ほっこりする話 短編5話【14】
おばあちゃんの素敵な言葉
地下鉄に乗ってきた清楚なおばあちゃん、
OLさんが席を譲ろうとしたら
「あなた疲れてるだろうから座ってらして。わたしは遊んできただけだもの。」
とにっこり。
「今日はとってもたのしかったから元気なのよ。」
だって。
すてきだー。
バラとカード
このおじいさん真剣にバレンタインのカード選んでて
店員さんが「奥さんにですか?」と聞くと
「彼女は3年前乳癌で亡くなった。けど毎年バラとカードを買うんだ。」
「僕のハートを掴んでいるのは今も昔も彼女だけという事を証明するために」
って。
どうぶつの森 我慢する!
母「貯めてたのに本当にいいの?」
子「どうぶつの森我慢する。これで地震の人の家建てる。」
と言いお年玉袋から5000円を寄付。
母「偉いね。地震の人、これで寒くなくなるね。」
男の子思わず号泣。
後ろにいた私、大号泣。
一人娘の結婚式
土曜日、一人娘の結婚式だったんさ。
当時俺25歳、嫁33歳、娘13歳。
まぁ、要するに嫁の連れ子だったんだけど。
娘も大きかったから、多少ギクシャクしながらも数年過ぎた。
子供はあえてつくらなかった。
収入の問題もあったけど、娘の気持ちを考えたら、
子供は娘1人いればいいって事になった。
突然嫁が交通事故で逝った。
娘17の時。
突然2人きりになった&現実味がなくて二人して呆然。
これからどうしようと思った。
生活の面では収入も安定してたし、娘も家事の一通りは出来た。
何の問題もないはずだったけど、嫁側親戚が騒ぎ立てた。
そらそーか。
血の繋がらない29の男と17の女。
ある意味カップルでもおかしくない歳の差だもんな。
「あなたはまだ若いんだから」とか、
「再婚するにも子供がいちゃ・・・しかも自分の子供じゃないのに・・・」
とか、散々言われた。
でも、俺は間違いなく娘は俺の娘だと思ってた。
何よりも、嫁のたった一人の忘れ形見だ。
俺が育てて行く以外の選択肢は全く頭になかった。
そんな親戚の騒ぎは右から左に流した。
娘も「今更こんな足の臭いオッサンとどーにかなるかw」と笑ってた。
当たり前の様に言う娘の気持ちが嬉しかった。
やっぱり影であらぬ噂を立てられた事もあった。
三者懇談や進路面談で学校に行くと、必ず教師に変な顔をされた。
部活で遅くなった娘を迎えに行って「お宅の生徒が援交をしている」と
近隣住民から学校に通報された事もある。
それでも2人で暮らして来た。
再婚なんか考えた事もなかった。
それくらい娘には穏やかな、幸せな時間を与えてもらってた。
娘に話があると言われた。
「結婚したい人がいる。」と。
娘は25になってた。
俺が嫁と結婚したのと同じ歳。
正直複雑な心境だった。
次の日曜に相手の男に会った。
娘を見る目が優しかった。
こいつなら大丈夫だと思った。
安心した。
諦めもついた。(笑)
あっという間に披露宴だ。
「お母さんが亡くなった時、本当にどうしようかと思った。
お父さんはまだ若かったから、私がいたら絶対に足枷になると思ってた。
だから、これからも一緒に暮らすのが当たり前みたいな態度でいてくれたのが
本当に本当に嬉しかった。
私のお父さんは、お父さんだけです。
今まで本当にありがとう。
お母さんが亡くなってからも、今までずっと幸せな子のままでいられたのは
お父さんがお父さんだったからです。」
娘がしゃくりあげながら読む花嫁からの手紙を聞いてたら
バージンロード一緒に歩いてた時点で必死で堪えてた涙がどっと溢れた。
娘が出て行く前に、箪笥の引き出し一つ一つに
「ぱんつ」「しゃつ」「とれーなー」「くつした」とか書いた紙をはっつけていった。
そこまで俺自分で何も出来ない父親かよwww
しかも平仮名www
近いうち娘に良く似た孫とか出来ちゃうんだろうな。
そんで「俺まだじーちゃんとかいう歳じゃねーし」とか言っちゃうんだろうな。
俺、間違ってなかった。
大変だったけど、父親って立場、選んでよかった。
嫁と結婚して良かった。
娘の父親になって良かった。
1人になって部屋は何か広くなっちゃったけど。
微妙な抜け殻感は否めないけど。
今度はいつか生まれて来る孫の為に頑張ってみようかな。
一番大きなお金は「十円玉」
発達障害を持った子のお話です。
幼稚園は、近所の子供たちと一緒に通っていましたが、
小学校に上がると、ちょくちょく学校を休むようになり、
一年生が終わる頃には、全く学校へ行かなくなってしまったそうです。
二年生になっても、三年生になってもその子は、
学校に行こうとはしませんでした。
そして、四年生に上がる頃、父親と、母親が話し合って、
養護学校に預ける事にしました。
養護学校には、寮みたいなものがあって、
勿論、家に帰る事はできませんでした。
四年生で入ったその子は、一年生の学習から
始めなければなりませんでした。
専門の先生が、主要教科を一対一で丁寧に教えていきました。
その日習った新しい事を、毎日毎日、
その子は母親に電話で報告していました。
ほんの少しずつでは、ありましたが一年間でその子は、
たくさんの事を学び、覚えていきました。
その子を、ずーっと教えていた先生が、
ある日、算数を教えようとしてお金の問題を出しました。
「ここに、五百円玉、百円玉、十円玉、三つのお金があります。
どのお金が、一番大きなお金ですか?」
と、その子に質問しました。
「十円玉」
と、答えるのだそうです。先生は、
「五百円なのよ」
と、教えましたが、同じ問題を繰り返すと、
どうしてもその子は、
「十円玉」
と、答えてしまうのです。
何度も、何度も、やはり答えは、十円玉だったので、
先生は、
「五百円玉と、百円玉と、十円玉では、五百円玉が、
一番たくさんのものが買えるのよ。
だから、一番大きいのは、五百円玉でしょ?」
と、言うのですが、
その子が、どうしても違う、十円玉だと言うので、
先生は、
「それじゃ、十円玉のほうが大きいと思う訳を言ってごらん」
と、言ったそうです。
すると、その子は、
「十円玉は、電話が出来るお金。
電話をするとお母さんの声が聞けるの!」
と話したそうです。
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