【感動話】『いわき市民だけど「3.11 東日本大震災」からおきたこと語ってく』

【感動話】『いわき市民だけど「3.11 東日本大震災」からおきたこと語ってく』 感動

 

 

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いわき市民だけど「3.11 東日本大震災」からおきたこと語ってく

 

 

2011年3月11日、自分は職場にいた。
いつも通り日本語通じない日本人相手にあくせく働いていたときに地震が来た
最初はおー揺れてる揺れてるって程度だったんだがだんだん強くなっていって棚から商品やPCが落ちる落ちる。
とりあえずガラス製品は割れないように押さえたんだが店の中はぐじゃぐじゃ…
外にいったん出たら、隣のクリーニング屋の店員さんやらスーパーで買い物してた人達がパニックになりながら出て来た。

 

あれ、日付またいだからかスレ立て頼んだ時とID違う…
家族が心配だったんだが地震の直後というのもあって繋がらない。メールもなかなか届かない。
帰ろうにも店勝手に閉めて帰るわけにも行かずとりあえず暇だからうろうろしながらワンセグでニュース見てた。
そしたらニュースはすごい騒ぎで石油コンビナート爆発やら宮城で震度7だわまじかーい!
思ったより深刻な事態なことに気付き内心焦りつつも店内を片付けながら上司に電話。
当たり前に繋がらない
(´・ω・`)
仕方がないので金だけうちの店が入ってるスーパーに預けて帰宅。珍しく雪が降ってて寒かった
道路はほとんどが渋滞でいつもなら車で5分のとこを15分かけて家に戻ると、父と甥っ子が二人でストーブに上がりながらテレビ見てた。

 

ちなみにおれはリア友がほとんどいないからリア充じゃない。恋人いない歴=年齢のお前らの仲間だ。
テレビにはあの津波の様子とコンビナートの火災の様子が全部のテレビ局で流れてる。テレ東ですらニュースを流してることに改めて事態の(ry
ライフラインは断水以外全て無事。
こどもらを迎えに行った姉二人含めて家族全員怪我もなかった。
家は皿が数点割れてるのと脱衣所の箪笥の上に置いといた乾燥機が風呂場の扉にダイブして扉がぶっ壊れた程度だった。
えがったえがった
その日は水が使えないから風呂も入れないし夕飯も簡単に済ませて寝た。

 

次の日長女(以下姉)の家は水が使えると言うのでシャワーを借りに行くと次女(以下姉2)がちゃっかり避難してた。
断水直るまでに世話になると。
姉の家は俺が姉にあげた写真立てのガラスが壊れた程度ですんだらしいが姉2の家は水槽の水が大量にこぼれ飼ってた魚が死んでたらしい
断水は12日の夕方に直ったが何故か姉2は一週間ぐらい姉宅に居座ってた。
「3.11」の地震で職場が入ってるスーパーがでかい被害を受けたらしくしばらくは営業が出来ないといわれ俺はこの日から震災ニートになる。
地震の被害は市内でもひどかったらしく、市内のほとんどのスーパーが営業停止。ガソリンスタンドもガソリン切れで再開未定
これからどうなるのかがわからないというのは本当に怖かった。

 

しかし人脈がある父がいるというのは心強いもので、仕事のお得意先の人に父が頼んで毎日ガソリン缶にガソリンを貰うことができた。おとんすげー
震災から五日目、父のパチンコ仲間から「断水で風呂に入れない、家族に風呂を貸してほしい」との連絡がきた。
その日は放射能の話題で俺がすごい神経質になってたのと、人嫌いの気が加わり吐き気を催してしまい風呂掃除だけして二階にずっと篭ってた。
パチンコ仲間家族が帰ってから父に「Nさん(パチンコ仲間の人)ら帰ったから下りてきていいぞー」と言われ8時過ぎに夕食。
父からそのNさんの震災の時の話を聞かれた。

 

地震があったとき漁師だったNさんは茨城の海に素潜りをしていたらしい。
でかい揺れがきたので慌てて道具を片付けようとしていたところに津波に遭った。
なんとか流されないようにものに捕まりながら流されそうなおばちゃんの手を掴んだが波の引きが強く結局手が解けておばちゃんは流された
もう一人男性が流されそうになったのを助けようとしたが流れてきた車に頭を打ち付けられそのまま亡くなったらしい。
茨城での最初の死亡者三人のうち二人がNさんの前で亡くなったそうだ。
Nさんの家族は奥さんと娘さん三人の五人家族。家族全員無事だったものの目の前で人を助けられなかったことが心残りで仕方ないと言っていたらしい。

 

そういえば俺は見てないんだがYouTubeで北茨城の歯科医が津波に襲われながらも津波の瞬間を撮った!とかいう感じの動画が上がってるの知ってるか?
なんかその歯科医が最初はアナウンサー目指してたんだーとか家無事かなーとか職場のPCダメだろうなーとか言ってるってやつ。
あれNさんの娘さんが勤めてる歯科医院の先生なんだそうだ。
患者はすぐに逃がしたのに娘さんら看護士らは帰して貰えず首まで水に浸かる中その先生は呑気に職場を撮影していたらしい。

 

茨城が断水してると知らなかったから、Nさん家族が五日ぶりに風呂に入れて本当に嬉しい、ありがとうと言っていたと父に聞かされてすごい申し訳なく感じた
次またなにか助けてほしいと言われたら今度はきちんと助けてあげたいな。
次の日に、姉夫婦らと開いてる店を探して買い物をするついでに海沿いの方を見て見ようという話になった
隣町が海沿いなので行ってみると、もう世界が違った。
その時撮った写メあるんだけど、うpしていい?

 

俺が見てきたのは、岩間っていう小名浜から少し南に行った先にある町だ。
小名浜からすごい急な下り坂を下りた先に岩間があって、そこを抜けて勿来の方に行く。
岩間は本当に目の前が海。

 

 

↑勿来方面

海 ∬ 砂浜 ||道路|民家民家民家Σ山

↓小名浜方面

 

 

という感じになっている。
俺は勿来方面から見に行ったのだが、岩間に行く途中の道路では何処かの家の物置が流されて道路の真ん中に転がっていたり
家の塀や瓦が崩れ道路に散乱してた。
岩間に行くと防波堤は崩れてる、車はひっくり返ってるわ潰れてるわ、家なんて無事なところがあるのかというぐらいの潰れ具合。
車に乗っていた全員が言葉を発せなかった。

 

んでんでんで本当はそのまま小名浜も見たかったんだけど岩間の惨状が酷すぎて通行禁止で行けず。
バイパスを通れば行けないこともなかったが、もう夕方になるし子供らもいるし、ということでその日は帰った。
後でテレビで見たが岩間は救急車も入れないくらい酷い有様で救助も中々行けないとのことだった。
そして放射能の屋内避難圏内が30kmに。
俺の住んでる町は第一原発から60km離れてるが、小さい子供と妊婦(姉2)がいるからと姉の旦那が旦那の実家の山形に避難しようと言い出した。

 

姉旦那の発言には皆戸惑った。
姉も仕事があるし、俺と父は介護施設にいる母親がいる。
そんな急に言われても決心なんか付く訳無い。
父は自分の仕事(自営業。姉が事務をしてる)があるし、母を置いては避難なんて絶対しない人だから残るだろうと思っていた。しかもメタボで見栄張りな癖に、根は寂しがり屋
俺まで避難したら父は家に一人ぼっちになってしまう、それを考えたら山形に避難するなんて出来なかった。

 

その日のうちに山形に行くことが決まった。
皆用意する中、姉の旦那に「俺残るよ。お父さん心配だし」と言ったら「あんたはまだ若いんだから駄目。行くよ」とバッサリ切り捨てられる(‘A`)
でもやっぱり自分だけ避難はしたくなくてはっきりと残ると姉らと姉旦那、父に宣言。
だってさ、確かに俺と姉達は家族けどさ、姉は姉夫婦の家族が。姉2には姉2夫婦の家族がいるんだ。
だとしたら俺の家族は父と母だろ?だったらやっぱ家族で居たいじゃん。
放射能とかすげー怖いけど、俺には恋人も子供もいないから、死ぬようなことになっても心残りはあんまりないからいいかなっておもったんだよ。

 

それを姉と姉旦那に伝えたらちゃんと納得してもらえた。
いつ帰って来れるかわからないと言われたから皆して固まってDVDみてる甥っ子と姪っ子を写メ撮って待受にした。ちょー可愛い。
そんなこんなで姉家族と姉2家族は山形に避難、俺と父は二人で震災引きこもりニート生活を送ることになった。

 

父「ひまだな」
俺「うんひまだね」
父「動けねえから腹もへんねえわ」
俺「んだな。何故か屋内避難指示出てるから外出れないしね」
父「買い物も行けねえし本も全部読んじまったしなんもすることねえ。」
そんな会話をしつつひたすら暇な日々を過ごした。
外に出れないってすごい苦痛なのな…引きこもりってすごい。

 

姉らが山形に避難してから数日後、流石にこのままだと気が滅入るので茨城の方に食料調達を兼ねたドライブに行った。
茨城にはいるとぽつぽつやってる店があったがほどんどの店の中は何処も人でごった返してて、
普段混まないようなスーパーの列がディズニーランドのイッツアスモールワールドの列みたいになっていた。
なんとか食料を買って帰宅。海沿いの方を通ると地震と津波の影響でスーパー日立が中途半端なところで停まっていたり、ぺちゃんこになってる家がたくさんあった。
その三日後、父は稼ぎにならないからと一人で仕事再開。得意先の壊れた機械を一人で直しにいったらしい。

 

父が仕事を再開して二日後辺りに姉夫婦と姉2旦那(一応うちの会社の社員)だけ帰宅。
あちこちでガソリン入れながら着たらしいが郡山はもちろん、山形でもガソリンスタンドにガソリンが行かず
毎朝三時に起きてスタンドに並び、九時半にようやく三千円分だけガソリンが買えるような状態らしかった。

 

姉夫婦は今日は自宅に戻って片付け次の日山形に戻る。姉2旦那は次の日から仕事復帰ということで報告だけ受けて帰っていった。
そして次の日、朝起きたら何故か山形に戻ったはずの姉が居た。
なんでいんの?!って聞いたら仕事が心配で…とのこと。
もともと仕事と母のことを心配して残りたがってたけど、まだ小さい子供がいるんだからと旦那と俺に言われて避難してたからずっと気掛かりだったんだろな。
山形からこっちにくる道中ずっといわきに残るか悩んでいたらしく、結局昨晩寝る間際に残留を決意。姉2に内緒で残ったらしい。

 

とりあえず姉と母の介護用オムツを買って母がいる介護施設へ行った。ら。
ワンコがいた(*´∀`*)
テリア系かな、すっげー可愛いの!カワイイは正義だね。癒されたよ。
母のいる部屋に行ったらちょうど起きたらしい。サイバイマンとムックのぬいぐるみに囲まれながら目をショボショボさせていた。
姉らが山形に避難する前に一度会いに来ていたのだが、病気の後遺症で記憶力が低下してるにも関わらず地震発生時の事ははっきりと覚えていた。

 

それから本当は母はリハビリ施設がある介護施設に移る予定だったのが今回の震災のせいで延びてしまったのと、
定期検診を受ける予定だった仙台の病院が震災でそれどころじゃないということで、
これからどうするかを別室でスタッフさんと話し合った。

 

お茶とドーナツを出されたんだが途中からトイレを済ましてスタッフさんに連れてこられた母に全て完食されてしまった(´・ω・`)
とりあえず施設は無事ということでもうしばらくは母は預かってもらうことになった。
ちなみに母は俺が会いに来るまでずっと俺を心配していたらしい。
母の記憶では俺は15歳だったり11歳だったりしてる。

障害者レベルだと一番重いの。
記憶力低下、とか、喉の筋力も低下しててまともに喋れない、食べれない。
思い通り行かないと怒る。
食べるにも満腹感がよくわからないから食べれないのに口に詰め込む。
介護レベルだと3か2。筋力低下してるけど、介助すれば少しだけなんとか歩けるレベル。
でも大事で大好きな親だよ。
本当は貯金して迷惑かけた分旅行とか連れて来たかった。

 

ちなみに姉は施設から帰る途中で残留したのを姉2にばれ電話で超怒られてたwwwww
「やっぱ怒られたか(´・ω・)」とは言うものの久々の一人暮らしに姉はウキウキしていた。
しかし四日後には姉旦那の仕事が再開するからと皆戻ってきてしまった。
姉は「あたしの自由は三日だけだった」としょんぼりしてた。

 

姉旦那が帰って来るのはいいが子供らと姉2が帰ってくるのはまだ安全がわからないから出来れば避けて欲しかった。
山形の姉旦那実家も姉2をかなり心配してたし。
でも山形に実の息子がいなくなるのに子供と姉2だけが残るのも、子供の精神状態や姉2のストレスを考えると置いていくわけにもいかず結局皆で戻ってきたらしい。
そして24日、上司から明日から営業再開出来るよ!との電話をうける。

 

イヤッッホォォォオオォオウ!
*  +   巛へ
〒| +
+   。||
*  +   / /
∧_∧ / /
(´∀`/ / +
/⌒   |
/ュヘ   |*
+〈_) )  |
/   i +
ガタン / /丶 |
||| / / | ||||
ーーーーーーーーーー

 

今までこんなに仕事出来ることが幸せだと思わなかったね。
腹のそこから叫びたいほど嬉しかった。
わくわくして眠れないほど嬉しかった。
時間は通常営業と迄はいかないが、接客できるのが本当に嬉しかった。
子供らが通う保育園も一部天井陥没やら地盤沈下やらしたらしいが保育時間を短くして再開。
月末にはもう市内のほとんどの店が再開し、ガソリンもそんなに不自由なく手に入るようになっていた。
ようやく日常を取り戻しつつあった。

 

正直地震にはもう体が慣れていた。
震度5?あっそうなのwwwぐらい言える余裕があったし東京のほうで地震ばっかで嫌だって言ってる人は見てまだまだだなっなんて思ってた。
それで今月11日の地震だよ。
11日も俺は職場にいた。
その日は姉に買い物ついでに職場まで送ってきてもらったので、車の鍵と一緒にキーケースに入れてる職場の鍵を忘れてしまっててな、
姉に鍵と傘を届けて貰って「んじゃ!」って別れた直後に揺れが来た。

 

今回は本当に急だった。地震の型が違うからだろうけど最初からクライマックスな揺れだった。
「3.11」の比じゃない。
商品はほとんど床に落ち、天井が崩れてきて、機械が警報鳴り響いてて、強すぎる揺れに立ってなんかいられなかった。
でも馬鹿なので逃げるより先に「ガラス商品壊れる!」という考えになり咄嗟に額縁等が陳列されてる棚を押さえた。
揺れはそれからすぐ収まったものの店はぐっちゃぐちゃ。
泣きたいぐらい酷い有様だった。

 

姉がまだ近くに居たので揺れが収まってすぐ姉の方に走り無事か確認した。
姉も車にいた姉の子供らも無事だったけど、うちの店が入ってるスーパーは壁や天井が崩れ落ち、スプリンクラーが稼動してて、また当分営業なんて出来るような状態ではなかった。
頭の中がパニックになっていたけど、体型がふくよかなパートのおばちゃんがパニックになって泣き叫んでるのを
上司のもっとガタイのいいおばちゃんが「泣いてる場合じゃないでしょ!しっかりしなさい!」と抱きしめながら叱り付けてるのをみてなんか冷静になれた。
隣のクリーニング屋は驚くほどなんも被害がないのにも関わらず、
クリーニング屋の店員さんは俺以上にパニックになっててさらにそれ見て冷静になった。ワロス。

 

姉に「とりあえず帰ろう」と言われ、
「3.11」の時で上司に電話しても出ないと学んでいた俺は店の金をスーパーの人に渡して戸締まりだけしてさっさと帰ることにした。
幸か不幸かその日は雷雨でな、うちの職場で扱ってる機械は雷に弱いから電源とブレーカーは最初から切ってあったので機械の心配をする必要もなかったし。

 

俺の職場は姉の家のが近い(信号なしでいける)ので一旦姉の家へ行った。
姉の家の被害はガラス製の時計と飼ってる魚の水槽から水が漏れているくらいだった。
しかし停電と断水をしているようでトイレが使えずとても暗い
懐中電灯で床を照らしながら掃除をする羽目になった。
姉2と父が心配なので我が家へ向かったんだが、町自体が停電しているらしく信号機が死んでいた。
我が家も例外なく停電、断水。幸い父が風呂にお湯を汲んでいた最中に地震がきたので水はあったが我が家のトイレは電気式なのでトイレは使えなかった(‘A`)

 

我が家の被害は屋根が崩れて瓦が割れたのと、食器が割れた程度。
電気は父が工場から発電機を持ってきたので、リビングの照明とストーブとテレビは見れた。
夜22時ぐらいなり父が急に「甘いものくいたい」と言い出す。
茨城のローソン開いてるってよーと返事をすると「よし、行くぞ」といわれた。
( ´Д`)えっ

 

まあ俺自身もスイーツ(笑)は好きなので真っ暗な町を抜けて茨城へドライブ。
道路は面白いぐらい歪んでらっしゃった。
勿来を抜けて茨城に入った途端街頭も民家の明かりも点いていて、県境で文字通り明暗が別れている状態になっていた。
ローソンに着くとほぼ駐車場はいわきナンバーで埋まっていて店内におにぎりやカップラーメン、おまけにスイーツ(笑)も綺麗に消滅していた(‘A`)
スイーツ(笑)がないのでしょんぼりする父は明治のチョコアソートを購入。俺はピザポテトを購入。あれ美味いよなー

 

その日は菓子食って23時には就寝。久々の早寝だった。
12日、
朝起きた時には電気は復旧。水はあいかわらずツカエナイ(‘A`)
父は仕事で栃木に行ったため縁側でずっとひなたぼっこをしてた。
そして14時、再びでかい揺れ。

 

半分寝ていた頭もその時はバッチリ醒めてた。目の前にある42インチのテレビが倒れて来たらそら覚めるよな。
昨日片付けたばかりの食器棚からはまた食器が落ちるわ棚に締まってあったコーヒー敏感は割れるわ流石に頭を抱えた。

 

まさか二日連続で来るとは思わなかっただけにショックはとてもでかかった。
昨日きたばっかだろ…片付けたばっかりだったのに…
もう自分の中での自然に対しての思いは怖いではなく憎いに変わりつつあった。
うんざりしながらテレビを元の位置に戻すと、液晶にテレビの左上から右下まできれーな一直線のヒビが入っているのに気付く。
ためしに電源を入れるが、音声のみお楽しみくださいの状態で画面は真っ暗。
壊れてる/(^O^)\
慌てて姉に電話しながら自分の部屋と父の部屋の無事を確認するため階段を上がると、階段の壁にでかいヒビが出来ていた。
「おねーちゃん壁にヒビ出来てるよ!(´;ω;`)」と伝えると「それ昨日の地震でついたやつだから大丈夫」と言われる。
何が大丈夫なのか全く解らん。

 

俺の部屋を確認。
CDと姉の事務用品は散乱してたのと壁にヒビが入っていた。
続いて父の部屋を確認。
部屋の壁にある2mはあるデカイ箪笥が父がいつも寝てる布団の頭の部分にぶっ倒れてた/(^O^)\
まじ父仕事行ってる時でよかったあぁあぁあ!!!!!!もし父が寝てるときにあの揺れがきたら流石の父も死んでたと思う…
ぞっとしながら姉に報告すると、姉の旦那が変わりのテレビ持っていくからついでに箪笥も元に戻して貰えと言われた。
ちなみにテレビは、我が家ではリビングに一台、父の部屋に一台、俺の部屋に一台、母がいたときは母の部屋にもあった。
姉の家はリビングにでかい50インチが一台、子供部屋に36インチか一台あるので
36インチの方を壊れたテレビの変わりに貸してくれるとの事。

 

ちなみに11日、12日と震源地はもろうちの町だった。
そりゃあ被害が酷いわけだよ。

とりあえず姉旦那を待ちながら片付けてると何故か姉2が来たので片付けを手伝わせる。
やんなっちまうねもう!なんて言いながら片付けてると姉旦那も到着。
壊れたテレビは家財保険でなんとかなるとのことなので一度それを外の物置に仕舞い、新しく借りたテレビを設置。
凄く…小さいです…。
三人でちいせえwwwwって笑いながら父の部屋を片付けるために二階に上がる。
俺の部屋は「うん、いつもとかわんないね」と華麗にスルーされた。
いやいやいやいや結構被害酷いから!というツッコミもスルーされた。

 

俺の部屋をスルーし父の部屋の片付けに入る。箪笥の中身がぶち撒かれた状態で倒れていたので片付けが大変だった。
それでもなんとか箪笥を元に戻して姉旦那と姉2はそれぞれ家に帰って行った。
一階のダイニングにぶち撒かれたコーヒーや割れた皿は一人で片付けた。
流石にこの二日連続の震度6の地震は精神的にきつかった。
前にも言ったけど震災の時の地震はビビった位でその後の余震も全然怖くなかったんだ。
しかし4/11、12で「治してもまた崩される」と言う絶望感を味わってから、
地震が来る度にまた壊れるんじゃないか、今度こそ駄目なんじゃないかと思ってしまって体が固まって心臓がバクバクいうようになってしまった。

 

多分こう言うのがトラウマっていうのかはしらんけど、地震はもう本当勘弁してほしい。
家も余震でがたが来始めてるし、次また出来のが来たら持つかわからん。
店の方はスーパーの人らが流石に焦ったらしく、工事の人らにたのんで応急処置で天井にブルーシートをしいて、一昨日からスーパーとうちの職場も営業を再開することになった。
予定よりずっと早い再開で本当に嬉しい。
今回の震災見てたら自分の置かれてる立場ってまだまだ恵まれてる方なんだよな。
家もあって家族みんなが生きてて食べ物にも困ってない、ほぼ「当たり前」の生活が出来てる。
精神的には少し参ってるけど、家族も家も職場も残ってるから頑張るよ。

 

姉のスペック
歳…三十路過ぎ
身長…160cm
顔…芸能人だとりょうを少し童顔にしてショートボブにしたかんじ。

姉2のスペック
歳…25
身長168cm
顔…誰だろう、アゲ嬢のももえりが近い。

俺のスペック
歳…20
身長156cm
顔…化粧するとT.M.Revolution、HYDE、雅-miyavi-
すっぴんだと上戸彩だとよ。

 

撮影した画像

 

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