動物の感動する話 – 犬編 -【2】
11年間共に過ごした愛犬とのサヨナラ
11年間飼ってた愛犬がなくなった。
死ぬ前の半年間、自分はろくに家に帰ってなくて、世話もほとんどしなかった。
その間にどんどん衰えてたのに、あまり見ることも触ることもなく、その日を迎えてしまった。
前日の夜に、もう私とはほとんど会話がなくなっていた母が、兄と一緒に私の部屋にきて
「もう、動かなくなって、息だけしてるの。目も、開いたままとじれない。最後だから、お別れしてきなさい。」
と泣きながら言ってきた。
そこまでだったなんて知らなくて、びっくりして下に下りていったら、コタツに横たわってた。
ほんとに息だけしかしてなくて、だんだん息も弱くなってるのがわかった。
怒りっぽい犬で、触るだけで唸るのに、その日は、なにも反応がなかった。
母と兄と、3人で、泣きながら朝まで見守った。
結局次の日、単身赴任の父が帰ってきてすぐ息を引き取った。
父のことが大好きだったから、きっと待ってたんだと思う。
家族全員そろうのを待ってたんだな。って思う。
死ぬ間際に飲んだ水はすごくおいしかったよね。幸せだったよね。
なによりも、本当にろくに家に帰らず遊んでばかりいて、あなたの世話をしていなかったことを悔やんでる。
父も母も兄も泣きじゃくる中、あたしは後悔ばかりが心に残って、あまり泣くことも出来なかった。
おまえが死んでから、おかあさんとも会話するようになったよ。
今まで、お母さんの話し相手はおまえだったもんね。
おまえのおかげで自分がどんなに親を悲しませてたかわかった。
犬にまであたしのこと相談するくらい、おかあさん悩んでたんだね。
おまえが死んでふさぎがちだった母も最近元気になったよ。安心して眠ってね。
昨日、死んでから初めてあなたの夢を見ました。朝起きて、泣きました。
ほんとうにありがとう。
ばいばい。
ポメラニアンのチロルを引き取った
家で飼ってた犬の話。
私が中学生のころ、保健所に入れられそうになっていた4歳のメスのポメラニアンを引き取った。
名前は、前の飼い主がつけたらしい「チロル」
チロルはほんとうにとんでもない犬だった。
名前を呼んでもこないし、振り向きもしない。
餌のときだけ私に尻尾を振る嫌なやつだった。
出かけるときは馬鹿みたいに吠えるし、愛想もないから、道行く人にもすぐに吠えるダメ犬だった。
そのたびに恥ずかしい思いをしていた。
その上臆病者のため、すぐに噛む。
噛む噛む噛む。
私も姉もめちゃくちゃ噛まれまくって、そのたびに泣いたよ。
本当なんでこんなやつ引き取っちゃったんだろうって、本気で思ったこともあった。
「こんな恩知らずいらないよ、あんたなんかいらない!」
なんていっちゃったこともある。
今思えば、前の飼い主に捨てられて、いきなり違う家に連れて行かれて色々ストレスもあったのだと思う。
本当にしょうもない犬なんだけど、チロルとの散歩は嫌いじゃなかった。
特に家の裏にある原っぱは、チロルのお気に入りで、連れて行ってやれば蝶々を追いかけながら尻尾を振って喜んでた。
本当にむかつくんだけど、可愛くてしょうがなかったんだ。
その日は生憎の雨で、面倒だったこともあって散歩を中止にしてしまった。
それがいけなかった。
チロルはどうしても原っぱで遊びたかったらしく
開いていた窓から飛び出し、一人で散歩に出てしまったところ、車に惹かれて死んでしまった。
去年の露のことだった。
外で今まで聴いたことのない
チロルの叫び声が聞こえてきて、すぐに駆けつけた。
そこにはぐったりと寝そべっているチロルがいた。
車はすでにいなかった。
まだ息をしていたから頭真っ白になりながらチロルの名前を呼んだ。
混乱して何度も体をさすった。
近所の人が集まる中、最後に名前を呼んだとき、ゆっくりこっちを見て、静かに「わん」って返事をして死んでしまった。
いままで名前を呼んだってふりむきもしなかったくせに、・・・なにそれ。
自分の名前分かってんじゃん。
もう散歩中吠えても怒らないから、名前呼んでも振り向いてくれなくったっていいから、散歩も雨の日だって毎日連れて行ってあげるから…
もう一回蝶々一緒に追いかけようよ。
ダメ犬だっていったけどさ、本当は大好きだったんだよ。
守ってあげられなくてごめんね。
あれから一年たった今でも思うのは、チロルはちゃんと幸せだったのかなってこと。
もしかしたら幸せだったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない。
どちらにしても、どうか天国でチロルが幸せに暮らしてればいいななんて、本気で願わずにはいられません。
ロッキーは俺のヒーロー
普段俺のことをバカにしまくってるドーベルマンのロッキー
しかし小学生のとき、ロッキーは俺を助けてくれた
当時お袋の実家に帰省していたとき、近所のデカい川にロッキーと一緒に
遊びにいったんだが、川の石を渡って真ん中までたどり着いたとき、
足元のコケに滑らせて転落してしまった
落ちた場所はギリギリ足が着く深さだったんだが、流されるうちに深い場所に
いってしまい、パニくった俺は泳ぐことも忘れ溺れていった
釣り人はもっと上流の方に行かないといないし、道路からも遠いので
溺れながらも必死で叫んでも、誰も来ない状況
しかも川の水は冷たく、段々力が抜けていって、死を覚悟し始めた頃、
目の前にロッキーがいて、俺のシャツを噛んで川の岸に運んでくれた
正直ロッキーが来るのはありえないと思ってた
だって俺はロッキーが逃げないようにリードを階段の手すりに結んでいたから
どうやってロッキーは来れたんだろうって思って水を吐いて落ち着いてから
ロッキーを見ると、リードが噛み千切られていた
首からも余程暴れたのか血が出ていて、こんなに必死になって俺のことを
助けてくれたのかと思うと、小学生ながらも感動して、号泣した
それ以来ロッキーは俺のヒーロー
もしロッキーに何かがあったら次は俺が助けてやりたいと思う
月明かりの下で
昨日彼女の家の犬が死んだ。
彼女の家は昔、彼女の兄貴が高校生という若さで自殺してから、両親も彼女もうつ病になってひどい状態だったらしい。
そんなときに引き取ってきた犬だったそうだ。
ところがペットセラピーっていうのかな、犬と接しているうちにみんなだんだんよくなっていって、また家族で笑い会えるようになったって。
彼女も両親も犬のおかげだって、それはそれは犬を可愛がってたよ。
家族旅行へ行くにも連れてってやってさ、ほんとに家族みたいだった。
彼女なんて犬の散歩の時間になると、デートの途中でも家に帰ってたよ。
何の変哲もない雑種だったのに
「あの子はうちにとっては特別な子なの」っていつも言ってた。
その犬がもういい年だったからさ、最近は弱ってたんだ。
病院に連れてってももう駄目だって言われたから連れて帰ってきたらしい。
うちで最後を迎えさせてやるんだって。
それでとうとう昨日の朝から呼吸が途切れがちになったらしくて、彼女は仕事を休んでずっと犬につきっきりだった。
俺は犬なんて別に好きじゃないし、どうでもよかったけど、彼女が心配だったから仕事が終わってから寄ったんだ。
もう暗くなってたけど、月が明るかった。
彼女は庭の、犬小屋のそばの金柑の木の下で、毛布を敷いて座って犬を抱いてた。
そこは、木陰で涼しくて犬がいつも寝てたお気に入りの場所だった。
もう動けなくなってて、彼女がスプーンで水を飲ませてやろうとしても飲めなかった。
そうしているうちにだんだん上下してた腹が動かなくなってきた。
彼女はぼろぼろ涙を流しながら犬を撫でてたよ。
彼女の両親も涙目になってそばに立ってた。
それでついに呼吸が止まった。腹も動かなくなった。
そしたら彼女がすんげえ泣いたの。
もう泣くって言うか、悲鳴みたいなのあげながら嗚咽するの。
二十歳超えた大人とは思えない泣き方だった。
俺と別れ話になって泣いたときとは全然違ってたから、すげえびっくりしてしばらく呆然としたんだけどさ、犬ごと彼女を抱きしめてやった。
それでも彼女は泣き止まなくてさ、庭先であんまりわあわあ大声で泣いてるから、隣の家の人が出てきたり、自転車の高校生が立ち止まったりしてた。
それでも誰も、何あれーとか言わねえんだよな。
みんな状況を見たら、黙って手を合わせて行くんだよ。
乳母車引いたばあさんなんか、わざわざ庭まで入ってきて、彼女に
「こんな明るいお月さんの下で死ねたんやでな、迷わんときれいなとこに行けたに。」
とか言って慰めてんの。
俺は何が月だ、関係ねーだろ、とか思いながらも、気づいたら俺も泣いてんの。
俺が来るたびほえまくってたあの馬鹿犬なんかちっとも好きじゃなかったのに、犬を埋めるために金柑の下に穴を掘ってやってんの。
俺は動物飼ったことなかった。
だから犬の扱い方も知らなかった。撫でてやることすらしなかった。
初めて撫でてやったのは、もうほえなくなった硬い体だった。
でも毛はまだふかふかしてた。
彼女が将来俺と結婚してから、犬が飼いたいって言い出したら飼ってもいいなと思ったよ。
でも俺は絶対、彼女より後に死のうと思った。
ポチのお陰
20代の中頃、免疫系の病気で病院と自宅だけを行き来する引きこもりのような生活を送っていました。
薬の副作用で絶えず襲われる虚脱感で半日以上眠り続ける生活でしたので仕事どころではなく無職状態。
一時期は快方に向かい就職したのですが、就職先が小さな個人経営の会社ということもあり一日中社長と二人切りで、次第にセクハラ紛いの言動が増えてきた社長に耐えられなくなり辞職。
病名が判明するまで幾つも転院しましたが、仮病扱いする医者や精神病院への通院を勧める医者に何人も遭遇して、本当に精神的に参ってしまいそうでした。
その時期に祖父母の家で牛舎の番犬として飼っていたスピッツ系雑種のポチ♂を譲り受けました。
鎖に繋がれた状態でブラッシングなども施されていなかったポチはボサボサの毛玉だらけ、シャンプーやブラッシングをしたり、人と常に一緒にいることに慣れさせる訓練をしているうちに私の病気も少しずつ良くなり引きこもりも改善してきました。
ポチの餌を買う為に出掛け、ポチと散歩する為に毎日外出する。以前では考えられないくらい家から外に出るようになりました。
次第に室内犬として躾るとポチとは朝から晩まで過ごすようになり、抱きしめることで心も体も癒やされてゆきました。
そんなポチは我が家に来た時点で14才、かなりの高齢で一緒に過ごせたのは数年でした。
亡くなったのは雪が降り積もっていた夜のこと。散歩から戻り、玄関の踏み台を登ったところでパタリと倒れました。
ポチを抱きかかえて居間に連れて行って、母と二人で浅くなってゆくポチの呼吸音を聞きながら何度も撫でました。
苦しそうなのに名前を呼ぶと尾を振り、目をこちらに向けて耳をピーンと立てるんです。
いつものように、いつもと同じように甘えたいんだって思うと泣きたくても泣けなくて …一瞬でも見逃すまいとポチを見つめていました。
最期の瞬間、私と母を見つめたまま大きく息を吐いてポチを亡くなりました。
その日たまたま出張に出掛けていた父は最期を見届けることができず、帰宅するなり生前と同じようにポチに話しかけていました。
涙混じりの震えた父の声と母の嗚咽が忘れられません。
私は死体を抱きしめたまま、泣きながら眠ってしまい、気がつくと真っ黒な場所に立っていました。
周りは真っ黒なのに私の周囲だけが明るくて、傍には侵入禁止の標識のポールが立っています。
無音の空間でしたが不安や淋しさを感じなかったのはポチが足元でじゃれついていたからかもしれません。
死ぬ1ヶ月ほど前から時折呼吸困難になったり、足腰が弱っていたポチが元気に走り回ってるだけで嬉しくて、私は泣きながら笑っていました。
ポチにありがとう!と告げると足に顔をスリ寄せてから、ほのかに明るくなった向こう側に走り去ってゆきました。
最後まで私を励ましてくれたんだと思うと、また涙がこぼれてしまいました。
今でも眠っていると時々ポチがやって来て、目が覚めるとフサフサの毛の感触が手のひらに残っていることがあります。
生前同じベッドで撫でながら一緒に眠っていたので甘えに来るのかな?
ポチが我が家にやって来る前は家族がバラバラでした。
私は家族に病気であることを伝えていなかった為、両親からは働けと叱責を受けてばかり。
詳細に反論する気力も無いほど病気と薬の副作用はひどく、家族の会話は常に怒鳴り合いで殺伐としてました。
当時、妹は旦那のDVで悩んでいて、両親の心労はピークに達していました。
私の免疫系の病気は不治の病で、激症化すれば1ヶ月もせずに死んでしまう病気であることを親に伝えて、更に悲しませたくなかったんです。
そこに私が病状をカミングアウトしたら両親が壊れてしまいそうで…
私のことは怠惰な娘とでも呆れても良いからと、生きることも弁解する気力も失いかけて、死を身近に感じてたんです。
そんな時にポチはやって来ました。
散歩や餌のこと、ワクチンや躾のこと。
犬を飼うには必要なことを話してるうちに家族の会話も穏やかに変わってゆきました。
ポチの粗相に笑ったり、怒ったりして、家族がまとまってきました。
私が外出していたある日、ポチが私の部屋の前で吠え続け、両親を部屋の中に誘導したそうです。
ベッドの前でも吠え続け、前脚で下側を引っ掻く仕草したので、両親はベッドの下にある箱を取り出して開けてみました。
中に入っていたのは薬、診断書、請求書や領収書の類で入院を勧める書類もありました。
両親は私が一日中眠り続ける理由を知り、親を頼れと本気で泣かれてしまい、意地を張っていた自分も恥ずかしくなりました。
ポチのお陰で家族は一つになれました。
感謝という言葉では足りないほどポチに助けられました。
その恩を充分に返せたのかなとか、もっと可愛がってあげたかったと悔やむ気持ちもあります。
ポチが亡くなった夜、夢の中でポチと最後に過ごした場所でポチが走って行ったのは彼岸と呼ばれる場所だったのかなと思います。
そこは静寂で清浄な空気が流れていました。
侵入禁止の標識の向こう側には決して近寄れなかったのも不思議で見えない壁に遮られているようでした。
あの場所で健康だった頃のように思い切り走り回るポチと遊べたことで最後に幸せな思い出をたくさん貰えました。
バカげた夢と人は言うかもしれないけど、私には現実です。
ポチ、ありがとう。
またいつか会えたら良いね。
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