパートの大家でもある某教団信者の女性だった。
半田親子も、母親が元気だった頃からその教団の信者だった。
娘の奈津子には、教団斡旋による韓国での結婚式の話が持ち上がっていた。
その地区を取り仕切る教団幹部の強い勧めと言うことだった。
確かに、問題の多い教団ではあった。
教団の布教方法や霊感商法、人身売買の疑いも囁かれる『合同結婚式』で韓国に渡った多数の日本人女性の失踪・・・
半田親子の入信の経緯も自由意志によるものだったのかは怪しい。
だが、社会の片隅に放置されていた親子に救いの手を伸ばす者は、その教団・信者だけだったのも事実だ。
家族の依頼による奪還ならまだしも、余りに理のない行為に思えた。
頭の弱い女一人を拉致するなど、半日もあれば済む仕事だろう。
誰の、どんな目的による依頼だかは知らないが、そこらのチンピラに金を握らせれば簡単に片が付く。
少なくともキムさんや、ましてやシンさんが手を下すべき類の仕事にはどうしても思えなかった。

再度、この仕事を要請してきたシンさんに、俺は「何故、俺なんですか?」と尋ねた。
「訳あって、任せられる者がいないんだ・・・何とかなりそうなのは君くらいしか思いつかなかった。
キムやマサには、この仕事は無理なんだよ・・・それに、色々と問題があってね」
シンさんは半田親子に付いての別のレポートを俺に渡した。
レポートによれば、シンさんたちは半田親子を20年以上に渉って監視し続けていたことになる。
レポートを読み進めるに従って、俺の背筋には冷たいものが走った。
レポートの内容が正確ならば、一見、人畜無害に見えるこの親子は恐るべき存在だった。
果たして、俺に勤まるのか?
キムさんがシンさんに促されて「どうしても無理なとき、少しでも危険を感じたら躊躇なく使うんだ」と言って、黒いヒップバッグを渡した。
中には油紙と新聞紙で厳重に梱包されたオートマチック拳銃と予備弾倉が入っていた。
・・・ありえねえ!・・・正直、俺は目の前に現われた物と、これを「使え」と言うキムさん達にドン引きしていた。
戸惑う俺に、銃の説明と一緒に、キムさんは半田親子が監視されるようになった経緯を話し始めた。
話はキムさんとマサさんの修行時代、呪術師として駆け出しだった頃に遡る。

ある時、シンさんの属する組織にある依頼が舞い込んだ。
それは、ある呪術師の抹殺だった。
その頃、複数の有力者に雇われた数グループの呪術師が、呪詛と呪詛返しを仕掛け合う『呪術戦』を繰り広げていた。
実際には、高い地位に上り詰め、権力の座に座るような強運の人物に対する『呪詛』を成功させるのは、ある一定の条件を満たさないと非常に困難だと言う事だ。
宿業や運気が下降局面に入った所で、マイナスの流れを加速させる形で行わないと呪詛の効果は現われないらしい。
呪詛によって滅ぼされる者は、ある意味、『運』や『功徳』を使い切って、滅びるべくして滅ぼされて行くのだ。
それ故に、天運を味方に付けている者、宿業や運気の上昇局面、絶頂期にある人物に呪詛を仕掛けて成功させることは難しい。
だが、その『呪術戦』は、権力闘争に勝利して絶頂期にあった、ある男の死によって一旦終息した。
古くからの日本の呪術師グループには、いくつかの不文律が存在するということだ。
例えば、国を導く重要人物を、権力闘争の為に『呪殺』することは基本的にしないらしい。
そこが、呪術師が『呪殺』を用いて権力闘争に積極的に加担し、国と民族を導く資質を持った『指導者』を根絶やしにして亡国を加速させた朝鮮との決定的な違いらしい。
いわば、呪術師間での暗黙の馴れ合いなのだが、その男の死は『不文律』に反するものだった。
また、その男を守護していた、『業界』でそれなりに名の通った呪術師も命を落としたということだ。
更に、他の有力者に付いた呪術師にも、呪詛によると思われる変死・事故が相次いだ。
無差別に呪詛を撒き散らし始めた強力で危険なその呪術師を、呪術界、少なくとも関与した呪術集団は放置できなくなった。
そして、『仕事』以外では、呪術師相互で呪詛は仕掛け合わないという、『不文律』に従わない危険人物を消す仕事が、シンさん達の属するグループに回ってきたのだ。

かなり古い成り立ちを持つシンさん達のグループは、『呪殺』も受け持つ専門の呪術師を抱えていた。
榊という日本人呪術師だ。
国内の呪術集団には横の繋がりがあり、この国を亡国に導く『危険人物』に協力して呪殺を仕掛けることも、ごく稀にだがあるらしい。
また、呪術師や呪術集団が、他の呪術集団に属する呪術師を雇ったり、大掛かりな呪法への協力を依頼することも、そう珍しい事ではないようだ。
シンさん達のグループの『呪殺師』だった榊は、キムさんとマサさんの『師匠』の一人でもあった。
榊は、シンさんの属する呪術グループに何代も属し続けた強力な呪術師家系の出身者だった。
困難ではあったが、榊は確実にこの仕事を遂行する力を持っていた。
しかし、榊は自らが所属する呪術師グループと日本の呪術界を裏切った。
消すべき相手の『呪術師』を連れて逃亡したのだ。
榊が連れて逃げた『呪術師』、それが半田 千津子だった。
関係した呪術師グループや裏社会の人間に追い詰められた榊は最悪の行動を取る。
依頼者や関係呪術師グループの秘密をネタに彼らを脅迫したのだ。
依頼者のプライバシーや秘密に深く関わる呪術師・祈祷師としては最悪の、そして命取りの行動だった。
更に、榊はシンさん達のグループが保有していた呪術や呪物のデータを手土産に某教団の下に走った。
どうやら、日本国内の『呪術・呪物』の情報と引き換えに、政・官・財界に深く食い込んだ、韓国発祥の某教団に千津子の安全の保障を求めたらしいのだ。
その話を聞いて、俺はあることに思い当たり、キムさんに尋ねた。
「もしかして、例の『鉄壷』の情報も、榊から件の教団に渡ったものなのですか?」
以前、俺が関わった、朝鮮民族の生命を生贄に、日本皇室を滅ぼさんとした呪詛の呪物である『呪いの器』
封印場所から、何者かの依頼を受けた韓国人窃盗団の手により盗み出された『鉄壷』は、盗品屋の柳から問題の教団の幹部だった西川達の手によって奪われた。
状況から、韓国人窃盗団に『鉄壷』の盗み出しを依頼したのも西川達だったのだ。
「その可能性は否定できないな。まあ、他のルートからの情報に基づいたものかもしれないが。
奴らは、あらゆる方面から、呪術や呪物、『能力者』の情報を収集しているからね」

その教団に対する俺の評価は、宗教を隠れ蓑にしたマルチ商法の集団という程度のものだった。
政・官・財界に深く食い込んでいるのも、結局の所、世俗的・経済的利益追求の為と思っていたのだ。
だが、俺がキムさんに雇われるテストケースとなった事件で、信者から運気を奪い取る邪法を仕掛けていたカルト教団と同様、この教団の闇も深かった。
問題のS教団の最高権力者である名誉会長は色欲と名誉欲、金銭欲にまみれた下種な俗物でしかない。
今回のT教団の韓国人教祖夫妻もまた、それなりのカリスマ性はあるのかも知れないが、色欲会長と同等以下の俗物にしか見えなかった。
しかし、T教団はS教団と比較にならない位に、危険で根深い団体なのだということだった。

T教団は成立当初から、単なる宗教団体の枠を超えた存在だった。
戦後、アメリカはソ連・中国・北朝鮮・ベトナムといった社会主義国を包囲する為に、全アジア地域に対する反共軍事同盟を結んだ。
更にアメリカは公然たる軍事的、外交的活動の陰で、CIAという巨大な諜報・謀略機関を使い、各国の財界、政界、軍隊、警察から右翼やヤクザに至る反共勢力を集めた。
世界各地で露骨な反共運動、密かな謀略活動を行わせ、気に入らない政府を流血のクーデターで転覆させ、指導者を暗殺した。
この、アメリカの国策による反共産・社会主義の流れの中で誕生したのが韓国・P政権であった。
T教団は、宗教団体であると同時に、韓国における反共活動組織として、韓米両政府の力をバックに急成長したのだ。
その頃の日本政府も、国鉄労組による左翼活動や安保闘争などに手を焼いていた。
米CIAにとっても、安保闘争におびえた日本の支配層にとっても、共産活動に対抗する、既成右翼勢力ではない新しいタイプの反共団体が必要であった。
特に献身的・無条件に、疑いを抱かず、盲目的に反共活動だけに専念する若いエネルギーが求められた。
そこで目を付けられたのが、韓国においてキリスト教原理主義のもと、数多くの若者が献身的に活動しているT教団だった。
日本に上陸したT教団は、政界・財界・警察を中心とした官界に根深く浸透していった。
国家による暗黙の下、T教団はキリスト教の外皮と呪術的手法により、日本社会を広く深く浸食していった。

当初から、日本の宗教界・呪術界はT教団を危険視していた。
韓国政府とキリスト教系宗教団体であるT教団が、ユダヤ・キリスト教『汎世界エスタブリッシュメント』と深く結び付いていたからだ。
T教団の使命は反共工作活動と同時に、宗教と言う『麻薬』により、彼らの支配の障害となる、各国の愛国者を骨抜きにする事にあったのだ。
そして、『皇室』を頂点として強力な霊力・呪力を有し、壊滅的敗戦によっても彼らに併呑されない日本と言う『特異国家』に於いては、更にもう一つの使命が与えられていた。
それは、日本の宗教界・呪術界に浸透し、日本民族の精神世界を破壊・荒廃させ、日本国の霊力・呪力を破壊することだった。
そもそも、T教団の『日本は悪魔の国、天皇・皇室はサタンの化身、日本民族は朝鮮民族に奉仕する奴隷・・・』等といった教義は、それ自体が日本と言う民族国家に対する呪詛そのものと言える。
『子』である日本人自身に日本の神々を誹謗させ、日本民族が受け継いできた精神世界を否定させる・・・T教団の教義に多くの日本人を帰依させることは、何よりも強烈な呪詛なのだ。
敗戦後の神道指令や新憲法下の宗教制度などにより、世俗的な力を奪われた日本の伝統宗教界に、T教団のような『侵略的カルト』に対する抵抗力は残されていなかった。
政界・財界・警察などの力をバックに持ったT教団とその信徒、彼らの走狗である在日韓国人たちが日本の宗教界に浸透し、跋扈するようになった。
彼らの浸透した教団の殆どが、下劣な世俗的欲望に支配されたカルト教団へと成り下がっていった。
程度の差こそあるが、日本の宗教団体・・・信徒数1000人を越える規模の教団で、T教団の浸透を受けていない教団はほぼ皆無と言う事らしい。
前述のS教団もT教団の浸透を受け、乗っ取られてカルト教団へと堕落した数多の教団の一つに過ぎないのだ。
T教団は、多種多様な下部組織やダミー団体を使って、大学のキャンパスや企業、官公庁などで形振り構わない信者獲得を図った。
社会的軋轢や批判を敢えて受けながら広範囲の人材を漁ったのには、もちろん、資金源や世俗的な影響力確保の意味合いもあった。
だが、それと同時に、霊力の平均値が高い日本人にあって、特に霊力・呪力の強い人物を探し出す事も重要な目的だったのだ。
T教団は、日本の宗教・呪術組織の何処よりも、広範囲に『能力者』の情報を収集・保有している組織だということだ。
霊感商法と並んでT教団を有名にした社会問題に、信徒女性を韓国に渡航させての『合同結婚式』がある。
この人身売買も疑われる『結婚式』に参加して、韓国で行方不明になった日本人女性は7000人に及ぶという。

なぜ、女性が狙われるのか?
それは、遺伝的に霊能力を集積・定着し、次の血脈に伝えるのは女性に他ならないからだ。
強い霊力を持つ日本女性の血に、朝鮮の呪術の血を注ぎ、より強力な呪術の血を作り出す事が目的だと言うのだ。
理由は定かではないが、日韓(朝)の『能力者』同士の混血は、同民族同士の場合よりも、非常に強力な『能力者』を生み出すらしい。
古くからの呪術や霊能の家に生まれた『能力者』は保護されており、各々の家や所属する組織によって能力をコントロールする術を学んでいるので左程問題はない。
だが、突然変異的に強い霊能力や呪術的な力を持って生まれてしまった者は、その力が強ければ強いほど、通常の日常生活や社会生活が困難になる。
そのような人物を力を削ぎ落とされた日本の呪術・宗教組織が逸早く発見して把握・保護する事は、都市化や地縁社会の解体された現在では非常に困難となっている。
かかる状況下で放置された能力者が、救いを装うカルトに絡め取られる事例は少なくない。
自らの能力に苦しめられた能力者が、居場所と庇護を与えられ、自己の存在価値を認められることによって教祖と教団に依存し、帰依してしまうのだ。
如何わしいカルト教団の中に強力な能力者が散見されるのは、このような事情によるらしい。
韓国で行方不明になった日本女性の中には、こうした『突然変異的能力者』が数多く含まれていると見られている。
また、日本国内の呪術・宗教組織が『能力者』或いは『潜在的能力者』として把握、監視していた人物も含まれていると言う事だ。

T教団には、韓国内の数多くの呪術師や霊能者が幹部、或いは協力者として加わっている。
むしろ、呪術団体としてのT教団の運営者は、『汎世界エスタブリッシュメント』の走狗である彼らだと言った方が正確なようだ。
同胞である韓国人を犠牲にすることも厭わない彼らに反抗して消された韓国人呪術師は多く、日本やその他の外国に逃れた者も少なくない。
日本の呪術団体に所属し、日本の為に働いている韓国人呪術師は多い。
韓国の呪術界から『チンイルバ』として指弾される彼らには、『エスタブリッシュメント』の走狗となって同胞を生贄にする事を厭わない者達に反抗し、祖国を追われた者も少なくないのだ。

追われる立場となった榊がT教団の下に走ったのはある意味、必然だったのだろう。
いや、経緯を監視していたT教団の方から榊に接触した可能性もあった。
シンさん達の呪術グループは、裏切り者であり、強力な『呪殺』の術と力を持った榊を放置する事は出来なかった。
キムさんとマサさんは、ある呪法に加わって、師匠である榊に呪詛を仕掛けた。
強力な呪術の血を引き、卓越した呪術の力を持つ榊も、強力な呪力の『源泉』を持つマサさん達には勝てず命を落とした。
榊が死んで直ぐに、T教団とシンさん達の間で手打ちが行われた。
詳細は判らないが、T教団は千津子の呪力を封印し今後一切、呪詛を行わせない事。
シンさん達のグループは、千津子やT教団の幹部に呪詛を仕掛けない事が取り決められたらしい。
千津子はT教団の手により保護された。
だが、直ぐにとんでもない事実が明らかになった。
千津子が妊娠している事が判ったのだ。
千津子はある強力な呪術の血を受け継ぐ女だった。
そこに榊の強力な呪術の血が加わったのだ。
千津子の呪術の血は、ある特殊な由来を持つ血脈に属していた。
この上なく危険な呪術の『血』が、最も危険な団体の手に落ちたのだ。
シンさん達は、千津子と彼女の娘を監視し続ける事になった。

奈津子は小学校に上がるまでは、多少の知恵遅れはあったものの、普通の子供だった。
だが、彼女の『能力』の萌芽は凄まじかった。
知能の遅れや動作の遅さ、貧しい身なり等の為か、奈津子は悪童達のいじめのターゲットにされていたようだ。
だが、奈津子は悪童達のいじめや、級友たちの無視にあっても泣かず、いつもニコニコしているような子だったらしい。
ある時、奈津子の通っていた小学校で学芸会が行われた。
クラス全員が体育館のステージに上がって合唱を行う予定だったらしい。
この日の為に、千津子はアパートの大家に手伝って貰いながら、奈津子の為に白いワンピースを縫い上げたそうだ。
奈津子はこのワンピースを着る日を楽しみにしていたようだ。
学芸会の当日、奈津子は千津子に手を引かれて学校へ向った。
親子が学校の正門に続く坂道を上っているときに事件は起きた。
石垣の上に待ち伏せていた悪童達が、親子にバケツで泥水を掛けたそうだ。
奈津子の白いワンピースは悪臭を放つドブの汚水に染まった。
この時ばかりは奈津子も大泣きし、そんな娘の姿を見た千津子も泣いたということだ。
アパートの大家は千津子を連れて学校に猛抗議した。
だが、校長と担任教師は悪童の味方をし、悪童の親の一人はかなり侮辱的な言葉を千津子と大家に吐いたようだ。
大家と千津子の涙を見た奈津子は、唖のように黙り込んで外界に反応を示さなくなり、2週間ほど学校を休んだ。
奈津子が自閉していた2週間の間、悲劇が連続して起こった。

奈津子の通っていた小学校では、普段、『登校班』を組んで持ち回りで保護者が子供達を校門まで引率していた。
そんな『登校班』の列に暴走した乗用車が突っ込んだ。
事故は、当時頻発していたAT車の操作ミスによる暴走事故の一例として、報道もされたようだ。
車が大破するほどの事故だったのにも拘らず、突っ込まれた登校班で死亡したのは3人だけだった。
奈津子に泥水を掛けた男子児童2人と、暴言を吐いた母親だった。
更に、奈津子のクラスの児童が次々と謎の高熱を発して倒れ、一人の児童が死んだ。
いつも奈津子に意地悪をする中心となっていた女子児童だった。
事故のためか、『何か』に脅かされた為かは判らないが、女児が死んで直ぐに校長が奈津子のアパートを訪れ、千津子に謝罪した。
だが、翌日から校長は学校を欠勤し、2日後自宅で首を攣っているのを家族に発見された。
校長が死んで直ぐに奈津子のクラスメイトの高熱は下がった。
後遺症の残った児童もいたようだ。
自閉から回復し、再び登校し始めた奈津子を見る周囲の目は一転した。
奈津子は恐怖の対象となっていった。
いつもニコニコして、感情の起伏のない奈津子だったが、一度感情に火がつくと彼女の周囲では死が相次いだ。
千津子が『力』のコントロールを教えたのか、中学の特殊学級を卒業すると奈津子の身辺での変死は起こらなくなった。
だが、レポートに並ぶ数々の変死の実例から、拉致の強行は余りに危険で不可能に思えた。
俺は偽名を名乗って、奈津子の住むアパートに入居した。

アパートに入居した俺は、住人による監視の目に晒されていた。
彼らの視線に気付かない振りをしながら、俺はまず、住民の中に溶け込む事に集中した。
やがて、俺に注がれる警戒の視線は弱まり、半田親子との接触も増えていった。
住民と半田親子を観察していて気付いた事があった。
大家を始め、このアパートの住人は、一癖も二癖もある連中ばかりだった。
半田親子が彼らの監視・保護下にあるのは間違いなかった。
しかし、そんな住民達の奈津子へ向ける視線は監視と言うには少々違和感のあるものだった。
教団の指令?や奈津子の『力』への恐怖ではなく、彼女は住民に愛されていたのだ。
奈津子は、立振舞いが少々幼く、言葉も上手くはなかったが、澄んだ目をした女だった。
ありがちな容貌上の『歪み』もなく、見た目は魅力的で健康な普通の女であり、一目見ただけは精神の遅滞など感じられなかった。
人懐っこい無邪気な彼女の笑顔は、人の気持ちを安らがせる不思議な魅力があった。
母親の千津子もそうだったが、この親子の柔らかい雰囲気は人を癒す不思議な力があった。
溶け込んでみると、このアパートには奈津子を中心に居心地の良い幸せな空間が形作られていたのがわかった。
半田親子には、『呪殺』を生業にした恐るべき呪術者の血筋である事、多くの人を死に至らしめた『能力者』の片鱗も見られなかった。
俺自身が奈津子に癒され、当初の目的を忘れかけていた。

入居して直ぐに、俺は、サポート役との接触の足として、中古のGB250を手に入れた。
ある日、アパートの前でバイクの整備をしていると、いつの間にか奈津子が近くにしゃがみ込んで、興味深そうに俺の作業を見守っていた。
工具を操る俺の手の動きを目をくりくりさせながら追う様子が愛らしい。
整備が終わった所でキーを挿し、セルを回してエンジンを始動させると、奈津子は「おおっ」と言って手を叩いて喜んだ。
俺は奈津子に「乗ってみるかい?」と声を掛けた。
奈津子は、首を傾げてちょっと考え込むと「うん!」と答えた。
俺は「ちょっと待ってな」と言って、部屋から紫のサテンに鳳凰の刺繍が縫い込まれたスカジャンとヘルメットを持ってきた。
痩せて小柄な奈津子には両方とも大きすぎたようだ。
奈津子の細い肩から上着がずり落ちそうだ。
ヘルメットはどうしようもないので、頭にタオルを巻かせ、アパートの廊下に転がっていたドカヘルを被せて俺達は出発した。
バイクに乗せてから、奈津子は急速に俺に懐いていった。
時々奈津子を後ろに乗せて、走りに出るのが俺にとっても楽しい時間になっていた。
俺は奈津子用のヘルメットを買い与え、紫のサテンの色が気に入ったらしい奈津子にスカジャンも与えた。
奈津子はバイクに乗るとき以外も、サイズの合わないだぶだぶの上着を着て歩くようになった。
こうして、俺は、半田親子の中に入り込むことに成功した。

奈津子が俺に懐くようになって、他の住民たちとの関係も急速に好転した。
だが、同時に異変も起き始めていた。
深夜、時々『怪現象』が起こるようになってきたのだ。
電化製品の誤作動や停電、人が近づくまで鳴り止まないピンク電話・・・
金縛りにあった俺は、女のすすり泣く声を聞いた。頭の中に響いてきたその声は、奈津子の声だった。
どうやら、他の住民達も、形や程度は様々だが、各々『怪現象』に見舞われていたようだ。
耐えられずにアパートを出て行った者もいた。
だが、古株の住人達は慣れていたらしく、慌てる者は居なかった。
深夜の怪現象にも拘らず、昼間の奈津子は、いつもと変わらずニコニコと笑顔を振りまいていた。
やがて、怪現象の原因が判ってきた。
現象が起こるのは、決まって、ある男が半田家に立ち寄った日だった。
この男こそが、奈津子に韓国での結婚話をしきりに勧めていた飯山という教団幹部だった。
飯山は強い調子で半田親子に奈津子の結婚を迫っていたようだ。
大家が間に入って親子を庇っていたようだが、教団に庇護されて生活する身で、これ以上の抵抗は不可能だった。
飯山の訪問の頻度が上がるにつれて、半田親子は心労のためか暗い表情を見せるようになった。
俺は奈津子をバイクに乗せて、近くの川まで花見に連れ出した。
同じアパートの住民の男が開いている露店でタコヤキを買って、露店のベンチで食べながら俺は奈津子に言った。
「なあ、なっちゃん。嫌な事は嫌だと言わないと判って貰えないよ?
俺もアパートのみんなも、大家のおばさんだって、皆なっちゃんの味方だよ」
露店の親父もうなづいている。
「自分の気持ち、正直にあのオッサンに言ってみなよ。そうしないと、いつまでも終わらないよ?」

数日後、飯山が半田家を訪れた。
俺は室内の様子を伺いながら、踏み込むチャンスを待った。
やがて、飯山の怒声と奈津子の泣声が聞こえて来た。
俺は、部屋に踏み込んだ。
「何だ、君は!」
「その親子の友人だ。アンタいい加減にしろよ?この親子がアンタの持ち込んだ結婚話を嫌がって拒否してるのが判らないのか?」
「信仰上の問題だ。我々には信教の自由が保障されている。部外者の口出しは遠慮してもらいたい」
「憲法20条1項ってやつだな」
「判ってるじゃないか」
「だが、憲法は24条1項でこうも言っている。婚姻は両性の合意のみに基づいて成立するってな」
「・・・」
「この親子はアンタの持ち込んだ結婚話を嫌がっている。アンタ達の合同結婚式は社会問題にもなっているよな?
知的障害を抱えた親子を、その意思に反して引き裂こうと言うアンタ達の行いは、被害対策弁護団やマスコミのいいネタだろうな」
「・・・」
「この親子から手を引けよ。それがアンタの地位と教団の名誉を守る最善の道だ。これ以上無茶を言うなら出る所に出るぞ?」
しばしのやり取りの後、飯山は怒りに煮え滾った視線を俺に向け、親子に「悪いようにはしないから、もう一度よく考えなさい。また来る」と言って出て行った。

部屋の片隅で、涙や鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした奈津子が肩を震わせていた。
俺が奈津子の頭を撫でながら、「あのオッサンに嫌だと言ったんだな?よく言えたな、偉いぞ!」と声を掛けると、奈津子は俺の胸に抱きついてきて、声を上げて泣き出した。

それから数日間は、飯山も姿を見せず、平穏な日々が続いた。
だが、このまま平穏無事に事態が終息するとは思えない。
俺は警戒を強め、計画の実行の機会を探っていた。
そんな時に、サポート役の男から『緊急事態が発生した。早急に接触したい』連絡が入った。
バイクを引っ張り出してエンジンを掛けようとすると奈津子が玄関から出てきてきた。
俺が「悪いな、これから用事があるんだ。また今度な?」と言うと、
奈津子は首を振りながら「お姉ちゃんが、行っちゃダメだって言ってる。行かないで」と言う。
だが、俺は「ごめんな」と答えて出発した。
奈津子の言葉が気にならないではなかった。
だが、奈津子の言う「お姉ちゃんを」アパート住民の水商売の女性と誤解し、彼女が飯山の再訪を警戒して言ったのだと俺は思い込んでいた。
俺の留守中の守りは、タコヤキ屋の男に任せてあった。この男は教団信者でもなく、信用できる男だった。
少なくとも、サポート役として派遣されてきている男よりは信用していた。
俺は指定された場所へとバイクを飛ばした。

サポート役として派遣されてきていた男は佐久間と言う日本人だった。
シンさんの配下ではなく、木島の関係者だった。
話をしていて、この男が、韓国人でありながら組織で重要な地位を占めるシンさん達に良い感情を持っていないことが判った。
また、呪術や霊能といった『能力者家系』ではなく、一般家庭の出身である俺を見下していることも肌で感じられた。
俺は、佐久間を信用できず、最悪、フォローなしの単独での計画実行を覚悟していた。
だが、強攻策に出れば半田親子がどんな反応を示すかわからず、シンさんに渡された拳銃を使用するような事態は絶対に避けたかったので、正直、手詰まりの状態でもあった。

40分ほどバイクを走らせると、俺は指定場所に到着した。

デイマースイッチでライトを点滅させると、前方のセダンから3人の男が出てきた。
一人は佐久間、後の二人は知らない顔だった。
一人はガタイも良く、荒事にも慣れていそうな雰囲気だった。
もう一人は初老の男性で、体躯は貧弱だが、狡賢そうな油断できない雰囲気を漂わせていた。
俺は佐久間に「緊急事態とは何だ?この二人は何者だ?」と語尾を強めて尋ねた。
すると、初老の男が口を開いた。
「金子さん・・・いや、・・・さんでしたね。あなた方の計画は佐久間さんから聞いて、貴方があのアパートに入居する前から知っていました」
「佐久間、テメェ・・・」
「お怒りはごもっとも。しかしですね、佐久間さんも、あなたも、あの韓国人たちに『拉致』なんて汚い仕事を押し付けられた訳ですしね。
韓国人の手先となって、日本人のあなた方が同じ日本人である半田奈津子さんの拉致に手を染める事に良心の呵責はありませんか?」
「・・・」正直、痛い所を突かれて俺は沈黙した。
「我々は半田さん親子をこれまでもお世話して来ましたし、これからもお世話し続けるつもりです。
奈津子さんの結婚話も、先方は奈津子さんを大変気に入っておりまして、お母様の千津子さんも韓国に呼び寄せて面倒を見たいとおっしゃっています。
このまま日本にいて、あなた方の下に行ったからといって、あの親子が幸せになれる保障は、失礼ながら無いと思いますが?
配偶者を得て子供を生む・・・女性なら誰でも望む当たり前の幸せを、私どもの許を離れた奈津子さんが得られる可能性は低いのではないでしょうか?」
この男の言葉は、俺がこの仕事を請ける以前から葛藤してきた事、そのものだった。
俺の心は揺れた。

そんな俺の迷いを突く様に男は言葉を続けた。
「任務を放棄すれば彼らの事だ、奈津子さんのお父様の榊氏のように、あなた方の組織は貴方や佐久間さんを消しに掛かるでしょう。
しかし、ご心配ありません。
我々も強力な呪術師や霊能者を多数抱えておりますし、あなた方の組織と交渉して半田千津子さんの時と同様に『不可侵条約』を結ぶ事も可能です」
俺は黙って男の言葉を聞いた。
反論しない俺の様子に満足したのか、更に男は言葉を続けた。
「佐久間さんは何代も続く立派な祈祷師の家系のご出身です。
あなたも、これまでの仕事振りから、相当な素質の持ち主だと思われます。
しかし、あなた方の組織は、あの韓国人たちに牛耳られて、日本人のあなた方は不当に軽んじられているのではないですか?
佐久間さんは立派な血筋なのに正式な祈祷師・呪術師の地位を認められてはいませんし、貴方はキム氏の会社の従業員扱い。
危ない仕事に数多く関わられているのに、『組織』の正式メンバーですらないですよね?
失礼ながら、正当な評価とは思えません。
もし我々に力添えしていただけるのであれば、正当な地位と報酬を約束させていただきます。
貴方の才能を伸ばすべく、『修行』のお手伝いもさせていただけると思います。
佐久間さんからは快諾を頂いております。貴方も是非に!」

男の言葉には納得できなかったが、反論の言葉も見つからなかった。
そんな俺の脳裏に『行ってはダメ』と言う奈津子の言葉と、何故かアリサの顔が浮かんだ。
俺は迷いを払って言った。
「俺は別に拝み屋になりたいとも、組織で地位を築きたいとも思っていないんでね。
まあ、給料やギャラは、タンマリ貰えれば文句は無いが、見境無く餌に飛びつく犬は毒を喰らって早死にしかねないからな。
俺は彼らに対して恩義がある。これは俺の信義の問題だ。
例え飢えたからといって、信義に反して他人から餌を貰うつもりは無い。
他人を裏切って自分の下に来た人間を俺は信用しないし、信用されるとも思えないしな。
あんたの言葉はもっともらしく聞こえるが、日本人の俺には、日本を悪魔の国、日本人を韓国人に奉仕する奴隷と看做すアンタ達の教義には帰依も賛同も出来ない。
日本人でありながら、あの教義に賛同し帰依できるアンタ達も理解できない。
俺はこの仕事で、あの親子と縁を持った。
韓国へ渡って行方不明になった日本人女性がどうなったか判らない以上、あの親子を韓国に行かせるつもりは無い。交渉は決裂だ」
「残念ですね。でも、あの親子は飯山さん達がもう連れ出しているでしょうから、あなたには手遅れだと思いますよ」
俺はジャケットをめくり、ウエストバッグから拳銃を取り出して言った。
「お前ら、フェンスを乗り越えて向こうの倉庫のステージまで行け。おかしな真似をしたらコイツをぶっ放す。
佐久間、車のキーをこっちに投げろ。さあ、早くするんだ」
佐久間がセダンからキーを抜いて俺の方に投げると、3人は2mほどの高さのフェンスをよじ登って向こう側に下りた。
俺は、3人が十分に離れたのを見計らってセダンに乗り込み、アパートへ向った。

アパートに着くと、白いミニバンと見覚えのある四駆が停まっていた。
俺は車を降りてアパートの中に入った。
アパートの中は騒然としていた。
靴も脱がずに上がり込んで、2階にある半田家の部屋に向った。
部屋の前に見覚えの無い若い男が、魂を抜かれたように呆然と立っていた。
部屋からは異様な空気が漂っていた。
中に入ると台所の流しを背にして誰かいた。
マサさんだった。
脂汗をびっしょりとかいて、立っているのがやっとといった様子だった。
極度の集中状態で俺にまるで気付いていない様子だった。
奥の部屋には飯山と奈津子が倒れていて、マサさんの視線の先には千津子が仁王立ちしていた。
トランス状態とでも言うのだろうか?
異様な殺気を双眸から発して、千津子はマサさんを睨み付けていた。
だが、俺が部屋に入ったことで二人の均衡状態が破れたらしい。
マサさんが胸を抑えて苦しみだした。
「チズさん、いけない!」そう言って、俺は慌てて千津子に駆け寄って肩を揺すった。
千津子の目が肩を掴む俺にギロリと向いた。その視線に俺の背筋は凍りついた。
そして、千津子は白目を剥いて倒れた。

千津子が意識を失うと、台所でマサさんがズルズルと崩れ落ちた。
クソッ、どうなっていやがるんだ!
奈津子と共に室内に倒れている飯山は、赤黒い顔色で泡を吹いて意識がない状態だった。
奈津子と千津子の何れかは判らないが、親子を無理やり連れ出そうとして、彼女達の『力』で殺られたのか?
混乱する俺に、マサさんが肩で息をしながら言った。
「おい、シンさんから預かった拳銃を持っているな?もう、俺の手には負えない。
その子が目を覚ます前に撃て!」
「ば、馬鹿言ってんじゃねえよ!そんな事、出来るわけねえだろ!」
「いいから、さっさとやれウスノロが!説明している暇はないんだよ!どけ!」
マサさんはフラフラと立ち上がった。
マサさんの右手には俺のと同じ型の拳銃が握られていた。マサさんの銃口が奈津子に向く。
俺はマサさんと奈津子の間に立って拳銃を抜いた。
マサさんに銃口を向けて「アンタらしくないな・・・何故なんだ?」と問いかけた。
「バカヤロウ・・・甘いんだよお前は!クソッ、もう、手遅れだ・・・」そう言うとマサさんの膝がカクッと折れた。
マサさんが崩れ落ちるのと同時に、背後からゾワゾワッと悪寒が走った。
倒れていた奈津子が上体を起してマサさんを睨み付けていた。
俺は慌てて、奈津子の肩を掴んで激しく揺すった。
「ダメだ、なっちゃん!止すんだ!」そう言った瞬間、奈津子の目が俺を睨み付けた。
奈津子に睨み付けられた瞬間、俺の全身に電撃のような痛みが走った。

俺の胸は心臓を握り潰されたような激しい痛みに襲われ、全身の血が沸騰したかのようだった。
これが奈津子の力なのか?
呪殺者の血脈、多くの人間を死に至らしめてきた力か?
シンさんやキムさん、そしてマサさんが恐れるのは無理も無い。。。
あんなに優しくていい娘なのに、こんな力を持ったばかりに・・・不憫な・・・
ブラックアウトしかけた俺の視界に、奈津子の色の薄い柔らかそうな唇が映った。
何を考えてそうしたのかは覚えていないが、俺は最後の力を振り絞って奈津子と唇を合わせ、強く抱きしめた。
クソッタレ・・・目の前が真っ暗になって、意識が途絶えた。

女の泣き声と、男の「もう大丈夫だ」と言う声で俺は目を覚ました。
心配顔の千津子と涙でベソベソになった奈津子が俺の顔を覗き込んでいた。
「まだ動くな。調息して気を一回ししろ。それから、末端からゆっくりと『縛り』を解くんだ。できるだけゆっくりとな」
声の主は木島だった。
1時間ほど掛けて、俺はようやく起き上がることが出来た。
マサさんの処置は見知らぬ老人が行っていた。
・・・助かったのか・・・何故?
応援がやってきて、俺達はアパートを後にした。

木島の運転するマサさんの車に俺は揺られていた。
助手席にマサさん、後部座席に千津子と奈津子、そして俺。
二人は『力』を放出し切ったせいか、泥のように眠り込んでいた。
眠り込んではいたが、奈津子は俺の手を離そうとしなかった。
俺は目を閉じて、調息と滞った気の循環を行っていた。
そんな俺に、マサさんが、いかにもダルそうな声で話しかけて来た。
「お前、あの時、本気で撃つ気だっただろう?酷い奴だ・・・」
「二人はこれからどうなるんですか?事と次第によっては、今度は迷わず撃ちますよ?」
木島が口を挟んだ。
「そうカッカするなよ。二人は『力』を封じた上でマサの『祓い』を施して、ある人物の元で丁重に保護する」
「ある人物?」
「榊さんだ。この娘の祖父に当たる人だ。さっき、マサに処置を施していた爺さんだよ」
俺は絶句した。

「しかし、よくもまあ、二人とも助かったものだ」木島の言葉にマサさんが続けた。
「まったくだ。良く、あんな状況であんな手を思いつくものだ。あんなことはしないだろう、普通?」
「・・・」
「あれで、その娘の毒気はすっかり抜け落ちてしまったからな。
木島が駆け付けた時、この娘、お前にすがり付いて、わんわん泣いていたらしいぞ」
「いい泣きっぷりだったよ。しかし、まあ、後が大変だな」
「なにが?」
「乙女の唇wを奪ったんだ、高くつくぞ?この娘にとっては初めてだったろうしな。
純粋で真っ白な娘だ。面倒な事になりそうだなw」
「自業自得だ。自分のやったことの責任は自分で取るんだな。俺は知らねぇw」
マサさんがそう言うと、奈津子が寝返りを打って、俺の方に身体を委ねてきた。

穏やかな寝息を立てる奈津子の寝顔は天使そのものだった。

[完]

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