『24歳の叔父に引き取られた』【長編 感動する話】

『24歳の叔父に引き取られた』【長編 感動する話】 感動

 

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24歳の叔父に引き取られた

 

 

両親が事故で亡くなったこと。
もう9歳だったのに、ぼんやりとしか覚えていません。泣いていた記憶はあります。
あずけられた先で黙殺されたこと。
話しかけてもらえない。
笑ってももらえませんでした。

優しく構ってもらえるのが普通だと思っていたので、どうしたらいいか分かりませんでした。
こっちはよく覚えています。
これがわたしの最大の修羅場です。
次は同時に周囲でおこった修羅場?です。

 

親戚「私子どうする」「イラネ」「困る」「迷惑」「なら叔父にまかせたら?」
叔父は実父の弟で、当時24歳会社員独身。家によくやって来ては私子とも遊んでくれていました。

「無理に決まってます」と様子見に来た叔父に「おにーちゃん(そう呼んでた)」と私子がすがりつき

叔父「わたしが育てます」

親戚「若過ぎね?」「男手だけでは」「いやらしいよね」「無理かも」

叔父「おまえら人に押し付けて梯子外すのはやめろ」

親戚「なら任すか」「でも男手だけじゃ」(無限ループで揉める)

叔父彼女は当時21歳。他県の大学で4年生でした。

彼女「事情は聞かせてもらった。内定蹴ってそっち行って結婚するわ。これで解決でしょ」

叔父「それは無謀で短慮だ。22歳でいきなり10歳の子持ちとか正気じゃない。絶対だめ、無理。むしろ別れてくれ」

彼女「25歳で10歳の子持ちもないわよ。まず私子ちゃんが大事でしょ。誰かがやらなきゃ」

彼女両親「絶対に許しません。将来を捨てるんじゃない。叔父くんと別れなさい」

親戚「これはいい人身御供」「とおといぎせいはわすれない(棒)」「応援します(他人事)」

 

叔父&彼女両親「わざわざ不幸になるな。そもそも私子知らんだろ。諦めてくれ」

彼女「不幸になるって決めつけるな! あなたの娘なら関係ある!・・・ねえ、3人で幸せめざそう。ね(女の涙作戦)」

叔父「もう、そこまでいうならついてこいや。3人で行くとこまで行っちゃるわ」

彼女両親「おまえなんかもう娘じゃない。困っても、す、少ししか助けないんだからね!」

 

両親の修羅場はずっと続いたようです。
まず親が若すぎて好奇の視線や心無い中傷に苦しみます。
「育児完全素人」でなにをやっていいかさえ分かりません。
不安定な私子に張りつくため母は専業主婦(在宅パートも少し)。

当時の父の給料では火の車大行進でした。
結納も新婚旅行もなしです。
式だけは父の会社の人や友人がパーティを開いてくれて人前式だったそうです。

 

父が苦い顔で振り返ります。
「正直に言うと、皆の心遣いより貰った祝儀の額が嬉しかった。貧乏すぎるとそういう間違いをおこす。

今でも恥ずかしくてしょうがない。二度とあんなさもしい気持ちになりたくない」
わたしに残された遺産は(たいした金額ではありません)手つかずのままでした。
「それに手を付けるようでは、どっちみち長くはもたなかった」だそうです。

 

母も育児や家事で実家を毎日質問攻めにしていても、金銭の援助はなかなか受け取らずに祖父母を困らせました。
「意地だったわ。若かったなあ(遠い目)」だそうです。

わたしが中学にあがり家事をするようになると、母はフルタイムで働きました。
父もそのころ昇進し家計は改善されたと思います。
「あれ? うちって思ったよりお金ある?」と何度か思いましたから。
高校は私立の進学校と公立を併願しました。
親戚「私立はもったいない」「お人よし」「働かせろ」
両親「うがー」(追い払ってる)

私立を受けたのは「諸費用全部タダ!」の「特待」を狙っていたからです。
その高校のOBで1年と3年で「特待」2年は「準特」だった優等生の父は、すぐにわたしの意図を察しました。

「私子には勧めたくないな。成績順だけの生活は思う以上に苦しいぞ。将来のためじゃない勉強のための勉強だ。好きじゃなくても金のために勉強、プロみたいに・・・」

「勉強のプロ?なにそれかっこいい」

「ちょっと、嫁子きてくれ」

「あなたが兄さん(私子の実父)に迷惑かけたくないって特待狙ったのと同じじゃない。私子の気持ち分かるでしょ」

「分かるしありがたいからそこまでさせたくないだろう」

「過保護乙。あなたができたなら私子もできるよ。発想似てきたもの。親子よねえ」

 

「特待」も「準特」もだめでしたが、その下の「奨学生」(授業料7割引き)に引っかかることができました。

高校では両親が変な陰口を叩かれることは、少なくとも表立ってはありませんでした。

「さすが、我が校史に残る優等生(笑)やることが違う。そこにシビry」という応対だったそうです。
(馬鹿にされてるんじゃなくて、好意的だったということです)
少しは役に立てた気がしました。

 

最後の修羅場は高校2年の時です。
たぶんわたしのせいで明るい家族計画状態だった我が家に妹が誕生しました。
ひそかに気にしていたので大喜びでした。
「赤ちゃんかわいいー」と無邪気にはしゃいでいました。

 

親戚「やっと本当の子か」「私子、お役御免だな」「妹に悪さするんじゃないか」

私子「え?え? 悪さしないよ、妹かわいいよ。え? まだ私子はいらない子?」

父が人に殴りかかるのを初めて見ました。

それまでも疎遠だった親戚と、これで完全に絶縁することになりました。
考えすぎて心因性ナントカで倒れて入院しました。私子、打たれ弱い。
父は繰り返し「お父さんが甘かった。私子、すまなかった」といってました。

 

父は毎日産院と私の入院先を往復して、親戚と喧嘩もしていて、疲れたところを祖父に捕まって

「なぜ相談にこない? あれ(母)もきみも一人で抱え込むのはどうなんだ」と怒られていました。

父の泣いているところも初めて目にしました。
一人で抱え込むと父でも怒られるのかと安心しました。

妹と私子の関係は全然大丈夫でした。むしろ可愛すぎました。
どっちが大事とか関係ないから。
もう修羅場はないと信じたいです。

 

先日、私子の誕生日を父、母、妹、その他揃って祝ってもらい、昔話をしました。
○○歳の記念にカキコ。
本当は修羅場より両親自慢をしたくて、投下先がわからずこういう形で。
お許しくだされば幸いです。

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